【中学受験沼の処方箋】第一志望に合格できる子は3割以下?子どもの学力の50%は遺伝で決まる?/後藤達也からの提言「AIで教育格差はなくなりつつある」/三田友梨佳の親マインドにも変化(マネー新常識)
子供の学力の 50%は遺伝的要因で説明できちゃっ え。学力は遺伝によって半分はもう決まってるんですか? うん。 そう育格差っていう風に言われてしまうと差をなくそうなくそうっていう風についつつい思っちゃうんだけども差があってもそれが気にならない社会を目指すことの方が本質的だしで実はそっちのが近道 知識の量とか頭の回転の良さとかっていうの AI が大体できる東大に合格できる図ノを横にただで置いてるような形になってくるので旧来型のいわゆる受験的なお勉強みたいなものっていうものは視線と弱まってくんじゃないかな格できる子っていう のはもう3 割もないっていう風に言われてるんですよね。ほとんどの子が負けさを経験するわけなんですよ。もう SNS とかね、あの、見ない方がいいと思います。なんでを自分に向けるんですよね。 お金の価値観学んで変えてみた式。 [音楽] 続いての疑問を伺います。教育格差は悪なのかということなんですが、 先ほど教育費がね、課金ゲーム化しているというお話ありました。 でも一方でそういう環境による格差をなくすべきではという議論もうん。はい。そうですね。 加熱してますよね。このテーマ太田さんはずっと取材されてるとかがあったんですけど。 はい。そうですね。教育格差っていうのは、え、あるのはいかんと格差って言われると埋めなきゃいけないっていうね。 はい。 いう風に思いがちなんですけど、じゃあ私その教育格差の現場を取材しようと思って無料塾っていう塾を取材したんですね。聞いたことあります?無料塾って。 ごめんなさい。そうなんです。 え、誰でも入れる塾っていうことですか? あの、基本的には基本的にはっていうのは要するにその法律の中学生の中学 3年生の大体8 割ぐらいが全国で平均して塾を利用してるって言われてんでんですね。で、これ当然高校受験のためなわけですよね。今その日本の受験生徒というのが塾を利用しないと圧倒的に不利になってしまう。 ま、その塾っていうのは元々1970年代 にガーっと一気に増えてきて、それなぜか と言うと、高校進学率がぎゅっと上がった からで、その受験勉強を有利にするための 飛び道具として全国に広まったわけ、え、 なんですけど、それがもう今飛び道具では なくてもう標準装備のあの武器になって しまったわけですよね。だけど家庭の経済 状況によってはその塾に通子達ってのは 当然いるわけなんですよね。 で、そういうその一般的な有料の進学塾に通うことができない子たちが通える うん。え、のが無料塾で、そこには、ま、 一般の私みたいなあの塾の先生でも何でも ない、学校の先生でも何でもない、え、 大人たちが集まって、え、教えるのは素人 だけどでも一緒に勉強しようねスタンスで 彼らの、え、受験勉強に寄り添うことを ですね、やっているのが無料塾という あるいは、あの、学習支援団体なんかって いう風なね、え、言い方をすることもある んですけども、で、私まあ、いいだなと 思って取材をしてたわけなんですけど、で もあると気づくんですよね。 これ全国に無料塾ができたとしたら教育格差がなくなるんだろうか。 うん。 それってでもみんなが塾という飛び道具を手にしたとしたら結局競争が高度化していく 確かに だけであってで勝ち組の椅子っていうのが決ま数が決まってるんだとしたら誰かが勝って誰かが落ちるっていうだけであの加藤を競争化していくだけなんじゃないかなっていう風に無料直増やすだけでは教育確の解消にならないよなっていう風にことに気づいてでだからあのそもそもこの教育部隊にして競争をしなきゃいけな で、その競争の結果勝ち負けがついた時にそれによってその人生の収入とか社会的な地位が変わってしまうっていうことの方が問題なんじゃないのか。 ちょっとあのもう1 回整理するとま、生まれ うん。 と学業成績あるいはその学歴みたいなものが影響してしまう、相してしまうのを教育格差という風に言っています。 その結果得られた、え、学力や学歴によって将来の収入、社会的地位が決まってしまうことを、え、学歴格差っていう風に、 あ、うん、言ってますと。はい。 言ったに教育格をくすことよりもどんな学力や学歴であろうがあの将来、え、収入に困らない。そんなに大きな、え、収入差が生まれないような社会にしてくことの方が大事なんじゃないの要するにその教育格差が埋まったことによって構成な競争が可能になって、みんな平等なスタートラインから用意ができることになったとしてでその結果できた勝ち負けによって将来の収入とか社会的地域に大きな差がついても うん。 いいんですかっていう 教育の格差があったとしてもその差が将来に不公平な影響を 与えないようにしなければならないっていう。 うん。ていうのがなんかね、その要は学力とか学歴みたいなものが人の人生に対して異常に強い影響力を持ってしまっている社会なんじゃないか。そのことがそもそもこの教育格差が負の連鎖を起こしていってしまっている原因なんじゃないのっていう。うん。 うん。 だから例えばかけっこが遅い子を捕まえて君はね、周りの子よりも遅いからもっとかけっこ練習しなさいとかやんないじゃないですか。だけど勉強においては何が何でもそのみんなと競い会えるようにしなければいけないって我々思い込まされちゃっている。でもその勉強が得意かどうかっていうことも実本当はその子の組織とかねその子の特性だったりするわけですよね。 はい。 例えば2人兄弟が うん。うん。 親としては同じ学校に通わせて同じような教育を与えていても 結果的に学力的に差ができることてあるじゃないですか。 それってな、何の差なんですか? どうしたって避けられないのは遺伝ですよね。 あ、遺伝か ね。ええ、で、遺伝って言うと別に親とどれだけにいるかっていう意味じゃなくって、ま、最近のですね、行動遺伝学っていう、 え、学問の中で分かってきたことから言うとですね、子供の学力 うん。の50% は遺伝的要因で説明できちゃっ てんですよ。え、学力は遺伝によって半分 はもう決まってるんですか?うん。生まれ た時からはい。うん。へえ。親からもらっ た遺伝子の組み合わせによって、え、 いわゆるそのペーパーテスト的なね、頭の 良さみたいなものが50%ぐらいまでは 説明できてしまうよ。で、そこにさらに、 え、どんな環境に見かによって学力が 上ぶれしたり下ぶれしたりとかするって いうのが30%ぐらいの影響力があります よっていうことなんですね。で、それに よってその子の最終的な、え、学力や、え 、最終的な、え、学益が決まりますよ。 この30%の中にも半分ぐらいはどうやら 遺伝の影響があるらしいと。要するに親が 遺伝的にこういう環境を好む。 例えばね、スポーツが好きなそういう特性、遺伝的特性を持っている親であればね、家の中で勉強してるよりもか結しようぜっていう風に連れ出すでしょうし、本が読むのが好きでね、お勉強が好きな親子さんであれば一緒に図鑑でも見ようかね。え、一緒に小説読もうよっていう風にするでしょうし。う ん。家族内での会話っていうのもね、違ってくるでしょうしね。 そうなんです。で、それも実はだいぶ遺伝に影響されているっていうことが分かってきてるわけなんですね。 残りの20%は何になるんですか? あ、20% っていうのは本人があの選べる環境であったりとかあるいはその偶然であった偶然うん。そうそうとかっていうね、用意されたものではなくって偶然の、 え、ものが20% ぐらいという風に、え、言われています。うん。 ちなみになんか運動能力は 母親のうん。 遺伝だっていう風に聞いたことあるんですけど、 これはうん。うん。 母からの遺伝とか父からの遺伝とかはなく両親からの遺伝として 2 人の親からどんな遺伝子を持つかってもらうかっていうのはそれわからないんですね。 なるほど。 で、この現実を前にしてじゃあスタートライン揃えて構成な競争をしようよってやったらどうやったらできるかですよね。 君その遺伝的に勉強不だからの2倍3倍 頑張ろうねっていう風にするのかあるいは すごい勉強ができる子がある程度の レベルったらこれ以上勉強しちゃいけませ んっていう学習権を奪うとかねしないと 多分無理ですよね。これはま、勉強だけ見 てそうなんだけども他のことも色々そうな んですよね。いろんな人間の得意不得意 っていうのはやっぱりあ、ある程度その 遺伝で規定されてるところがあってで勉強 ができるできないね、得意不得意っていう のも1つの個性でしかないはずなんですよ ね。でもその1つの個性でしかないもので もして社会での地位や収入が大きく かってしまうこれがそもそもおかしいん じゃないの僕は思うんですよね。でも それぞれの特性勉強ができる子は 勉強かしてね。 え、お料理が作るのは上手なね、すごい優れた味覚を持っている僕はそれを生かしてとかね、それぞれの特性を生かして、え、社会に貢献したらもうそんなにその収入が変わらないような、 そういう、え、社会にできたとすれば仮に生まれと学力や学歴が相していても、あ、別にいいじゃん。 だって足早い子もいるし、歌が下手なの子もいるしね。勉強得意な子や苦手な子がいたって別にいいじゃないっていう大かな社会になるんじゃないかな。 なんかね、教育格差っていう風に言われてしまうと差をなくそうなくそうっていう風についつい思っちゃうんだけども、え、むしろ差があってもそれが気にならない社会を目指すことの方が本質的だしで実はそっちのが近道 簡単なんじゃないかなっていう風な気がしています。 うん。なんかでもそういう社会に自然となってきてるような気もしてて徐々にですけどね。 で、例えばですけど、学歴がそのいい就職とかいい収入につがるっていうのは、ま、ある程度あるんでしょうけど、あの、例えばじゃ、今東大とかって どこ行きたいかって言うと、スタートアップだとか自分で起業するとかがトップティアの人たちが言うことが多くなってきてますよね。で、 起業する時って学歴関係ないじゃないですか。 スタートアップの場合ももう能力とか経験優であってあんまりその能力経験も良さそうに見えない東大性と学歴良くないかもしれないけどものすごい実績をも残してきてたらこっちの方が選ばれたりしますよね。その大企業とか 完僚とかって言うとやっぱ歴の影響大きいと思うんですけどホットな仕事において学歴が相対的に従来より影響落ちてきてるっていうのはあると思います。 そうですね。 さに最がすごく発達してきての量とか頭の回転の良さと AI が大体できるようになってきてるわけですよね。それこそ東大の入手を AI がもう合格できるってなってきてると、あの誰でも東大に合格できる図頭脳を横にただで置いてるような形になってくるので、自分の頭が東大頭図頭脳であったからと言って競争力って弱まってくと思うんですよ。 なので旧型のいわゆる受験的なお勉強みたいなものっていうものは多分自然と弱まってくんじゃないかなと思うんですけどね。はい。 はい。あの私もそう思ってまだまだあの学歴社会っていう部分はあるでしょうしないけど。 企業とかね、え、社会のにおいてはもう全然たるものとしてずっと残ってくのもあるんですけども、それ以外のって今広がってますよね。 で、そこにそういう優秀な人たちがどんどん出ていくことができれば相対的にこの領域っていうものの存在感もあの小さくなっていって、え、学歴社会っていう風にね、え、言われていたものがすごく薄いものに、 え、将来的にはなっていくんじゃないかな。 だ、それをなんか学歴社会がなくならないんだからっていう前提で教育格差をなくそう ていう風に生意き込んでしまうのはちょっとね、事態の流れと違うのかなっていう風に思ってます。 先ほどっしってた無料塾のお話なんかは YouTube みたいな形でもうあの無料で情報が得られるようなくてボットなんかもまさにそうであって本当に分かりやすい話をする先生が来たりとかビジネスリーダーが来たりとかってなってるのでその場合別に大学通っていなくても場合によっては大学の授業よりこういいものを無料で得られる機会って広がってきてるわけですよね。 そういう意味は教育格差って本当に薄まってきてると思いますし、これから何か学ぼうと思ったら AI でディープリサーチとかすればもうあの海外の全然違う言語の最先端のやつとかも分かりやすくまとめてくれたりするので 学校で学ぶ大学で学ぶ意義っていうのはあんまり髭すると失礼かもしれないですけどうんうんうんうん まだいぶ薄いできてますよね。だからだいぶ公平になってきてんじゃないですか? そうそうです。あのおっした通り公平性ってのはすごく今増してきている。 ただその中でそういう新しいツールを使いこなすことができるかどうかっていうところにそもそもの [音楽] 得して学力の高い子の方がそういうものをさらに使いこなせてしまうっていうことがあったりとかあとはその先ほどの無料塾で言うと塾に通くらいに家庭が根とで 1 人親あのシングルの方も多いんですよね十分にその子供と関わってあげる時間もエネルギーもないっていうところ で、実はその無料塾取材した結果分かったことですけど、彼らは単に勉強いてるんじゃないんだと。 うん。 で、そういう子たちこそ世の中に放絶されなければいけないと。 なるほど。 そういう全員の人たちのネットワークの中に入っていってで、あ、この人はこんなあの仕事してるんだ。あ、この人はこんな仕事してるんだっていろんな大人とそこで出会っていろんな将来の描き方があのできるんだっていう ことを実はね知っていく。そしてあの自分は助けてもらえる存在なんだっていうね。 を学ぶ場として機能してるんだなっていうのは実はあの本の結論なんですね。 うん。迫力伸ばすだけじゃなくって社会勉強っていうか社会と繋がりを持って大社会を繋がってそこに頼っていいんだよっていうね。で、逆に自分が大人になった時にはそこで学んだことを自己実現のためとかね自分の金儲けのためだけに使うんじゃなくて困ってる人がいたら助けられる人になろうねっていうメッセージが最大のメッセージなんですよね。 [音楽] 確かに。 さ、では続いての疑問を伺います。 中学受験沼の初方戦ということです。こうやってね、オ田さんの話伺上がっててもどうしても周りもやってるからやらなきゃって思ってしまうのか親でもあると思うんですけれども、ま、沼にはまらないためのコツを是非伺いたいなと思います。 うん。はい。行きたい学校目標とする学校定めるのはいいですよ。で、それはそこに向かって頑張ろうっていうモチベーションの厳選にもなるので いいんですけども。 で、でもね、そこに合格することを市場目的にしてしまって、合格するためには何を犠牲にしてもいいんだっていう風になってしまうと、本末点頭って起こりますよね。あの、健康のために死ねるみたいな。う ん。はい。 いう風になるのと同じような状況に今ね、下手すると中学受験っていうのはなってしまう。中学受験沼なんていう風に言われていてですね、 1 回はまり込んでしまうとなかなか抜けないっていうね。 で、その沼が今どんどん深くなって、え、 しまっている。で、その原因がやはりその 1つはSNSの影響だと思うんですよね。 そうやって目に見えない人たちとも自分を 比較してしまってどんどんその恐怖を募ら せてしまうことが中学受験沼の正体なので 、1つはもうSNSとかね、あの、見ない 方がいいと思います。で、特に その中学受験アカウントみたいなね、いう やつは見ない。それをやめるだけで沼には なくなってくると、え、思います。 で、あの、その合格っていう、あの、目的に向かって努力をするわけですけども、努力をするプロセス自体にを成長させる、え、機会がたくさん含まれてるわけですよね。努力をしたけども、しでいい点数が思ったよりもいい点数が取れなかった。クそって涙を流すこと子供でもありますよ。 で、そこで自分なりにね、考えて次こういう風にやってみようっていうその思考錯誤をしてみたりだとか、これスポーツも一緒ですよね。 講習に行くために頑張るぞってやってても、あの、なかなかいけないわけじゃないですか。だからと言ってそこで頑張ったことが無駄になるわけないくって、で、勉強も一緒ですよね。そうやって何か 1 つの目標を掲げることによってそこに向かって、え、その隣りの、え、全力を出し切るっていう経験の中にその中学事件の本質的な価値っていうのはあるんだという風に思ったらいいんじゃないかな。 結果はそれはもうあの勝負は時の運えであって、え、実際第 [音楽] 1脂肪に合格できる子っていうのはもう 3 割もいないっていう風に言われてるんですよね。ほとんどの子が負けさを経験するわけなんですよ。 で、そこであの3 割のあの勝ち組に何が何でもなるっていうことではなくって仮に第 1 死亡に合格できなくっても最後にね、僕たちやり切ったよね。私たちね頑張ったよね。これだけ立派になったよね。あなた成長したよっていう風に 言えるようなね。うん。 中学受験を、え、目指してほしいなっていう風に思いますね。 はい。そういう時にね、親が子供にかける言葉って大切ですよね。仮に第一死亡に合格できなかったとしても最後にどんな状態であったら自分たちは笑っていられるのかっていう、そういう状況を想像してほしい。で、その中にあ、自分はあのこういうことを大事に思ってるんだ。え、こういう価値観を持ってるんだっていう風にね、自分と向き合うことによって、え、自分の価値観に気づく。 ことができるとかな。 うん。 合格よりも価値あるものに気づけるっていうのがこれ一生懸命合格に向けて努力するからこそ見えてくる逆説的なあの気づきっていうのが多くの方が中学事件を一生懸命やるとそこにたどり着くんですね。だからあの小学校 6 年生の後半ぐらいになってきて子供がものすごいその必死になってようやくエンジンかかってギリギリですよ大体 うん。 必死になって、あの、頑張ってるっていうところを見て、あ、こんなに頑張れるようになったんだったらもう合格どうでもいいやって思える。でも一方でこんなに頑張ってるんだからやっぱり合格して欲しいっていうこのアンビバレントな気持ちを大体味わうんですよね。 で、そういう風に慣れた時っていうのはもうその時点で中学事件をしたあの意味がある。要はその中学受事件という機会を通して子供が成長できたっていうことが大事なんだと思うんですよね。 だ結果別にどこの学校に入ろうがその子の人生って大丈夫ですよの。 はい。 第一望に受かんなかったからと言ってその子の人生終わるわけないんだから。そんなことみんな大人分かってるじゃないですか。 うん。 大人がそういうね合格市場主義にあの囚われないっていうそういう広い視野を保ついことが大事だと思います。うん。 なんか中学受験だともう大変すぎて親も必死すぎて家庭が崩壊になりそっていう話とかも聞いたりするんですけどでもきっと親って勉強のサポートだけじゃなくって親自身のこうあり方とかマインドセットっていうのがすごく大切なんですね。 そう。 だから子育てしてれば常にね、心配事があるし、不安があるしで、それが中学事件をしたらなおさらリアルな 不安としてこんだけ頑張ってんのに浮かんなかったらどうしちゃうんだろうっていう風になるわけなんですけどもね。あるいはね、その勉強をサボっている、え、子供を見てね、ものすごいイライラしてしまったりとかっていうね。 うん。 でもそれはね、イライラしてしまう原因は自分の中に対あるわけなんですよね。 うん。確かに。 だからイライラを感じたり、不安を感じたりね、あるいは怒りを感じたり、悲しみを感じたりっていう風に自分の感情が動いた時に 目の前にいる子供を変えようとすると子供はものすごいストレス感じるんですよね。うん。 でもなんでこの子はこんなにだらしないのいう風に思った時になんでを自分に向けるんですよね。え、なんでこんなにイライラするんだろうか。あ、自分が昔ね、あの勉強頑張んなきゃいけなかったところで逃げたことがあって、それを思い出してるんだ。 大体親の古傷が反応してるんですよね。 そうか。 そう。で、その古傷と向き合って、あ、でも自分もね、そういうこともあったけども、今なんとかやってね、この子の親をやらせてもらってるじゃないかっていう風に自分を許せると子供も許せるようになるんですよね。 確か で、大体この中学事件を真剣にやって一旦はね、沼にはまってうわあもう大変ってなったところから最後抜けるとトンネル抜けるようなもんですよ。うん。うん。 そうするとそういうシアがパッと開ける瞬間があるんですよね。 そこまでたらね、親子でした意味 うん。 があの感じられるんじゃないかなっていう風に思います。 親も一緒に成長できそうですね。 そうだからね。最初は不安ばっかりですよ。 はい。 中学事件始めた時なんてだけどその不安はだから悪いものだと思わなくていい。自分と向き合う機会だという風に思えると親子と共に充実した中学受験やってよかった。どんな結果であれねやってよかったって最後に笑えてるんじゃないかなっていう風に思います。 ね、 お父さん、お子さん、中学受験を経験したがいましたけど、どうでしたか? はい。や、うちは全然沼にはまってない。 さすが、 さすが。 全く片足も全然突っ込んでない。あ、 やっぱりそのいい学校に行けるのはいい面もあるんでしょうけども、そのためにあまりにもそのストレスだとか、あるいはその親の仕事よりも子供の受験を優先するとかになってくると犠牲にするコストが大きすぎると思うんですよね。 ま、もし本人がもうものすごく勉強が好きで 苦労することなくも問題解くのが楽しくて仕方なくて結果的にもいいとこ行くんだったら別にいいんですけど遺伝によるところも大きいですし、ま、身のたに合わないレベルの負荷を与えることて良くないなと思ったんですよね。で、同時にその学校も偏差値市場主義で偏差値が 1 でもいいところに行くのがより良い学校だっていう発想は良くないと思っていて、だ、実際その YouTube とかも本当色々あるんですよね。 だ、子供はそのさん、別にそのいわゆる超有名とか言ったわけじゃなくて、普通のあの YouTube とか見てる中で魅力的に感じたところに、 ま、身のたの受験で行ったみたいな感じで、今すごい楽しくやってますよ。はい。 そう、そう、そう。 勉強したくないって言われたらどうすればいいんですか? それはだから程度によるんじゃないですかね。いや、だ、例えばものすごく努力をさせてクニックを仕込ませてギリギリ合格した人って後になって中学校でこう劣等感に苛まれたり結構苦しんだりすること。 なので元々そのほっといてもものすごくいいところ受かるような人とか努力をわない人はもう気持ちよくそのまま行けばいいと思うんですけどそうじゃない場合においてですね親がこう無理やり行かねばならないとそ差値って物差しを押し付けてうん やってしまっても合格したとしてもあまりいい状況ではないような気がするんですよね。 あの、本来のその遺伝的な観点で言うと合格するのが難しかったかもしれないけどもテクニックだけを必死に詰め込んでテクニックであの受かったとしてもそのテクニックって中学受験では使えるかもしれないですけども、その先にある社会での活躍とはまた違うものかもしれないともう思いたりはしますけどね。ちょっと答えになってるかわかんないですけど。はい。 そだから多分あの今ね、三田さんおっしゃったのはね、あなたが行きたい学校ここだよねと。だけどあなたの偏差しここだよねと。 うん。うん。 ね、今このペースでやったらこれどうやっても追いつかないよねっていうどったら勉強しなさいよっていう風に言いたくなっちゃうっていうね。 で、多分これ本人も分かってんですよね。だけどどうしても頑張れないっていう。 だからその勉強しろっていったところでできるわけでもないし、ま、親の立場としては結局、ま、この子なりに頑張ったのにその目標達成できなかったことによって不合格はを経験して傷つくことを傷ついてる子供を見るのが辛いだけ じゃないですか。 で、それ見たくないからあんた頑張ってよっていう風に 思うわけなんだけども、 でもはい。 その子がね、頑張れなくって結局ここに到達できませんでした。不合格になりましたって言ったらこの子よくそれを認められますよ。 うん。 も、それが成長ですよね。 うん。 傷つくんですよ。 はい。 で、親は子供が傷つくのどんな形で誰も見たくないんだけども、 でも実はその傷がね、子供に成長もたらしてくれるっていうことがあるので、 あ、中学事件はこの子にそういうね、傷と学びをもたらしてくれたんだっていう風に うん。うん。 終わったら思えると思います。それまでは不安だけど。 そうですね。 うん。で、親としてはね、ど、とは言っても、あの手この手で勉強するようにし向けるのは別に悪くないと思いますよ。で、子供からしたら多分迷惑なんだけど、 まあ、でもそれしょうがない。もう親の佐だからやりたくやらればいいと思いますよ。 はい。 でもその結果うまくいかなくてもね、この子のせいってその子を攻めちゃだめですよね。 そうですね。 うん。あ、この子はこの子なんだ。 うん。 で、それこそ、あの、勉強に対してどれだけ努力ができるかっていうね、 5 時間ずっと勉強し続けて、もうへっちゃらな子校もいればね、 30 分として集中力が持たない子もいって、それもね、ある意味遺伝的な特性だったりするんですよね。だからスポーツだったら 1日中練習してられるけど、 うん。 勉強はダめ。その逆もあるじゃないですか。勉強は 1 日中やってられるけど、もうスポーツなんてもうマラソンなんて絶対やだみたいなね、 いう子もいたりするわけなので、 半分は 私の遺伝ですしね。 そうですね。 親の遺伝ですもんね。うん。 中学受験で低学年から塾に通わせる親御さんも多いって聞くんですけど、え え、 実際どうなってるんですか?低学年って言われてますよね。で、一時期はね、なんか小学校 1 年生から有名塾に入れとかないと後から入れないよなんていう風にね。あれも本当脅しいですよね。 そうなんですか。聞きますよね。 聞きます。聞きます。 こそね、さすがに言われなくなってきたんです。僕も一生懸命。それ嘘だから。嘘だからっていろんなとこで言ってたんで。 ええ、 小4 からだともよっぽど頭良くないと入れないとか聞いたことありますけど 中学受験塾の先生にも直接僕も聞いてますけども優秀な子であれば何年生ででも入れんですよ。だって塾だって優秀な子欲しいじゃないですか。 ま、合格実績上がりやすいですから。 そう。だけどその塾で学ぶほどの学力がない子が後から入ろうと思ったらそれ入れないですよ。 うん。じゃあその子が小学校 1 年生から花見の座席取りみたいにして席を抑えてそこにしみついてたらその子どうなんですかって きついだけですよね。 他の多様な経験の機会もなくなっちゃうかもしれ ね。そうそうそう。あの中学受験をするんであればする予定なのであれば低学年のうちは中学受験が始まったらね できなくなるような体験をもっとしておくべきなんですよね。いわゆるその子供らしい経験というのかな。 え、やってくべきであって、そういうたくさん遊んだ経験があった上で 4 年生からね、中学受験塾に行って頑張るとっていう風にエンジンかかったらそれ強いです。ま、エンジンかかるのもすごく稀れなんですけどね。 学力だけじゃなくてその時その年にしか経験できないことってたくさんありますもんね。 そう。で、あの、早くからしたら有利になるかっていうと全然そんなことなくて、僕 1年生からその塾入れて6 年生まで同じ塾で最高でしたっていうのと僕実は取材で聞いたことなくって。 へえ。 あ、そうですか。 ええ、結構そういう苦しんでる人が多ですか? そうなんです。低学年から入ったご家庭で大概どっかで熟している。席を抑えるためだったはずなのにどっかで苦しくなって熟している。で、なんでこれ熟してるかって言うと、逆に小学校 5 年生からそういう塾に入って頑張ったっていうね、親御さんから聞いた時にうちは楽でしたね。どうせ後から入っただけだからね、追いかけるだけだったから。 うん。 で、逆に言うと低学年から入っていて、で、後から大体小学校 4年生ぐらいから5 って後から入ってくる人たちが増えるじゃないですか。そうすると先にやってる子の方が慣れてるから最初は成績いいですよね。 うん。 だから偏差値はそこでポンって上がるわけですよね。 うん。 だけどもすぐにみんなも慣れてくるから追いつかれてだんだんだんだん下がってくんですよね。 そうするとあれ、 3年早く始めたのにこのリードは ね、奪失ってはいけないってものすごく焦るっていうところでペースを崩すっていうケースは実は多いんですよね。先に入ってることのデメリットも実はあるってことも知っておいた方がいいですよね。 最後に改めてになりますけど、冒頭の真似にあった認知能力はお金で買えない。 はい。はい。 改めてこの言葉が意味することってどんなことですか? 今日ずっと話をしてきたように、あの子供の教育にはね、お金がかかるとで、お金をかければかけるほどいい教育を与えたことになるんじゃないかっていう風に我々は思い込まされてしまってるわけですよね。 で、それが学力だけではなくって、今その 非認知能力って言われるようなね、え、 本来であれば子供同士遊んでいたりとか、 え、お家での手伝いをした、お手伝いをし たりとかっていう風な中で十分育まれる、 え、むしろそっちの方が、え、大切な体験 で、え、あったわけなんですけれども、 そういう、え、体験の中から得られる学び までもお金をかけて習い事をさせなきゃ、 お金をかけてなんかのね、え、業事に参加 させなきゃっていう風に思い込まされて しまっている。だけども、あの、その子に とって必要な非認知能力で、それは すなわちその子の遺伝的特性を踏まえて、 え、その子の、え、魅力を伸ばすっていう ことですよね。え、そういう、え、何をし たらその子の、え、魅力が伸びるのか、 持ち味が生かせるのかっていうことはその 子にしかわからないんですよね。だから 大人が意図して、え、お金を払って与え ましたよっていうものがその子にとって その子に本当に必要なものなかどうかって いうのはこれもう本当にあ、鉄法でダーツ 繋げるみたいな、え、ものになってしまう 。それよりはあのお金を、え、払うんでは なくって子供が、え、自由にのびと、え、 できるようなね、え、そういう環境を、え 、社会の中に取り戻すっていう、え、こと を我々大人が、え、することによって子供 にとって必要なね、え、いわゆる非認知 能力っていうのを日常生活の中でね、お金 をかけずに得られるようなそういう、え、 社会にしていかなければいけないし、ま、 今だってお金をかけたからと言ってそれが 得られるわけじゃないんだよっていう 気持ちを込めてい ということでさん、今回の新常識にまつわる お話をどれほど納得できたでしょうか? あ、もうほぼほぼ 100%されんですか?これ 怖いな。 いや、採点なんて恐れ多いです。いや、でもなんかでもすごく今最後の方で思ったのは教育学校どうするかみたいな話が多かったですけども子供にとっての先生っていうのは親っていうのもすごく大事な先生なわけだと思うんですね。 だ、その親がリスペクトできるか、どんな気持ちで仕事してるかとか、社会貢献してるかとか、人との付き合い方、時間の付き合い方っていうものをやっぱ見てるわけですし、多大な影響を及ぼすわけですよ。なので、こうテクニックとして受験をからせるためにこうすべきだとか、そのためにあなたこうしなさいみたいなことを言ってる背中だけじゃなくてもっと広い意味での立派な大人っていうのを見せることが大質でで偉そうなこと言ってます。 ま、簡単ではないですけど、ま、結局だ自分磨き、自分が親自身が輝くように努力することがすごく大きなことなんじゃないのかなと思います。ていう観点で言うと子供が苦しんどんでるのに無理やりにでも受験受験みたいなことをやってる場合ってそれが果たして子供にどういう背中が映ってるのかっていうのも考えることが大事あ、一概に否定してるわけではないですよね。 だ、そういうことが、ま、ある意味教育、自分自身が教える側だであり、影響力のある子供にとっては極めて影響力のある存在なので、そういう自覚は 持たなきゃいけないなと。 本当ですね。 はい。1 人の親として思いました。ですね。 あの、あの、この社会っていうのは、あの、子供家庭長っていう名前になっちゃったのとね、からも分かるように、なんかその子供の育ちをね、それぞれの家庭あるいは親が責任持たなきゃいけないみたいに思わせれてるわけですけど、親だけで子供なんて育つわけがなくって、 それこそ先ほどのその多様性の話ですけども、大人が周りにいた、いろんな生き方があるんだなっていうことを見ることによって子供たちは励まされるし、希望を持てるうん。うん。 わけなんですよね。 え、なので親を始めとするあの子供の周り にいるね、大人たちが自分の人生をあの 楽しく生き生きと、え、過ごしている ところを子供に見せてああげ るっていうのが1番の、え、教育だと思う し、え、その大人が生き生き楽しく生き てる中で自然にいわゆるその非認知能力を 発揮してるんだと思うんですよ。うん。 あのおじちゃんこういうところ面白いなね 。 のおばちゃんっね、あ、こういうところをなんかあの尊敬できるよなっていうのって学力じゃないとこであると思うんですよね。で、それぞれの大人があの、それぞれに、え、非認知能力を発揮して楽しそうに生きてればそこから子供は当然学ぶわけですよね。それが 1 番の子供たちにとっての学びだし、それが結果的に、え、子供たちが非認知能力を身につけるっていうことに、え、つがるはずなので、平日認知能力をね、お金で買い続けるような社会っていうのをもう終わらせましょうっていう風に思います。 三田さんは今日いかがでしたか? いや、もうすごく勉強になりました。でもこれだけお話が上がってもきっと時には周りと比較して焦ったりっていうことも出てくると思うんですけど でもやっぱりこう学ぶことの喜びとか 考える力とかま、仲間のうん ね共同とか 人間力そういう教育の本質っていうのは忘れずに過ごしたいなっていう風に思います。 はい。 だ、なんかね、今の教育ってどうしてもその最初のその格差の話からすると格差の負け組にしてはいけないっていうね。 うん。 え、この競争社会の中で勝ち抜ける子供に育てるためにはどうしたらいいかっていう風な発想に親もなってるし社会全体としもなっちゃってると思うんだけども、 いや、勝ち抜ける子よりも助けられる子を育てた方がその子自身が生き延びる確率ってのは高まるはずなんですよね。そんな風にね、教育感を変えていく必要があるんじゃないかなっていう風に思います。 分かりました。 田さん、今日脇長の話ありがとうございました。 ありがとうございました。 お [音楽]
▼前編動画はこちらhttps://youtu.be/R4MP5GKfciY チャンネル登録&高評価よろしくお願いいたします▼
▼PIVOTアプリなら、バックグラウンド再生、ダウンロード機能、音声モード再生が無料。視聴ごとにマイルが貯まり、Amazonギフト券などの特典と交換できます▼
アプリダウンロードはこちら↓(無料)
▷https://4x9f.adj.st/episode_id=13156?adj_t=1q5nbjvd
▼ アプリ・Webで見るならこちら▼
▷https://pivotmedia.co.jp/app/movie/13156
【目次】
0:00 ダイジェスト
0:58 教育格差は悪なのか?
3:27 問題は学歴格差にこそあり
5:48 IQ・学力の50%は遺伝で決まる
9:30 AIが教育格差をなくす?
13:51 中学受験沼の処方箋
16:05 第一志望の合格率は30%以下
18:09 親のマインドセットが重要
21:16 早すぎる塾通いのリスク
27:01 非認知能力はお金では買えない
▼マネー新常識とは?▼
三田友梨佳と後藤達也がダブルMCを務めるお金の教養番組。投資のみならず「教育資金」「老後資金」など日々の生活にまつわる正しいお金の知識を専門家が提唱する「新常識」を基に学んでいく
<出演>
三田友梨佳(MC/元フジテレビアナウンサー)
https://www.instagram.com/yurikamita_official/?hl=ja
後藤達也(経済ジャーナリスト)
https://www.youtube.com/c/gototatsuyahttps://note.com/goto_finance
<ゲスト>
おおたとしまさ(教育ジャーナリスト)
https://x.com/toshimasaota
<新常識シリーズの関連動画>
▼マネー新常識▼
▼健康新常識▼
#pivot #三田友梨佳 #後藤達也 #おおたとしまさ #教育資金 #教育費用 #中学受験 #受験戦争 #教育格差

22 Comments
▼PIVOTアプリなら、バックグラウンド再生、ダウンロード機能、音声モード再生が無料。視聴ごとにマイルが貯まり、Amazonギフト券などの特典と交換できます▼アプリダウンロードはこちら↓(無料)
▷https://4x9f.adj.st/episode_id=13156?adj_t=1q5nbjvd
行動遺伝学の遺伝率って「親の遺伝」とは全く関係ないし、自分の遺伝子のどことも関係しない概念なんだよね。
普通に人間の脳は可塑性に満ちているし、大きな可能性にあふれている。
これで努力を怠るのはもったいないと思う。
塾に行かなくても、娘は、勉強していましたよ。例えば、数学は学校の先生に習い、英語は私が教えていました。但し、プログレスの英語を教えるのは大変大変でした。
親が自分の人生を豊かに生きている姿を見れば、子供は自分の人生をどうやって生きれば良いか、言われなくても勝手に自分で考える。
親である前に、一人の人間として、自分の人生に向き合い豊かに生きるための努力をすることが、結果的に子供にとっての教育にもなるんじゃないかと思いました。
やっぱりじゅそうけんはいらないな
もういいよ遺伝は。
5:56 なんとなく、分かる気がします。学生時代、勉強しても明らかに成績が上がらない友人を何人も見てきました。彼らが頭の中でどういう事を考えながらやっていたかまでは分かりませんが、私もすごく勉強した方ではなかったので、明らかに要領が悪いように感じていました。
私自身は公立中高ではゲーム感覚で成績を上げたので、大学受験もその延長としてあまり苦なくできたと思います。子どもの頃もですが、大人になって仕事をする中でも、自分が特別勉強できたとか頭が良いと感じたことはなく、むしろ高学歴が恥ずかしい(「その割に、頭悪いな」と思われそう)と思います。
当時は下の子に手が掛かっていたのでしょう、親の注目が私に向いていなかったのも幸いだったのかもしれません。「塾に行くか?」と聞かれた中学生、高校生の時、その度に「どうせ居眠りするから行かない。」と伝え、受け入れてくれましたから。
もし塾に行っていたら、東大に行けたか?と問われたら、その可能性を考えるより前に、絶対にそんなに勉強したくもなかったから、行かなくて良かったーと思います😅爆発していたかもしれないですし、結局、私の遺伝子以上の成績は出せないでしょう。
実社会では"優秀である"という時に意味することは幅広く、場合によりニュアンスが異なるし、非常に複雑です。計算が速かったり、饒舌に喋れたり、難しい漢字を書けることは素晴らしいと思いますが、そんなことは結局どうでもよく、誠実で、器が大きく、忍耐力がある人でないと社会人としての評価は低いです。
勉強もほどほどに、たくさん遊んでケガをしながら、色んな経験をして大人になってほしいです。都内で電車通学する小学生を見かける度に、少し可哀想に感じてしまいます😢
中学受験とか過剰な競争すぎる。
問題意識が左過ぎてまったく共感できない
出身の中高一貫校は2月に2回入試があった。6年後、結局大学受験の実績がいいのは圧倒的に後期受験組(中学受験で第一志望落ちて滑り止めで入学してきた人たち)。
うちの親は真面目な話をすると気分が悪くなるようで、変なバラエティーとか、スビリチュアルな番組ばかり見ています。悲しいです。
経済格差、地域格差を無くすなら無料塾を増やすより公教育の充実です。「再生の道」の政策です。もっと周知されて欲しかった。
過剰競争を煽るほうが儲かる人が増えるけど、少子化は加速するよなぁ
利己主義が持続可能な社会を作れない理由
後藤さんの「格差は薄まりつつある」という意見、すごくチーム未来的というか、出来る人しか見えていない感があるな。
あと、格差が最終的な収入に「大きくは」影響しない社会って、無限の努力をしても無限のリターンは得られない社会に繋がっていく気がする。私はその方が望ましいと思うけど。
エッセンシャルワークは誰が担うようになっていくんだろう。どんどん採用しづらくなる今後は徐々にエッセンシャルワークがコスパがいい未来になる方向へ待遇が改善されていくのだろうか。かといって子供の人生をそこにベットするわけにはいかないのだが。
僕は慶応出身のやる気無しニートです。意識高い系の親は高学歴に夢見すぎですね。
自分がたいしたことないのに子供に期待しすぎるのはどうだろうか?
7:26 偶然の出会いも自分ではコントロールしにくくないか?特に幼少期は
首都圏で中学受験する家庭は公立中学の教育の質と私立中学のICT、探求学習等の教育の質の差を感じてる家庭多いと思う。
動物的にチーターは短距離など、人間の武器は脳🧠なのでそこを鍛えないと人類は滅びる。その中で競争が生まれて淘汰されてしまうのは仕方がない。
しかし、勉強だけが人間の武器ではなく物作りや工夫なども人類にとって必要なツール。
Fランクの大学に行くよりも、そういう分野で働く人々を増やす教育機関を増やして欲しい。
「公正」な競争の結果、格差が生まれるなら自由社会にとってはとてもいい事
スタートラインや親に左右されている事が問題
学歴が将来の収入に多大な格差を生まないようにしなければならないというのはその通り。
だから、政府はマクロ経済政策だけは間違ってはいけない。
今の中受親が学歴にこだわるのは、親が氷河期世代で学歴によって就職や収入で多大な苦労をした経験もかなり影響していると思う。