「かわいいだけじゃだめですか?」でデビュー直後から大ブレイクを果たし、怒涛の日々を過ごしてきたKAWAII LAB.所属の8人組アイドルグループ CUTIE STREET。2024年8月のデビューステージから、まもなく1年という節目を迎える。
そこでリアルサウンドでは、彼女たちがどんな人生を歩み、CUTIE STREETとしてデビューし、どんな気持ちで1年間を過ごしてきたのか、その現在地を記録するために連続インタビューを企画。Vol.8では、オレンジ担当で最もアイドル活動歴の長いメンバーである川本笑瑠に話を聞いた。
約10年にわたるアイドル活動を経験しているからこそ、一見華やかに見えるその世界のリアルを誰よりも知っている川本。一方で、アイドルの楽しさや素晴らしさを一番知っているのも彼女だ。冷静に現実を見つめながら、“今”に全力を尽くして日々を邁進する現在をその言葉から感じてほしい。(編集部)
直面したアイドルの現実「叶わない夢の方が多いと思う」
――小さい頃、ご家族や友人から、どんな性格だと言われることが多かったですか?
川本笑瑠(以下、川本):寝るときと食べるとき以外は、ずーっとしゃべっている子って言われてました(笑)。
――あははは。子供の頃、何か習い事はされていましたか?
川本:めちゃくちゃやっていました! 空手、そろばん、塾、ピアノ、ゴルフ、水泳、英会話……。本当に毎日、何かしらの習い事がありました。
――全部自分からやりたいって言ったんですか?
川本:全部、家族の意向です(笑)。なんでも経験させたいっていう方針で、私からやりたいって言ったものは基本的になくて。でも、ほんっとうに全部嫌だったんです(笑)。どうやったらやめられるかをずっと考えていて。
――(笑)。それでも全部ちゃんと通っていたんですか?
川本:嫌だったけど、水泳も検定までちゃんと受けたし、空手もやりたくないなりに頑張っていました。唯一、「自分から習いたい!」って言ったのがダンスだったんですけど、物理的にもう習う時間もなかったし、ダンスだけは習わせてもらえなかったんです。
――どうしてダンスを習いたいと思ったんですか?
川本:小さい頃、キッズダンサーがすごく流行っていたんですよ。私の時代だと、(メンバーの)板倉可奈とかモデル兼ダンサーみたいな感じで、それにすごく憧れていて。あと、AKB48さんが大好きだったので、小さい頃からアイドルにすごく興味があって。だから、「ダンス習いたい!」ってずっと思っていました。
――歌よりはダンスの方に惹かれていた?
川本:家族でカラオケに行ったときに、自分の歌が本当に下手すぎて。歌うって選択肢がまずなかったんですよ。小さい頃は、そもそも自分がアイドルになれるなんて思ってなかったんです。オーディションがあるとか知らなくて。アニメの『プリティーリズム』(テレビ東京系)みたいな感じで、アイドルは2次元の存在だと思っていました。選ばれし者だけがなれるっていうか。プリキュアみたいに、ある日突然なれると思っていて。だから、オーディションがあると知って、そこから「ダンス習いたいな」とか、いろいろ思うようになったんです。
――エンタメの世界に関わりたいという気持ちはあったんですか?
川本:興味はめっちゃありました。ただ、将来の夢を聞かれても、特にこれになりたいとかは言ってなかったですね。でも、幼稚園の頃から七夕の短冊には「アイドルになりたい」って毎年書いてました(笑)。それも当時はみんな書いていたから、っていうのもあって。夢というよりは流行っていたから書いていたみたいな感覚もありました。
――そこから実際、一歩踏み込んで、やる側になったきっかけは何だったんでしょう?
川本:小中学生向けの雑誌で、アイドルユニットのオーディションがあったんです。小中学生だけで組むユニットっていう企画で。1回目の募集のときもすごく応募したかったんですけど、どうせなれないだろうなと思って諦めちゃったんですよね。でもその後に2期生の募集があって、「今度は絶対受けたい!」と思って応募して。
――それは何年生のときですか?
川本:小学校6年生のときで、ちょうど中学受験と時期がかぶっていたんです。どうしても諦めきれなくて、お母さんに「オーディション受けたい」って言ったら、「受験が終わったらいいよ」って言ってくれて。それで受験が終わってすぐに応募したら、受かったんです。
――実際に合格したとき、どんな気持ちだったんでしょう。
川本:「え、アイドルになるんだ……?」って(笑)。正直、あまり実感もなくて。今思えば、流れのままに進んでいったような気もします。
――いざ活動を始めてみて、どうでした?
川本:思い描いていた世界とは全然違っていて、びっくりしました。私の中でのアイドル像って、AKB48さんみたいな感じだったんですよ。秋葉原の劇場で、キラキラした衣装を着て、ファンの人がたくさんいて……みたいな。でも、実際始まった活動は、地下のライブハウスで、Tシャツに自前のスカートみたいな衣装で。スカートも何着も自分で買わないといけなくて。メイクも髪型も全部自分でやるし、ファンの方もその当時はあまりいなくて。
――リアルな現実を目の当たりにしたと。
川本:でも、失望とかは全然なかったです。自分の心の中はすごくキラキラしていて、ここから頑張っていけば夢は叶うって根拠なく思っていたので。だから、思っていた世界と違っても、頑張る気持ちは全然変わらなかったです。
――そのときの夢って、どんなものでしたか?
川本:テレビに出られるようなアイドルになりたいと思っていました。当時は武道館がゴールというか、アイドルにとっていちばんの舞台という印象があって、いつか武道館に立ちたいっていうのが夢でしたね。
――CUTIE STREETとして活動するまでの期間を今振り返ってみて、どんな時間だったと思いますか?
川本:アイドル活動を始めてから10年くらい経つんですけど……やばい、泣きそう(涙を流す)。めっちゃ、しんどかったです。どんなに頑張っても報われない感覚があって。頑張っても、何にもならない。どんどん疲れてきて、「アイドル、辞めたいな」って思うこともあったし、実際に1回辞めたこともあって。今はきゅーすと(CUTIE STREETの略称)に入ったことで、あのとき続けていてよかったなとは思えるんですけど、よくアイドルのスピーチで「夢は諦めなければ叶うから、みんなも諦めないで」っていう話を聞くじゃないですか? でも、私は正直そうは思ってなくて。叶わない夢の方が多いと思う。だからこそ諦めちゃう人の気持ちも、すごく分かるんです。どれだけ努力してもテレビに出られないとか、理想のアイドル像にはなれないとか、それが現実なんだなって思い知らされた10年だった気がします。
――それでも諦めずに続けてこられた原動力って、どこにあったんでしょう?
川本:やっぱり、歌って踊ることが本当に大好きなんです。ライブが何よりも好きで。テレビに出られなくても、夢が叶わなくても、小さな場所でも大きな会場でも、ステージに立ってライブしているときだけは本当に楽しくて。ファンの方の存在も大きいです。「ファンのおかげ」って言うと薄っぺらく聞こえるかもしれないけど、13歳くらいのときから応援してくれている人が、ほんの数人だけどいてくれて。私が何回グループを変わっても、ずっとついてきてくれる。そういうのを見ると、すごく嬉しくて、もう少し頑張ってみようかなって思えたんです。
あと、自分の中で「アイドルをやりきれてない」っていう気持ちがあって。完全燃焼できてないなって。だから、このままじゃ終われないっていうのがずっとありました。ありがたいことに13歳から活動していたので、何年経っても「まだいける」って、自分の中で思えてたんですよね(笑)。早くからこの活動をやっていたからこそ、まだやれるって思えたし、これが本当に最後と思って、カワラボ(KAWAII LAB.の略称)のオーディションに応募しました。