「シャンコシャンコ?チャンコチャンコ?」今、人気急上昇!子供盆踊りのルーツとは?歌に込められた平和への願いに迫ります・・・もんすけ調査隊(今日ドキッ!2025年8月8日放送)

子供たちを思う熱い願いが込められていました。朝隊 [音楽] 子供盆踊りは北海道でしか見たことがありません。なぜ作られたのか調べてください。 北海道の短い夏ぐれの空に響くメロディ。そう、子供踊りの歌だ。 世代を超えて多くの同民が懐かしさを 覚える特別な歌だ。さらに1度聞いたら 絶対に忘れられない呪文のような歌詞。 シャんこシャんこシャンシャンがシャン。 このぼ踊り実は北海道だけのものなのだ。 一体いつどのようにして生まれたのか。 今日は子供踊り歌の謎を追った。今この歌が再び注目を集めているという。 [音楽] ありました。ありました。こちらに子供太の CDが発売されています。 先週の水曜日店頭に並んだ子供踊り歌の CD レコード発売から実に 70年以上の時を経て発売されたのだ。 反響がすごくて最初はもう商品があの全部予約で埋まってしまうっていう状況からあのスタートになりました。 多くの土産有名人の心にも深く刻まれている。 [音楽] 子供ぼ踊り歌は夏の記憶そのもの。 土産子なら誰もがあの夏の思い出が蘇える。これからの時代も受け継がれ、幸せな思い出を紡いでけることを祈っています。 [音楽] この歌のルーツはどこにあるのかね。北海道教育委員会先定お住みつきを与えた北海道教育委員会に早速話を聞いた。 [音楽] え、作ですね、えっと昭和 26 年に別市で共有されていた壺松さんにお願いしたという風に伺っております。 作死したのは江別氏の教員壺松一郎さん。 発症の地別にはその鉱石を称えるが立て られている。 さらに気になる呪文のような謎の歌詞。 シャンコシャンコシン シャンがシャンシャン シャん忘れられない音の記憶が刻まれてい た。 ま、それが冬こうずっと行くと シャンシャン シャンシャンシャンシャンシャンとずっと 消えていく音。 やっぱりあのこの音が出てくる るっていうのはやっぱり石という世界で ないとやっぱり出てこなかっただろうと 思いますね。ではなぜこの歌が作られたの だろうか。理由は前後の混乱機を 生きる子供たちへの深い愛情があった。 昭和の26 年ぐらいですので、ま、戦後で、ま、子供向けの娯楽ですとか、ま、子供の健全育成とかそういう部分を考えて作ったんではないかなという風に推測はされます。 日本の主験が回復し、連合軍の占領が終わった [音楽] 1951 年子供たちは戦争で受けた心の傷が未だ言えず娯楽も食料も不足していた。 [音楽] そんな子供たちを元気づけようと子供のぼ踊りを作ろうという声が上がったのだ。依頼を受けたつ松さんは心から喜んだという。 [音楽] [音楽] 道長からこの依頼来た時は随分喜んでましたよ。ようやく子供に目を向けてくれたって 34 日で作ったんじゃないでしょうか。早い方がいいって。できてからね。 これどうって見せてくださいましたの。あら、いいわね。ちってこれもうどこででもあの聞かれるしこれいいわって言いましてね。 戦争で家族を失った子供も少なくなかった時代。未来を作る子供たちに元気と明るさを取り戻したい。子供盆踊り歌には壺松さんの平和への強い思いが込められていた。 お父さん 元気たら無料かもしれませんよね。こんな何十年も 50 年も経ってもね、なんとなく皆さんで歌ってくださるんですもの。お盆になるとああ、またお父さんのあれが出きたねって言いながらね聞いてます。懐かしいな。 こうして誕生した子供ぼ踊り歌は同や教育 委員会が開催した講習会を通じて同内各地 に広がっていった。 その頃の様子を太平洋戦争を経験した浦田 久はこう振り返る。なんか怖い顔っていう かね。食がどうなんのかね。食べ物がどう なんのかね。生態に取られた家じゃ進んで いましたしね。そう、それが一ぺに枠が バーって弾けた感じでね。どうやっていい かどうやって喜んでいいかわからないって いう。先が見えない不安な時代子供 ぼ踊り歌は傷ついた子供たちの心と未来を 明るく照らしたのだ。始まった時、終わっ た時、途中でもいいから本当にこういう 平和の中でね、お父さんお母さんがいてね 、あるいはおじいちゃんおばあちゃんがい てね、ご先祖様がね、あの添えして教えて くださったんだから大人の人からね、あの 皆さんからね、教えてあげて欲しいなと 思いますね。子供たちが無邪にぼ踊りを 楽しめるのは平和の証。 この何気ない日常を私たちは守り続けていかなければならない。 では調査結果です。子供踊り歌は戦後の子供たちを元気づけるために作られたということです。 うん。 田村さんはよくボ踊りのイベントにも出演されてると思うんですけども、こういう歴史はどうでした? はい。そうですね。私、あの、今月8月 24 日に恵ベツでのボー踊りに出演、アンバーボールで出演するんですけど、その時にこの子供りがエベ発症だってことをまず初めて知ったんですよ。 うん。 なんて思ってたぐらいでこの歌がういった平和への思いだとかなんかその戦争のね、なんかこう悲惨さとかっていうのも伝えていくっていうそういう歌っていうのはやっぱり分かってなかったのでこれあの私友達に広島出身の方がやっぱり 8 月にはねあのみんなであの平和祈りましょう この平和への思いありがさとか尊さとかそういったものを伝えていくっていう習慣にしてもいいと思いましたね。このメッセージをもうちょっと伝えた方がいいかもしれませんね。いいと思います。安 さんいかがでしょうか? うん。私も今日初めてそういうエピソードがあったっていうのと子供の育成のためっていうのもねあったっていうの初めて知ったのでやっぱり親にある私たちが知らないっていうことは あまりよろしくないです。 やっぱり私たちが知ってそれを子供に伝えていくっていう、ま、継承していく必要っていうのをすごくうん。 感じましたし、あとちゃちゃんこだと思ってた。 うん。それが シャンシャンシャンシンガシうん。ていうのもちょっと初めてね。どちらも正解なんですよ。あのつ松さんの作しシャンこシャんこだったんですが 1995 年にちゃんこちゃんこと変更されていたんです。 ただやはり正しい歌詞がシャンコシャンコなのでちゃんこちゃんこは配となって今では正しい元々のシャンコシャンコに戻ったなっています。 一旦変更しないけど元に戻ったという経緯があったということで、ま、来週からね、大公演でもボ踊り始まりますし、各地の会場でもう始まってるかなというところですけれども、是非このね、メッセージ伝えてってください。 [音楽] 暮らしの中で感じた疑問や悩みはす調査まで。 チャンネル登録もよろしくね。

依頼人(MASAさん・40代・札幌)
「子供盆踊りは北海道でしか見たことがありません。なぜ作られたのか調べてください」

北海道の短い夏、夕暮れの空に響くメロディ。
そう「子供盆踊りの唄」だ。
世代を超えて多くの道民が、懐かしさを覚える特別な歌だ。
さらに、一度聞いたら、絶対に忘れられない呪文のような歌詞。

♬「シャンコ、シャンコ、シャンコ、シャシャンがシャン」

この盆踊り、実は、北海道だけのものなのだ。
一体、いつ、どのようにして生まれたのか?
きょうは「子供盆おどり唄」の謎を追った。

今、この歌が再び注目を集めているという。

調査員
「ありました。こちらに子供盆踊りのCDが発売されています」

先週の水曜日、店頭に並んだ「子供盆おどり唄」のCD。
レコード発売から実に70年以上の時を経て、発売されたのだ。

コーチャンフォー新川通り店 サブマネージャー 佐藤幸二
「反響がすごくて、最初は商品が予約で完売という状況からスタートしました」

多くの道産子有名人の心にも深く刻まれている。

藤本美貴
「子供盆おどり唄は、夏の記憶そのもの」
タカアンドトシ・タカ
「道産子なら誰もが、あの夏の思い出が蘇る」
北島三郎
「これからの時代も受け継がれ、幸せな思い出を紡いでいけることを祈っています」

この歌のルーツはどこにあるのか?ん?北海道教育委員会選定。
お墨付きを与えた北海道教育委員会に早速、話を聞いた。

北海道教育委員会社会教育課 課長補佐 吉田昌幸
「作詞は、1951年に、当時江別市で教員をしていた坪松さんにお願いしたと聞いている」

作詞したのは、江別市の教員、坪松一郎さん。
発祥の地・江別には、その功績を称える詩碑が建てられている。
さらに、気になる呪文のような謎の歌詞。

♬「シャンコ、シャンコ、シャンコ、シャシャンがシャン」

「シャンコ シャンコ」には、忘れられない音の記憶が刻まれていた。

江別文学の会 望月芳明さん(2001年)
「冬に馬そりがシャンシャンシャンシャンと消えていく音。この音が出てくるのは、石狩という世界でないと出てこなかっただろうと思う」

では、なぜ、この歌が作られたのだろうか。
理由は、戦後の混乱期を生きる子供たちへの深い愛情があった。

北海道教育委員会社会教育課 課長補佐 吉田昌幸
「1951年なので戦後で子供向けの娯楽や子供の健全育成などを考えて作ったと推測される」

日本の主権が回復し、連合軍の占領が終わった1951年。
子どもたちは、戦争で受けた心の傷が未だ癒えず、
娯楽も食糧も不足していた。

そんな子供たちを元気づけようと
「子供の盆踊りを作ろう」という声があがったのだ。
依頼を受けた坪松さんは、心から喜んだという。

坪松一郎氏の妻 坪松シゲさん(1997年)
「道庁から依頼が来た時は、随分喜んでいました。ようやく子供に目を向けてくれたって。3~4日で歌詞を作った。できてから『これどう?』と見せてくれて、『あら、いいわね〜。どこでも聞けるし、これいいわ』と言った」

戦争で家族を失った子供も少なくなかった時代。
未来をつくる子供たちに、元気と明るさを取り戻したい。
「子供盆おどり唄」には、
坪松さんの平和への強い思いが込められていた。

坪松一郎氏の妻 坪松シゲさん(1997年)
「お父さん、元気でいたら、感無量かもしれませんね。こんな何十年も経っても、皆さんが歌ってくれるんだもの。お盆になると、『あー、またお父さんの季節がきたね』って言いながら聞いています。懐かしいなって」

こうして誕生した「子供盆おどり唄」は、
道や教育委員会が開催した講習会を通じて、道内各地に広がっていった。
その頃の様子を、太平洋戦争を経験した浦田久さんは、こう振り返る。

太平洋戦争を経験 浦田 久さん(96歳)
「怖い顔をしていた。職がどうなるのか?食べ物がどうなるのか?兵隊に取られた家もあるし、人心も荒んでいた。それが一度に枠がはじけた感じでどうやって喜んでいいかわからい様子」

先が見えない不安な時代。
子供盆おどり唄は、傷ついた子供たちの心と未来を明るく照らしたのだ。

太平洋戦争を経験 浦田 久さん(96歳)
「始まった時、終わった時、途中でもいいから、平和な世界で、お父さん、お母さんがいて、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、ご先祖様が中添して教えてくれたんだから、大人の人から教えて欲しい」

子供たちが無邪気に盆踊りを楽しめるのは、平和の証。
この何気ない日常を、私たちは守り続けていかなければならない。

世永聖奈(HBCアナウンサー)
「調査結果です。子供盆おどり唄は、戦後の子供たちを
 元気づけるために作られたということです。

 「シャンコシャンコ」と「チャンコチャンコ」
 実は、どちらも正解とも言えます。

 坪松さんの作詞は「シャンコシャンコ」だったんですが
 1995年に「チャンコチャンコ」と変更されたんです。

 でも、やはり正しい歌詞は「シャンコシャンコ」なので、
 「チャンコチャンコ」は廃盤となり、
 今は「シャンコシャンコ」に戻ったということです

調査依頼はこちら↓
http://lin.ee/pYvxEEm
https://www.hbc.co.jp/news/chousatai/

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5 Comments

  1. 幼少期に踊りましたが、歌詞の意味や発祥は、今初めて知りました

  2. 懐かしい‼️細かい経緯が知れて嬉しかった、ありがとうございますm(_ _)m
    私は1、2、3番まぜこぜにして覚えてたんだと今更気付きました😂
    チャンコチャンコで覚えてたのでそっちも聞いていたのかも?
    夏の大イベントは盆踊りとろうそく出~せ🍬と花火大会🎆でした

  3. 子ども向けの盆踊り唄を教育委員会が要請したのは事実なのですが、実は当時の盆踊り唄は「べっちょ節」と言う唄で、歌詞もお色気ある矮歌だったのです。子どもがこの唄で踊るのは…って理由もありましたのよ

  4. 美化しすぎ。北海盆唄の元となった「べっちょ節」を子供の前で歌いたくなかったから。「べっちょ」とは女性器のこと。地方によっては「ちゃんこ」とも。

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