【レジェンドマッチトークショー】ヴィッセル神戸30周年記念チャリティーマッチ「LEGENDS MATCH」

た、た、 [音楽] [拍手] [音楽] そうですね。 あの、多くの選手がいるんで、 ビッセル神戸30 周年記念トークランプイベント、これまでの [音楽] 30年の歴史についてクラブ小総設 J リーグ昇格、そして現在に至るまでスペシャルゲストをお迎えして進めていきたいと思います。それでは早速お呼びいたしましょう。 [音楽] まずはビッセル神戸の初代監督チュアートバックスターさんです。皆さん大きな拍手をお願いします。 [音楽] よろしくお願いします。 さあ、そして1995 年当時バックスター監督の通訳も担当されてたクリスティアンメリン一式さんにもごいただきます。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 [音楽] さ、バクスターさん、本日行われるレジェンドマッチのワールドトリームズ監督としてお越しいただきましたが、日本に来るのはいつぶりですか? [音楽] ああ、 多分あの、来たのは2009 年だったと思います。 最後に神戸に来たのはい。えっと、多分あのサンフレッチェビセル戦の時に越させていただいてその時あのバックスターシートっていうのも用意させていただいたと思います。あの辺につぐらいはい。あったと思います。 [音楽] ありは。はい。 どうですか?久しぶりのこの神戸うでしょう。 そうですね。非常に帰ってきて嬉しいって気持ちがあるんですが、あの一方ではあのまた神戸の町に戻ってきた時にいろんな思い出が込み上げていきます。 [音楽] あの時経験した本と大変だったことがちょっと思い出されてあのすごい無料になるところもありありますよね。そういうのがすごく思い出されます。 ええ、当時の話もちょっと プレッシャーり感じました。 この後色々と当時のお話も伺いたいと思います。 はい。 そしてどうですか?ゆみさんもなんかバックスター監督の思い出って子供の頃何かあったりしませんか? 私すごく覚えていることが実はあってファン感謝祭っていうのが当時もあってあったんですけど私当時幼稚園ぐらいで で多分私の顔を見てちょっと父とやっぱ似てるのですぐ分かってくださって で気づいた瞬間にもうまずすんごい熱いハグをしてくださってでそれだけじゃな ものすごい長い週まであのしてくださってほっぺに あの間違いなく私のファーストキスはバクスターさんでした。 はい。 本当なんです?これ 私どうしたらいいんですか?ここで謝った方がいいんですか?メモリー。 いや、大切な思い出です。はい。ありがとうございます。 [音楽] 続きまして、ウィッシル神戸のエース ストライカーとしてJリーグ昇格に大きく 貢献。日本人選手としてはJリーグで最初 のハットトリックを達成長嶋明さんです。 [拍手] はい、長さの登場です。よろしくお願いし ます。 はい。 え、今も 流しいと 流し はい。 いや、長嶋さんにはね、まず今日は親子共演員でもありますけど、今どんな気持ちなのかというところから いや、バックスター監督がうちの娘にチしたのは知りませんでした。 あ、お父さんとしては見てなかったところで、 あ、いなかったところでしたね。 お母さんはいたんでしょうね。 お母さんはいました。 ええ。いや、面白いエピソードもありました。はい。 そして今日の試合はね、ま、監督県選手として非常にお忙しいことになりそうですけれども、 [音楽] どんなプラン考えてらっしゃるんですかね? そうですね、非常に難しいあの構成あのか調子えは 噛みましたね。 通常通り。 非常に難しいあの 確かに 気持 そうですよね。 はい。 確かに時間配部もね、結構難しそう。ただ今回あの長嶋さんは監督県選手っていうことで 1ヶ月前から毎朝 5時に起きて1 時間歩いてますからね。今日は走れますよね。 お、そんなことが。 いや、それは言うたらあかんや。 毎朝やいや、 1 時間歩いてるみたいで。 そうだったです。 はい。なんかね、私3 日前ぐらいにその報告を受けたんですけど、すごい誇らしげに毎朝歩いてんねんて言って言ってたんで、今日は皆さん期待していただいてよろしくお願いします。走れます。頑張ってください。 [音楽] あの、バックスターの中の件に続いて今の話で汗ビしびしに帰ってます。 どれだかお水かタオルかなんかボテ ではゆみさんもう1 人紹介お願いいたします。 続きまして、兵庫県西宮出身で経の所属安田大サーカスの団長としておな染み安田ひ美さんです。 [笑い] お願いします。 お願いします。 [拍手] よろしくお願いします。 お願いします。 はい、お願いします。 出たです。 出ました。安田大サーカス団長。 いや、いいですね。 ま、団長といえばね、まずちょっと確認しておきたいことがあるんですが はい。 結構ね、ところでビッセル神戸の初代コールリーダーというのを見かけるんですけど はい。 これは本当ですか? いや、あの、当時ね、コールリーダーとかそういう名前なくて はい。 あの、ファンの人が全然なかったんで、お前盛り上げとけやみたいな盛り上げ役です。ただのそんな体操なもんじゃないです。 なるほど。 こう集まっていただいた方の中でとりあえず 1番熱量出して盛り上げてた人と 当初ね、こんなにもいなかったです。 サポーターがもっと少なかったです。 ふん。 で、ね、その誰も応援もしないしで、お前盛り上げてなんか戦闘立ってやっとけやっていうのが最初ですね。 [音楽] へえ。 なるほどね。 ま、でも適任ですよね。本当。 そうですね。 でもこれだけ長く応援されてますから 色々なエピソードをお持ちでらっしゃると思うんですが はい。最初応援に行ったのが はい。 まだね、 赤いユニフォーム 川崎性鉄の時ですね。 ああ、 佐川キとやりました。それが最初の応援のリーダーの出発ですね。 ああ、なるほど。 はい。 その投のこと覚えてる方って。 あ、いた。 あれ、 います。 覚えてる? 覚えてます? お久しぶりです。 みんなでね、バスを借りて行ったんですよね。 はい。 そうですね。あ、しかも バックター監督の引っ越しもお手伝いされたんですよね。 あ、そうなんです。 うん。 バクサー監督がさあ、ビッセル神戸に来るっていう時にお家のもうね、すごいよ。 プロの監督の家ってフォークからスプーンから全部揃えたのが僕です。へえ。バクスター監督覚えてらっしゃいます? [音楽] いや、お会いしてないです。 お会いしてない。 もう来る前に 家具入れる前の作業をして。ああ、 あのね、山の上のね、海がざーっと見えるオーシャンビューのお家に住んでらっしゃいましたよね。 あの、強い人が引っ越し手伝ってくれてたんだなっていうのは聞いてました。 ああ、そうですか。 はい。いや、さすがいろんなネタ持ってそうですね。 はい。 はい。 多分あの終わらないんで次行った方がいいと思。 そうですね。 なんぼでもあるんで。 はい。 まずはビッセル神戸にとっての最初のシーズン 1995年です。JFからJリーグ昇格を 目指す練習初日。1995年1月17日に 阪神淡路大震災害が起きの大災害となり ました。 さんにとってはもうビッセル神戸を指導するために日本に来る直前での大きな地震でしたが当時の心境はどうでした? できるだけあの神戸に行きたいという風に感じてました。 ま、当時は、ま、どんな形でお手伝い、あの、ヘルプができるのかわからなかったですが、えっと、本当に早く神戸に来て何かをしたいという風に感じてました。 え、当時教科部長されてたさんとお話をしてる中で是非とも神戸に来て、 えっと、神戸の町のためにあのサッカーを通して戦ってくれっていうことをあの伝えられました。 [音楽] そうですね。え、進むスピードっていうのは少しあの遅かったと思います。徐々徐々にあの強いチームを作っていこうと思って最初に思ってたほどあの早くは進まなかったんですが、なんとか J リーグに上がるチームを作っていけたと思います。 うん。 J、今までやってきた仕事の中で 1番困難な仕事だったと振り返ります。 ただサッカーをするだけじゃなく、本当ビッセル神戸のために仕事をするんではなく、神戸のために働く、戦うっていう大きな仕事を受け寄ってたと思います。 うん。ね、もう練習上確保するのも大変だった状況だったと思いますから、それだけ神戸のためにという強い思いで来てくださっていうことなんですね。 で、長嶋さんはその当時、え、清水エスパルスにましたけど、ビセル神戸からオファーを受けて改めてその時はどんな気持ちでしたか? そうですね、まずあのシーズン前に震災前にお声がけたいたんですけれども、エスパルスからも心よい返事をもらえなくて移籍はできなかったんですけども、え、震災が代わりビッセル神戸が指導するっていう中で、 [音楽] [音楽] え、困難な中であれ、これ本当にサッカー 部としてクラブとしてうまく前に進むこと ができるのかなという中で、え、 逆風の中、え、Jリーグを目指すと、え、 またその上でメインスポーサーが撤退する 中でまた声をかけてくれた。もうそこには もうあの本当イエスしかない。 返事しかなかったですし、あの、なんとか、え、遺跡を実現させていただいて、そして J リーグっていうのを共に力合わせて、え、頑張りたいなという気持ちになりました。 やっぱりこう生まれ育った神戸の町っていうのは特別。 ま、特別っていうよりも大震災を間の当たりにして本当、え、被災者って言いますか、被災地本当にあのすぐに入ったんですけども、え、真夜中、え、すいません。 [音楽] すごい炎が本当に映画以上の光景があって、そんな中本当寒い中皆さんが力合わせて命を生き抜くエネルギーをっていうの間の当たりにしてただ単に小学校から続けて [音楽] [音楽] [音楽] サッカーで普通の暮らしができることが いかに恵まれてることかっていうことを 通感してとにかくま、言ってもらったよう に神戸出身者としてなんとか力になりた いって、ま、作家を続けることで、え、力 になるなれるんだったら思いで、え、迷う ことなく遺跡につがったと思います。 すいません。 本当にやっぱりそれぐらい神戸の大好きな神戸のためにもっていう思いで 1 日でも早くっていう思いを持っていたっていうのはその思いは私も知っているのではい。 [音楽] あの、安田大長にも伺いたいんですが、あの、ビッセル工を立ち上げる署名活動にも参加されていたそうですけれども、やっぱり震災が起こった後っていうのはどんな気持ちでビセル神戸を応援されていたんでしょうか? [音楽] あの、J リーグがね、盛り上がる中、神戸に Jリーグチームがないで、神戸に J リーグチームを呼ぼうという会に入って署名活動して、で、岡山から、 え、川崎鉄が来てくれるってなってやっとチームができた。 [音楽] うん。 で、よし、こっから Jリーグ目指し頑張るぞ。 そして あの大きなスポンサー、当時大衛の スポンサーが 来てくれて、そしてこれからもっともっと 大きくなるっていう時に、 ま、僕も西宮やったんで被災して、あの 同級生もなくなったんですけど、 そんな中チームもなくんじゃないかって僕 らはずっとせっかく呼んできたのにも チームがない。スポンサーがないから そんなチーム持つわけないやんていう結構 マイナス的な言葉も多かったし自分たちも 本当にこどうやって持たせんのっていう中 あの試合を毎日頑張ってくれてあの姿を見 て僕たちは本当に勇気ももらったしで そんな中長嶋さんが来てくれるとかすご いい、なんて言うんですかね、あの情報が入ってきたりとかしてさあ、こっから頑張れるで被災しても俺らも立ち上がる。一緒に頑張っていこうみたいな感じでビッセル神戸があったのであの勇気をもらいました。当時。 [音楽] うん。 ありがとうございます。 はい。その震災が起こった翌年の1996 年シーズンのJFLで昇権の2位となりJ リーグ昇格というのを達成しますが、 クスターさん、このスピードでのこの昇格 っていうのは振り返しか まずあの最初に本当に昇格できるのだろうかっていう風に思いながら静戦ってました。 私の家族、私スコットランド出身なんですが、 えっと、私が、え、その、ま、生まれ育ったその家族の家族の元っていうのが少しあるんですが、成功っていうのは被の上に導か 昔宮本武蔵も言ったんではないでしょうか。山の頂点に登るにはいろんな登り方がある。 うん。 このチームビセル神戸も頂点を目指しました。 そこに登っていく登り方、道のりはいろんな形があったと思います。 [音楽] 多分ビステル神戸の最近の試合を見てても終盤まで諦めずに戦ってそれで勝利を得てるチーム強いチーム ミセルコビがなったと思います。こういう 強さを持てたチームっていうのはこういっ た力史の上これを経験してきたチームだ からこそです。彼みたいにやっぱり強い 気持ちを持って諦めずに最後まで 戦い抜こうとしてくれた選手。それを見て このチームが出来上がってきたんだと思い ます。うん。ありがとうございます。 さあ、長嶋さんは昇格を決めた試合のことっていうのは覚えてますか? 覚えてるんですけどもね、あの、本当に昇格するにあたって日々練習で僕がバックスター監督のことすごくなんて言うんだろう?こんな方がいるんだって思ったところをいくつかエピソードで皆さんに伝えたいと思うんですけども、 [音楽] ま、僕もJリーグでいろんな監督 と向き合ってきた経験のある中、クラブが 、え、準備してくれないから、クラブが 協力的じゃないからとか、人間的な関係で 、え、うまいことかないからってやめて いく監督たくさんいて、僕も相談された ことあるんですけども、日々練習上が 決まらなくて、前日の夕方に明日は どこどこの小学校の皇帝ですと。え、神戸 市の公演の、ええ、ちょっとした広場で やりますとか、もちろんあの贅沢となこと は言えなくて、え、シャワーもちろんない ですし、テーピングも自分で巻くんです けども、普通なら監督って何かそういう ことを言い訳にするんでしょうけれども、 バックスターは もう1度ともそういうことを見せること なく で、え、今ある状況でどうしたらいいっていうようなことも、ま、キャプテンであった僕に相談してくれたり、明らかに試合中の練習中のある選手がプレイの選択を間違った時に本来ならば指摘してそれは違うって言うんだけれどもバックスターはノーバ悪くなかった。今のプレイは悪くなかった。 [音楽] [音楽] [音楽] うん。 でも違う選択肢はなかったか、違う方法はなかったか、誰かが協力してうまくいく方法はなかったかって語りかけるんです。 明らかに怒ってるんですよ。顔真っ赤かじゃないですよ。顔真っ赤かで怒ってるんだけども言葉は押し殺してその選手に寄り添って問いかける指導方法 [音楽] 本当に素晴らしい。 素しいですね、これ。 いや、本当ですね。 怒ってるんですけどね。 でも団長やっぱり本当にアクスター監督だったからこそやっぱ昇格もできたっていうことですよね。 いや、もう昇格した時に俺の引っ越しがあったからやってサポーターにめっちゃ言いまくってましたからね。 [音楽] あとはもう勝利の港をみんなで歌いましたね。 ああ、いいですね。そね、暑い。 はい。あっという間の時間でありましたが 、一旦ですね、第1部としまして、え、 当時の思い出はここまでで終了とさせて いただきますので、この時間で バックスター監督と一度ごいいただきたい と思います。どうか皆様監督 ください。ありがとうございます。では 通訳のさんも一緒にごいいただきたいと 思います。ここからはですね、ビッセル 神戸のエースナンバーと言われる背番号 13について伺いたいと思います。 皆さんありがとうございます。こう掲げてくださっている方もたくさんておっぱいありがとうございます。すごい。 [音楽] さあ、ここからはこのお方をお呼びたしましょう。 J1リーグで191 コールの歴代最多得典記録を持っている元日本代表大久保義さんです。 [音楽] さお久保さん、今スペイン在住ですから、この試合のために今回帰告されたんですよね。 そうですね。このために帰ってきました。 このために改めて拍手をお願いします。ペイン語で行ってよ。いや、だめ、だめ、だめ。喋れた。 [音楽] はい。さあ、久しぶりに来ていただきましたが、どうですか?久しぶりのノエスタはいいすね。雰囲気がね、最高です。 暑いすけど。はい。はい。 さあ、そしてこの時間はもう一方、 13 番の選手にご登場いただきます。現のビッセル神戸の 13 番といえばこのお方です。佐々木大選手。さあ、よろしくお願いいたします。さ、佐々木選手は今年から 13 番ということですが、今歴代のちょっと 3人が今並んでいます。 はい。ですか?今のお気持ちは? めちゃくちゃ緊張してます。 緊張してる? はい。 おお。ちょっとお父さん緊張してるみたいです。 そんなことない。 そんなことない。なかなかでもこのスリシを見られることは いや、本当初期の長嶋さんの 13番でしょ。で、割と中盤中期の頃の 違う違う 違う違う。 よしとは はい。13 番来たくなかったに。 ええ ええ。そうなんですか。 なんで知ってんすか? え、ちょっと長嶋さん、大久保さん、今日、足立さんも来てますから、そんなこと言っていいんですか? [笑い] え、じゃ、そこの辺りも含めて聞いていきたいと思います。 さあ、セル神戸のエースナンバーと言われる背番号 13ですが、おさ方に13 番に決めた経緯なども伺っていきたいと思います。 そうですね。まずは島さん 13番号があるでなんで 13を選んだんですか? あの、1 つは高校時代に、え、初めて全国大会行った時に 13 番をつけてたっていうことと、あの、昔、あの、知ってる方、あの、何人かかってい言いますか、まだねもた。 あの、オランダ代表でヨハンクライフっていう選手がいたんですね。 はい。 その選手をものすごく僕憧れてて、その人は 14 番だった。だったんです。で、プレイスタイルも偉い僕とは違ったプレイスタイルなんで無理やなと思ってて。 [音楽] で、そのオランダエースのヨハンクライフ のいるオランダを破った西ドイツのチーム の ゲルトミ浦選手が得点王にワールドカップ になって、その選手が13番だったんです 。 ですからちょっとストライカーとして結果を出さないといけないていう思いで 14 番っていうのは華麗なスタイルやったんですけれども、あの結果を出して得点を決めるっていう意味で [音楽] 13 番をっていうので、え、それから自分が 13 番をちょっと愛するようになり、そしてビッセル神戸があの公園にもそういうエースナンバーのような形を作っていただいたことを本当感謝しております。 [音楽] うん。 でも高校のね、全国で初めて出た時に 13つけて、その同じ神戸で 13 番って、ま、初心に帰りたい、また頑張りたいっていうようなことですよね。はい。そういうことでいいんですよね。は、で、大久保さんはちょっとさっき話ありましたけど最初は嫌だった。 [笑い] 最初ね13番嫌でしたね。 ええ、 あの、ビセルから大きでもあさんからね。 はい。 僕ハワイに行ったんすよ、旅行で。 はい。はい。 いたにオファーが来て はい。 え、13番をつけてくれ言われてうん。 ちょっと待てと。 はい。 なんでそんなサブ番号をつけないといけないんだと 思って。それならちょっと遺跡考えますて言ってて 1回止めたんですよ。 え? うん。 止めたんですけどやっぱあさんはずっとどうしてもつけてほしい。やっぱ長嶋さんから始まってって言われてそれで最初はしぶしぶんならまあいいかなって。 ま、いいかな 感じでつけましたね。 どうでした?途中からちょっと好きになれました。 めちゃくちゃ好きになって。 めちゃくちゃ好きなかった。 あ、良かった。 良かった。 めちゃくちゃ好きになって、今でも何かあれば 13番。 あ、そうなんですか。 そうなんですか。 そうなんすよ。 え、な、例えば ま、ま、車のナンバーとかね。 あ、もう13。 もうそうやし。 はい。好きな番号って言ったら13。 めっちゃ嬉しい。 いや、もうありがとうございます。 いや、ほんまに嬉しいわ。 良かったですね。 良かったですね。今日でしょ。 めちゃくちゃ嬉しい。はい。 いや、昔ね、宮の飲宮で偶勢バーンあったんですよ。 ええ、 現役中やったんですよ。ほんであ、現役中でやっぱり買ってるしって思ってパッとお腹押したんですよ。腹筋割れてたんですよ。 うん。 その時にね、大久保選手がとかっていうちょっとあの気合い入れるような声を聞いた時に嬉しかった。 [音楽] ただそれ どういうこと?何の話? いや、面白かったです。 大体大体なんか皆さん割れてるイメージです。 で、佐々木選手はやっぱり 13 番への憧れみたいなのはもうお持ちだったんですか? そうですね。からアカデミーから育ってて、ま、この 13番っていう番号の意味は うん。 ずっとこう理解しながら育てきてたので うん。ま、高校の3 年生の頃にもつけさせてもらったんですけど、僕もつかトップに上がって [音楽] 13 番つけたいなって思ってタイミングがあってけさせてもらいました。 いや、で、今年から13番ですからね。 で、是非ですね、佐々木選手、今現役の選手として 13 番をね、気持ちを込めて背負ってくれています。 そんな現役13 番の佐々木選手に対して長嶋さん、大久保さんからちょっと一言アドバイス送っていただきたいなと思いますが、まず長嶋さんからいかがでしょうか。 いや、もう本当に素晴らしいプレーの数々をあの映像を通じたりスタジアムに来て、え、見たりしてるんですけども、もう本当に僕言うことないです。 本当に若いのに一生懸命ね、プレイしてね、手を抜くことなく本当にあのこの先が楽しみです。是非、え、日の丸をつけて、え、日本代表選手になって世界一に貢献してもらいたいです。 [音楽] うん。 素晴らしいね。さあ、そして大久保義さんはどのように感じているかですが、今の佐々木選手、そしてアドバイスなどお願いします。 いや、もう今は本当にね、この13話を つけて、ま、今だけじゃなくて本当に徐々 にあのチームの角とこうなってきていて、 あのチームを片せられる、え、選手になっ ているので素晴らしいなと思いますけど、 ちょっとシュートがね、ちょっとまだ うまくない。あら、シュートがあまりない 。お前ファウル多かったや。 確かにけど、あの、本当にそこをね、あの、絶対 [音楽] 教えたって教えたって。これからうん。 やっぱ経験としてどんどんどんどんよとか教えたらすごいよ。 いや、そうですよね。 いや、これ指導力すごいから。 あ、指導力 ほんまに。 あ、そうなんですか。 指導する時は冷静やる。 へえ。 うん。 サッカー。 サッカーしたら 熱くなっちゃう。 熱くなっちゃうね。なっちゃいますね。 けどそのゴールを取れるようになって勝せるようになればもう間違いなくダ王入るので。 俺からが楽しみだな。まだ若いですしね。 うん。 はい。 どうですか選手? いや、もう本当に大久保さんが言ったようにもう自分では本当にシュートのところは常に課題だったので本当にこうまたこうお二方に言っていただいてもっとやろうっていう風に思いました。 素晴らしい。いや、これでますますね、 [拍手] 13 番の重みそして活躍もしてくれるのではないでしょうか。 あ、え、1個質問して大久保選手に やっぱり点を上げる 数とレッドカードをもらう数はこうなんか因果関係ある? すごいところ踏み込みますね。 あのこのレッドカードをもらうじゃないですか。で、あの結構監督とかよしょと今日はもらうなよと落ち着いてやるよ。そしたら俺力出ないんですよ。マジでシュート打てないんですよ。 けど暴れてこいって言われたら取れるんですよ。 取れる。 はい。 そこはちょっとあるかもしんないですね。 なるほど。 はい。ま、人によりますけどね。僕はそっちタイプに いや、だからすごいよね。 はい。 いや、得点を取るって偶然はないのよ。ええ。 レベル高ければ高いほど だからすごいのよ。 だからそれをやっぱりスイッチを入れる監督もすごいけども ええ、 やっぱりレッドカードも日本 1やったっけ? 日本人では 1枚1 枚上にストコビッチがいるから抜けなかったっすね。 世界的スターがまだいると でもすごいすごい本当にすごい なるほどね。いやもうねちょっとマイクを向けたら話でいくと思いますけど、当時の足立社長もね大変だったとは思うんですけどね。 選手はい。 あの得点を上げようと思ったら カッカ来てたら絶対取れないからね。 はい。 だから閣下来るんだけどトップ 10取る時はものすごい冷静な。 うん。 そこがすごい。 すごい。その切り替えが うん。点取る時カッカしてたら絶対取れないから。 はい。 だからすごい。いや、 だからすごい。本当に それわかる。 ありがとうございます。 はい。 本当にすごい。 じゃ、佐々木選手もね、もうちょっと熱くなってもいいかもしれませんし、いろんなこと参考にしていただいて、いいところはどんどん吸収していただきたいと思います。 そうです。はい、頑張ります。 はい、ということで歴代の13 番を代表しまして長嶋さん、大久保さん、佐々木選手でした。ありがとうございました。 モービーセレア。はい。そうですね。こんなガルですね。はい。では、取っていただきましょう。シッとやってくださいね。 もうちょっと言ってくださいね。 はい、では行きましょう。はい、ポーズ。 もう1枚行きますよ。行きます。はい、 ポーズ。はい、ありがとうございました。 記念撮影でした。

ヴィッセル神戸創設当時の歴史が語られた貴重なトークショーの様子をお届け。神戸のエースナンバーとなった歴代13番トークも必見です!

2025年8月2日(土)15:00〜16:00
ヴィッセル神戸30周年記念チャリティーマッチ「LEGENDS MATCH」
「レジェンドマッチトークショー ー 震災と復興を語る・ヴィッセル神戸30年の歩み ー」

[参加者]
・スチュアート バクスター
・永島 昭浩
・安田大サーカス 団長/安田 裕己
・大久保 嘉人
・佐々木 大樹
・永島 優美(神戸市出身)

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🔴ヴィッセル神戸 30周年記念特設サイト🔴
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