【三大一神教の基礎知識】キリスト教学が専門・山本芳久東大教授/ユダヤ教 キリスト教 イスラム教の違いと共通点/3つの聖典に登場する「イエス」と「アブラハム」【Human Insight】
クロスデグをご覧の皆さんこんにちは本日 のヒューマンとテーマはビジネスパーソン 必収3大一心教ユダヤ教キリスト教 イスラム教このつがりと違いについてです 本日は東京大学院総合文化研究家の 教授山本先生にお越しいいただきました 山本先生よろしくお願いいたします よろしくお願いします ですしご専問は哲学とキリスト教学と倫理学ということであのこのご本がですね発売されたばかりの 3 大一心教の繋がりを読むという本これがなかなかその国際的なま仕事ビジネスをするにあたっては絶対にこういうもの基礎を知っておかなきゃいけないと思いつもやっぱり日本人にとっては馴染みが薄いところがあります こう知らないままなんとなくこう偏見とまでかないですけど偏ったイメージをこれらの宗教について持ってしまってるなっていう感じがありますがどう思いますか そうですねやっぱりこの日本は多神教的な風で非常に観葉だけども一心教はお互いになんかこの意み合っていて不敢用なんだみたいなまそういう現説は非常にしてると思うんですね [音楽] 的国際社会では必ず通しないのだと思いますのでまそういう意味でこのなかなかこのキリスト教だけの本とかユダヤ教だけの本イスラム教だけの本っていうのはあってもこの 1人の著者がこの3 つを同時に語るってはなかなかないと思いますのであのそういう 3 つの一心教の関係みたいなものにご関心ある方には是非手に取っていただければと思ってます はい本日は三大一心教ユダヤ教キリスト教 イスラム教その繋がりと違い教皇 フランシスコの宗教官対話の試みそして キリスト教にそんなに詳しくない明るく ないという人が知っておくべきNGな 振る舞いとはあるのかということについて 伺いたいと思います まずこのご本を読んで私がびっくりしたのはユダヤ教キリスト教イスラム教って意外と繋がりが深いというか非常に繋がりが深いということに驚きました そうですねまユダヤ教の点は旧約聖書 でキリスト教はその旧約聖書を丸ごと政点として受け入れた上で新約聖書という政点を付け加えているなのでまず政点のレベルで非常に共通しているわけですね [音楽] でイスラムになるとはクルアン乱うんですがまこれはあのなのでこの旧約聖書や新約聖書をイスラム教はこの政点としては認めていないんですがでもクルハンにはですねとかですねアブラハムとかですね旧約聖書新薬聖書に出てくるのとかなり重なる人物が出てくるまそういう意味で非常にこの大きな共通性がある 3 つの宗教と言えるかなと思いますうんうん その亡くなった教皇フランシスコも非常にそのま宗教官対話というか色々な他の宗教の指導者とも対応話されてきたということですけれども改めてじゃあこの 3 つの宗教どういう風な違いと繋がりがあるのかということを学ぶ必要があるタイミングなのかなという風に感じておりますはい そうです でまず旧約聖書というのはこれは簡単に言うと内容としてはどんなもんなんですか まそうですね このわゆる創世紀っていうま世界の想像神 が世界全体をお作りになったっていう物語 から始まってでこのアブラハムムっていう 人がまずこの創世紀出てくるわけですね でアブラハムというのはこのまある時神の呼び声を聞いてえそれでこの自分の住み慣れた場所この共に住んでいた人を離れて 1 人この旅っていくまそういう物語なんですね [音楽] でこれは何かこの既り方にこの埋没して満足するのではなくて何かこの新しいこの人生へと旅立っていくっていうこの姿っていうのはこの一心教 3 つに共通するこの原点となる人物をなんですね でまた旧約聖書の中に多くあるのは予言所と いうまエレミアとかエゼキエルとかイザヤとか様々な予言者っていうのがま予言者って聞くと我々はなんかこの未来を言い当てる人みたいなまそういうイメージがあると思うんですがむしろ神の言葉を預かる人預かるっていう状況ですね ああ余金のよってことです そうですねあ 神の言葉を預かって人々に語る人っていうそういう予言者のっていうのがあってこれはなんか予言者ってのは基本的になんか警告者 なんですねなんか神の道からそれえそんなことをやっていると滅びるぞとかまそういうこの人々のこの警告をするだから結構たがられたりするわけなんですよね でこの予言者っていうのが実はこのイスラム教でもハンマドマホメットっていうのは最後の予言者なんだと いう位置づけになるんですねで後乱っていうのはムハンマドがあこのま 語ってるけどもそれは神がムハンマドを通して語っているんだと 予言者ムハンマドが通路となってま神が語っているんだとまそういう設定えなんですね ですのでもうこの予言者っていう概念は旧約聖書ユダヤ教からキリスト教イスラム教をこのつなぐま根本的な このま概念というか現象というかなんですねそういう風にこの非常にその共通点が多い はいものなんですね新約聖書は旧約聖書 に基づいてるというかそういう解釈であってますか そうですね ま新約聖書ってはもうこのイエスキリストについて語る文章なんですがこま新約聖書を書いたこのキリスト教徒たちはイエスキリストが突然現れたという風には思わなかったわけなんですねていうか元々ユダヤ教ではいつかこの救い主メシアが現れるとまそういう体望があったわけですねでこのあの十字架につけられて亡くなったイエスこそそのメシアだったんだと おい主だったんだとその十字架にけられはですねっていうのは力強いなんか異教とローマ帝国の支配から我々を解放してくれるそういう力強いメシアだと思っていたんだけどもいやそうじゃなかったんだとイエスキリストはそれとは違う意味でえ弱い人々弱い 1人1 人我々とこれからも共に復活して共にいてくださるそういう意味での メシアだったんだ 弟は目覚めていくわけなんですその時に はい旧約聖書の様々な言葉を手がかりに するんです例えば居酒屋書っていう 旧約聖書の予言所の1つに 美よ乙女が見って緑を生むその名をインマヌエルというっていうま説があるんですねで見ておらんと乙女が 見って緑を産むと はいこれはまさに聖母 乙女のままに子供を産んだ聖母じゃないかと でインマヌエルって何かって言うとですねインマってのは共にっていう意味まヘブライ語でぬってのが我々で Lっていうのは神 意なんですなので神我らと共にありっていう意味なんですなので神が我々と共にくださるということを対するような方が乙女から生まれる [音楽] まさにこのイエスのことだったじゃないかというような仕方でえその旧約聖書の中にそのイエスキリストのま政党性の根拠っていうかこういう仕方であらかじめなんかさらりとイザヤ書を読むだけでは読み過ごしてしまうかもしれない [音楽] こういう1 節の中に実は予告されていたんだというような仕方でえこの神の人類に対するまあの働きかけが記されている旧約聖書の中に今我々の時代に起こったこのイエスキリストの出来事がすでに予告されていたんだみたいな仕方で繋がりを見出していくわけですね 旧書と新薬書っていうのをなんか照らし合わしながら読んでいくというのかまそういう感じなってるですうんはい本当に密接に関係している ただその中ではもちろん違うところもあるんだと思うんですがやはりこの晴点というもので言うと非常に繋がりが深いというかもうあのお互いに参照し合ってるような感じもあるというかまクラは最後にっていうことですけれどもいう解釈であってますか そうですねそれとこの [音楽] アブラハムヘシェルっていうですね20 世紀を代表するはい ユダヤ教の哲学者がいるんですがそのヘシェルがですね 人間を探しめる神っていう本を書いていてこれとても面白いと思うんですが普通我々はなんかこの宗教っていうのは人間が何か心の安定とかを求めて神みたいなものをま追い求めていくっていうそういうイメージを抱きがちだと思うんですがヘシェルはそうじゃないんだと この聖書の [音楽] 宗教を特にまへシェルユダヤ人なんで聖書って言えば旧約聖書のことを考えてるわけですが旧約聖書においてはまず神が人間を探しめてくるんだと先ほどのアブラハムの話ですよね アブラハムがいやちょっとなんかもうあの住み慣れた土地ちょっとなかなかもう飽きてきたんでなんかそろそろどっか連れ出してくれませんかみたいなこと言ったわけではなくてあるし唐突に神の側が働きかけてきてまそれになんかま非常に心の奥での強い促しですよねそれに促されるような仕方でアブラハムが出発していくまそういう物語なんですよね でまそういう仕方でこの旧約聖書っていうのは神がこの歴史全体を導いていて人間に語りかけてくる それに対して人間が応答していくまそういうこの世界が語られて いくそれがあった上で新約聖書ではこのイエスキリストこれはあの神が人になった存在だっていう風に結局キリスト教では考えるわけですね そういう仕方で全く思いがけないような仕方で神がこの人となって上から教えを解くだけではなくてえ我々と共に歩み共に様々な苦しみもを共にして弱い人々と連帯してこの世界を生きてえくださったとそういう仕方で神が働きかけてきたじゃあそれを受けて我々もそういう仕方で人々と関わり直してみようじゃないかっていうまそういう世界が描かれていくわけですね ハマのある唐突になんか何かが現れムハマドがその不思議な言葉を語る人になっていくわけですねなんで非常にその現象としてえこの [音楽] ま繋がりがあるっていうんですかね非常に近い 3 つのものだなっていう風に言うことができるわけです うんはいそして先ほど少しお話に出ました けれども重要人物というのがそれぞれに 登場してくる共通する人物たちがいると いうことでアブラハムはまずユダヤ教に とってもキリスト教にとってもイスラム教 にとっても非常に重要な方ですよねそう ですね あのまアブラハムともユダヤ教においてはまイスラエルの初代のま俗張と いうような言い方がされたりま実際この決縁上の装としてこのアブラハムが重視されたりするでまたこのやっぱりこの神に対する信仰を生きるっていうのがどういうことなのかっていうことをこのこのままざまざと見せてくれるまそういう物語の登場人物ですよね [音楽] えでこのまキリスト教においてもアブラハムっていうのこの信仰の模範として扱われているこれまこの新薬聖書の中で歌手で出てくるんですが大きいのは はいアブラハムとこの妻のサいのがうん 非常に高霊だったんですねでそこにこの神がこので子供がいなかった うん でもそのあなたの子供子孫の数はまこの星の数のようになるだろうみたい みたいな言葉をこの神からこの与えられてアブラハムはそれを信じたそれがその神はそれをこの義と認められたっていう 1節がこの 旧約聖書この創世紀の中に出てくるんですねそれは何か困難な状況の中でもう何かこの打開する法策がない もうあのダめだというような状況の中でも絶望せずに信じてこの歩み続けていく姿のモデルとしてやっぱりこのキリスト教ではこの扱われているんですね うんはい またイスラム教ではイスラム教のこのままを読むとですねハンマドが新しい教えを自分は時に来たぞっていう言い方をするよりはむしろイブラヒームのイブラヒームってこのアラビア語でアブラハムのことなんですねあ あはい このイブラヒームの原点に帰れと何かこの純粋な一心教をその神にひたすら従っていくそういうイブラヒムの精神に立ち戻れっていうことをこの繰り返し言うんですねなのでこの 3 つの一心教全てにとって原点になる人物という風に言えるかなと思います これ純粋な疑問としてこのアブラハムがこれだけどの宗教においてもあの重要な人物というか重要な役割になっているっていうのはまずでもそもそもは旧約聖書に出てくるところから始まってるってことなんですよ そういうことですねああ でそこでその後その新約聖書があってっていうその繋がりの中であのずっとこう重要な人物として描かれ続けているってことなんですか まそういうことですねま描かれ続けてると言っても良いですしまこのイスラム教の立場から言えば 後乱に書かれてる1節1 節はもう神の言葉なわけですね神がムハマドを通して語っただからこれは別になんかこの受け継がれてきたとかですね はい えこのなんかそういうことではなくてハンマに神が直接ったものだとまこれが一応このイスラム教の立場としてはそういう風になってるということですね うんはい そしてもこれはびっくりしたんですけれども教においてはイエスキリストというのは十字架にかけられて殺されたのではなくてそう見えただけだという考え そうですねこれ面白い話で あのイスラム教でイエスっていうのは5 代予言者の1人 ていう風に続けられているまこのムハンマドの前にもいろんなかなり多数の予言者神からのメッセージを伝えに来たものがいるんだけどもその中でも代表的な 5人の1 人になってるんですねででもこのイスラム教ではイエスっていうのはあくまでも 1 人の人間だという風に考えるわけですでこれモハンマドも 1人の人間なわけです 別にその神のメッセージを伝えるからと言ってこの真的ななんか存在ではないわけえそこがイスラム教非常に徹底してるわけなんです他方を まキリスト教は まキリスト教実はですねイエスが何者だったのかということに関して数百年にわって議論をま共議論争と呼ばれる議論を繰り広げていったまあのその話少しだけすると ま大きく分けてま2つの問があるんですね イエスは神だったんですか?ていう問とイエスは人間だったんですか?ていう問ですねでそれぞれの問にこのイエスのこの 2 通り答えることができてなのでこの論理的にこの 2×2で4 通りのま回答があるわけでもっと実際には多様なんですがまあ 4つにま大きく分ければ4 つってことなんですねその時にどうなるかっていうと神であって人間でない うん 人間であって神でない神でも人間でもない 神であり人間でもあるってまその4 通りがまあるわけですね でまこのまどれだけすごくてもなんか奇跡っぽいことやってもま人間でしょっていうこれがまこの人間であって神でないですよねいやあれはもう人間はないと復活もしたしあのもう神であって人間ではないと [音楽] まこれもまある程度分かるで 神でもなく人間でもないってのはいわばまあの両方合わさったような第 3の存在っていうことですよね これもわかんないことはないでも実は政党的な教えとしてえこの認められ現代に至るまで受け継がれているのは神であり人間でもあるっていうえどういうことですかってま今これ以上は言いませんがまそういう立場なんですね神であり人間でもあるっていう風にあの考える これが政党的なキリスト教の教えということになるんですがとにかくキリスト教では単なる人間ではなくて神でもあるって考えるそのキリスト教はイエスは十字架上で非常な苦しみを受けえこの悲惨な最後を遂げたっていう風に えこの考えるわけですね [音楽] 他方をいやま神のメッセージを受けたからと言って単なる人間だよとやっぱりこの別に人間なんだよっていう風に考える教の方がいいやそんな十字架上で悲惨な最後を遂げるなんていうことがその神の特別なこのメッセージを預かるような人にあるわけないとあの死んだように見えただけで何か奇跡的な仕方で救い出されたんだとキリスト教徒はそれを分かってないんだというような見方をしているっていうのは面白いです でまたこの点とても重要なことでこの3 つの一心教が近いっていうのは近いから仲中仲良くできるはずですよねっていうことには必ずしもならないわけです大げさんに言えば仏教の人にとってまイエスが何者だろうがま神であり人間であるとかなんであろうが別にまあいいよと でもイスラム教のキリスト教の人にとってはこのイエスが単なる人間なのか あそう単なる人間だけではないのかっていうのは非常に大きな違いですよねそこで非常に あの論争が激ヒートアップする可能性があるわけで近いからこそ この争いも起きるということあるわけですよね ああそう つまりその両方にとっても重要な存在であるからこそその解釈の仕方っていうかその受け止め方があのそれぞれのもう本当に宗教のエッセンスの部分で変わってくる まそういうことですね それにこ一てま一教と言い方も実はこれ結構新しい言い方で昔から一教って言ってたんでしょうって思うかもしれませんが例えば私が 1 番の専門としている13 世紀のキリスト教の進学者であるトマスアクイナスの中には一心教なんていう言い方は出てこないんです一教まこの近代になってから宗教学とかで使われるようになって結構新しい 言葉なんですね でイスラム教というのはまそういう一心教的なことを非常に強調する うん教え なんですね神以外に神はないという言い方をするんですがそうするとイエスがなんか神だとかキリスト教は言ってるけどもそれとんでもないことだと要するにその神以外のものを神としないと いうのが根本的な教えなわけですね イエスってだって地上に現れた人間でしょとあれを神扱いするのはある種の偶像崇拝偶像崇数崇拝ってのは神ならざるものを神とすることなんです偶像崇拝だろうっていうことにまなるわけなんでそうするとキリスト教いやキリスト教としたいやそれ全然あのイエスを認めるっていうのは偶像崇拝杯とは違う話なんだっていうとかもうなかなかそれは噛み合わないわけですよね [音楽] そうですよね本当に根本の部分ってことなんですね キリスト教とユダヤ教で言うとそのイエスの存在はどういう風な まこの結局 あのユダヤ教の中からイエスの弟子たちってのはみんなユダヤ教徒だった わけですねその中からキリスト教を認める人たちがあこの少しずつこの別の宗教になっていったということで逆に言えばこのイエスを あもっとちょっとあのなんていうか基本的なことから話します 実はイエスキリストっていうのは山田郎みたいな名前生命じゃないわけなんですねあのえあのキリストっていうのはメシアっていうこのヘブライ語のギリシャ語役に基づいてる スクイヌ主世主メシアって意味なんです なのでイエスキリストっていうのはあのイエスがなんかファーストネームでキリストがファミリーネームとかそういうものではなくてイエスはキリストであるとイエスは救い主であるとイエスこそ対望されていたメシアであるっていうそうある種の信仰告白を含んだまそういう言い方なんですねなのでま信仰持たない人がイエスについて語る場合にはなんかナザレのイエスとかなんかキリストって言い方を避けてま使うこともあるまそういう言い方なんですえそうなんです なのでユダヤ当時のユダヤ教というかま旧約聖書にして生きている人たちの中でイエスをその対望されてるメシアと見なさなかった人たちはつまりイエスをキリストと認めなかった人たちはユダヤ教のままにとまった わけですね なので先ほどこの旧約聖書新約聖書後乱っていうま政点のなんか自系列っていうかみたいなものをこのご説明しましたがこれは あのつまりユダヤ教は旧約聖書までしか認めないつまり新約聖主はイエスを認めないでキリスト教は新約聖書までしか認めない その後乱を神のまというか神から与えられ た文書とは認めないとそういう仕方で後 から生まれてくる宗教が認めることをその 前の宗教は認めないキリスト教は新約聖書 で打ち止めということでユダヤ教旧約聖書 で 打ち止めなのでイエスのことは 積極的に認めることをしないということ ですねあキリストではないとまそういう ことですねでエスであるとああ それだけでもだいぶこう確信的な違いっていうことなんですねうんうん でそのお互いのじゃことをどう見ているのかま本当にそういうエッセンスの分は違うっていうことはよくわかりましたがカトリック協会から見た 2 つの宗教についての宣言というのがご本の中にありました でこれはその今のカトリック協会のその視線というか視点というものにま直結しているっていう風な認識であってますか そういうことですね [音楽] なのでなんかあの教皇フランシスコが非常にえこの宗教化の対話に熱心だったみたいなま言い方がされることがあってまそれも間違いではないんですけど実はですねえこのまキリスト教以外の初集宗教に対するま教会の態度についての宣言っていうのは 1960 年代に開かれた第2 バチカン公開会議というま公開会議の文書の 1つなんですねでこの第2 会議っていうのは現代に至るカトリック協会の基本的な方針を定めたものなんですなのであのもうその時点でこのイスラム教とかユダヤ教についてかなり積極的なことが言われているというなんか教庫フランシスコ突然言い出したとかではなくて基本的に第 2 バチ官会議の流れの中にあるんですねうん でこの第2 の文章の中ではやっぱりこのイスラム教についてアブラハムを重視しているていうま共通点あるしイエスについてもその神とは認めないにしても予言者として敬まっているって言ったりあと聖母マリアも飛んでいるというような言い方をしていてこれは実はですねキリスト教の中でもプロテスタントっていうのはあんまり聖母マリアのこと言わないですね カトリック協会行くと必ずこのマリア像とかあるうなカトリックの学校とか行くとマリア様の前でまず手を合わせてみたいなそれはプロテスタントにはないわけなのである意味教のある主の教りもイスラム教に共通点があるというようなことを認めてるとも言えるわけですよね なのでもちろんこのイエスを神とは認めないっていうのはま相当ま決定的な違いとなるとしてもすごいこの連続性を見い出そうとしてるわけですね またユダヤ教についても やっぱりこのアブラハムっていうま原点の共通点ですよね またこの神の民っていう言い方これも旧約聖書以来神の民とかイスラエルの民っていう言い方でキリスト教徒っていうのは新しい神の民だっていうような言い方をするユダヤ教があって初めてそのもうそれを受け継ぐような仕方でもういわばもう兄弟のような宗教としてキリスト教があるんだっていうそれは改めて確認してるということですね うんうんだ キリスト教的なが側からの視点まあくまで伺っているわけですけれどもそれで言うと意外とそういうその繋がりの点についてはもう認めるというような動きも公式的にはあると そういうことですね いやむしろこのこれが今あのカトリック教会の 1 番あの軸となる立場なのでもそれがもうそういう開かれたものになってるということですね うんはい そのイスラム教でですとかユダヤ教側からっていうところで言うとどうですか そうですねそれはやっぱりこの うんまそれもろんな立場がありますよねまその中でもやっぱりこのイスラム教であればやっぱイエスに神的な性格を認めるっていうのは非常に難しいことですよねでもでこの後乱自体の中にうん キリスト教のわゆるこの三味一体論と呼ばれるものに対する批判みたいなものが 述べられていたりもするんですねただ後乱見るとまキリスト教の 3 体っていうのは父とこと精霊っていう3 つの威嚇と呼ばれるものが一なる神の中にあるっていうまそういう教えなんですがコーナー見るとですねあの神とイエスとマリアっていう風に なってるんですはい [音楽] あの反映していない ところがある正確に反映しない上でまそれを批判してるみたいなところがあるわけですねでも現代においてイスラム教の専門家とキリスト教の専門家が集まって議論する時にはまキリスト教は後乱に書いてあるとは違う仕方で 3みたいについて考えてるんですよね 解すとそれだけでも非常に大きな一歩になるわけですよね ユダヤ教からはどうですか まユダヤ教もやっぱりこのキリイエスキリストというのをこのメシアと認めてしまったらもうキリスト教になってしまうわけですからそこはやっぱ決定的なあこの違いにとまるわけですよね でも結構イエスを1 人の宗教者として1 人のこのまラビとしてえこの優れた人物としてこの認めることができるというようなことをこの述べたりするユダヤ教のこの新学者はいたりするわけですねそういう仕方でまなんて言うんですかね可能な範囲でえこの違いを確認したり接点を見い出していこうとしたりとかまそういう試みはい行われてます うん そしてあの亡くなった教皇フランシスコはま様々な他の宗教の指導者のとの対話もされていたということですけれどもあの 2021 年に歴代教で初めてイラクを訪れたと でその時にシア派の最高権である方と怪談をしたということですけれどもまこのような動きというのはカトリックの歴史上そのローマ教皇の歴史上で言うとどれぐらいの大きな出来事なんですか ままずこのあの教皇フランシスコがですねイスラム世界をこの訪れたあとれくのアラビア半島はもう初めて訪れた教皇としてわけですね というのはあこのフランシスコっていう名前をこの教皇が選んだこととも深い繋がりがあってえこのまアシジのフランシスコってこの 13 世紀の星人ですけどもま自然界との強制というのを非常に大切にした [音楽] それで教皇フランシスコが出した最初の重要な公式文章これま環境問題に関するものだったってそこと繋がっていくんですがそれだけでなくてこのシジのフランシスコってまある種なんて言うんですかね破天候な人でえこのこのイスラム世界を訪れスルタンとこの対話するみたいなまそういうことをましちゃうま人とかできた人なんですね あ当時 そうですね教皇フランシスカやはりそれに習う それで実際このイスラム世界をこれはこのキリスト教皇が訪れるのをこのためらっていたとかいうだけではなくてイスラム世界の側としてそういうキリスト教の代表者を受け入れることのこの抵抗というのもあったわけですよねそれをきちんと調整した上で実現するっていうそれやっぱり非常に実践的な行動力のある方だったなと思いますね うん そしてユダヤ教に関してはあの反ダヤ主義に対しての懸念というのはもう長く示されていてただその一方でガザの紛争に関してはイスラエルのテロ行為だというような避難をしていたと いう中で非常にま難しい立場ではあったと思うんですが ただやっぱりあくまでそのま反や的なものとそういう紛争に対する責任だとかそういうところはある程度切り分けて考えていったという認識でよろしいんでしょうか そうですね結局このガザの問題に対する コミットメントと反ユダヤ主義に対する このダメだっていう風に言うていうことは 両方とも弱い ものに対するその共鳴という点ではこの 一貫してるわけですね それからこの教皇フランシスコ教皇になる前にアルゼンチ人でこのユダヤ教のかなり行為の人とすごく仲良くなっても出してこれ日本語でも読めるはずですがあのいるんですねですので元々ユダヤ教に対する非常にこのシンパシー持ってる人だったと言えるかなと思います その正しく理解をしていたというか そうですねはいうん で教皇はあの毎晩ガザの信者たちに紛争が始まってから電話をかけていたという話もありましたけれども そうですね 亡くなる直前にも復活祭のメッセージでそのガの紛争については触れてらっしゃいましたが [音楽] うん やはりこれはもあくまでその本当に苦しんでる人々の全てのその苦しみに寄り添うという姿勢なんですね そうですねまさにこのイスラエルとパレスチナの全ての人々の苦しみに寄り添うぐうと まそこやっぱりそれがこのまキリスト教というもののこの原点なんだと いうことをですねこのイエスとはどういう方であったのかといえばこの社会の終焉に追いやられている人々と連帯する当時人としてこの嫌がらこの女とかま調税人っていうまローマ帝国にのこの税の下受けみたいなまそういう人たちですよね [音楽] そういう人たと一緒に食事をすると一緒に食事をするっていうのはあのま今でもそうですけど特に古代においた非常な親しさの 表現なんですねなのでそういう罪人たちとなんで食事をするんだとかってま避難される場面がま新約聖書に多々出てくるわけですがそのやっぱイエスの姿です イエスの教えの中からどこを クローズアップして持ってくるかっていう ことで相当いろんなキリスト教の理解の 仕方があるわけですが教皇フランシスコの 場合にはその足のフランシスコにも習い つつ貧しい人弱い人苦しむ人に寄り添って え立つそういう人たちがもう自分たちは もう見捨せられた存在なんだという風に 思うのではなくて自分たちにも手を差 べてくれる人たちがいるんだと そのことを通じてこの人間の温かさまたこの人間の温かさの背後にある神の慈しみとそういうものにこの人々をこの目覚めさせるまそういうことにこの力点を置いていたという風に言えるんじゃないかなと思いますうん あの先生のご本の中で宗教官対話の3 つの累計というのがあったと思うんですがこの配多主義包括主義他多元主義とでこの中で言うとその多他多元主義ってこう逆に自分たちのアイデンティティ的なものをちょっとぼやかしてしまうというようなお話も少し乗ってたかと思うんですがこのアイデンティティの濃い部分を捨てずにしかし配多的ではなく対話する っていうような姿勢が教皇フランシスコのものだったんでしょうか そうですねまそういう風に言っても良いかと思いますねこれあの 3 つの累計についてあのも少し説明しますかねまあの はい これまあの宗教官タイヤということが問題になる時にあのしばしば出てくる 3 つの累計というのがあって実はこれ気をつけなきゃいけないのはこの 3 つの累計自体が主にこの多元主義の立場から打ち出されているということで ま多主義包括主義他多元主義って言うんですがあのま自分のことをや自分は多主義者だってま普通あんまり人は言わないわけですよね 他主義の人から見てなんかこの自分の宗教の絶対的な心理性を主張するような人たちはまあの人たちは多的だよねとまうわけですね [音楽] でも包括主義に関してはちょっと微妙ですがこれもあの必ずしも褒め言葉ではなくてあま彼は放主義だみたいな言い方がまあの避難の意味批判の意味を込めて言われることもある立場なんですがま包括主義ってどういうものかあのすぐには分からないと思いますのでちょっと説明するとまここには他の宗教の相対的な価値を認めると書いてありますがあの例えばこれじゃフォーカス主義っていうのは 20世紀を代表 するカトリックの新学者にカールラーナーという人がいて先ほどの第 2 バチカ公開議費のこにも非常に大きな影響を与えたあの人物なんですがこの人がフォーカス主義の代表者の 1人で あの無名のキリスト者っていう概念があって無名って名前がないということですね このキリスト教のことを知らないで生き たりキリスト教の信仰を持たないで生きて も両親に基づいてえこのきちんと生きたあ 人そういう人はあこのある意味キリスト者 とキリストという名前を名乗っていなくて もキリストとある意味みなすことができて えこの神によるこの救いに分け預かること ができるんだというようなまそういうこの 教えですね それはこれがだからあの現代のカトリック協会にかなり大きな影響を与えているあのなので他の宗教をなんか一眼に否定したりとかまあまりしないわけなんですけどこれをどう評価するかってのは非常に微妙なところがあって 非常に観葉になったとあの他の宗教の人とかもまた無宗教の人とかも含めてこの認めるんだっていう風に肯定的に受け止めるのか そうではなくてうんうん い仏教都の人から見ればえはい 自分自分キリスト教徒なんですか?無名のキリスト者とか言われてもいいやちょ困りますよっていうかちょっとほっといてくださいっていうかなんかよりお切 [音楽] になったっていう風にもまいえないことはなくてなのでそれも非常に難しいわけですねある種のなんか開かれた立場を打ち出そうとすることがまた新たななんかあの反発を産んだりとかまそういうこともあるわけなんですけどでもこれ包括主義ってのとてもあの重要な立場の 1つだと思います で他主義っていうのはまジョンヒックっていう人が神は多くの名前を持つっていうような本日本語にも出ていてえ代表者なんですがもうなんかこの 世界の究極的な実際とかそういう言い方をするんですがそれが様々な姿で現れた このキリスト教においてはイエスとしてえユダヤ教においてはまヤウェってまこの神の名前ですねとしてでこのイスラム教においてはアンラーとしてえでこのなんか仏教においてはブッタとしてとかでどれか 1 つだけがあの唯一優れてるとかいうのではなくて様々な道をたってえその究極的な心理にみんなが至ることができる でその宗教っていうのはなんか自己中心的に生きるんじゃなくて自分を相対化して はいうん 生きるそういう生き方をなんかあの述べるそういったで非常に共通なんだみたいなこれま非常に分かりやすいし [音楽] ある種この日本なんかでもま賛同する人が結構いたりするんですが うん でもこのジョンヒックって人は元々キリスト教の進学者 だったんです なのでイエスを神と認めるような立場だったのをどんどんキリスト教化していってまイエスが神だってのはまなんか単なる勇的な言い方だっていうかま結局まイエスってのはまあ 1 人の人間なんだみたいな話になるわけですよねそうするとキリスト教の立場から見るとえそれはもうキリスト教じゃないでしょっていうことになるし私本にも書きましたがなんかちょっと [音楽] あの違う人とあって あの対話してみます イスラムの人私のとこにやってきてちょっと色聞きたいんですと言ってきたに私がなんかなんか追求される前になんか先定を打ってですねイエスがあの神であるかとかそれはどうでもまいいじゃないですかと まあの臨人愛っていうかまみんな仲良くしましょうっていうそこがイエスの教えのも中心だと思いますよみたいな風に うん 言ったら相手の人は満足するどころかいやなんでイエスを神と認めることができるのかそこを非常に詳しく聞きたかったのにそんななんかすぐに妥協されちゃったらあのつまんないよっていうことになるわけですよねなのでそうではなくてそれぞれの人が自分のアイデンティ他の人がすぐには認めることができないイエスは神だとかそういう濃いい部分ですよね 点を見つけていくっていうんですかねそういうやり方の方がずっとこの生産的じゃないかなとで教皇フランシスコがやろうとしたのもそういうことではないかなと思います はい確かにその繋がりと違いと言うとなん かこう繋がりがいいことで違いが悪いこと という風に考えてしまいがちですけれども そうではなくてその繋がりがあるところは 繋がりがあるし違うところは違うんだと アイデンティなんだということをお互い に尊重し合うことが1つ本当の対話という かになりうる まもちろんそれ難しいことではあるんだと思いますが現実社会では [音楽] うんうんあとま ま神という言葉で呼ばれてる何者かがもしも本当に存在するんだとすればそれも現的に人間をはかに超えた存在と考えざるを得ないわけですねもしなんか誰かが来ていや自分はもう神のこと何でも知ってますと何でも聞いてください答えますからみたいな人がいたとしたらその人は神についてものすごく詳しい人であるどころかむしろ神のことを何も分かっていない人と言わざるを得ないうん [音楽] 神について語る場合には自分はやっぱり神のことをほとんど何もわからないんだっていうそういう謙虚さですよねそれがこの他の違う考えの人と対話する時にとり分けえ重要になるであの教皇フランシスコという人はやはりそういう意味での謙虚さというのを非常に持ち合わせていた人だなという風に思います はい あのキリスト教のことについてそんなに知らなかったりする人もいると思うんですけどそういう人がそのキリスト教を信じている人に対して振る舞う内容としてちょっとこれはやめた方がいいんじゃないかっていうのはありますか そうですねいや私もなんかあのもっと若い時とかにですね なんかあのどういう置き手があるのとかなんかええ何なんかしちゃいけないなんかこと色々あるんでしょみたいな こととかあの聞かれたりするわけですよいや起き手ってんだろうな うんあのむしろキストのこの旧書にはなんかこういう食べ物食べちゃいけないとかこういうなんか服を着いないとかままさにその置き手みたいなものがあるわけなんですよねでもむしろそういうものはもう全て基本的にとっ払われたんだと食べちゃいけないとか来ちゃいけないものはなくてもうイエスキリストに従って生きていくかいなかともうそこなんだとだからあの活礼とかそういうのもやらないわけですね [音楽] あ 意味のみたいなはとったそういう教えなのでまユダヤ教とかこのイスラム教とか教とかそれはまなんか食べちゃいけないものとかまそういうものがあったりとかまタブってんですかねえまそういうものに気をつけたりする必要があると思いますがキリスト教は基本的にえそういうことになんか相手がキリスト教徒だからなんかとかっていう風にま神経室になるべき場面はあまりないんじゃないかな [音楽] あそれを聞くと少しこうコミュニケーションとして取りやすくなるというかこうはい そうですねねえ あの先ほどおっしゃっていったようなそのこれは例えばそのなんか宗教を信じていない人でも同じことだと思うんですね そのアイデンティティの濃い部分自分の違う信念の部分人とは違う信念の部分を妥協するんではなくてもうお互い違うことを尊重し合わないとそもそもコミュニケーションできないと思うのでそういうところでその深い部分とそれから浅い部分両方伺えたのはすごく勉強になりました [音楽] [音楽] はいそうですね やっぱ人間関係でもとんがってる部分をなんか隠さなきゃいけないような人ではなくてそれをこの出してお互いになんか違う仕方でとんがってるものをこの受け入れ合っていけるのが本当にこの親しくしていくっていうことですよね うんはいはい先生本日本当にありがとうございました 皆さん是非チャンネル登録高評価そしてコメント欄に感想をお寄せくださいちょっと違う意見があるという人もね是非コメント欄に書いていただくとより勉強になるかなと思いますありがとうございました ありがとうございましたさん
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番組「Human Insight」。
今回のテーマは「三大一神教のつながりと違い」です。
00:00 番組スタート
01:58 三大一神教のつながり
11:22 3つの宗教で原点となる人物「アブラハム」
14:48 イエス・キリストと3大一神教
15:53 イエスは神か人間か
18:08 近いからこそ争いも起きうる
21:02 イエスはキリストなのか
22:49 お互いをどうみているのか
28:23 歴代教皇として初めてアラビア半島を訪問
31:33 キリスト教の原点 人々の苦しみに寄り添う
33:33 宗教間対話 3つの類型
41:13 NGなふるまいは?
キリスト教学が専門で東京大学の山本芳久教授をお迎えし、三大一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)のつながりと違いについて解説します。
ビジネスパーソンが国際社会で活躍するために必須の宗教的知識を、わかりやすく学べる内容です。
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『キリスト教の核心をよむ』
山本芳久
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『三大一神教のつながりをよむ』
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『危機の神学 「無関心というパンデミック」を超えて』
若松英輔 山本芳久
文藝春秋
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『回勅 ラウダート・シ』
教皇フランシスコ
https://www.vatican.va/content/dam/francesco/pdf/encyclicals/documents/papa-francesco_20150524_enciclica-laudato-si_ja.pdf
◆出演◆
▼山本芳久
東京大学大学院総合文化研究科教授。
1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。千葉大学文学部准教授、アメリカ・カトリック大学客員研究員などを経て、現職。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。
▼篠原 梨菜
東京大学法学部→TBSアナウンサー
朝の情報番組THE TIME, 早朝グルメ生中継、ニュースや選挙特番配信、駅伝/競馬実況などを担当。TBS CROSS DIG with Bloomberg MC。
読書、サウナ、競馬が好きで岸本佐知子さんと河合隼雄さんのファン。
自分が取り残されていると感じる人に寄り添うすみっコぐらしのようなアナウンサーを目指します。
X(旧ツイッター):@shinorinatbs
note:https://note.com/shinohararina
◆収録日◆
2025年4月28日
▼TBS CROSS DIG with Bloomberg
https://newsdig.tbs.co.jp/list/withbloomberg
