m-flo/SOUL’d OUT/double.. プロデュースの極意

リサーに話をしてじゃあちょでも作ってみようかつって上がってきたのがイリソロングだったんですね へえ もうやばいってなって身りしました本当に うんうん
音の真似ご はいこんにちはピアネスト作曲家のえ介です音のマ似音このチャンネルは音楽活動のリアルとビジネスを分かりやすくお伝えしております本日のテーマはアチとビジネスの裏側プロデューサーとマネジメントを生きききしているゲストをお招きしております パーティマーチュ代表取締り役の朝川正さんです はいよろしくお願いします 音の真似 朝川さんといえばM フロやダブルやソロドアウトといった数々のアーティストを出かけられたヒットプロデューサーでいらっしゃいますけども朝川さん自身はアーティストとかを目指してたんですか うん 目指してたかどうかわかんないんですけど中学生ぐらいにバンドを始めましてアーティストになりたいっていうよりもそん時がぼやりとゆ香れ子さんとか大野危険さんとが憧れて音楽評論家ジャーナリストとかっていいなみたいな時代はありましたねバンドずっとやったんですけどデビューしろとかプロになろうっていうのはそんななくて知ってる人は知ってるんだけどスカパラのメンバーの柳中とか沖とかあの辺と一瞬バドでやってたんですよ はいあそうなんですか
そう 中がボーカルで大きいさんボーカだったそうめちゃくちゃいい声してるんであれ僕はベースで青きアドラムでみたいなバンドやってて今度スカやるんだけどどうするわかって言われてでスカあんまよくわかんなかったらちょっと聞いてみたらずっとなんかオクタブ引いてて疲れそうだしどうなんだろうなと思って俺いいやって抜けたら別なバンドやってた川髪が入って スカラになってる あじゃあ元々やっぱり音楽は大好き うんもうドっぷり大好きで中学でバンド始めた時は上から 30番とかだった だけどもうそっから音がまって下から 20位とかなって そう当時全員行けなかったんですよ そうなんですね そうだからもういいかと思って僕は早稲田大学まで行けてないというか行ってないというか俺は音楽の道行くんだみたいな感じになって掃出身っていう形になってなるほど そっからその音楽業界に入るなんかきっかけってどんな はい とはいえ音楽業会って言っても何をやっていいかわかんないしレコード会社とかも興味あったし音楽の雑誌の記事変えたりも興味あったしとりあえず高校もう卒業になっちゃってどうしようってなった時に音楽業につてがなかったんですね [音楽] そん時別流行ったのがデザイナーズブランドですよね 超流行ってましたね 流行ってましたねそれのアルバイトを探してもう本当にちっちゃい倉庫みたいなとこで色々もうパッと出したりはなんなんかとかやってて地味な仕事なんですけど東京コレクション 時のファッション賞に先輩に誘ってもらって全部見に行ってたんですよそん時に賞の選挙を選挙の桑原さんとかがやり始めてたまにそのステージの DJ がいたりとか打ち上げが大体クラブだったんですよね でクラブを知ってDJ ってかっこいいなって興味を持ち始めて そっからDJ の世界に入ってくうんでもその頃の DJってまだディスコ文化が うんうんうんあって ちょうどねディスコ文化に対してアテでクラブができ始めた時なんです西ブにトールズバーとかピカソとかロック系で言うとライズバーとか音楽をかっこよくかけるような 店びやかなマハラジャに対抗してとかもちろんディスコ系の曲好きなんですけど音楽を選曲するみたいなかっこいいなみたいな ていうことにちょっと憧れてこっちの道ですかね まずはじゃあバンドマンからま DJにねDJを一生懸命やってたんですか そうですねどこでやったかって言うとビリアードが当時ハスラ 2 の頃ではいその洋服系のバイトの帰りに両国に車で帰った時にかっこいいネオンがある店を見つけてビリア 1台だあるバーなんですよね でそこに溜まってビリヤードを始めたんですよ うん 今度高区のミスナに倉庫を改造したでっかいブルールバ作るからそこでお前働かないみたいな感じで誘いがあってプールバもいいなと思ってその代わりテクニクスとミキサーと入れてくれ それ自分が回すために やりたいためにそれが条件みたいなったら俺やりますよってバーに DJブース入れてもらったんですよ うんうん
そこからもうDJ として大成功してったんですか いやDJはね自分の店でDJ やって週末にクラブパーティーみたいなやってたんですよ はい高でそういうとこなかったんでみんな結構若い子たも来た あその店流行ったんですか 割と流行ったんですよその当時来てたのがリップスライムのメンバーとかが行ってました AMみたいなうん
そのお店はじゃあ雇われ はいはいそれで雇店長であなんだけどプロデューサーがんですねそのプロデューサーがサーフショップやったんだけどオープン木前にいなくなっちゃったんですよ残されたのが倉庫会社のおじいちゃんたちと僕みたいな その資金源がなくなっちゃったんでしょね 資金は総会社なんですオーナーで間に入ってプロデュースチームというかプロデューサーがいなくなっちゃったはいで週末にパーティーもやってそミはビリアドブームだったんでまあまあ流行ってそのうちに芝浦にすごいクラブができるらしいぞって噂が流れて後ールドができるんですよねそん時に色々 DJとしては新宿2 丁目のブギーボイ店とかそれこそピカソに友達が DJ やったんでちょっとやらしてもらったりなんだけど本格的にやっぱゴールドができて遊びに行くようなって僕が DGやってる 感していかわかんないけど 1日全部6時間自分でやるみたいな 途中ね警察来ましたみたいな音してくださいつってパッた明るくなって音止まって 15 分ぐらいするとケスかりましたつってパッと消えた瞬間に太陽にホイのテーマかけたり あと喧嘩が起きるんですよに そうするとわざとロッキーのテーマかけたりそういうのがまた盛り上がってでそれが楽しくなっちゃってでそんなこんなでちょうどマドンナの防具が流行ってた時期にゴールの全盛紀でボーギングが流行るんですよねそん時僕らは DJ から友達集めて打ち込みるやついたんでハウスとかボーギングに会いそうな曲とか作ろうよって作ってたんですを 結構いいのが南曲できてボのはダサ入れようぜってなってゴールドで踊ってたダンスチームみたいなのがいてそいつらを誘ってライブの証数がやったりしたんですねそん時につけたがモアディープっていう名前で モアディープ そうなんですそれが後にデビューしましたねソニーのディレクターは当時やっぱりゴールドとかでチェックしてんですよね うん ある時声かけられて彼らがかっこいいからデビューソニみたいな音作ったの僕らだから僕らがデビューできると思って僕ら [音楽] 7人組なんですけどたフロントの3 人だけでいいんだよね別に音は作るんだったらそれは作るでいいしだけどやっぱりアーティストは少ない方がいいみたいなね 7 人組なんてスカパラじゃないんだからみたいなねそれこそん時にソニーが個人と契約できないからどっかのプロダクションに入るか会社作るなりなんなりじゃないと契約できないって言われてどっかのプロダクションって言ってもないんですよそんな音楽をやってるプロダクションが で今後ソみさん
うん がゴールドのもうね遊びにメルだったんでソミちゃんに相談したんですよソニーにこう言われちゃったからスクール入れてくれませんかみたいなそ何言ってんの?ジバカそんないいちゃん会社作りゃいいじゃんつって後押しされて作ったのが今のアティマしっていう [音楽] そういう理由で作ったんです そうでそみちゃんに本当に何年か前にそれ言ったけどそんなの言ったっけ?あっやいやあれがなけではアティマズじゃないですよみたいな結構ね面白い話あるんですけどね じゃあモアディープのために作に作ったプロダクションなんですはい その時にそのプールバーはどうしたんですか デビューするまでの間に 1 年ぐらいあったんでその間にまちょっと事情話してやめますっていうかだいぶねもうビリアヤード部分も限りを見せてちょっとブリアヤードやめようかみたいな話もあったんでじゃそのタイミングでやめたんですよね うんじゃあアーティマを作って本当は自分がこうアーティストとして デビューするつもりだったけどもうなんかねでもね裏方の方が面白いなぐらいと思いましたよね もうその時から 裏方と言いながら彼らのマネージメントするために作った アーティなんだけど彼らの音をプロデュースする立場でもあったんで社長権プロデューサー ていうような1人薬みたいな役割で なるほどなるほど だからそのプロデュースワークなのかマネージメントなのかってそっからもう始まってたかもしれないですねとアーティストを出かけるようになるんですけど その後どう繋がってったんですか うん 結構苦労しながらでもその時の人脈っていうか一緒にベスエニットで音を作ってた木村孝志っていうの 彼とその後にジュリアナヒットって Apexで仕掛けてたけど 話を聞いたら海外からライセンスしてバカ高いライセンス量で 意外とあのCD あんな売れてるけど自分た権利持ってないから儲かんないんだよみたいな話を聞いてでジュリアナに行こうっつったらその木村孝志はテクノっぽいのを作ったんで 行ったらこういうのさ簡単にできるよね う 務え出んじゃないみたい感で そんのを持っていくわけですよ 年間何局できるんだつって月 2局作って20 局ぐらいできますかねつって現盤とかどうすんだ?現盤券はいいですよ譲りますよでもそん時はまだ現盤券の大切さってよくわかんなくてその代わりさ欲しいと 1局いくらできるの?じゃあ24 局いくらだつうからちょっと復っかけようぜつって 1局100 万ですかね言ったらえそんな安く作れんのみたいな もっと行っときゃよかったみたいな話なんですけどだからでもそれで 2400万の契約が成り立って それが最初大きい本当にヒットというか契約でうんなるほどね はいモアディープでコーラスやってた黒人の後に GTS のボーカルにもなるメロディセクストンに ちょっと歌ってもらったボーカル曲とかも入れてそれはパンピンって曲ででそこで ABEX初めての契約ができたんですよ ていうところのルーツで言うとその人からデビューしたはいるんだけど で後に木村が自分のアイデアを持ってて TRF がわっと売れてじゃそれのもうちょっとテクノ版とそのユニットと別でポップスのユニットを同時に自分はプロデュースしたいって言って ムーブっていう後にインシャルリードムーブそしてフェイバリットブルーっていうまポップスユニットを作レビューっていうプロデューサーは木村孝志ていう同じみたいなのが実はそのフェイバリットブルーがうちの中で初めてのオリコンう [音楽] 取ったんですよ たまたまその週にジャニーズもの発売がなくて ていうところが90年代967年ですね うん でその間にちょっとハウスが通クラブで流行ってたんで僕はメロディ使って GTS ってユニットを作りていうのをなんとなくやりながら Mフローに出会うっていう ところに繋がってるんですよね うんなるほどそのGTS を始めたっていうのはどういった理由からだったんですか?う ん単純に言うとレブマンっていうニット J テクノ作ってモアディープの曲なんかも作ってた 村でレブマンヒットさせたんだけど今やっぱりハウスがまた来ててロバタフラッグかなカバーしてヒットしたじゃないですかました 元々はロバートの曲ってバラードっぽい感じのゆっくりした曲をアーランド B ヒップホップにしたじゃあさっていうことでソウルのバラードの名曲を売店にしたら四通になるじゃんて それなんかやってみようよって話で僕が好きだったスールザハイアうんうん をハウスとリズムの頭の中乗っけてみた これ行けんなてメロディセクストにこれ歌ってくれでデモを作ったん もうほぼほぼ完全に近いデモでこれやばくないって話なってじゃあまあとりあえず 1 局だけアナログリースしてモアリーブで全国比べ回ってたんでそこにプロモバ配ってみようよって言ったらみんなかっこいいすってかけてくれて [音楽] あれよあれよという間にヒットして当時そのジリアナヒットで付き合いができたに俺今全国でヒットし始めてて聞かしたらこれもうアルバム出しまし [音楽] [音楽] がか からデューみたいな感じになるほどじゃあもうマネージメントと自分の活動と プロデュースと酸味みたいな感じ そうですねでもそれがやっぱ Mフロに繋がるんですよねGTS で作ってたハウスの数々の中にやっぱり R&B っぽいのもいいよねって言ってこれを GTS やろうかなって思ってまフジズみたいなユニットを日本で作ったら売れんじゃないかと思って でそれをが当時このボーカルトラックいじってみないつって渡したら彼があげてきたトラックにたまたま帰告してたバーバルのラップが入ったんですそれは Mフの決のきっかけになってんですよね 最初はじゃあ高橋たくさんとやっはいそうですそうです タしでやってタはタで別なボーカルのことをなんとなくこうユニットみたいになったんだけど彼のトラックなんか拙いトラックなんだけどすげえグループ感あるなこいつと思ってで彼にその外人が歌ったザウエ Uアのボーカルトラックを託したんですよ うん したらそれが上がってきた時にできましたよつってできてきたものを聞いたら鳥肌立ちましたよね ああ
Mフローの第1 作ってリサが歌ってないんですよね そうなんですね
はい セービルフリーズっていう僕らが使ったボーカル黒人が歌ったザウェイウィアーをインディリしてるんですよね うんうん
リサさんはどっから リサはその後にバーのラップ素晴らしいだけどバーはボソン住んでる 日本にまだ いなかった彼はボソン大学の大学院とか行っててこれラップは趣味っていうか楽しくてやってるだけで別に仕事にしようと思ってませんそ思考ではなかった 全然なかったんですよそれを僕は感動したんで彼を口くわけですよ学校やめろ やらないけど学して向こうに住んでてもいいからタイミングタイミングで戻ってくるみたいなで防で絶対入れた方がいいよねという時にが後輩で 1 人いいのがいるんですよつってヒカルちゃんって言うんですけどつって歌田ヒカルなんですねんだけど彼女がもうキでデビューするっていう話は僕業界で知ってたんですよ全 くそれ藤の娘だよね彼女もうね決まってんだって もうだってその頃田ヒぐらいですよね うん だと思いますよでその話をしてえマジっすか?ちょっと人足遅かったですねみたいな話でじゃもう 1 人いるんですって同期なんだけどでそれがリサで うん でリサは僕ねなんかイベントと知ってたんですね彼女すでにそのでデビューしたりしたんですよあリサいいんじゃない?声いいしって話でじゃあリサとアバルこう帰ってくる時にも取ってみようよってでリサに話をしてじゃあちょモ作ってみようかつって上がってきたのがリソロングだったんですね へえへえ もうやばいってなって身りしました本当に うんうんじゃそのデモを AP持ってたんです
持って これがねまた面白いんだけど松田さんに持ってったんですね松田さんは GTS とかもすごい評価してくれたんで松さんいいですか?つって時間くださいって聞いてもらってお前がいいって言うんだからいいんだろうけど俺はさヒップホップとかアランドは興味ないってわかんないんだよねと あ だからそんなねわかんないやつがよしやろうとかこれ絶対いけるっていうのもおかしいじゃんと 車内でそれを得意なやつを探してそいつがやりたいってんだったらいいんじゃないみたいなたまたま僕 Gテストして毎年前に行ったんですね WにそこにJ の人を連れてくっていうにたまたま担当だった現役員の関君 がまだJ 部担当だったと一緒になって車内でさと R& アンドビ好きな探せって言われてんの誰かさ知らないとかって言ったらマジすか僕ジョとかディアンジェルとか大好きなんですよみたいな話でえマジでその場ででも聞かしたら絶対僕にやらしくださいって Jウaveブ の仕掛けみたいなのが始まるんですよね なるほど確かにその当時のJ ウブがねおしゃれな M曲っていうま打ち出し方をしていて そのカラーに見事に Mフローのカラーがバチっとはまった感が そうなんですよね当時秀島ふさんがね番組やってて踏かずチョイスみたいなコーナーがあって 帯びでやったんですよねうん そのコーナーで1 週間かけてくれて毎日かかるために問い合わせがもう殺して問い合わせが [音楽] 1位になったみたいになって 最初本当覚えてプレスがね 300枚うんうん
で300 枚はなんかちょっと吐けてじゃもう 1回プレスしようつって500枚プラス そっからJ がかかり出してかかるたびに渋谷の HMVとあれと全部リになっちゃって どんどんどんどん追加追加で 全部で1万前までった たんですインディバがそれでもう 1 万行った時にもう止めようとこっからメジャにしようっていう 話でまセブするなんですね なるほどま
そこから進撃劇が続く わけですけども1 番最初の大ヒットは何だったんですか 最初に今出したシングルが カップリング入れたんですねうん それがポッEPって4局入りのEP 自体がシングルって出し方ってどうなんだろうねって話があって EP1 版たいなのってかっこよくないみたいなその 4 局入ったもの自体がちょっとヒットしてうん うん
その後がファイク meなっていう3
枚目のシングルか
が TDKのタイアップがついて当時 TDKのCMってアーティストも出て 音楽がメインでメディアもいっぱい TDK出したんで音楽を大事にした CMだったようん それがばっちりはまってでとこから話が来るようになったっていうのはありましたねそっからのまテスモの CM の書き下ろしが玉げっていうそこに繋がってブレイクっていうとこですね うん まそんなそのヒットユニットを見した後様々なパターとか はいはいはいはいはい
集まって まあそうですね まやっぱり当時はそういうクラブミュージックだったりホップ ていうのなかったんでも持ってきてくれたソールアウトとかダブル はお姉さなくなっちゃって大変な時期に環境を整えたいっつって話をもらったりとかあと劣結びつけることができたのかなってなりますよねうんうんそれはやっぱりその R& アムーブメントみたいなところをま見据えてそういうアーティストをたくさん出そうと思ったんですが うん それを見据えてっていうよりもやっぱり Mフローの流れっていうのは1 つありますよね あの時代は音楽でオリコンチャートのに入るてなかなかなかったんでクラブミュージックのテストを取り入れた ポップスみたいな 決してコアにはならないようにだけど媚局にするのもやめようみたいなそこに反応してくれたアーティストとかっていうのも結構いたんじゃないかなと思うんですよねうんうん 朝さん的にそのプロデュースワークとかマネージメントっていうところで意識してるっていうポイントってありますか 僕らダンスミュージックって 1つ楽しいものっていうのとあとは DJ 出身っていうのあるんで常にやっぱりこうそこに来てるお客さんたちが何をいいと思って体動かしてくれるかっていう部分をずっと気にしながら DJやってきたんで反応を見て受けちゃう 答えられるような音楽って言うんですかね うん ていうものを作っていきたいっていうこだわりはあるかもしれないですね それって結構今の時代に通ずるものがあるというか デジタルの時代になっていろんなものを出すコストが安くなったじゃないですか広告もそうですけどテストマーケティングっての割とこう簡単にするっていうかアーティストもこれ 1 回出してみて当たりそうだったら次みたいな うんうん で当たらなかったらこれやめてみたいな マーケットを見ながらあなるほどね てくっていうのも昔からたっていう まあ確かにでもこんなことやってみたら面白いんじゃないと受けんじゃないっていうような M なんか本当にそういう部分を色々考えながらやってましたね要は飽きさせないっていうかこんなことやれちゃうのとか何この企画とかまある意味は M フロってそういう実験的なことも結構色々であったと思うんですよね うんうんそういう意味ではそのGTS の活動だったりとか焼き鳥のね 回というのを やられてますけどもそういった多学的ないろんなイベントの仕掛けだったりっていうのが プロデュースワークの各にあるようになっ そうですね
見えますけどもね はい焼き鳥は単純にすごい好きだったっていうねライブ終わって美味しいもの食べて語り合えるのが焼き鳥屋しかなかったっていうか当時ね 焼き鳥屋さんの天手とか料理人ってアーティストだと思ってんですよ はいで焼き鳥は僕あれ DJブースにしか見えないんですね焼き大 なるほど そうしかもね焼き鳥屋さんってなぜかねミュージックラバーというかすげえ詳しい人多いんですよ あそうなんです 俺よりソル詳しい焼き鳥の店主とか 結構いるんですよ 料理の世界と音楽の世界ってやっぱりちょっとこう似てるもんがあるんじゃないですかね うん今後その朝ろんな仕掛けをされると思うんですけどもどんな未来というか はいそれこそね今のリスナーの方興味あると思うんですけど時代変わってきて 僕はプロダクションとか そう 観点でやってきてますけどレコードメーカーとかプロダクションとかなくてもどんどん音楽を発表できるような時代じゃないですか ただやっぱりレコード会社とかプロダクションとかっていうのはプロフェッショナルであるんで プロフェッショナルに人たちの力を借りることもすごくプラスだと思うし自分たちで発信してやりながらそういう人たちと手を組むみたいなことっていうのは大事だと思うんですよね うん
だから僕はやっぱり35 年ぐらいこう仕事やってきてまプロダクション立場プロデュース自分でもプレイヤーとしてやってる GTSって来年30 周年なんですよデビュー久々にアルバム出そうかなと思ってるんだけどなかなかプロダクション社長が ABかCD まで出してるようなあんまなかったりするからそういうノーハが意味であるんですね うん だからなんかこれからて僕はそういうミュンだったりアーツだったり自分たで代にやっていく流れの中でそこのお手伝いみたいなことを僕が持ってるノーハウだったり経験値っていうのをうまくこうねそういう人たちと一緒に共有できるような やり方っていうのも索していきたいなって思ってますね はい
うん これをご覧になった皆様是非朝方さんに出会っていただいて 自分の才能をさらにね10倍20 倍に進化させるっていうことも検討していただければと 思っております
音の真似ご 本日のゲストはアーティマージ代表取島そしてハウスユニット GTS のメンバーでもございます朝川正さんをお迎えたしましたありがとうございました ありがとうございました 音の真似ではセルフプロデュースそして独立を目指すアーティストに様々なノーハウをお伝えしております是非チャンネル登録の方お願いいたしますそれではまたさよなら ありがとうございました
ました [音楽]

🎥 今回のテーマ:「アーティストプロデュースの極意」 についてです。
数々のヒットアーティストを生み出したアーティマージュ代表取締役、浅川真次さんをお迎えして、アーティストマネジメント、プロデュースを手掛けるようになったきっかけからその手法まで語っていただきました。

浅川さんのプロデュースにご興味がある方は
アーティマージュへ。
http://www.artimage.co.jp/

【ゲスト】
浅川真次(あさかわまさじ)
株式会社アーティマージュ代表取締役
1992年会社設立。m-floをはじめ、DOUBLE、SOUL’d OUT、lecca、CREAMなどのマネージメント&音楽制作を始める。
1995年ハウスユニットGTSを結成し、avexよりデビュー。
現在までに19枚のアルバムを発表。
日本音楽制作者連盟副理事長及び
日本ダンスミュージック連盟理事長としても活躍している。

🧠 このチャンネル「オトのマネごと=音のMONEYごと」では、
音楽で生きていきたいアーティストやクリエイターのために
・収益化のヒント
・マーケティング術
・セルフプロデュースのコツ
などを毎週水曜18時に配信しています!

🎯 こんな方におすすめ:
・音楽で生活したい
・楽曲の収益を最大化したい
・YouTubeやSNSを活用したい
・プロとして生きる道を模索中

📩 ご相談・プロデュースコーチング依頼はこちらから
概要欄からのメールもしくは
▶ https://www.turtlemusic.jp/

📱 SNSも更新中!
TikTok▶ https://www.tiktok.com/@otonomoneygoto

#mflo #souldout #double  #音楽マネジメント #プロデューサー
#アーティスト収益化 #セルフプロデュース #オトのマネごと
#音楽業界 #ビジネス #マーケティング
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まずはこちらの動画をご覧ください。
🎥【音楽マーケティング】99%が知らない!? 音楽をお金にするたった一つの法則

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
語り手:エイスケ(ピアニスト・作曲家)
株式会社タートルミュージック代表取締役
NPO法人ドネーションミュージック代表理事

慶應大学経済学部に在籍中19歳でピアニストとしてデビュー。
同年BBクイーンズに参加。レコード大賞受賞、紅白出場。

12枚のソロアルバムを発表する傍ら、数々の楽曲をアーティストに提供。
ZARD「遠い日のnostalgia」(ベストアルバム収録ファン投票10位)
郷ひろみ「君が泣ける場所になる」(シングル)BBクイーンズ「LOVE素敵な僕ら」(はじめてのおつかい挿入歌)
椎名へきる「LOVE GRADUATION」(シングル)ほか多数。

大学卒業後、株式会社電通に就職、PRプランナーとしてNTT、ドコモ、大塚製薬、ANA、KDDI、エアバス、日清食品、キヤノンなど様々なクライアントを担当。
2008年退社後、株式会社タートルミュージックを設立、アジア各国のCM音楽を200プロジェクト以上手掛けるほか、バイオリニスト石川綾子を発掘。無名の存在からトップバイオリニスト(YouTubeフォロワー43万人、bilibili28万人)に育てる。

自身もSNSを立ち上げ、1年間でInstagram(9.7万人)、TikTok(13.3万人)フォロワーを圧倒的に増やし、国際的にファンを獲得、昨年ベラルーシ総合チャート58位(インストは1位)を記録。

タートルミュージック
https://www.turtlemusic.jp/

Eisuke Mochizuki(望月衛介)
Instagram
https://www.instagram.com/eisukemochizuki/
TikTok

@eisukem

Write A Comment