アナウンサー同期で対談♡それぞれの生き方!
はい、ということで今日のニミーチャンネル私の同期んちゃんよろしくお願いします。 よろしくお願いします。日本テレビアナウンサー軍事です。 キラキラキラキラキラキラ いやいやキラキラキラ いや我々会うの何年ぶりですよ。 いや、本当なんかインスタの DMとかではやり取りこそあるけどうん。 久しぶり。 久しぶり。 え、我ら2013年入社 はい。同期です。 確か新人の時に各局横断のイベントというかキャンペーンがあって ね、あのカトパンさんとかいらっしゃった時に していただいてニッ テレベスでいた。 懐かしい。 いや、1年目とか多分2年目とかだから 2014年とかその辺 本当に10年ぶりだけど10 年ぶりには思えない。やっぱり同期の特別な距離感あるよね。 [音楽] [笑い] 嬉しい本当に。 しかもなんかやっぱきんちゃんこう本当に仕事頑張っててアディ入れとかこういろんなチャレンジもしてるからなんかすごいねなこともあればこういろんな方から話聞くこともあって そうだからね久しぶりな感じはしない 本当私にとってのサッサさはやっぱり AD からアナウンサーになりアナウンサーからやっぱりモデルそして実業家っていうなんかこう私たち世代のつもトップランナーで で、お世話になってる方も共通のね、 人がとかお話を聞いてたので、え、今日さっさに聞きたいこと色々あるの。 こちらのセリフです。ちょっと改めてじゃあ自己紹介というかご経歴というかチャレンジの含めたお話を最初によろしいですか?いただいて。 はい。はい。え、日本テレビアナウンサーの軍事京き子です。さっさと同じ 2013年に、え、入社ました。 え、アナウンサー初めてからは朝の情報 番組ZIPで小密のリポーターを長くやっ ていたりですとか、あとはバラエティ番組 、ゴールデンの番組だったり、あとは単発 だったり、割と情報番組バラエティを メインに20代の時は担当していました。 で、そこから報道番組に、ま、ちょっと畑 を変えて、で、スポーツ中継などにも 携わるようになり、今はゴルフ中継も担当 して実況もしています。2022年の9 月には日本テレビの新規事業としてアパレルブランドアウディレオ論し、今は、え、ディレクションという立場でその授業には関わっています。 [音楽] でも本当にあのニミーとアウディで実はご縁が結構あって、 あのうちの周年イベント今年の 1月19 日にあのやったんですけれどもそこにもイベントであの出していただいちょっと今きんちゃん忙しくてあのその日スケジュール合わなかったけど やっぱり働く女性の皆さんに素敵なお洋服見ていただく場としてすごく多くの方に点取っていただいたりとか 本当嬉しかった。 まずお声がけたことも嬉しかったし、私はずっとさのインスタとか仕事を見ててミってやっぱりこう今の自分からもっとこう豊かになりたいっていう意識もありながら例えば仕事と家庭とか仕事とプライベートを両立してる女性たち両立したいと思ってる女性たちがすごく多いじゃない。 [音楽] で、そういう女性たちに向けたプロダクトを作りたいっていう風に思ってたから、ニと何か一緒にできたらいいなって思ってたところでお声がけただけてすごい嬉しかった。 今後ともよろしくお願いいたします。 いや、今日きんちゃんと喋りたかったのはやっぱりそのニテレという会社に 今何年目?う ん。13年目。13 年目。 いい感じになってきました。 そう。13が乗ってきた。 やっぱりその自分でさ、こう、あのうん。 自分の価値も発揮しながら自分らしく働けるっていうプロジェクトをちゃんと立ち上げて、ま、新規事情、新規事業を立ち上げて今働いてるわけじゃない。 それって結構みんな理想だと思ってて、ま、例えば転職するとか環境を変えるっていう大きな決断をしたらうん。 ま、バさっと変わって、ま、いいこともあとちょっと恐怖もあるかもしれないけど車内にいながらにしてそういう自分の心を満たしながらチャレンジができるっていうことがあるんだって。 多分特にあのアナウンサーの子たちはみんなきんちゃんのこの挑戦でみんな気づいたんだよね。 うん。ええ、嬉しい。 そう。だからさ、実際にうん。 車内でこういう企画を立ち上げるっていうちょっとプロセス うん。うん。うん。 どういう経緯だったのかなっていうのが気になって 当時 私がそのキャリア20代後半で その自分のキャリアを改めて考えた時に とにかく日本テレビという会社が私は好きなんだなっていうことを改めて感じたの なんかニッテレってすごいちょっとこう チームワンチームっていう うん。そうだね。 こう部を断したり横断したりしながら うん。24 時間テレビとか箱根駅伝高校作家に代表されるようにこう 1 年間の中に大きなイベントがあってなんか結構体育会計っていうか部署が違うんだけど なんかこうみんなで手を取り合って 1 つのものに向かっていこうっていうエネルギ主さがあってそれが私はすごい肌にもあってるなって思うし好きなんだよね。 うん。ただ、えっと、 2020年コロナの時 にアナウンサーの現場に行くっていう働き方が大きく変わって、 1 週間の中の自分の勤務時間の中の予白っていうのが 増えたの。 で、その時に私これからどうなっていくんだろうっていう本当然とした不安があって うん。 でもそういった中でやっぱり周りのさ、社会人たちはみんなリモートワークとか働き方の環境がガラっと変わりつ業務の内容ってそんなに変わってない人が周りには多かったのだけど私は うん。 今までゴルフ上に行ってゴルフを実況してたのにゴルフ上に 取材にも行けず環境が大きく変わった時にえうん。 私これから30 代していくんだっけみたいな [音楽] 漠然とした不安があってうん。うん。 でもやっぱりニテレは好きだから何か貢献できることを探したいって思ったのが 1番最初だったの。 うん。うん。うん。 で、正直なこと言うとさっさみたいに外に出るっていう選択を私は結構憧れというか かっこよくも見えていて。 うん。え、そんな時期あるの? ある。 うん。 やっぱりそれは自分の力っていうものを社会の中で試っていう大きなチャレンジだし でもそれってある意味こう毎月決まったお給料が入ってくるっていう生活とは距離を置くわけじゃない。 なんかその怖さもあって 外に出るっていう選択はま、日本テレビ大好きっていう思いもあるし私にはできなかったんだよね。 うん。 で、ニテレの中でじゃどんなことができるかなって思った時にあの番組の企画募集にそれこそバラエティの同期とかドラマの同期と一緒に企画を書いてずっと出してたの。 うん。 で、それと同時に私洋服が好きだったから、こうアパレルの授業とかの企画書も書いたりとか しながらずっと企画募集に募集し続ける半年間みたいなのがあって、 で、そしたらそれを見てくれていた上司が、 あの、全然別のところでね、こういうベンチャー企業の人と出会ったんだけど、あの、こういう人たちと組むような企画考えてみたらっていう風にヒントをもらってう え、だったら企画書、 アパレルベンチャーと組む企画書を書いてみようと思って、 自分が今まで書いてたアパレルの企画書をブラッシュアップして提出して、 それが採用されたっていうすごい行動力です。い や、でも当時 うん。 私独身だったし、 もうこれからこのコロナ禍 1人でどう生きてくんだろうっていう やっぱり不安というかなんか先の見えない。うん。 いや、26歳から9 歳くらいって本当に然とした不安にさ、 包まれて、このなんか渦の中から一生出られないんじゃないかって思ったりしたよね。 うん。した。で、20 代後半ってこうなんて言うのかな?家庭を持つ子もいればキャリアに埋 どっちの選択もすごく眩しくかっこよく見えるの。 そうね。そうね。 だからなんか劣等感っていうよりは いろんなキャリアが眩しく見えたからこそ多分不安だった。 んだろうなって思う。 なるほどね。確かに 私なんかオリジナリティみたいなところに結構悩んでて 自分に発注をもらった仕事なのに自分らしさとか自分 [音楽] うん の滞在価値とか うん。 そういうところに結構悩んでて うん。 私も昔20代の時に よくも悪くもあなたは透明人間よねって言われたことがある。 あ、ね。私も無職透明ってあみさんに言われた。 それがなんか今思えば褒め言葉だったけど、当時は え、見えないじゃんって思った。 誰からも見えないじゃんって思った。 難しいよね。なんか アナウンサーっていう仕事に限って言うとやっぱりうん。 個性もあるべきだけどやっぱり 1歩引いて うん。 こう一緒にテレビに出る皆さんにスポットライトを当てる役割、クコの役割もできなきゃいけなくてっていうなんかその ギアチェンジっていうか、そのレバーをどこに持っていくかっていうのに すごく悩んだ 20代後半30 代半ばになったらさ、やっぱりアナウンサーの本業というか本質は無職透明であることだなってすごい納得してるんだけど やっぱり20 代の当時ってなんか上いてたじゃない? うん。うん。 だからすごくこうオリジナリティ、自分らしさとか個性みたいな言葉に うん。 押しつされそうになってたな。特にアヌサーって個性的な人すごく多いじゃないですか? [笑い] みんなすごい個性的だから。 うん。 そう。眩しく見えるよね。 そう。 うん。うん。 それでじゃあ企画書を作ってそのベンチャー企業とのえっと新規事業ってことでスタートしたのがアウディール。 うん。そう。 へえ。 その企画書さ、通るまでにどれくらいかかった? 1 番最初あの企画書を書いてもう新規事業部っていうところになんて足を踏み入れたこともなかったんだけど あ、サーだとなかなかいかないよね。 そう。初めて新規事業部の 方にあって、あの、こういう企画書を持ってきましたって言ってお渡ししたの。 でもその企画書を書くまでにももうやるんだったら全力でぶつかってああやりきったと思って失敗しようって思ってたから それこそコンサルのうん 大学同期とか あと営業周りやってる子とかいろんな触手の子に リモートで話聞いて はい赤ペ先生先生してもらって してもらってもう事業計画なんて引いたことないしもうなんなら exelもほとんど使えないみたいな感じだったから そう 子たちにアドバイスをもらいながら企画書を出して うん。 どれぐらいだったかな。でもね、右よあっていん最終的にこの授業計画で行きましょうってなったのは本当 1年ぐらいかかったけど 企画そのものは大体半年ぐらいかな。 [音楽] うん。 でも日本テレビの会長副会長社長に会うっていうのも 入社験以来 本当だね。そうだよね。 うん。で、その3 代表って言われる人たちにプレゼンテーションして、 もちろんニテレの資本で立ち上げるものだから結構ね、 ビシバシ切り込まれた。ここはどうするのかとか、ここはどう考えてるのかとか、今の市場の同向もうちょっと詳しくとかうん。うん。うん。 でもそこまでにある程度準備していってたからこそ うん。 なんかその言ったらフィードバックに傷ついたりとか落ち込むっていうよりは今もらったフィードバックを どうやったら解決できるかなっていう風に うん。 結構モチベーションアップま、エネルギーに変えてどんどん企画書ブラッシュアップしてったって感じだったかな。 うん。 で、何期目ですか?今、 今2022の9月からだからもなく 3 年。そっか。どう立ち上げて大変なこと?壁とかございますか? [音楽] 乗り越えた壁など。 え、壁?壁ばっかりだよね。 ずっとホルダーしてる。 ずっと登り続けて。 いや、私もだけどやっぱりこう新たなことを始めると 基本壁しかないね。うん。ない。 うん。うん。 なんかあの新規授業立ち上げる企画書いてる時からそうだったんだけどやっぱりこう人によってはさ、こうポジティブなことじゃなくてネガティブなことばっかりをやっぱり言われるとか うんうんうん。 あの事業って本当にやる意味あるのみたいなうん。 それって時に愛情だったとは思うんだけど、ガムシラにもがきながら企画書作ってる時にはやっぱり傷つくこともあって、 そんな時に あの高あとね、藤井孝彦さんだったかなんか高い壁 [音楽] うん崩そう崩そうとか登ろう登ろうってずっと思い続けるしかないんだよって うん。素敵なこと。 そしたらいつか崩れる時来るからなんか乗り越えたいとかじゃなくて登ろう登ろうそう壊そうっていうその意欲を大事にしなさいって言ってもらったんだけどなんかそれがすごい背中をしてくれて うん 壁だけど壁ってなんか正面切ってぶつかることもできるんだけどそうするとやっぱ自分も傷つくし怪我を覆うし跳ね返りが大きいけどとにかくその壁とうまく向き合ってどう登れ [音楽] あ、なんか知らないうちに乗り越えられてたみたいな、そういう感覚が大きいかも。 なるほどね。私も壁を壁、壁を壁だと認識するのって事だよね。確かに [音楽] なんかこう一生懸命 [拍手] 登って壁が大体立ち下がる時って余裕ないし一生懸命な時で うん。うん。 なんかそれをこうあんまり引きで見る余裕もないし [音楽] なんか事後に壁を登ったなという重速感と自分につがる自信を うん。 持てればよくって だから大体そうよね。 なんかいっぱいいっぱいになってる時って壁を登ってる可能性が高いって思うとなんかいっぱいいっぱいで苦しいとか不安って こう辛いしネガティブな気持ちになるけど 壁をきっと今一生懸命自分はじっているんであるって思うとちょっと楽になるかな ね。 あとこう自分が仕事に毎すればするほど辛いことっていうのも比例して増えてきたりすると思う。 だからそういう時にうん。 例えば環境を変えるとかマインドセットを変えるみたいな何かを変えたくなった時って うん。 なんかまずいろんな選択肢を自分の前に並べることが大事だなっていうのもすごく感じた。 [音楽] きっとニューミーで転職したいなって思ってる方とか うん。 で、多分その選択肢を見にニューに来てる方も多くるいると思うんだけど私ももちろんうん。 会社員でありながら外に出るっていう選択肢もある中でいろんな選択肢 うん。 車内でどんなことができるかな。逆に会社を出たらどんなことができるかなとか選択肢を並べた時に うん。 これだって言って自分が掴んだのが車内ベンチャーだったから うん。うん。うん。 是非なんか皆さんも外に出る出ない。 例えば変わる変わらないとか含めてとにかくんな選択肢を自分の前に並べてみるのがうん。うん。 なんかその苦しい時、苦しいところから脱却する方法なのかなっていうのを 今20代振り返って思うかな。 本当にそうですよ。今日対談だからちょっとあえて私も うん。 きんちゃんが、ま、あの、会社の中でチャレンジすると決めた。一方、ま、私は会社をやめてみてチャレンジすると決めたっていう ことを遡ると うん。 それこそあの代謝をするくらいの時は結構もうあの夫がま、私ちょっと忙しいタイプの 人間なので夫支えつ、ま、家族支えつ、ま、大好きなラジオの仕事とかちょっとやってこうかなくらいな気持ちでいたのよ。 うん。 そしたらなんか夫に こういやゆりちゃんはね、結構チャレンジしたり、 外の人とこう繋がって何かをゼロから作るとか好きだと思うよみたいなことを、 ま、ある意味葉っぱをかけられ、 え、そうなのみたいになって、私元々現状維持がすごい好きなタイプだったから、 その言葉をちょっと握りしめながら思い切って、ま、代謝をして、 ま、家族を支えながらは変わらないんだけど、ま、よくよく考えてみたら、ま、せっかくま、そうか、あの、会社う を出したっていうことは自分で、ま、好きなこと何でもやっていいんだなって思った時に、ま、ちょっとスモールビジネスとかなんか世の中の仕組みを知るってことに興味があって、 で、あの、ま、見てみようとなって最初こうサナ事業一緒に立ち上げないかっていう誘いがあったりして、ま、それもやってみようと。 うん。 で、気づいたらその私の共あの共代表の原との出会いがあって、ま、 2 人がちょっと目指す女性がもっと自分のキャリアや人生をハンドリングして、あの、自信を持って生きていけたらいいよねっていう世界観にたどり着いて、ま、 そういう世界観2 人とも持ってることに気づいて、 ま、気づいたらホーム局の前にいたみたいな感じで。 え、すごいスピード感。 そう。 だから私はなんか自分でこれをこうしたいからこうでこうって計画を立てられないタイプだからただ目の前に降ってくるチャンスとか目の前に降ってくる縁で、 え、これは自分の感染にすごく、 あ、自分のこう、なんて言うんだ?直角にすごく触れて気になるぞとか、え、こっちに進んだら面白い展がありそうだなって思うことに対する触がすごい伸ばしてて、 それがまさにあったんだよね。この人との出会いとかこういうこと新たなチャレンジとか。 で、それを引き寄せていった結果、今このニ なんかこの女性の何かを変えたいとか起業したいみたいな なんかかっこいい思いは全然なかったん元々。 うん。うん。 ただやっぱり私もきんちゃんと一緒で 40歳、50歳、60 歳になってもこの時代こう何か誰かの役に立ちたいって思いもあった時にじゃ、代謝をしてしまってこのアナウンサーっていう肩書きだったり TBS っていう写メがなくなった今。うん。うん。うん。 これでサステナブルに働くためには自分で何かスキルだったりなんだろう社会で活躍していくための標準装備はないとなと思ってうん。 さっきんちゃんが言ってた触れません。 セラの使い方かりませんていう今、ま、 30 代は本当にたくさん失敗して、たくさんこういろんな人に助けてもらいながら学ぶ 10年にしようと思って、 もう今生耐えない、すり傷耐えないみたいな感じでチャレンジをしている。 チャレンジを自分のチャレンジもさせていただく場でもあり、乳は一方で、ま、ちゃんとビジネスだから、えっと、 1 人でも多くの方の役に立ちたいっていう場でもあるので、こう自分としても実験だし、 それでこうなんて言うんでしょうね。 チームを持ってみんなでこうちょっとうちの会社はまだちっちゃいので肉段性に近い状態なんですけどなんかチャレンジを続けていくっていうことで本当に今やりがいを持ってやってて なんでやっぱり飛び降りるのはめちゃめちゃ怖くて決断に 3年くらいかかったんですけれども うん でも飛び降りてみた後のこう正解にする道はいくらでもあるというか うん きんちゃんもそうだけど初めてみないと分からないことって結構あるじゃないあと やめてみたとか初めてみたとかそのうん 第1 歩踏み出した後の方が応援されやすかったりする。 うん。 なんかしますの宣言よりも 決めました。この一歩踏み出しました。応援してくださいとか協力してくださいの方が うん。 あのすごくなんて言うんだろうな。響いたりするから なんかとりあえず一歩を踏み出すというのは非常に大事な行為だなと思って。う ん。旦那さんに以前お会いした時にね、そのアウディールの事業のこととかを、ま、相談というか話聞いてもらったの。 うん。 で、そしたら、あの、太田さんがサッサーのことをね、とにかく行動力はあるだけど、そんなに自分が行動力をあるって認識してなかったから、 とにかく夫である僕が 君は行動力があるから大丈夫だよって 洗脳だね。 言い続けたら今会社をやめてみて事業を立ち上げてみたらやっぱりたくさんの人が周りにいて応援してくれて一緒に頑張ろうって言ってくれるから その私にね代謝をしろとはもちろんおさんは言わなかったけどその自分の環境をもっとチャレンジングに 自分で踏み出してみるっていうのは うんうん 踏み出してみた先に意外と自分の知らない強みが見えてきたりしますよってその時に言われて うんう さっさはすごいパートナーを見つけたなって思ったの。 でもそうだな。あの時夫に 意外とチャレンジ好きだと思うよって言われなかったら多分 あの死ぬその日までチャレンジ好きかもって気づいてなかったと思う。 うん。うん。 だからそのきんちゃんも多分さ、周りにそのアドバイザーとか助言してくれる人たくさんいると思うけど自分が思い込んでる自分像とうん。 なんか外から見る自分像って大にせずれてるよね。いい意味で。 そうだね。 うん。そ、チェンジを考えてと。 うん。 チェンジしなくても自分のキャリアを見つめてる方 で多分自己分析だけじゃなくて タコ 他の人に自分を分析してもらうと 意外と知らない自分に出会うってことはあると思う。 うん。それは大事だよね。 うん。なんか授業やっててもすごい思う。 こう アナウンサーの仕事。 ま、言ったら自分の軸足の仕事だとすでに仲間がいて、 こう、なんて言うのかな、こういう番組にしていこうとか、視聴者にこういう情報を届けようっていうベクトルが常に同じ方向いてることが多いんだよね。 なぜなら視聴者ファーストっていううん。 ベースとか土台がしっかりあるから。 うん。 でも今事業をやってみるとその土台をあなたはどうやって作りたいですか?どんな土台にしたいですかっていうところから問 こうチームで働いててもみんなで同じベクトル、同じ方向を向くっていうところから スタートするとなるとやっぱり うん。 アナウンサーとは全然働き方が そうだね。 そう違ってそういった時に うん。 こうチームのみんながいや、軍事さんってこういう人ですよとか軍事さんのこういうところあの例えば助けてもらってますとか言ってもらうことで、え、私ってそんな部分あったんだとか うん。 こう、もっと授業良くしていこう、チームを良くしていこうっていう時にみんなでそれぞれ本音で喋り合うと、あ、私知らないウィークポイント 34にしてまだあったんだみたいな 発見もあって はい。はい。はい。うん。うん。 うー。なんか人と働くやっぱり仕事してるとどうしても利益を求めたり徳感情で動きがちな時ってあるけどやっぱり私は人と人で仕事してる。 そうね。うん。 あの、30 代になってすごく大事にしてることかな。 うん。私もね、あの、今の働き方ですごく 1 番大切にしてること何ですかって聞かれたら、 あの、誰と働くかとか、あの、な んだろうな、誰、どなたと向き合うかみたいな、やっぱどんな人と出会えるかみたいな 人っていう部分は1 番価値だなと思う。うん。うん。 うん。 いや、それって出会いたいって思っても出会えるものじゃない。 そうだね。 さっきサッサーが言ってたみたいに目の前に現れたご縁をまず大事にしてみたりチャンスをまずうん。 手を伸ばして掴んでみるっていうその勇気さえあればそれで出会った方とあ、この方とは違ったなとか、 ま、掴んでみないとわかんないことってたくさんあるからまず手を伸ばすってすごく大事だなって。 いや、本当にそうですよ。 あ、私たちさ、前回あったのはまだまだひよっこの社会人 2年目くらいだったけどさ、 あの、かなり力強くなった 生きてるなとお互い 思う ちょっとや、このままビール飲みに行きたいね。本当だね。 この後生放送で そう。この後まだ生放送あるの。 また次回のYouTube チャンネルでお会いしましょう。ありがとうございました。 ありがとうございました。 20 代、30 代のミドルからハイクラスの転職に特化したサービスニュージョブス。 働き買いと自立的かつ柔軟に働ける環境を 兼ね備えたベンチャー企業や コンサルティングファームをご紹介してい ます。もっとスキルや経験を積んで キャリアもライフも自分らしく ハンドリングしていきたい。そんな思いを 持つ方は是非1度ご相談ください。詳しく 知りたい方は概要欄からニュージョブスの ホームページにてスライド資料をご覧 ください。ご相談お待ちしています。 チャンネル登録いいねお待ちしています。 ご視聴ありがとうございました。
ミレニアル世代・ミドル~ハイクラスの女性向け転職サービス‟NewMe Jobs”
キャリア相談はこちらから👉https://newmejobs.jp/contact-person/
\🎙️日テレアナウンサー郡司恭子さん × NewMe笹川友里、同期対談!/
今回は日テレアナウンサー・郡司恭子さんをゲストにお迎えし、笹川友里と同期対談!
アナウンサーとして活躍する傍ら「Audire」を社内起業した郡司さんと、TBSを退社ののちNewMeを立ち上げた笹川が、それぞれのキャリアのターニングポイントについて本音で語り合いました。
新規事業立ち上げの裏側や20代の葛藤、そして他己分析で見えてきた“本当の自分”にも注目です。
変化の時代をどう乗り越え、自分らしく働くか——ヒントが詰まった対談です。
▼トークテーマ
02:29 AudireとNewMeのご縁♡
03:28 きょんちゃんのキャリアを振り返る!
04:29 新規事業「Audire」を立ち上げた経緯
10:20 企画書から立ち上げまでの道のり
12:22 ブランド運営で大変なことは?
16:28 社外に出た笹川の決断までの過程!
21:30 他己分析で見える新たな自分♡
ぜひご覧ください♡
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▶郡司恭子 日本テレビアナウンサー Audireディレクター
1990年生まれ、東京都出身。 2013年、アナウンサーとして日本テレビに入社。 幅広いテレビ番組に出演しながら、新規事業としてアナウンサー発のアパレルブランド『Audire』を立ち上げる。 現在はアナウンサー兼ブランドディレクターとして、ブランドの運営から、デザインまでを手がける。
https://www.instagram.com/kyoko_gunji/?hl=ja
https://www.instagram.com/audire_official/?hl=ja
▶NewMe CCO 笹川 友里 プロフィール
制作ADから人事異動でアナウンサーに。TBSテレビに8年在籍し、独立。現在はラジオ、ファッション誌での活動の他、プロダクト開発や女性専用サウナを共同経営。2023年6月にNewMe株式会社を共同創業。意志ある女性の可能性を広げる転職サービス‟NewMe Jobs”、働く女性のためのメディアNewMe Story、キャリアをテーマにしたイベント等を展開中。
https://www.instagram.com/sasagawayuri/?hl=ja
今後気になるテーマ、お話を聞きたい方などいらっしゃいましたら参考にさせていただきますので是非コメントお願いいたします。
本日はご視聴いただきありがとうございました。また次回の動画でお会いしましょう♡
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6 Comments
本当に素敵なお2人🪞少し下の世代ですがドンピシャで刺さりました。悩める年齢だけど、こんなお二人のようになりたいです😭💓
郡司さんさすがお話の組み立て方がお上手でスッとお話し入ってきました!憧れです♡
笹川さんのトップスどちらのですか?
さっさ~はキョンちゃんと仲良しとは知らなかった。ぱるちゃん(後藤晴菜)元アナと仲良しは知ってましたが。
新卒から11年同じ会社にいて、このままでいいのかと悩んでいる今日この頃なので、すごく勇気をもらいました!
私もまずはいろんな選択肢を並べてみようと思います
いつも女性のキャリアの選択肢の参考になり、対談の会は特に前のめりで視聴させてもらっています。壁にあとから気づく、自分で理解していない強みがあるなどなるほど納得ばかりで、私の中で一番楽しい回でした。笹川さんも郡司さんも素敵なお話ありがとうございます。