【高知】23歳の若さで急逝 土佐市出身の画家・大崎真理子が残したもの (24/05/16 19:39)
まずはこちらの絵をご覧ください。 作品名は『56号線が見える』 高知県土佐市の国道56号線を
淡いタッチで描いた油絵です。 近づいてよく見ると、ぐにゃりとうねった道路に
写実的に描かれた自動車が。 現実と空想が入り混じった不思議な絵です。 この絵を描いたのが、土佐市出身の女性画家です。 いったいどんな人物なのか ご覧ください。 [音楽] 無邪気に踊るのは、大学院で絵を学ぶ2人。 向かって左の女性は
今はもうこの世にいません。 この動画を撮影した4日後に亡くなるのです。 高知県土佐市出身の画家・大崎真理子
23歳のことでした。 亡くなってから
ずっと見られなかったですね 大崎真理子は1994年11月 土佐市生まれ 3人家族で幼少期は東京で暮らし 小学2年生の時、両親の故郷である
高知県に移ります。 土佐市立高岡中学校から高知学芸高校に進学し
京都市立芸術大学を主席で卒業しましたが 大学院1年の冬、真理子は
京都の自宅で突然亡くなります。 高校時代の恩師・平田慎一さんは
真理子のことをこう記憶しています。 木をね、真っ赤な色で描いてきたがですよ。 本当に自由奔放に絵を描いてきたというのが
最初の印象だった とにかく色彩が強烈やったことを覚えてます 平田さんが強烈な色彩だったと話すその絵は
今も母校・高知学芸高校に残されています。 美術部の部員たちが案内してくれました。 色の使い方が素敵で、木も茶色で描いちゃいそうだけど
黄色とか緑とか使ってて 部員たちが「ハンガーの絵」と呼ぶその作品は 真理子が高校2年の時の油絵です。
(※作品名 正しくは『親子のように』) 自宅の庭先の木にハンガーがかかる様子を
大胆な色彩で描いています。 京都市立芸術大学に進んだ真理子は
すぐに頭角を現します。 こちらは真理子が大学4年の時に描いた
縦2.5m・横4mという巨大な絵。 『見えるものと見えないもの』と名付けられたこの作品で
彼女は学内の最高位である京都市長賞を受賞。 大学を主席で卒業するのです。 この作品について、真理子はSNSに
こんな投稿をしています。 ノヴァーリスの詩の一節
《すべてのみえるものは、みえないものにさわっている》 私の絵画の核はそこにあります。 この「見えるものと見えないもの」という言葉は
真理子が追求し続ける大きなテーマになります。 この絵が高く評価された彼女は大学を卒業し
大学院に進んだところで なぜか突然 絵が描けなくなってしまいます。 4回生で多分本人が思ってる以上に
その作品が評価されたことで どうしていいのかわからないっていう時期が
大学院に入ってから3ヶ月ぐらい続きまして 燃え尽きたみたいになってたんですけれど ある時「先生これやったら私描ける気がする」と
小さい水彩の絵を持ってきたんです 真理子が持ってきたのは、京都の桂川のほとりで見つけた
1台のショベルカー・ユンボのスケッチでした。 高い評価を受けたプレッシャーから
突然絵が描けなくなった真理子。 ユンボの絵をひたすら描く日々が始まります。 スケッチや試作などを含めると
その数は200点以上に登りました。 土佐市にある真理子の実家です。
離れに真理子の絵がたくさん眠っています。 ユンボの絵が何枚も。
数カ月にわたって描き続けた試作の一部です。 母・文子さんは真理子が亡くなった時のことを
鮮明に記憶しています。 あの前の番は次の日が主人が休みの日だったんで、それで ちょっと電話してみようかって。で電話したら
「ぐっすり13時間眠ってた」って 2018年2月8日、ユンボの絵を発表する
大学院の成果展初日に 母の携帯電話が鳴ります。警察からでした。 主人はなかなか信じられなくって 真理ちゃんが遅い遅い、時間に来ないっていうんで
マンションに押しかけたんですよね 真理子は自宅マンションの浴槽で
亡くなっていました。 引き付けがお風呂の中で起こったんじゃないかって。
それで水位は低くても 低かったんですよね実際。低くても、
横になってたから溺れたんじゃないかって 真理子が亡くなっていた浴槽の水は
深さが20数センチだったといいます。 死亡原因は結局不明でしたが、
溺死とも受け止められる状況でした。 描けなくなった時期を乗り越え、
多くの試作を繰り返した真理子。 ようやくたどり着いた1枚の絵には
『あの日のユンボ』というタイトルがつけられました。 絵が完成した時、彼女はSNSに
こう書き残しています。 やっとひとつできました 気力の全てを注ぎ込んだ作品『あの日のユンボ』 23歳という若さでこの世を去った
画家・大崎真理子の生涯は ただまっすぐに絵と向き合う日々だったのです。
作品名は『56号線が見える』。土佐市の国道56号線を淡いタッチで描いた油絵です。近づいてよく見るとぐにゃりとうねった道路に、写実的に描かれた自動車が。現実と空想が入り交じった不思議な絵です。
この絵を描いたのは土佐市出身の女性画家です。一体どんな人物なのか。
無邪気に踊るのは大学院で絵を学ぶ2人。向かって左の女性は今はもうこの世にいません。この動画を撮影した4日後に亡くなるのです。
土佐市出身の画家・大崎 真理子。23歳のことでした。
ダンスの動画を一緒に撮影した
花田 洋子さん
「亡くなってからずっと見られなかったですね」
大崎真理子は1994年11月土佐市生まれ。3人家族で幼少期は東京で暮らし、小学2年の時 両親の故郷である高知県に移ります。
土佐市立高岡中学校から高知学芸高校に進学し、京都市立芸術大学を首席で卒業しましたが大学院1年の冬、真理子は京都の自宅で突然亡くなってしまいます。
高校時代の恩師・平田 慎一さんは真理子のことをこう記憶しています。
高知学芸高校美術部 元顧問
平田 慎一さん
「木をね、真っ赤な色で描いてきたがですよ。本当に自由奔放になにか描いてきたというのが最初の印象でしたね。とにかく色彩がね強烈やったこと覚えてます」
平田さんが強烈な色彩だったと話すその絵は今も母校・高知学芸高校に残されています。美術部の部員たちが案内してくれました。
部員
「色の使い方が素敵で。木も茶色で描いちゃいそうだけど黄色とか緑とか使ってて」
部員たちが『ハンガーの絵』と呼ぶその作品は真理子が高校2年の時の油絵です。自宅の庭先の木にハンガーがかかる様子を大胆な色彩で描いています。
京都市立芸術大学に進んだ真理子はすぐに頭角を現します。こちらは真理子が大学4年の時に描いた縦2.5m、横4mという巨大な絵。
『見えるものと見えないもの』と名付けられたこの作品で彼女は学内の最高位である「京都市長賞」を受賞。大学を首席で卒業するのです。
この作品について真理子はSNSにこんな投稿をしています。
≪ノヴァーリスの詩の一節「すべての見えるものは見えないものにさわっている」、私の絵画の核はそこにあります≫
この『見えるものと見えないもの』という言葉は真理子が追求し続ける大きなテーマになります。
この絵が高く評価された彼女は大学を卒業し大学院に進んだところでなぜか突然絵が描けなくなってしまいます。
京都市立芸術大学
法貴 信也 教授
「4回生でたぶん本人が思ってる以上にその作品が評価されたことで、どうしていいのかわからないっていう時期が大学院に入ってから3カ月ぐらい続きまして。本当に燃え尽きたみたいになってたんですけれど。ある時『先生、これやったら私描けるみたいな気がする』みたいなことで、小さい水彩の絵を持ってきたんです」
真理子が持ってきたのは京都の桂川のほとりで見つけた1台のショベルカー「ユンボ」のスケッチでした。
高い評価を受けたプレッシャーから突然絵が描けなくなった真理子。ユンボの絵をひたすら描く日々が始まります。スケッチや試作などを含めるとその数は200点以上にのぼりました。
高知県土佐市にある真理子の実家です。離れに真理子の絵がたくさん眠っています。ユンボの絵が何枚も。数カ月にわたって描き続けた試作の一部です。
母・文子さんは真理子が亡くなった時のことを鮮明に記憶しています。
真理子の母・大崎 文子さん
「(亡くなる)前の晩は、次の日が主人が休みの日だったんで、ちょっと電話してみようかって電話したら、(真理子は)ぐっすり13時間眠ってたって」
2018年2月8日、ユンボの絵を発表する大学院の成果展初日に母の携帯電話が鳴ります。警察からでした。
母・文子さん
「主人はなかなか信じられなくて。(成果展なのに)真理ちゃんが遅い、遅いって、時間に来ないっていうんで、(仲間が)マンションに押しかけた」
真理子は自宅マンションの浴槽で亡くなっていました。
母・文子さん
「“ひきつけ”がお風呂の中で起こったんじゃないかって。(風呂の)水位は低くても、横になってたからおぼれたんじゃないかって」
真理子が亡くなっていた浴槽の水は深さが20数センチだったといいます。死亡原因は結局不明でしたが溺死とも受け止められる状況でした。
描けなくなった時期を乗り越え、多くの試作を繰り返した真理子。ようやくたどり着いた一枚の絵には『あの日のユンボ』というタイトルが付けられました。
絵が完成したとき彼女はSNSにこう書き残しています。
≪やっとひとつできました≫
気力のすべてを注ぎ込んだ作品『あの日のユンボ』。23歳という若さでこの世を去った画家・大崎 真理子の生涯はただまっすぐに絵と向き合う日々だったのです。
《お詫びと訂正》
ニュース映像の字幕に誤りがありました。
高知学芸高校に残されている絵画の作品名が
「家族のように」とありますが、
正しくは「親子のように」です。
お詫びして訂正致します。
