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いつみても波瀾万丈 乙武洋匡

[音楽] 30年前東京で1人の男の子が産声をあげ たその小さな男の子には生まれながらにし て両手と両足がなかった今週のお客様は音 さん です先天切断というた の頃から様々な難に面するも逃げること なくに チャレンジスタジオでは中学時代の得意技 を [音楽] 披露5体不満足を出版すると580部に 達する大ベストセラーいきなり人気者に なっ たこが本は地獄のみを味わってい のにず悩まされて苦しかったんですよね そして再び新しい挑戦この春世間をあわ せる転職をし [音楽] たその決断に秘められた思いとは上から 受けた音を下の世代に返してかなきゃいけ ないんじゃないかって思ったらいてもだっ てもえられなくなってしまって は続けてきたパワーの源に迫ります おはようございますおはようござござい ますごます580万答すごいこ言ったら もう出たそうそう言のはなんですけどうん 入ったでしょう入ったんでしょうねき ねさあその音たさんが4月に新しい旅立ち をするここで今日はずっとお話を聞か なきゃいけませんねし素晴らしいお入り くださいどうぞ はい はい どどうもよろしくお願いします願いします ようこそお越しくださいましたこんにちは こんにちはこんちは旅立ちて何ですか実は あの4月から小学校教師として働くことに なりましたえ先生ですかはい都内の公立小 学校で何をしてるわけあの小学校なんで全 全強かわ先生という職業を選ばれたの一体 どういうところからそのお気持ちが育って きたんでしょうかお早速伺ってまいり ましょうどうぞこちらからお越しください この番組はご覧のスポンサーの提供でお 送りし [音楽] ます昭和51年4月東京江戸川区葛西満会 の桜に祝福され音健二子夫妻の元に初めて の子供が誕生ひたと名付け られる先天性死士切断生まれつき手と足が 極端に短い広田この子は一生寝たきりかも しれない親はそう覚悟したというがは 子供 成長昭和55年世区の幼稚園に入園それを きに一家はに今を移し た園初日動車椅子に乗って現れた広たに 子供たちは興味 心身僕の姿を見つけるとみはあのよう にがってきた [音楽] そんな時僕はママのお腹の中にいたに病気 になってそれで僕の手と足ができなかった んだと説明していたすると子供たちは ふーんと納得すぐに遊び友達になったそれ が子供の世界元気でしっかり者のひたは 子供たちのリーダーとなるのであっ たは他の子供たちと同じように教育を受け させようと思ったがどこの小学校も 受け入れてはくれないだが最初から諦めて いた公立の小学校が入学を認めたので あるこうして昭和58年晴れて世田谷区立 洋画小学校へ入学ただしいくつかの条件が あっ たまずのには必ず保護者が付き添う ことそして保護者は何かがあった時のため に授業中や休み時間にも廊下で待機して いる こと母よし子がこの務を果たしてくれ た一方学校側は広たのために大きな机を 用意物が転がり落ちないよう枠が取り付け られた特品であった 小学校でも持ち前の目立ちたがりや質で 一躍人気者となる広田だところがある日 担任教師から衝撃的な指示を言い渡される それが車椅子禁止令一見過酷にも見える 担任の 考えしかしそれは広たへの深い愛情による ものであった車椅子に頼らずらの力で 長にしっかりと筋肉をけしく育っていく だ運動会でも京層に出場みんなの半分の 距離ではあったが見事に走り抜け大性を 浴びるまた山森の遠足ではクラスメートが 力を合わせ広たを サポートついに山頂までりったのであっ たそして年になっ 師はにワを渡しこう言ったこれを使って クラスのために仕事をしないかひは掃除の 作業はみんなと同じようにはできないなら ば別の仕事で補えばいいそれが先生の考え だった先生の手書きの原稿を見栄えのいい プリントに作成するのがの仕事となった そして両親多くの人に見守られ充実した時 を過ごす広たであっ たお生まれになった時にはいお母様におに かかった会われたのが1ヶ月ぐらい後だっ たっていう風に聞いておりますがそれどう してだったあのまお医者さんと父が相談を してま産んだ直後のね弱ってる時にま自分 が産んだ子供に両手足しがないっていう ことがショックでぱしてしまってはいけ ないというようなことで違う理由でま ちょっと今はちょっと会えないんだよと いうようなことにしておいて体が落ち着い てからその事実を伝えた方がいいんでは ないかということでま1ヶ月後になった みたいですね初めておさんを見た時の お母さんはどうだったんですかあの本当に 周りは必ずまびっくりしたりちん うかいいっていう風に言ってくれたらしい んですよね第一戦がそうだったうんそれが すごくあの脳天気な母を現わしてるなと 思うんですけれどもま普通であればねこの 子の未来はどうなるんだろうっていうのが 最初に来るんだと思うんですけれどもそう いったことを全部かっ飛ばして可いいって いう風に言ってくれたみたいですね お父様はどういうお父様だったんですか逆 に父はすごく あの穏やかな人で建築家だったんです けれどもえ本当すごく自分の仕事が好きで え家族が好きでというようなうん人間で 本当に僕も大好きですねうんうんお父様は お母様はやはりそれなりの覚悟をなさった んじゃないですかそうですねあの父も母も この子はもう一生ベッドの上で寝たりで うん人生を過ごすことになるのかもしれ ないと最初は覚悟したみたいですねうんで 小学校の低学年の頃ですか車椅使うなって 言われたのははいそうなんですよもう本当 1年生入っ てやっぱり僕があの本当にやんちゃ坊主で みんながこう僕に興味を示すものですから 得意があって乗り回してたらしいんですよ ねこれはいけないとも思ったらしくて社内 はもちろんえま皇帝に出るえうん とかお尻を引きずるようにしても全部自分 の足で移動しなさいとむっちゃいいよなと かいうあれはなかったでもやっぱり子供の 頃って先生が言うことって絶対なので あんまり反抗するとかっていう思いは なかったですねああでもやっぱりあの冬 なんかですと本当に地べたに座っている ような感覚ですからあの冷たさが恥に 伝わってしまうんですよねだからそれを見 てあの他のクラスの先生なんはうん さすがに冬だけは車椅子に乗せてあげたら どうですかなんてことを言ってくださった そうなんですけれどもそれでもあの先生は 癌として聞き入れずにああ今だけ彼をね 構いがってやることはいくらでもできる ただ彼の将来のことを考えたらうんうん そうもできないってことを言ってくださっ てでも本当にそのおかげで階段の登り降り なんかも自分でできるようになったので それは本当にその先生がねすごく厳しい うんご指導してくったおかげかなというふ に思いますねうんまあの崖大償だったって ことも聞きますがはいうんあのかなり 仕切り屋ではい命令するわけはいああの 本当ね色々手伝ってもらう立場なのであの 謙虚な気持ちでいなければいけなかったん ですけれどもうんはいはい割ともやって もらうことが当たり前と思っていたよう ですしあのあまりうんの気持ちがどうなん ですかね今ものすごくあるんですけれども 当時は持ててなかったんでしょうねで すごく母も迷ったそうなんですよ厳しく 叱って花の強さをポキッと折ってあげない とダメだなと思う反面やっぱりこれだけの 障害を追って社会で生きにっていくために は多少これぐらいの強さがないといけない のかもしれないと迷いに迷った挙げ句に うんうんこのまま行こうと 思ったせいでだいぶ強い人間になって しまいましたでも友達がまたすごかった ですよねそうですね山登りの遠足があった んですけれどもうん旧斜面で大人が登るに も険しいような山だったんですねさすがに あの僕も両親も今回の遠足はちょっと 難しいかなとうんうんいうことでま今回は お休みさせていただきますと言ったら クラス10一斉にブーイングでうんうん うんへえこんなにうん大変な遠足なのにお ちゃん1人だけ休みなんてずるい よいや僕連れてくことになったら大変に なるのはみんなのはずなんですけど僕が 休むのはずるいっていう話になっていや僕 らも車椅を引っ張ったり押したり手伝う からうんうんおちゃんも行こうってつって ねれてってくれ子供ってすごいですよね そうですね泣ける話やね泣ける話ですよね この写真ですよこれうんでだ体の大きな子 が後ろから車をしてくれてでこう結構 すばしっこい子は先回りしてあのタヤに 絡みつきそうな小とか石とか全部パパッと どけてくれてそうえこやねこの子な例えば あのサッカーなんかをやっていても僕の 場合はあのま足がないと言っても皆さんで 言う膝ぐらいまではあるのでその短い足で ボールを一応蹴飛ばしたりすることは できるのでじゃあおちゃんが決めたらシ決 うんもうそれだけで3点ねとなそうすると みんなが僕にパスを送ってくるんですよ そうですね効率いいですねルールを考え るっていうところがすごいですよねそう ですねなんとえ素晴らしいですね友達やな でそれも先生が全部考えてくださったわけ ではなくみんなで遊んでる中でだんだんと 生まれていったルールなんですよねうん 素晴らしいね子供たての発想力っていうか ね 平成元年中学校に入学すると広田は バスケットボール部に 入部来る日も来る日も体育館の片隅で黙々 と練習に励んだ結果左右どちらの手でも 素早いドリブルをマスター試合にも出場を 果たすそして3年生になった4月のこと [音楽] 出来事が起っ [音楽] たが受け取った通の手紙それはまさしく ラブレターであっ たこれまで恋愛に関してだけは自信が なかった 田しかし知らぬ後輩からのラブレタはにえ そして迎えた高校 受験志望校は南ト富山 高校しかも通うには通勤ラッシュの電車に 乗らなければならない諦めるしかないかと 思っていたところ父親がじゃあ近くに 引っ越すかさらに受験目前には母がもう マンション契約しちゃったからってくれ なくちゃるわよ その気持ちに答えるためにもはひたすら 受験勉強に励んだその 結果見事合格平成4年希望通り富山高校に 入学そして今度はアメリカンフットボール 部に 入部たし選手ではなく相手チームのデータ 分析などを一手に引き受けるの脳として 貢献その買回ありチームは東京都大会優勝 という会を成し遂げたしかしアフに夢中の あまり学業の方はさっぱり狂わず特に数学 は200点満点の試験で7点というあるさ 成績はクラスで下から2番目が指定席だっ た将来の夢が見つからない大学に行きたい という気持ちもわかないするとそんなある 日友人がこんなことを言ってくれ たやりたいことを見つけるために大学に 行くのもいいんじゃないか なこの一言で広たは目が覚めたよし大学へ 行こうまず中学校に張りのってバスキブ ですてはいあの中のいい友達がみんなバス ケプに入ってったんでじゃあ僕もっていう 軽い気持ちだったんですけれどもこれに びっっくりしたのが周りでいやお前バスケ ブって自分の体分かってるっていうような そういう対応ででも顧問の先生があやり たいならいいんじゃねえかっていう風に 受け入れてくださったんですよねあ試合に も出られたってあはいあのやっぱりあの バスケのゴールってものすごく高いところ にあるのでそこまでシュートすることは できないんですけれどもうドリブルだけを 必死にうん 何回か試合にも出させていきまし たできるのそれがというわけで中学時代に 猛練習でマスターしたドリブルを見せて いただくことにっドリブルは低ければ低い ほどねそここに立っててくれ てでえっと女性人 こちらさんさんじゃなくていいですかあ じゃその辺りではいこの辺りでは見せて いただきましょうお願いしますはいします おお ああすごいじゃんすごい相手も自分よりも あの膝下の位置って取りにくいみたいで ええええ結構進めちゃうんですよねそう ですですよね大丈夫はい大丈夫 です大変でしょそっからこってうん おおコントロールいいっす ねすごいこれがない試合出してもらえ なかったですからねこれ左右両方はい いやあ驚いたね試合に出るために努力し たいんやなそうですね へえコントロールいいですよ絶対ここ来る もん ありがとうございましありがとうござい まし たラブレターをもらったのははいうん中 学校3年生の時だったんで15ですねうん ああ そうそれから結構ずっといやいやいやもう 本当持てないんですよあのいろんな女の子 から相談とかはされるんですけどそのうち 好きな女の子からも相談とかされてしまう タイプ でラブレタをいいた彼女とははいちょっと 仲良くあなったんですかああはいでも やっぱりあの弟たさんとってみると大きな 意味があったそう僕のこと好きになって くれる女の子っていうのもいるんだなて いうのは本当に嬉しかったしうんうん自分 でもあ恋愛できるんだなっていうあよよ そこでなんかスタートラインに立てたよう なああそうですねでも数学は ってかなり今のおさんから考えられない ですあのテストが帰ってきてあれ鉛筆書き で7って書いてあったんでで僕出席番号が 7番だったんですよだから出席番号がなん かメモってあるのかなと思ってこれどこに どこに点数書いてあんのかなと思ってで パッて隣の友達の見たら153って書いて あって153あこれ点数かあれは 恥ずかしかったです ねでも高校くらいになりましたさあもう彼 これ将来のこと考えるどう考えてらしまし た当時は中学時代からずっと弁護士に なろうかなと思っていたんですねなんと なくかっこいいかなとか儲かるんじゃない かなとかそういう理由でやっぱ弱い立場の 人を作ってあげたいていう風な理由からで はなかったんですよねうんでそのことに 気づいてしまった時にあこういう同期で 弁護士になっちゃいけないな思ってうん がまんですよ路も決まらないま卒業が 決まってしまってうんどうしようかなと 思ってる時に当時好きだった女の子にです ねそやりたいことを見つけに大学に行くん でもいいんじゃないっていう風に言われ まして単純な僕はそうだなって思ってよし じゃあ大学に行こうと思っです女の子の 一言がはい人生はちゃんと導いてくれた ですねそうはい 高校時代勉強とは無縁だった広田は浪人し 予行に通い始めた目指すは早稲田大学1 本目標ができると自分でも驚くほど集中力 が湧く広田成績はぐんぐん上がっていった そして平成8年見事早稲田大学に 合格は英語力の向上を目指すサークル espsに入りいきなりスピーチ コンテストで 優勝しかし自分のやりたいこととは違うと 思い2ヶ月で 大会そして広田は悩み始める自分のやり たいことは何なのかどうやって生きていく の か大学生活も年付きが過ぎたある夜のこと 突然1つの疑問が浮かんだ その日から広たの人生は大きく動き出す ことと [音楽] なる広たの頭に突然浮かんだ疑問それは なんで僕には手と足がないの だろう幼い頃からある程度のことは自分で こなしさらに両親や友達などが当たり前の こととして手助けをてくれていたためこれ までそれを意識することはなかっただが 初めてこの夜自らが障害者と呼ばれる存在 であることを自覚した広たはこう思っ た自分にしかできないことを やろう広たはバリアフリー対策の活動に身 をじたその活動の成果として早稲田大学に もエレベーターや車椅子用トイレが設置さ れる車椅子の学生音た広太は次第に世間の 注目を集めるように なるそしてついにあの本の執筆依頼が 舞い込んでくるその自分の目的がある日 突然ですかこれだと思うものが本当に普通 にあのいつも通りベッドに横になって寝て たんですねそした夜中の3時頃にふって目 が覚めたんですようんで考え事してるうち に世の中の ほとんどの人にはうん手と足がくっついて 生まれてきてるの になん でなくて生まれてきたのかなて思ったん ですよねうんうんなんかそこに意味がある のかなて思うようになって手足がない状態 で生まれてきた人間だからこそできる ことっていうのが多分あってそういうこと をやるために生まれてきたのかなっていう 風にうんうんからものすごく人生が楽しく なってきてこれはちょっとなんか責任重大 だなっていう風に急に思っちゃったんです よねその辺りの考え方ですよねそうなんで というのがこうあのマイナスの方になんで て思っちゃいますけええすごく辛い目に それまでたくさんあってきたならば多分 どうして自分だけこんな目にって風になっ ていたと思うんですねでも今まで楽しい 人生を遅れてきたからこうんその違いを プラスに受け止めることができたんだと 思うんですよだから僕自身の性格がって ことよりも多分それまでのその周りの環境 だったり恵まれた人生が多分そう思わせて くれたんじゃないのかなって思いますね うんそう かここまではご覧のスポンサーの提供でお 送りしまし [音楽] たいよいよあの本を出すことになります ご覧いただきます 平成10年5体不満足を 出版広が自らの反省を綴ったこの本はまに ベストセラーとなりついには580部を 売り上げるこれは戦後では窓際のとちゃん に継ぐ記録だと いうこのヒトにより生活は一辺受ける取材 は週に20本同じ質問に同じように答える 日々が2年間も 続くまた公園以来も1日300件音家の床 はファックス用紙で埋まっ たもはや広たはスターのような存在となっ てい たしかしこの頃からは5体不満足を書いた ことを後悔し 5体不満足が大ベストセラーとなりにわか に盛り上がる音君ブーム本人はその状況に 強い違和感を感じてい た見知らぬ人が自分を知っているどこへ 行っても人とカメラに囲ま れるプライベートまでもが記事になって しまうまた5体不満足から人々が思い描く のは純粋無垢な 青年自分は決してそんな人間じゃない世間 の音群像から逃れようともく 広田これからどうすればいいのか結論が出 ぬままに大学卒業が迫ってい たそんなおり筆武将な父が初めて長い手紙 をくれ た君はこの1年半や生まれてからずっと 走り続けてきたのですからここで少しワン ブレイクして無益な無駄な時間に浸り熟成 する時間を持つことが大事だと思います 好きな仕事興味のある仕事だけをしていけ ばいいと思うその方が君が輝いていていい と思う よ父の進め通りのんびりと過ごしてみると 新たな目標が見えてきたそれは世間をあっ と言わせるものであっ た本を書いて欲しいという依頼どのお 気持ちで受け止めましたお断りしたんです よあそうですか僕あの文章書くのが苦手 だったんですよそうなんですかはいああな ので固くにお断りをしていたんです実は うんほおそれが何かあのでもやはり今自分 がやっている活動を考えた時に1人でも 多くの方に伝えるという意味ではあの本を 書くというのはすごく大事なことかもしれ ないなという思いがあってえチャレンジし てみようとうんでも580ですすごいです うん印税どれぐらいた来た来たた結構 いただきましたねそうです結構ただあの 学生だったんでうん使い道がは思い浮かば なかったんですよ友達とよくカラオケに 行ってたんですよええ特にバイトもして なかった僕には延長がなかなか躊躇する とこだったんこれで心置きなく延長できる なと一生歌ってられますねねでもその本 ああ書かなきゃ良かったのにと思うことも 終わりになったんですかそうですね やっぱりすごく2つのことが僕を苦しめて いて1つはそのマスコミ構成というのが うんうんやっぱり激しくってうんうんもう 一時期はうちの前に3者がずっと週刊誌 張っていてカーテンを開けようものなら パシャリというような日々がずっと続いて いたので本当原因不明の吐気権にずっと 悩まされてああいうの本当に辛かったです しうんもう1つはあまりにも その真面目な部分頑張ってきた部分だけを うんしまったからこそあなんか法にせ なきゃいけないのかないやでも自分は そんな人間じゃないしっていうそういった あたりの葛藤がうん長かったですか3年 ぐらいはきましたねですねでもその 落ち込んでいらっしゃる3年間の時間の時 にご両親はそのことを知っていたわけです よねほっといてくれましたねうんうんあの やっぱり僕 だけでなく両親に対する出演依頼だとか 講演依頼というのすごく多かったんですね 僕の両親は一切お断りしていたんですねで ある時なんで全部断ってるのっていう風に あの聞いたことがあったんですけどもうん その時にあの母が言っていたのがやっぱり 今のあなたにとって家庭というのは外で 傷ついて帰ってくる場所だと思うか その私までマスコミに出てしまって向この 人たになってしまったら傷ついた時に帰っ てくる場所がなくなっちゃうでしょていう 風に言ってくれた時には本当 に嬉しかったです [拍手] ね驚くばかりのごですね本当 にの支えとなったのは両親だけではなかっ た [音楽] それは広たが大学2年生の時のことだった ある日大学でバリアフリーに関する講演を 頼まれた ひ熱心に話を聞く学生の中にふと見ると 1人居眠りをしている女の子がいるでは ない かひたは思ったなんてやつだでも可愛い その打ち上げの席で広たは早速アタックを 開始彼女は1学年下の後輩で名前はひさん 会話もはみ早くもいい感じと確かな手応え を覚えていた広田だった が突然彼女は去っていったあっさりと振ら れてしまった 広田心に切ない風が吹いた21歳の [音楽] ところがその4年後の平成13年広田はひ さんと結婚一体どうやって口説き落とした のかスタジオで語っていただこう おもういい眠りしてたんですかうんして ましたねあのずっと僕の方からあの アタックし続けてでじゃあそろそろ家遠い んで帰りますて言われてうんじゃ今電話 するねていう風に言ったんですねうん普通 あのまじゃ電話するねって男性が言われた とするじゃないですかなんて返しますかね あじゃあこれが電話番号とかかそうですよ ねやって振り向いて電話番号知らない でしょって言って去ってたんですようんあ そ言ったんですかはいうんへえすごく はっきりものをいう人だなと思いまして うん友達伝にあの連絡うん先を聞いて電話 しても何ですか今日はとか言われちゃうの それ取り付くしまないんですねはい結婚し てからかな聞いたんですけど実は最初から 好きだったって言われたんですよあらえ なんであんな太陽って聞いたんですけど どれぐらいあなたが本気か確かめて たよけどうんはいしつこくしつこく言って きたからま多少本気で持ってくれてかなと 思ってま徐々にあの心開いてったという風 に言ってくれたんですけど初めてのデート はは えっと新宿に映画を見に行ったんですけど 僕そこですっごくあこんなことテレビで 言っていいのかなすごいせこいことしてえ あの見に行こうと思ってた映の時間を僕は 把握してたんです けどわざとあの遅れてたんですよ雑貨屋 さんとかに入って時間稼ぎをして行ったら あもう30分も過ぎちゃってたねっていう 話にしてそうするとじゃあもう1回別の日 に改めて見に行こうっていう話になるかな と思ってなるほど これはちょっと勉強なりましなるほどそう いう手でそのデートを取り付けるだけでも すごく大変やった大変だったのでどうし たら2回目があるかなと思って考えついた のかそのせこい手だったんですよねうん いやでもせこく ない男ならいいあのもう1回会いました うんうまくいったわけですよね可愛いです ね竹さん必死したねでもちょっとそになる 時間があったっていう風に聞いてますが やっぱり あの週刊誌とかに追われてもそご写真を 取られたりぐちゃぐちゃにされてしまう中 でギクシャクしてしまうようなうんうん うんありましたねうんでもそれは乗り越え やっぱり僕にとってはあの本を出す前に からのあの付き合いだったっていうのが すごく大きかったし一番やっぱり自分 らしく入れるパートナーだったのでもうで も結婚して7年目にうんなったんではい びっくりですね自分でも決め手の言葉って あったんですかやっぱり一緒に住むみたい な話は決まってたんですけどなんかその ままバタバタと知ってるうちにいずれ結婚 するんならも今しちゃおうかみたいな話に うんうんなってもいつもまにかお互い反抗 してたっていう感じだったのでなんかこう 本当にロマンチックな僕とみたいなのが ないままはい席が入ってしまったので式も 上げてない指輪もない進行旅行も行って ないとナナの僕ぐらいはちょっと取り たかったんですけどうん私がウェディング ドレスなんか似合うはずがないと固くに 言い張ってですねそんな恥ずかしいこと できないって言って写真も取らなかった ですしうん応変わってますねはいごどう いうおっしゃいました結婚するっていう あの父がすごく素敵な言葉を言ってくれて うんあのお互いに思いやりを持ってえ 一歩一歩 読んでいってくださいという言葉をかけて くれてうん結婚というものを強く意識する ようになったのはやっぱ両親の影響が強く て子供が羨むほどの中の良さだったので そういう関係を気づいてきた人からねあの 受け取った言葉なんでそのうんメッセージ というのはすごく今でも大事にうんして ますねうん奥様と喧嘩とかされないんです かお来たぞ本当に噛み合わないので喧嘩に ならなはいきそう天外なことだらけなん ですよねこの前 も実家に帰ったら母がなんか食べるって 言ってあの冷蔵庫をこうやって開けて見て くれてたんですねでああ特に何もないなっ てつってそのままガチャンって自分の頭 冷蔵庫の蓋で挟んだんですよいやあれない ですよねすこんなまま閉めちゃってるわけ はいで僕もびっくりしてうんええと思っ たら隣にいた妻が私もよくやりますえと 思っ てなかなかそういう人とは喧嘩にならない あお母様と似てらっしゃるとこがあ似てる んですよね何よりですね すうまくいきうくいき ます広の新たなる挑戦それはスポーツ ライターになること 自分の中で不完全年少だったスポーツへの 思いを燃やし尽くしたいそれが1番の 同期そして広たの熱い思いが人に伝わり ついにあのスポーツ雑誌ナンバーで書く ことに なる新人が連載を持つことに対し素人に何 が分かると厳しい言葉をぶつけられること もあっ た自分を認めてもらうにはただ良い仕事を するより他はない広たは取材から取材へと 日々懸命に駆け回った優勝ですとかいう 優等性的答え以外になんか目標あるの平均 でやぱ15は勝今年のストライクゾーン だったら俺20期待しちゃう うん取材をし記事に仕上げる作業は くすぶっていたスポーツへの思いを燃やす 時でもあるその作業に広たは大きな喜びを 見出していたこうしてスポーツライターと してやっと世に認められた頃深い悲しみが 広たを襲っ たライターとして活躍していた広たを 悲しみが襲っ た200年5 月してない父が [音楽] [拍手] [音楽] 自分の行動自分の生き方でいろんなことを 教えてくれたそんな父親でした ね人生で一番大切なことっていうのが家庭 を大切にすることなんだなっていうのが彼 の一番面白いですね広たは最後の別れの時 自分でベストの出来と思う記事が掲載され たナンバーを父に送っ た7の生活でしたよねお父様ね関風全でし たっけはいうん本人は多分辛かったと思う んですけれども逆に僕や母にとっては7年 という準備期間を与えてもらうことができ たの で本当の別れが来てしまう前にあんなこと をしておきたいうんこんな会話をしておき たいっていうことがほとんど できていたのでうん悔いっていうのは一切 なかったですしうん自分が今もう3031 という年齢になった時にやっぱり障害が あるうん子供がもし自分に生まれたとし たらやっぱりこの子は自分で仕事を持って 社会で生きてくことができるんだろうか そしてうんパートナーを見つけて家庭を 築いていくことができるんだろうか多分 この2つ が心配なってくると思うんですよねそう いった意味では元気に働く姿を見せられた ことそしてパートナーを見つけてその姿を 見せられたことっていうのはうん僕にとっ ても何かうん1つの区切りというかうんあ 良かったなてうん思えますね親高校ですよ ねそれもそうですねうんだってもうんうん スポーツライターっていうお仕事はいつの 頃から思ってらっしゃったんですか大学を 卒業する頃ですねうーバリアフリーとか 障害者福祉といった方向に進んでくん だろうなっていうやっぱり声が多かったの で逆にえたさんそんな方向行くのっていう ところで認めていただくことの方が本当の 意味でのバリアフということになるのかな とうんでも選手の皆さん方は喜んで大た さんのインタビューに答えてくださいまし たよねあのすごく僕の中で大きな出会いが あったのは あのキューバという国がものすごく野球が 強いま世界一強いと言われてるんです けれどもそのキューバ代表で予番を張り 続けてきたキデラという選手がいるんです ねもう日本で言えば王さん長嶋さんのよう な国民的英雄なんですけどもたまたま ることができたんですねいやもう今日は 本当会できて嬉しいですってことをお伝え したらキデラ選手が僕の肩を抱きながら見 に来てくれでもしその試合で僕がホーム ランを打つことができたらそれは君のため に打ったホームランだよいうことそれは 素晴らしい言ってくださったんですようん うんうんうん感激したと同時に今までの 自分はすごく間違っていたなて思ったん ですようん僕も歩いてるとサくださいとか 写真撮ってくださいって声をかけて いただく立場で僕はそれまで自分からいや そんな大した人間じゃないんですっていう ことをうん伝えてしまうためにあはいはい とかこう嫌そうな態度を取ってしまってい たんですよでもうんうんうんキデラ選手の その対応にすごく僕は感激するとともに 逃げてたなって思ったんですよその本当の 僕はまだまだ未熟な人間だけれども皆さん がん待してくてるというのはこの辺にいて 僕はそんな人間じゃないそんな人間じゃな いってここから逃げることばっかり考えて 近づこうとする努力を何もしてなかったな て思ったんですよねですから少しでも成熟 した大人になれるようにという風に考え られるようになりました ねさこの後また新しい挑戦ですご覧 いただきましょう スポーツライターとしての評価も上場順調 に活動を続ける 広田またスポーツの話を中心に次々と著作 も 発表さらにはトク番組などにも出演 スポーツは本当にちっちゃい頃から好き だったんでうんそういう意味では本当に 自分の中では自然な流れではあったんです けどやっぱりね周りの方から見たらどうし てっていうところあったと思いますけどね そんな中社会へ恩返しをしたいという思い を強くしていく広田 だまさにその頃少年少女による痛ましい 事件が次々と起こり衝撃を 覚える子供たちのためにできることはない だろうか広の中で次第に教育問題への関心 が大きくなっていん [拍手] 世界の様々な子供た とれイタリアでは先生の言うことを聞かず 自暴な子供たちと出会って何が彼らをそう させるのかは学校に1週間通い詰め少年と 話し遊び心を通わせたどうもありがとう すく楽しかった ですは になれたことみのことを友人としてすごく 誇りに思っています荒れていた少年たちが 涙を見せたこれからほどなく広たの心は 決まっ た先生に なろう平成17年教員免許を取得するべく 大学教育学部に入学 をじくして新宿区の非常金職員子供の生き 方パートナーにも就任多くの学校を回り 直接子供たちと接する活動を始めるそして 昨年ついに教員免許取得教育についての 考えをまとめた本も 出版この4月広田は小学校の教師になった おはようございますおはようございますの 名前 はだと言います今日こうして皆さんとお 会いできることをとっても楽しみにしてい ましたあ先生ちょっとあれ困ってるのか 現在56年生の理科と社会を中心に全校の 生徒と触れ合っている果たしてどんな先生 になるのか子供たちとどのように向き合う のか心を踊る春である教育の現場の方に 近づいていくが一歩踏み出すことを きっかけになったんですか子供たちが被害 者になるだけではなく加害者にもなって しまう事件というのが多かったんですよね 僕は加害者の少年少女たちに対してもうん かわいそうだなて思ってしまったんですね 犯罪者になってやろうとか人殺しになって やろうって思って生まれてくる子なんか 1人もいないと思うんですよそれでもそれ まで育ってきた境遇だったりいろんな経験 してきたことによってあいった事件を 起こすところまで追い詰められてしまった と思うんですよねで自分が育ってきた道を 振り返ったんですよねはい本当に両親学校 の先生方地域の大人の人たち全ての方に 恵まれてきたからこそ今の自分があるんだ なうんって思った時にあその上から受けた 恩を今度は僕が 下の世代に返してかなきゃいけないんじゃ ないかって思っ たら急にいても立っても終えられなくなっ てしまって あ一気に動き出してしまいましたねご自身 ではどんな先生になっていくいう風なこう イメージ書てらっしゃいます あの やっぱりいろんな子供たちに良さがあると 思うんですよねもちろん勉強ができること もらしいしかっこが早いことも元気よく 挨拶ができるんでもそれぞれの良さを みんなが認め合えるようなそういった クラスにしていきたいなっていう風に思い ますね幼稚園から小学校 ずっとあの期間に もう先生の道っていうのがもうできて たっていうことかもしれないですねうん そうですね僕がやっぱり育ってきた環境と いうのが僕が多分 今教師として考えてる理想像なのでうん やっぱ原点はあそこにあるんですねそう ですねこれからどういう夢を持ちになって ますかこれは多分生涯のテーマになって いくと思うんですけれどもやっぱり違いを 認めるっていうことをね伝え続けていき たいなって思うんですよね多分平和って いうことのキーワードも違いを認め るっていう のうんが多分根本にあるのかなと思うので 伝えて行き続けられたらいいなという風に うん思ってます [音楽]

いつみても波乱万丈

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