【戦後80年】”新しい戦前”にしないため未来に語り継ぐこととは… ゲスト:古川隆久(日本大学文理学部教授)古谷経衡(作家/時事問題評論家)8月11日(月) BS11 インサイドOUT
昨日 被爆地長崎で営まれた平和記念式店。 あの日から80年を迎える今 こんな世界になってしまうと誰が想像した でしょうか? 武力には武力をの争いを今すぐやめて ください。 唯一の被爆国である日本は戦争の悲惨さや 原爆の非人性を世界へ訴え続けてきました 。 今年は戦後80年にあたりますが、世界で は未だにウクライナやガザなど戦争が続き 、人々が殺され続けています。 80 年前大空襲で大きな被害を受けた東京でも 中ってどういうもう 未来の平和のために戦争体験を伝え続ける人がいました。 [音楽] 死者にこう守られるような形で助けていただいた。 しかし日本でも防衛費の大造額と他国の 領土を攻撃することを可能にする装備の 導入などで戦争ができる国へと形を 変えようとしているようにも見えます。 さらに 日本人はまだまし [音楽] [拍手] 災害主義的な市長を掲げた政党が選挙で 躍進するなど国民にもが拡大しつつあり ます。 これは新しい戦前なのでしょうか?この国 は平和国家として歩み続けていくことは できるのでしょうか? 戦後80年新しい戦前にしないため未来に 語り継ぐこと は太平洋戦争の敗戦から80年にあたり ます。 戦争はすでに過去のものではなく、世界には紛争が耐えず日本も新しい戦前に向かっているのではと指摘されています。 こんばんは。岩です。 上野です。 え、今週は夏休みのですね、まただ中ということなんですが、少し視点を変えまして特別バージョンでお送りします。 ではゲストをご紹介します。番組初登場です。 日本大学教授で日本金大使がご専門の古川高久さんです。古川さんよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 そしてもう一方も番組初登場となります。作家で事事問題評論家の古や常平さんです。古やさんよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。 ま、戦ってことでね、ま、あの、上野さんも取材に行かれましたけども、なんか戦争の当時というものを語りつ方当然もう少なくなってきてる中でああいう方がですね、証言を残すっていうのは極めて大事なことだと思いますよね。 うん。はい。 え、自らが体験した東京空習を語り継いでいる 89歳の女性にお話を聞いてきました。 80年前、太平洋戦争末期の1945年3 月10日、米軍の無差別爆撃によって東京 の下町は原になり、およそ10万人もの 人々が命を奪われました。 この辺りなんかこれがもう住田川ってこと ですよね。 空の中で人々はどのような体験をしたのか 。 上野キャスターがその体験を直に聞くため繊細の資料を展示するセンターを尋ねました。あさん はいまし。 本日は疲 歳の時に 大空州に遭遇して生き延びた二張おさんが当時の様子を話してくれました。 あの、これが、ま、私が入ったと、あの、 3月10日の暴空号なんですけれども、 あ、これ暴空号の様子なんですね。 はい。ええ、で、これはあの実物の大体 1/3です。 え、 大きさで言うと畳 1条より回り広いぐらいものです。 二兵さんの記憶を元に再現されたミニチュアの暴空号。 [音楽] 空習の時子供と女性が入ったと言います。 [音楽] 中ってどういう状況? もうあの電気もないですし、じめしてるし、神臭いし、息き苦しいし はい。そんなに長くは入っていられないもの。 その状況って はい。 ど、どんな感じでした? ま、あの、その時はね、あの、 これが空習かって思ったぐらいで恐怖でもう、あの、まだ 8歳でしたのでね、 あまり深くは考えられなかったですけれど、なんて残酷なことと思いますね。 ええ、 その日は風の強い日で B29 による大空は東京の下町をあっという間に焼き尽くしました。これちょっと 実物台の処団の模型も展示されてありました。 すごい重いです。 重たいですよね。 ここからナパーム剤がこうぴょっと吹き出るそうです。 そしてこの火のついたキれをぶ下げてんでこれに化して 火をどんどんどんどんこうこれ広げていく火の川のようになってましたね。 うん。 だからそういう中をみんな逃げますから もう大体ね背中で音部されてる赤ちゃんがね うん。 お母さんとかお父さんの背中で燃えてました。 うん。 80年前、二平さんが大空襲に遭遇したの は亀井戸駅に近い自宅にいた時のことでし た。 避難所に向かう途中で二平さんは家族と はぐれてしまい、交差点の真ん中で気を 失ってしまいました。 それを助けたのが父親でした。 その辺で、 ええ、 あの、気を失うように倒れてしまっ え。 そしたらその捕まえた人がもういくら引きずってもね、あの、引っ張っても動かないんで うん。 自分も死ぬつもりでね、 私を自分のこう胸に太こう抱え込んで自分がこう蓋みたいになって なんかその辺りにあの伏せてたそうです。 へえ。 そうしました。 あの、こう逃げてくる人が私たちがそこにいたもんで、 そこに、ま、寄り添うように集まってきちゃったんですね。 [音楽] だからもうこうなんか それでその1番下敷になってた。 うん。うん。うん。うん。 さんが、ま、これまでずっとその戦争の体験をね、こう語り継がれる中でやっぱりその大切さとか続けていくことの意味っていうのはどんな風にお感じでしょうか? うん。 あの日亡くなった人たち私はあの少子体の下敷で助かってるんですね。偶然だったかもしれないんですけれど 死者にこう守られるような形で助けていただいた。 うん。 やっぱりみんな行きたかっていたかったからそうやって逃げたりね。 うん。 私はそういう人たちに守られてかされたのでやっぱりそういう人がいたんだっていうことは私が話さなければ誰も分からないんじゃないか そういう思いがすごくありましてね。 うん。 ま、それだから死者に支えられて うん。 もう背中って ええ、 それであの話してる うん。 ていうこと思いがとても強いです。 うん。 やはりもう少し身近に戦争とか今の時代のことをこうもうちょっと身近にね、 感じてもらいたい。 うん。 二平さんは大空を生き延びた語り辺として今も戦争の記憶を語り継いでいます。 [音楽] 昨日も勝四角の図書館で自らの繊細体験を語りました。 [音楽] なんか本当に近くが戦場になんか原になる 危険みたいなものがあったのかと思うと 少々怖いですね。どれだけその間違った 思想がこんな風に人々不幸にをやるの かっていうのをね、こういう風にこう 1人1人の実態から聞くっていうのが すごく大事なことだなって。 うんとにかくショックの一言、また家に持ち帰って家族っていう小さい単位にはなってしまうけど、その中からまた平和について語って少しずつこう広がっていけばいいかなと思います。 ま、私もね、実は戦生まれ段階の世代なんですが、やっぱりあの子供の時あの北海道ですからね。 シベリアから帰ってこられた方なんか相に住んでたりして、あの時はこうだったんだよっていうのを、ま、そういう方からなん子供頃に聞いていたようなことがあるんですが、やっぱり直接伺うっていうのは、あ、当時はそういうことだったのかっていうのはね、我々が改めて認識するっていうことなんですが、二平さんに伺ってみてどんな感じだったんですか? あ、あの、二平さんもですね、自分の記憶っていうのをなかなか話そうとはやっぱり思わなかったそうなんですね。 ただやはり私、あの、実際二平さんからお話を伺って、やっぱり生の記憶っていうのは非常に心が震えるなというような風に思いました。やっぱり今を生きてる私たちと過去の戦争を結びつけてくれる非常に貴重なお話であり、ま、そうした残ってるものっていうのはやっぱり是非ね一度そういう風なこう直接自分で体験してみるっていうことは非常に重要なことだなという風に感じてます。 そうですね。 こういう機会ってのますます中でね、なんとかこれを、ま、よくあの、こう語り継ぐとか紡いでくっていう言葉が、ま、最近多いですけども、本当に必要だと思いますけども、これ、あの、古川さん本当にあの、戦後もう 80 年ですから、あの、だんだんだんだんそういう原体権の人ってのは亡くなられてる中で、これどうやってこう継承していくか、それ受け継いでいくかってのは極めてやっぱり戦争っていうのはいかに悲惨なものかっていうのを伝えるためにも大事だと思うんですが、これどのように思いますか はい。あの、それはもうもちろんのことで、あの、やっぱり体験者の方のお話っていうのはその、あんまり呼び時期はそんなに詳しくなくてももう実感その戦争のこと実感できるっていうところがやっぱりもうすごく大きな意味があると思うんですね。 で、え、ただもう現実問題としてもう生でお聞きできるチャンスは非常に減ってるわけで、今日たまたまあの新聞見たらちょっと戦後 80 年セ論調査が出てましたけども、やっぱりそういう戦争体験の継承のためにはそういうあの体験のお話を映像とか文字でどんどんやっぱり残しておくべきだっていう方が非常に多いっていうあの結果が出てましたので 例えばこれはじゃあもうこれを語り継ぐ人があのなくなるっていうかですねそういったことをなくしま た時にはどういうことを起きるというお考えですか? あの、ま、誰かそのやっぱりそれを、ま、継いでいくことが大事ですけど、もしそれをしないとやっぱりその戦争がどんなに大変かっていうことがこうやっぱり理解しにくくなってしまって、 え、ま、あの、それこそあのオンラインゲームでやるような戦争だってこんなもんだって思っちゃう人がもしもう触れてしまったら大変なことになるだろうという。 そうですね。 さっていうのが実装っていうのが分からなくなってくることがあると思うんですが谷さんはあの海外にもねチに出かけたりの戦績に出かけたりってことを何度もされていますけども今みたいな VTR をご覧になってどんな印象お持ちですか? あの私も東京大空の被災者の方とか広島長崎現の方もうかなり昔から取材してましてただ残念ながらやっぱりこの間なくなったりっていうことがございまして でやっぱり我々戦合戦争っていうのを直接知らない世代が は 社会の中で圧倒的になっていくこと自体も仕方のないことでありま ただあの今ねおっしゃったようにそのいろんなところに出かけていったり自分の中ではしてるんですけれどもやっぱり 80 年経ちますと当時と景色は全然違います。 住宅開発があり、リゾート地がある ところが、あの、そこで感じるものっていうのは必ず同じね、あの、景色っていうか、空を見てたわけですから、現地に実際に行ったり、その話を聞いたりするっていうことは、あの、結構ね、もう今ネットの時代なんで、そのお店とかなんだっていうのも大体分かるじゃないですか。だからと言って、じゃあ現地に行く意味はないのかと言って、全くそんなことはなくて、実際に行くと景色は違うんだけれどもおそらくこでいい匂いですとかね。 [音楽] あとその実際行った時の体の疲れも 体験しますから、それをこう体の中に刻み込むっていうことは決して無駄ではないしで、今でこそできますよね。こんだけ飛行機がいっぱいある時代ですから。それは本当に大事なことだと思います。 まあですね。 ね。 さて、古藤谷やさんは激戦地を歩くという本を出されましたが、ま、実際にこの戦争の後地というところを訪れてですね、どういうことを感じられました? いや、あの、やっぱり今申し上げましたように、あの、 80 年経ちますとですね、あの、現地の方もそういう語り辺がいなくなっていくっていうのは日本と同じ問題抱えてます。ただやっぱり記念館があったりですね、博物館があったりで、あと根本的な地形というのはそこまで変わってなかったりするんですよね。山が消えてなくなるわ。 はないのでそういうところ行きますというのがすごく私はあの勉強になりました。あの特にまインパールとか え正規の大失敗写真もあのたくさん出させていただいていますけれども はい。インパルこれもはい。 写真が今出てますね。 あ、そうなんです。 で、ここなんていうのは、あの盛紀の大失敗と言われた 1944 年の作戦ですが、これはインド東部にあるんですけれども、 あの、今ここはね、慰例費の現地でのインパルシの慰例費なんですけれども、ま、ここに行くだけでもやっぱり直部屋ございませんし、で、実際車をジープをチャーターして、え、山道を登っていくで、あの、 80 年前とほとんど変わってないんです、山道というのは。 で、そういうところ拝見したいしますと、当時はその夜間、夜間をして、え、数百の道をマ、あ、ミヤンマーからね、 インパルに歩いていった。あ、まるでちょっとね、プチ継のようなことをしたんですけれども、今でもあの、行って帰ってくる途中に高熱が出まして、 2 度と行きたくないなというようなぐらいの苦労というのを、 それを体で知ってインパールを語るのと語らないのでは私は違うと思いますね。 うん。 実際に行ってみたからこそ分かることていうの非常に多い中で言うと岩田さんもマニラ徳員ということで 3年間ちょうど86年から89年までね、 ま、不妊して、ま、仕事したんですが、あの、残りの 2 年の時にですね、ちょうどあの、戦争企画、今、今の時期ですね。 うん。 で、国から日本からですね、なんか 1 本て言って、じゃ、の慰例団の方がたまたま知り合ったもんですから、それに同行していこうということで、ま、今この写真出てますけども、あの、実はこの現場戦地に来られた方がですね、戦友を伴らうというような意味あって、最初からずっとですね、京都の方でしたけども、で、言ったら、あ、実はここの現場でずっとジャングルの中彷徨っててで、逃げる時にね、 [音楽] で、興奮して 時にもう完全に栄養失長でそれから超府とかなんか病気にもかから同機がですね。 で、言ったらもう歩けないともうこれ以上無理なんで、ま、はっきりこう、こういうきつい言葉ですけど殺してくれというぐらいのこと言われたとんなことはできないのでじゃあと言って何メかあの手流団を持ってたのを渡したらですね。 な、その自分が歩いて、ま、 10歩か20 歩か歩いた時にドーンという音が実は聞こえてきて戦友をここでなくしたんだと言った。 で、それインタビューマイク持ってたのその途端にですね、もう号泣し始めましてね、ここなんですよって、この場所なんですって 言ったら私もそれ全然そんなことになると思わないので、あ、それほどひどい過酷な中におられたんだなっていうのはすよく感じて、 2年目も実は帰る帰国の時にももう 1 回取材したら同じ場所でやっぱり流れると。 で、あともう1点だけ、あの取材の特に フィリピンにと思ったんですが、この話を しますとね、フィリピン戦で50万人が 日本人の軍人軍族なくなったと。しかし、 あの、私の助手が岩さんね。その時に実は フィリピン人我々の仲間も数十万人以上が 犠牲になったと。 そのことをね、よくレポートなんかで、ま、そもそれ以前やってたみたいで、マスコミのそれがなかなか言ってくれないと是非さんにはそのことを伝えて欲しいっていうんで、私もそれは少し心がけてレポートの中には必ずそれを加えてですね、日本にはこの最後の部分は消さないでくれと言ってこのことがですね、総合理解というか、ま、すごく大事なことだなっていうのはの学びましたね。 うん。 さて、古川さんまでは現地に行ってみないとこの分からないことっていうのは、ま、どういう風に今もあの 2人からもお話を聞いて感じられました。 はい。 あの、ま、やっぱりその現地行ってみて実感するってことは大事ですけれども、あの、ま、でもその実感をさらに深めるためにはやっぱりあの、文字で書かれてるものっていうかですね、やっぱり、あの、本やあるいはそれこそあの体験された方々の書いたものとか、あの、そういうものも読まれると多分とこありますし、それからもう 1つは、あの、そういう風に、あの、 実感できるようなことをやってもですね、でもなおかつ そんなことなんで今あの我々がしなきゃいけないんだっていう風に反発する人も程て程度いる可能性があると思うんですね。これは例えば学校教育でそういうあの戦争のことを学んでもやっぱりそれに反発する人っていうのが一定数必ずいるので え、やっぱりそういう人たちにどうこう分かってもらうっていうかですね。え、そんなことは考える人がないんだって言われないようにできるのかっていうことがちょっと問題になってくるんじゃなかなと思いますね。 そうですね。 鉄とも行かれたと思いますけどね。実は フィリピンンっていのは戦後半日 感情っていうのはすごく激しかったんです よね。もうおっしゃる通りです。 あの、今ね、あの、岩田さんがおっしゃったように要するにフリピン人の方が日本兵よりもたくさんくなってらっしゃるので、やっぱり親兄弟殺されたっていうことに記憶がすごくあったので、もう、あの、戦後の交案する間っていうのはもうほとんどもう激烈な半日感情があったと。ところがあの、やっぱり日本人の移骨収集団がフィリピンにずっと行かれて、あと、ま、フィリピンからも日本で働くような方も出てきて、それで民間交流の中で徐々にあの感情が緩和されていったと。そう。 ような歴史がございますね。え、そうですね。あのですから慰例団の方もね、やっぱり自分たちのその専用を伴らうっていうだけじゃなくて周りの方もそういうことがあっただっていうのは当然、ま、途中から気がつくわけですけど、だから学校を建設したりとかね、 そういうことも含めてってすごく総合理解っての今出てますけど、ま、合同の記念費が出てくるとかですね、そういう企業を作っていただいたのも事実なんですね。これ大事なことですよね。やっぱり 本当にそうですね。 あの、私もまさに今年鉄島に行ってきたんですけれども、え、サンファニコ橋という橋が冷鉄島にはございまして、あのフィリピンで一番大きな橋なんです。それは日本が戦争の、ま、なんていうかな、賠償というような形じゃないんですけれども、それで総合理解ということで作った橋で、これが市民の方ずっとこれですね、えっと、通ってらっしゃって、それが何なの、何の橋なのかということも現事の方も分かってらっしゃいます。 だからそれは本当に民間の理解というか、これは本当に広がっていったからこそフィリピンの方がまだね、え、過去の印象というのは、ま、ともかく今は有効だっていうことにはなってると思うです。 数年前から現代は新しい戦前ではないかという表現が登場するようになりました。 1930年代の戦前の日本は政治家用人の 襲撃が相がて軍部が対当し侵略戦争に突入 していったそんな時代でした。現代がそれ とにっている点としてロシアによる ウクライナ進仰などの世界情勢、安倍首相 暗殺事件などの用人テロ事件、世界3位と なる防衛費の増額や適地攻撃能力保有など 大幅な軍格復興的右翼的政策を柱に掲げる 信仰政党の薬進などに見られる社会の傾化 、そして世界的に広がる災害主義などが 上げられます。 さて、フレやさん、まあ現代なんですが、戦前と似ている点というのはどんな風に見ていらっしゃいますか? いや、もうまさに酷似してるっていう意味ではもう当たってると思うんですよね。あの、もちろん、ま、全てが同じというわけではないにせよですね。 やっぱり戦争の記憶が風化していって、え、ま、戦争をやって何が悪いんだとか、ま、あと徴平ですとかね、まあ、なんだったら核武装みたいなことを言うような一部の政治家も大やけにこう公然と出てきたというところで言うとすごく戦前のある種のそういうちょっと危険な風潮という意味ではすごく似てると思います。 で、あのちょっとだけうやっぱりその今のなんてかそういう過激なことをう人っていうのはやっぱりその例えば日本単独で戦前のように何か侵略をするというよりはあのどっちかというとそのアメリカとかそういうのとま一緒になってやって何が悪いんだっていう意味ではまだったわけですからね。そういう意味ではちょっとだけま構造的には同じなのかもしれませんけれどもちょっとこう次元が違ってるのかなっていう気もします。 古川さんはこの辺りどんな風に見てらっしゃるんでしょうか? はい。えっと、あの、ま、もちろん似てるところも色々あるんですけれども、あの、先前の日本は、あの、議会じゃないところ、あの、例えば軍部とか右翼団体がこう色々あの、テロやったり権力を持ったりしましたけども、ま、今の日本は一応議会政主義なので、あの、ま、議会の中であの、国会の中で新しい制度が出てくる。で、そういう意味ではちょっと実は、あの、戦前で言うとナスにちょっと似ていて、あ、夏ですね。 [音楽] あの、夏ドイツに似ていて、あの、元々、あの、ま、共和国になってドイツで、え、そこであの、ま、議会政主義やっていたところにそれがなかなかこの政治をうまくできないっていうことで、そこにナチスが入ってきて、で、権力を持っていったっていう意味では、あの、むしろちょっとあの、戦前のドイツにちょっと似てるところがあるかもしれないなっていう一面もあるという思います。 [音楽] ま、ポビリズムとかの中で、ま、だんだんだんだん浸透してきたと思うナさんが言われてますけども。 古谷さん、あの、これ、あの、出版とか言論の順位については全く否定するものでありませんけども、あの、最近のあの選挙なんかでもね、ある程度、ま、この保守的だから、ま、右欲的とか言われたりしますけども、賛成党なんかもそうですよね。で、 ま、あの、受計化であるとか、それから外的なものっていうものはちょっと私自身あの、馴染めない部分があるんですが、これについてはこれどのように捉えたらいいんでしょう? [音楽] はい。 やっぱり、あの、おっしゃるようにちょっとやっぱり外国人廃斥につがりかねないっていうようなことを言ったり政策の中にね、あったりするっていうのはちょっとどうかなと私も首をかしげるところではあるんですが、ただ一方で今世界的にその右波政党というものが ヨーロッパでも出てきた、アメリカでもいるとで例えばそういう方たちの外国人廃斥の理論っていうのは本当にその何か職を奪われてしまったとかね、移民がとんでもなく増えてい ところが賛成党の 言っているようなその外国人廃斥っていうのは自分で何かその外国人に犯罪の被害にあったわけではない。 で、自分が別に職を奪われたわけではない。 だからなんかこうネットで書いてあったからそうだよね、なんか外国人なんかやばいよねっていうレベルなので、ちょっとその受計化のレベルの基準がちょっと若干違うのかなと思います。 これやっぱり国会にあの議跡をですね、多く得ですね。で、ことの中で当然これ揉まれてきますよね。 ある程かがこ出してく まなんて熟してくのが一番いいわけですけどその辺りはどう見てもおられます? それは実はいい意味でも悪い意味でもあると思っていてで実は賛成党結構最初の時の幹部の方とか最初の政策性格と政策と今結構違ったりするもんですからそれがいいか悪いかともかく割とその批判を受けながらブラッシュアップなのかどうかわかりませんがえ していくはあると思うんですけれども、ただま、あの、党の組織とかそういう格を考えますと、大きく何か全然違った風になって、いや、そういうの差別とかやめようとかそういう声に紳摯にこう聞くというほどまで変わるかなとは思います。 まあ、ま、これからのね、ちょっとどこを見守んなきゃいけない部分があるんだとは思いますけど、あの、古川さん、そういう面で言うとですね、やっぱりあの、ロシアにウルクライナ進行ですね。 で、じゃあ戦前の日本が発行一の中でことやっていって、アジアにどんどんどんどん進出してったと、ま、進行してったていうかことで言うと、どこかやっぱり似てる部分ってのがあるのかどのように捉える? あ、あの、ま、あのこの日中戦争に限りませんけども、やっぱり戦争始まる側はあの相手が悪いっていうわけですね、必ず。で、あの、多分ウクライナに関してもそのウクライナがいのかに行っちゃうことがおかしいっていう言い方して。 たけども日本の場合もその中国があの日本の正当なあの主張をちゃんと受けれるのが悪いっていうことで、え、ま、あの先生を拡大してしまったってことがあります。 で、え、回線後もですね、あの、似てるところがあるのは、あの、ロシアは多分、あの、短機でもう決着つくはずだと思ってたと思いますが、で、日本も実は日中戦争の時はもう短期で決着つくはずだと思って、え、だからやってしまおうとやったわけですが、でも結局は相手があの、もうこと抵抗したので、ま、泥沼化して行ってるわけです。そこも全く同じで、 え、そういう見込み通りになかなか行くはずがない。やっぱ相手があるっていうことですよね。 え、 で、それからただあの大きく違うのは、あ、それからもう 1 つはあのこう報道とかでこうコントロールしていくっていうんですかね。 その国内のあの異論が出ないようにして いく、あるいは国外にどんどんアピールし ていくってことが同じなんですけども、え 、ただ大きく違うのは日本はあの資源証国 なのでやっぱり長続き本当はできないで やるために無理に太平戦争をやって南方の 資源を取ろうとしたわけですけどもロシア はなんせ元々大きい国で資源もいっぱい あってもそもそもパイプラインで石油とか 送ってる方ですから天然とかでそれにあの 人口もたくさんあるしあのもう今までの いんなう 蓄積があるので、え、例えば経済裁やったからってすぐちょっとあの手を上げるってことではないっていうことで言えば、あのなかなかその日本ま日本その日本だって 8 年間もう頑張ってしまったわけですからえ えそれを考えるとなかなかこうロシアを例えば経済政策とかそういう手段で、え、やめさせるってことは難しいっていう意味ではやっぱりその元の国のあの置かれてる状況は違うっていう意味で同じような展開 になるかどうかわからないってことだと思いますね。 うん。あの、フレアさんはこれ本の中に無課金になってますけどね。 戦前だからエリート官僚学者皆さん集めてですね。 で、日本はこれやったら本当にこの戦争に勝てるのかと言ったら本当はあのやれでは勝てないんだろう。いずれ 資源の問題は出てましたけどということで言うとだから今までロシアで起きてるようなこととだからその戦前が日本でやったことってのはま比較一緒にはならないのかもしれないけどこれどのように見ておられますか? うん。あのやっぱり古川さん先生おっしゃったように似てる部分はかなりあるんじゃないかと思いますね。 [音楽] 今おっしゃったのあの総力研究所 1941 年まさに夏でございますがそこでエリート集めてやったら計算したらどんなことしてても負けるであろうと で負けること分かっててもそれをご了承ししてしまった。 で、まロシアは先生そうおっしゃったように資源対国ですからそれとはちょっと違うとはいえ、ま、権威的である国内のメディアも権力に批判的ではない。え、軍部も氾濫の兆しはあまりないということにおいては、あの、かなり戦前の日本とは見てます。 はい。 ただ違うすればこれは悪い意味でを持ってるかどうかですね。 戦前の日本ももちろんは持ってません。しかし今の子は世界第 1位と第2 位の核保有国。ここがもっともっとその恐怖を倍増させてると思います。 うん。ここからは戦前の教訓から私たちは何を学ぶべきかについて考えます。古川さんは著書所の建告神話の社会師の中で戦前の国家体制の特徴として建告神話を上げられています。 この建告神話というのが何なのかっての説明いただけますか? はい。えっと、あの建告神話っていうのはあの事期と日本初期ですね。日本で最初の歴史書と言われてほぼ同じ時期にできたものですけどもそれにあの記述されてる神話です。 で、主な内容は、あの、天照テラス大御の 孫が地上に降りてきて、え、そして、あの 、その子孫が、あ、初代天皇の人務天皇に なったというお話なんですけれども、で、 あの、この天大神がその天にいる神様で、 その子孫が地上に降りてきて、で、その さらに子孫のその事務天皇が、あ、初代 天皇になったという話はですね、え、戦前 の小学校 のあの国定教科ではの歴史あの歴史の教科書って言ってもまあ日本ですけれどもそこではもう当然の事実として書かれていてえと言ってもまあでもあの子供でもあの天に人間がいたら落ちてくること分かってるのでこれをどうやって本当に事実だっていう風に教えるかっていうのは先生たちも苦労してなのでまそこは割とあの早々にスキップしてしまっていたこ先生がどうも多かったらしいというようなことですね。 うん。 ただそもそもなぜこの事実としてっていうのはこれなぜなんですか? はい。はい。 で、これは突き詰めていうと、あの、簡単に言ってしまうと、あの、天皇性をひっくり返すような革命みたいなのを多分防ぐためで、で、元々はあの、その明治の国づりの時期にその自由民権運動をその国づりのその反発政治家たちは非常に、え、危具していて、 で、それをその自由民間運動をなべく抑え込むために、え、やっぱりその神団である天皇の国だっていうことで、え、ま、自分たちのその反発の権力を維持して、 ま、近代化をとにかく進めようということで、え、そういう形になったということですね。 うん。そして結果的にじゃあそれが引き起こした問題っていうのはどんな風に強化さ? はい。で、これ、あの、ま、最初のうちは 、ま、ある程度はそれでも回ってたわけ ですけれども、時代が過ぎて特に第一次 対戦後様々にこう国際環境も変わっていっ た中で、え、ま、その軍部や政府がうまく 勝ち取りできなかった時にですね、え、で も、ま、自分たちは天皇に任命されてるん だから、あ、ま、自分たちがやってること は天皇がやってるとこと同じだから、え、 余計なこと言うやつは被国民だっていう ことで、ま、ミスを覆い隠してしまうと いうような形になってしまって、で、最後 はやっぱりその神の国の日本なんだから、え、負けるはずはないんだからそのためにみんな協力するのが当たり前だっていうことになってもう戦争にどんどん借り出されますしで、え、神の国だから負けるはずがないので、あの、どっかで日本側からその手を下げて幸福するっていうことをなかなか考えないってことになってずるずる戦争が伸びたので犠牲者がますます日本だけじゃなくて、え、その戦域の他の方々にも被害をいっぱい出してしまったと いうま ま、最悪の結果を招いてしまったということですね。 うん。 ま、あの、最近のね、だから、あの、こ、こう政党なんかでもね、それからどちらかと今回の参議院選挙の結果見ても本来自民党に数字を投票するような方がですね、あの、こう、新政党とかって話になってきて、右っていうものであるとか、今の国体の問題とかですね、含めてなんかもう復興主義というか、ま、どう表現していかなと思うんですけど、この辺りは先生はどう考え [音楽] はい。 あの、こう様々なその問題を解決する、多分手っ取れ早い方法としてやっぱり神様の孫の天皇を持ち出してるっていう印象が強くて、ま、でもそれはあの、ま、あの、短期的にはうまくいくことがあるかもしれませんけども、やっぱり消的に見るとやっぱりいろんな無理を生じてくるっていうことがあると思いますね。 うん。これ、あの、フ谷さんは この読んでます。元自称ネット欲くと まあまあ自称でございますというようなんですがじゃああの賛成党の皆さんとかねメンバーの皆さんとも当然交流があると思うんですが今みたいなこのすごくそれに対しての指示であるとか広がりについてはこれどのように捉えておらん あのそれが不思議なことに私はまあ 12 年前に神代表とは一緒に初めて出会って仕事をした中ではあったあるんですけれども はい その当時の神さんはこういうことあまりはおっしゃってなかったんです ええ、 古川に、ま、何かこう張のためにこの天とかをうってくるような主張はするんですけれども、それはなんか本心ですごく考え抜いた上で言ってるということではなくて、私からしたらちょっとなんかこう借りてきたというかというのは、あの、まあ、賛成党の指示者の方も、それから上さん自身もおそらくはそこまで個期日本初期にも詳しくないんじゃないかなというような部分はちょっと感 案を作ろうじゃないかみたいな部分その中で、ま、天皇とかそういうことを、ま、一応仮にこう置いていただけなのかなという気もいたしますけどもね。 [音楽] うん。今後はやっぱりだから、ま、返信するってのおかしい。修正するとかですね。もう少しやっぱりなんていうか穏やかなというかどうなんです?そういう辺りは。 穏やかなというか僕からするとですね、あの 5年前に賛成党ができて 5 年前よりもこれでも穏やかになった方です。 ああはあは。 もっと過激だった部分もあるのでこれでも穏やかになったのでこの先がどうなのかなというのはね、ちょっとありますけれども、ま、期待はしたいところですよね。 はい。 この辺りは古川さんどのように見ておられますか? はい。 あの、ま、今のような事業はもちろんこちらは知らないで、あの、例えばあの、憲法相談話談なんか見るとですね、やっぱりきなりこう天皇とか神話を持ち出してそれで日本人ファーストみたいで行こうということになっていて、そから、あの、実は教育のところがあのさらにあのちょっと気になるところがあるんですけれども、 [音楽] あの、やっぱ神話や、あの、歴史と神話を必収とするっていうことになってるので、 え、だからその神話をやっぱり その政治って言うんですかね。その社会の 安定とかに使おうということがあって、え 、いう風に見えますし、それから歴代の 象直、それから教育直後も出てますけれど も、あの、教育直後は、あの、これはいざ となったらその天皇にこう使えるために 普段どういう心構めでやるかっていうもの なので、あの、あ、ま、国民試験の今の 日本で全く馴染まないのものです。 で、こういうものをやっぱり持ち出してきてるっていうのはそのあんまり考えてなくてパットでやっちゃっただけなのかもしれませんけれどもでもそれだけにあのその本当の意味知らないでやってることは怖いっていうか、その無鏡運転やってるみたいであのちょっと怖いな。このその辺りで言うと、あの今回のね選挙の中でも相当指示を集めましたよね。 はい。 自民党ではなくてこちらにとが多かったになってるわけですが、これはこの傾向っていうのは今後広がるのか ご自身どのようにお伺いですか? あの実はあの今回ですむしろあの古田さんのがお詳しいかもしれませんけど実は選挙ではこれのことあんまり表に出してなかったと思うんですね。 あ、 ただホームページにるとなんかドン乗っていてですねえことになるわけで、 あので自民党の中にもあのそういうのもちゃってガンガン言わないけれどもやっぱりこういう方向であの社会の問題まとめていこうっていう人たちは一定数いるわけで あのこういう路線あのこういうのを背後に考えてるあの勢力が力を伸ばしたってことになると自民党の中でもそういう人たちが元気をつけちゃうんじゃないかっていうのはちょっと怖いところだと思い ま、その辺りは多少そうそういうこれも見られるのかもしれない。自民党の中でも右は波というかですね。 古谷さん、どう見てますか?そのこの今後の動きですけど、 あ、やっぱり今後の流れとしては、あの、続くとは思うんですけれども、先ほど申しましたように賛成党自体が結構色々トラブルとかっていうの過去にありましたんで、それが続くかどうかってのは微妙なところだと思うんですが、やっぱりそれよりも私が恐ろしいのは、あの、わゆる賛党ではないような塔がですね、賛成党が進したから真似をしないといけないと言って、本当にもっと巨大な塔がもっと強いことを言うと日本人ファストもっと強いことを言って実際法案も そっちの方が僕怖いんじゃないかしらと思うんですよ。そっちの方がキされることでしょうかね。うん。 これ、あの、新しいね、その戦前というようなこと、ま、今日もそういうお話が出たんですが、 確かに来のウクライナの情勢で見たりですね、それから中国の台湾進行があるのかないのかって私も、ま、台湾取材行ってまいりましたけども、この辺りっていうのは古屋さんこのね、新しい戦前だと非常に危険だっていうな方も 化粧を鳴らす方もいらっしゃるんですが、これどのように見た捉えておられますか? いや、ま、あの、本当に先ほどのテーマでございましたように同じところと違うところ ってのはあるとは思うんですけれども、私としてはそうですね、あの、まあ 80年間日本がなんだかんだ言ってその 新しい戦前なのかもしれないけれども戦争してこなかったっていうのは事実じゃないですか?それ自体は僕は戦後の日本としては誇っていいと思うんですよね。 それを踏まえた上で、あの、今後、ま、 戦後90年、100年ってことを考えて いくべきであって、何かこの結局は日本が 戦争を直接してこなかった80年で いろんな問題ありましたけれども、でも こんな立派な経済にはなったわけですから 、それを踏まえて何か戦争をやれば、あの 、儲かるんだみたいな話もありますけれど も、それは絶対違いますよね。だからそこ だけは、あの、本当に生活実感としての 経済も何かあの、勝てるんだった。 戦争やった方がいいみたいな声もありますけれども、勝った方も負けた方も疲弊するので、 1 番いいのは絶対に戦争しないこと。これが 80 年の我々生きてきた戦後日本の姿じゃないか。 ま、そうですよね。それはあの、その中でね、やっぱりだからそういったようなこの受け受けていうか思想とか出てくるっていうのはよくあの失われた 30年って言いますよね。 勝ってあれほどのこう経済大国だったものが GDP だったそのうちまたインドに抜かれるってのはなも出たりして なんかこう非常にプライドってのは傷つけられてきたと言って今自信持ってきたものがだんだん失われてきて どうもそのアジアのまみとは言いませんよ。 ただ個にもなってるわけじゃないけども、そのなんか震っていうか全体のなんか今まで誇ってたものが失われてるのに対してね、うみたいなものっていうのがなんかこういう受計化みたいなものに出てるのかどうかってこれ古川さんどどうどう分析されますか? あのもちろんそういうあの失われた 30 年まになって欲しくないですけれどもそれは多少なりともあるとは思います。 ただ僕はそれよりも先ほどの賛成党の憲法素案とか国体論とかそっちの方を注目した時にどちらかというとその経済態というよりもま教育の問題ですよね。 やっぱりこういった今日の番組のテーマみたいな戦争を実際 そういう方に聞いて歩いていく。それがただ単に教科書で読むとも全く違う。そういうことがやっぱりおざなりになってきてでその戦合教育の中から別に戦争やってもいいじゃないか平性いいじゃないか核武装いいじゃないかっていう議論が僕は出てきたように思うんです。だからどちらかというと経済というよりは教育とかそっちの問題のような気がします。 いや、確かにそうかもしれません。古川さんどう思いますか? はい。 えっと、ま、あの、フレさんおっしゃったように、ま、とにかくやっぱり本当は戦後 80 年それなりにあの、よくやってきてるはずなんですよね。 ええ、ま、その不満がしてるう感になってきて、ただあの今日の新聞に乗ってるセ論調査見ると実は賛成党がにあの述べてほどそんなにみんなが不満に思ってるかどうかっていうのはあのもうちょっと微妙なとこがあるような気もするんですけれどもそれからまって言ってもあのそんなの来るはずがないよって、ま、ずっと日本も戦争しないできましたしとは言っても戦前も多分あのその時生きていた人から見ればあるある という前に多分戦争になっちゃったんですよね。 え、だからやっぱりあのそういうことを視することは良くないと思いますし、で、そういう意味で言うと、あの、賛成党みたいな流れを、あの、強くしないためにどうしたらいいかって言うと、あの、これは、あの、ちょうど、あの、イギリスもそうだったってことは最近ちょっと研究で出てるんですが、あの、やっぱり規制のあの勢力の人たちが、ま、例えば議会だったら、あ、自民党とか、あ、公とか与党がですね、やっぱり、え、こうやることを変えていかないといけない。 うん。 あの、今までの形に乗っかってなんとか回ってたのをやっぱり切り替えて、え、かないと、あの、どんどん飲み込まれてしまうんじゃないかっていうことはやっぱり気をつけなきゃいけないと思います。 これまさしく、あの、その部分っていうのはやっぱり感じる部分があるんですが、ふさんどうですか?やっぱり政治がね、だからその分に答えるようなことをやってきたのかと。ま、あの 80 年日本は一生懸もやってこうこう頑張ってきたわけですけども、なんとなく政治の劣化なんてに言われたりして、だ、それがじられるんじゃ困るわけで。 うん。 主そはどうにいや、まさにあの戦後 80年ってやっぱり1 つの時代みたいなもんなんで 日本の中で考えたら南北長が 60 年ですからね。それよりも長い。だからこの 80 年って確かに先生おっしゃったようにある程度やってきたんだけれども問題がもう分してるわけでそこに答えてないっていうのは政治責任ですよね。その中からもしかしたら受けとかその民主義の警士ってことは絶対出てきますから政治責任ではあると思います。 まさしくそうですよね。その部分っていうのが政治がきちっとやっぱり国民に答えてやってきたのかってのはね、問われてきていや、これからもわれるんだと思いますから、その分やっぱりステージの塚さのる皆さんもでやっていただかなきゃいけないと思いますし。さて、来年、あ、来週です。あの、明日ですけども、ま、宣年とウクライナ戦争テーマにお伝えしていきます。 [音楽] え、古さん、古さん、本当に今日はどうもありがとうございました。 [音楽]
今年は戦後80年。日本をとりまく安全保障環境は、もはや「戦争は過去の事」とは言えないような状況に…。日本も防衛費を大幅に増額。やむなく「戦争ができる国」へと進みつつあるのだろうか?先の参議院選挙では排外的な主張の新興政党が躍進した。「右傾化」「軍拡」「排外主義の台頭」など、かつての戦前の状況に酷似しているとの指摘がある。戦争体験者が減少する中、その記憶を次世代へ語り継ぐことも大切な課題。「新しい戦前」へとむかわないために、我々は何を成すべきか?
ゲストは、日本近現代史、特に戦前の軍部と政治や戦後の動向などを研究する歴史学者の古川隆久と、ネット社会の若者の動向に詳しく、先の戦争の戦跡を訪ね戦時中の史実を発掘する気鋭の作家、古谷経衡氏。日本を「新しい戦前」にしないために、未来について考える。
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24 Comments
いつもとは違う感じの番組構成ですね。
参政党が主張する核武装と徴兵制はやるべきです。
敗戦から学ぶことがあるとすれば、次はどのようにして敗戦国にならないようにするかです。
反対する人は純日本人ではないでしょう。
戦争体験者の人の言うことだけを聞くのはやめましょうよ。
日本は真の意味で自立をしなければならず、そのためには核武装も必要です。
落とされる側ではなく、落とす側になればいいんです。ちゃんと参政党の意見を正しく伝えてください。
じゃあ、どうやって国を守るの?その具体策をセットで提示しないと意味が無い。もういいかげんに、片寄った番組づくりはやめた方がいい。
古谷が出てる時点でお察し。
確かに国際環境は、新しい戦前と思いますが、旧軍で戦争主導した層…指揮官クラス…も戦争経験は、ほぼ皆無だったコトを考えると…戦争経験ない連中が、実際の戦争を指揮すると、暴走加速させるというジレンマは常にありますね😮
第二次世界大戦の日本と今の日本が違うのは、今の日本はアメリカの支援がなければ、自衛隊が全く動けない。そもそも自衛隊の戦闘機はアメリカ軍の戦闘機で、アメリカの情報やアメリカ空母の情報支援がなければ性能が発揮できない。仮に、日本の国会や自衛隊が暴走しても、結局アメリカの許可がないと戦争が出来ない。アメリカからの経済制裁で、日本が食糧危機になる。
戦争してはいけない。しかし、戦争させてもいけない。戦争できない国でも侵略はされる。自国の侵略を許してはいけない。これは腐っても世界第4位の経済大国である日本の責任。もし、日本が戦争できない国でなかったら、ロシアはもっと極東を気にかけてたかもしれない。極東を気にかけていれば、ウクライナへの侵略は起こらなかったかもしれない。
日本は核を持たない。この覚悟は立派だと思う。では核を持つ国にどう対抗するのか?もしアメリカが侵略戦争をし始めたら、日本は何もしなくて良いのか?
戦争をできない。自分で銃を持たない縛りをすることは、銃を持つ国々の横暴を許してしまったのではないか。
生かされて生きていることへの感謝が欠損するといつでも「新しい戦前」に陥る=2025年7月20日参院選後の反省の無い石破政権しかり
太平洋戦争ではありません、大東亜戦争です。
戦争しないのは簡単だよ。
中国にやられて降伏するだけでしょ。
戦争しないのは簡単。
日本を守る事を考えろ。
参政党なんかよく考えて発言してるよ。
戦争しない日本じゃなくて日本を守る日本を求めてるんだよ。
古谷経衛。。。
視るの止めたわ
お花畑理想主義は怖いよな
中露北が、日本に向けて数百発の核ミサイルを配備してる事実を言えよ
原潜核ミサイル搭載して、常時東シナ海、日本海に沈めておくだけで、日本の戦争抑止能力が爆上がりするぞ
戦争を起こそうとか、他国を攻撃するなんて、1ミリも出てきてないのに
日本に戦争をさせたがるメディアが多いね
無抵抗な日本が一方的に焼け小原にされるのを見たいのかね
なんで日本のもっとも大切な国や国民を守る軍拡による防衛を、ナチスや戦争する国扱いって、どこの国の目線やねん
戦争してんのはミサイル打つ北朝鮮や、領海侵犯する中国なのにマジでどこの国の報道なんだ?(わかっちゃいるけど)
日本は今のウクライナから学んだほうが良いかと、
ウクライナはどうして戦争になったのか?どうしたら侵略を防げたのか?
いつもありがとうございます。戦争はない方が良いですし、二度と日本が起こしたり巻き込まれたりするべきでは無いです。その前提の上で、戦前の、西欧諸国によるアジア諸国の植民地支配とその統治の実態、も正しく理解して、第二次世界大戦へ参加してしまった経緯と、その結果としてアジア諸国やアフリカ諸国が植民地支配から解放された事実、戦後処理により分断された民主党主義諸国陣営と権威主義諸国陣営のせめぎ合いが今でも続いていること、その上で、どの様な立ち位置と国策が国益と国民の命と財産を守ることになるのか、などを、感情に流されることなく、科学的に普遍的に体系立てて我々へ啓蒙していって頂きたいです。宜しくお願い致します。
参政党の問題点を洗い出すだけではなく、今の国際情勢の方向性を踏まえて。あるべき姿(政策)を提示して頂きたいです。
平均的な日本人は貧しくなってしまいました。そこが民意の流れの重要なポイントではないのでしょうか。今はアメリカ人の多くのお年寄りが海外旅行(日本以外)へいらっしています。アジア人とお見受けしては、どこの方だろう?と思って観察すると、大抵は中国やその他のアジア諸国からの方々で、日本人の方はめっきり減りました。日本政府も自国民を豊かにするための政策や外交を他の国々並みに行わないと、民間が稼いだお金を政府が失う、という構図が続いてゆき、若者への大きな負担となってゆきます。上から目線の国際感覚は捨てる時節です。
この番組はヒドい。昔ながらのゴリゴリの左派思想が戦争を煽っています!!!!
語り部については個人的には懐疑の立場です。
実体験をされた方のお話は貴重ですが、歴史において自伝は参考にとどめるべきという意見があり
語り部さんによってはご自身の主観で語る方もおられるでしょう。
それを検証せずに報道にのせる可能性もあるわけで報道機関には扱いに注意をお願いしたい。
また不適切なゲストに喋らせている点は看過できない。
参政党は排外主義ではなく、外国人差別反対ですし、戦争反対です。
「新しい戦前にしない」って、恒久平和が実現していない以上いつだって次の戦争の戦前なのに何を言ってるんだろう?
USA is good