梶裕貴、声優/プロデューサーとして抱く40代の展望
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目指すはウォルト・ディズニー、「そよぎフラクタル」で描く未来像
2025年7月16日 12:00
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2024年にデビュー20周年を迎え、今年は40歳の節目の年を迎える梶裕貴。「進撃の巨人」エレン・イェーガー役や「僕のヒーローアカデミア」轟焦凍役など数々の主役を務め、声優界のトップランナーとして非の打ちどころのないキャリアを歩んできたように思えるが、その内面ではさまざまな葛藤があった。
前編のインタビューでは、自ら指揮を執り心血を注ぐキャラクタープロジェクト「そよぎフラクタル」 の話を軸に、そのコンセプトと、そこにかける思いを聞いた。後編では役者・梶裕貴の生き方と苦悩、そして未来について、アニメ評論家・藤津亮太がより深く迫っていく。
取材・文 / 藤津亮太 撮影 / 番正しおり ヘアメイク / 小田切亜衣(emu Inc.) スタイリング / ホカリキュウ
目次
努力の限界を感じ始めた5年前
──前編の冒頭に、2020年前後に梶さんが「絶望」や「限界」という発言をしていたことに触れました。その当時の心境を改めて伺えますか。視聴者サイドからすると、梶さんは順調にキャリアを積み重ねているように見えていたので、かなり驚きました。
1人の若手声優として、とにかく「前へ前へ」という気持ちで、どんな仕事にも全力でぶつかってきました。そうした時期に、物語を通じて成長していくタイプの主人公役を数多く演じさせていただけた経験は、私にとって非常に大きな財産になったと感じています。私自身やりがいを感じていましたし、視聴者の方にとっても、役者自身の成長とキャラクターの成長が重なって見える化学変化を、ある意味、面白く感じてもらえていたのではないかと思います。けれどキャリアを重ねていくと、必然的に演じる役どころも変わってきます。いわゆるライバル役だったり、先輩役だったり。そういった役柄も最高に魅力的なんですが、やはり、主人公タイプとはエネルギーのベクトルが違うわけで、それまでと同じような熱量や充実感をアフレコ現場に求めるのは違うわけです。そして、そういったメンタリティのままでいると、きっとそのうち自分自身も苦しくなっていってしまうだろうと感じて始めていたのが、まず根元にありましたかね。
──キャリアを重ねていくことから生まれるジレンマですね。
かもしれません。同時に、業界の雰囲気や在り方といったものが、少しずつ変わってきているなと感じたのもありましたね。声優も、お芝居以外のものが求められる機会が増えてきたというか。私は本当に声優になりたくて、声優だけを目指し、声優になった人間なんです。子供の頃から、自分が目標としている声優という仕事に全力で努力することが、何より生きがいだと言えるような人間だったので(笑)。今でも趣味らしい趣味はないですしね。だから休みの日に、ただダラダラするだけの時間を過ごしちゃったりすると、もちろんそれはそれで楽しいんですが、同時に「なんてもったいない1日を過ごしてしまったんだろう! やれることは山ほどあっただろうに!」と罪悪感を覚えてしまうぐらいで(笑)。
──それはワーカーホリックどころではないですね。
つまりは、そんな面倒くさい人間性を自覚している分、たとえいいお芝居ができたとしても、それが相手の考える「総合的な価値」を満たしていなければ、今後ますます必要とされる機会は少なくなっていく一方なんだろうな、という真実が見えてきて。漠然とした不安……それ以上に、やるせなさを感じたことを覚えています。2020年頃は、そういうふうに「自分でやれること」「努力できること」に限界があるんじゃないか、ということを痛いほどに感じていた時期だったんですよ。
梶裕貴
──いろんなことが曲がり角に差し掛かっていたんですね。ではそれまでのキャリアを振り返ってみたとき、梶さん自身は、どのあたりに転機があったと感じていますか。
自分としては何か大きな転機があって変わった、という感覚はなくて。覚悟という意味では、結婚はひとつの区切りと言えるかもしれませんが、それでも自分自身は何も変わりませんからね。基本は、それまでと同じようにがむしゃらに、声優業に対してアクセル全開で、という感じです。もちろん、今も。
──そうなんですか。
デビュー直後は、とにかく「仕事をする場が欲しい」という気持ちでアレコレあがいていました。20代後半から30代前半ぐらいまでは、お声がけをいただいたチャンスを生かして、自分の表現、演技をどうやって唯一無二のものにしていくのか、そんなことを考えていましたね。その頃、声以外のお仕事の機会が増えたのも「アフレコとはどう違って、どういう考え方が必要になってくるのか」「共演するほかのフィールドの役者さんにはどんな魅力があるのか」ということを積極的に知ろうとしていたからなんです。そこで学んだことをミックスさせていくことで、自分にしかできない表現が、声優としてできるようになるんじゃないかと考えていたので。
──すべては声優という仕事に還ってくる、と。
まさに。さまざまなジャンルのお仕事に挑戦させていただき、ものすごく勉強になったんですが、同時に、あるいは逆説的に、改めて「自分は本当に声優という職業が好きで、声優に向いているんだろうな」ということを実感した時期でもありました。
──自分の立ち位置を再確認したんですね。
はい。例えば2023年には、舞台「キングダム」に壁(へき)という役で出演させていただきました。何を隠そう、キャストのみんなが私より圧倒的に若いんですよ(笑)。ダブルキャストで壁を演じた有澤樟太郎くんも、まさに10歳下だったりして。しかも、皆さん殺陣やアクションのスペシャリストばかり。けれど、当然ながら稽古が始まれば、周囲の皆さんと同じことを要求されるわけで、もう……死に物狂いでしたね。決して比喩表現でなく(笑)。結果的には、千秋楽まで乗り切れましたし、すごく楽しくもあったんですが、一方で実感したこともあって。やはり殺陣など含めて、身体全体を使ってお芝居をするという作業には、それ相応の積み重ねが大切。さらに言えば、舞台ではフィジカル面が持つアドバンテージも大きいですし、役づくりという側面ではメイクや衣装が担う部分も大きいわけです。そういった、自分自身の力だけでは回避できないハードルを目の当たりにしたことで、改めて「声のみであらゆる垣根を越えられる声優という仕事は、やっぱりすごいんじゃないか」と感じるようになったんです。私はガタイがいいわけでもないし、ものすごく運動神経がいいわけでもありません。けれど、そんな私でも「声の世界」でなら、この世で最強の存在だって演じられるかもしれないんです。年老いてもティーンの役ができるかもしれないし、あるいは性別や生命体としての壁すら超えられるかもしれない。本当に面白い職業ですよね、声優って。だからこそ、その可能性をもっと深く追求していきたいなと感じたんです。
声優の仕事はずっと刺激的
──これは素朴な質問ですが、キャリアを積んでいくと、どんな役でもある程度、求めに応じて演じられるようになり、ちゃんとOKをもらえるようになっていきますよね。そうなったときに、お仕事に刺激を感じなくなったりもするんでしょうか。
それはまったくないですね。当然ですが、誰ひとりとして同じ人生を歩んでいる人間はいませんから。役柄のことだけじゃないです。現場ごとに、演出家も違えば、共演者も違う。そういう意味では、今でも毎回緊張しますね。あと、どれだけ長く続けて演じていても、例えばエレン・イェーガーのように「彼の人生をちゃんと背負えているだろうか?」という不安が重くのしかかることもあります。特に「進撃の巨人」は、海外ファンの方含め、それぞれまったく違う環境下、状況下でご覧になっているわけです。それこそ、歴史も文化も言葉も宗教も。背中を押してもらえたと感じる人もいれば、自分の考え方を責められたと感じる人もいる。どんな役も演じている瞬間は、絶対的にキャラクターとだけ向き合っているんですが、心構えという点では、どう「エレンを表現すること」が彼らに対して失礼にあたらないかを、とてもセンシティブに考えていました。「軽い気持ちで彼を演じてくれるなよ」という、作品愛という名の銃口を喉元に突きつけられているような感覚がありましたね。だからこそ、仕事は毎回新鮮な緊張感と刺激しかありません。
梶裕貴
──いつも新鮮な緊張とともに役に向かい合っているんですね。
私が担当させていただいてきた役って、なぜか不思議と「自由を求める役」が多いんです(笑)。でも実際のところ、私個人としては、ただ自由を与えられるっていうのが苦手で。選択肢の幅が無限大すぎて、何がベストなのかわからなくなってしまうんですよね。だからこそ「声だけで演じる」とか「口パクに合わせて演じる」という制限のある声優業が本当に心地よくて。その制限の中で、自分は役をどう作っていくか、と考えるところに醍醐味や真髄を感じているんです。SNSのXも、今は認証アカウントだと長文が投稿できるようになっていますけれど、私はなぜか意地でも280文字以内に収まるように投稿したくて。俳句や短歌みたいに、あえてそのワード数に収めて表現することの美学を貫き通したい、というか(笑)。でもきっと、そこから伝わるニュアンスや、想像を委ねることで逆に感じ取っていただける部分も確実にあると信じているので。……あ、少しお話がズレちゃいましたね、すみません(笑)。
──いえいえ。そういう仕事への意識があるからこそ、声を扱う「そよぎフラクタル」につながったというのはよくわかります。
はい。私の“声”と“アイデア”から生まれたプロジェクトです。そこに、これまでつながった多くの皆さんとの縁が生かされ、形をなし、風がそよぐように広がっていく。それこそが「そよぎフラクタル」なんです。そういった意味では、40歳という節目だから……という点に、私自身はあまり意味を求めていません。昔も今も自分の本質は変わりませんし、いくつになっても初経験のことは初経験ですし。ただ、まだ地に足の着いていなかった20代で同じことに挑戦していたとしても、当時の自分の器量ではいっぱいいっぱいになって、早い段階でギブアップしていたかもしれませんね。決して声優業を疎かにせず、この「そよぎフラクタル」をプロデュースできている現状は、まさにキャリアと年齢の積み重ねそのもの。すべて自分の選択で、楽しいと思える仕事を作り出せているという点では、常に「今」がベストだと確信しています。
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個人で8000人キャパにチャレンジする「そよぎEXPO」
(c)梶裕貴/そよぎフラクタル
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