実在したアマテラス【平原王墓と伊都国神話】
「岡上佑の古代史研究室(通称:岡上研)」にようこそ!
このチャンネルでは、文献としての三国志、魏志倭人伝を解読し、
古代史最大の謎、邪馬台国の所在と卑弥呼の古墳の所在に迫っていきます。
チャンネルの始動に合わせて、動画をアップしていくと同時に
論考の基礎となる自作本の内容自体も徐々に公開していきたいと思います!
是非気軽に内容読んで頂いて、色々コメント頂けると嬉しいです!
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★★★
動画連動ということで、手元の研究ノート(notion)を公開中!
是非、参照しながら見てください🎵
https://www.notion.so/7159aa238ef4492891ec10f4ef2b7ccd?pvs=4
#魏志倭人伝 #卑弥呼 #邪馬台国
人工音声:カケル(「音読さん・まゆ」)
マッテ(「音読さん・みずき」)

30 Comments
あけましておめでとうございます。
新春早々にアマテラスですね!
日の神様です。
今年は元旦のご来光を写真に撮るの酔っ払ってできませんでした。
やっぱり勾玉はホントすごい!
銅鏡を祀る太陽神 アマテラス。
何故か銅鐸は忽然と消えて銅鏡に塗り変わったのか?
すいません。 まだまだ酔いが覚めてなくて満足なコメントが…
酔っ払ってなくてもトンチンカンですけどね!
今年もよろしくお願いします。
やっぱり伊都国=糸島市ていうのが納得行かないなー。音のいとだけが根拠なら、薄い。糸魚川でもいいと。そもそも宝石の取れる場所なんだから。記紀だけに目を向け続けると、無限ループに陥ってる。ちょ〜怪しいとされる古史古伝にも目を向けるべき。完全に論破してから、初めて偽書と言えるのでは?
平原王墓の鏡をみると、やっぱりここが邪馬台国なのかと思ってしまうよなあ。でも最近、楯築にも平原王墓と同じようにね大柱が立っていたと分かって、西谷、今井の墳丘墓との関連性が見えてくる。平原の評価は、まだまだ低いと思うよ。
あけましておめでとうございます。今年も色々勉強させて下さい。気候が良くなった頃にこの地域をレンタカー借りて回ってみたいですね。
私は、平原の女王が職名として「大日靈」と呼ばれていたんではないかと邪推wしています 巫女を日靈と呼んでいたのではないかなっと妄想です
奈良県が「K−POP無料コンサートに2億7千万円を負担」の件、調べてみましたら「集客予定がたったの9千人」?「一人3万円落としてやっとペイ」ってマジですか?議会が予算通しちゃってるのはなんで? ⇒2011年から年3回、平城宮跡で行われた「平城京天平祭」は、昨年度1億7000万円をかけて11万7000人あまりが訪れたが、「知事が廃止した」って?なにそれ!
気を取り直して、、新年からは急転直下「記紀をはじめとする日本の文献シリーズ」でしょうか?
「邪馬台国・卑弥呼⇒大和王権説」の流れだと、当然その展開になるのでしょうが、今まで中国の文献オンリーの印象だったので驚きました!
今までの「目ウロコ」や「腑に落ちる感」に対して、「解釈」がとてつもなく「つかみどころが無い五里霧中」感に満ちていて、先行き不安でドキドキが、、、、。
「古代人の心情・価値観を、現代人が想像できると思わない方が良い」って書いてある古代史本を読んでるとこだったりします。
平原古墳 何回か行きました 資料館にもより 埋葬品の異常さに驚愕したしだいです‼️
アマテラスの墓と言うのは後ずけで当時は そのような認識はなかったと思います ヤマト王権の神々と結びつけるのは 自分的にはピーンと来ません 魏志倭人伝のイト国には世々王がいたとあるので その中の王かと まあイト国から東征すれば関連性も否定できなくアマテラスにしてしまったのかと 妄想ですね
本年もよろしくお願いいたします
どうしても平原遺跡から出てくるものが圧倒的だから、ここが王都であったってのは正しい気がいたします。
ただし、それをアマテラスとかに繋げるのはどうなんだろう?とは思います。なんか別の概念だったものを後付けしてるように感じてるんですよね。
まぁ、出土品からモノを考えるのは正しいやり方かと存じます。
面白かったです。今年もよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。私も神話はアバウトに考えた方が良いと考えています。三雲南小路遺跡の頃は日本で最も力を持った国と言っても過言ではないので、考古学的な伊都国はとても興味深いです。
明けましておめでとうございます。
この大きな鏡は何に使ったのだろうかと考えて見ると?女性のオシャレは大変ですから美容師さんが使ってたかもしれません!墳墓には、美の神様が埋葬されてるかも?
副葬品が他に類のないレベルでもあり、やはり平原弥生墳墓がアマテラスの原像だと思う。
その北部九州勢が東遷し、中心となって奈良に連合国を作り、太陽神(天津神)と三輪山(国津神)が融合した。
姫で巫女(卑弥呼)にアマテラスを奉らせ、占いを神の神託として、連合国の行く末を決めていた。
この姿が倭人伝に描かれたのであろう。
あけましておめでとうございます。
おおーっと、平原=アマテラスまでは良く聞く話ですが、さらに掘るわけですね?
私はアマテラス以前の12代の神は12代の王として存在し、アメノミナカヌシは吉武高木…いえ超個人的妄想です。
今年もよろしくお願いいたします。
学会的な定説においてはヤマト王権は北部九州、吉備、大和の連合政権の大和朝廷となる以上北部九州が後の時代まで影響力を持つだけの力を遡った時代にはあったのは紛れもない事実かな?とは思う。
神話時代は地理的優位性で北部九州。 古墳時代には政治の中心には大和二ハッキリとってかわられている。
卑弥呼は伊都国の女王でしょ。
あけましておめでとうございます。
平原が天照大神の墓説に行かれましたか。
平原1号墓には注目していますが、絶対年代が確定されていないのでなかなか扱いが難しいですね。
次の三雲南小路遺跡動画も楽しみにしています。
伊都国が邪馬台国の首都でしょう
平原は卑弥呼と関連してますね
平原王墓の被葬者は邇邇芸命の皇子の穂穂手見命の后の豊 玉昆売命です。
豊玉昆売命は紀元前161年に生れ118年に44才で崩御されました。
すいません、記紀には伊都県主降伏のくだりのような、ややもすると考古学的研究の成果と矛盾する記述も多数出てきてわけわかんなくなってきました。ところでこれから主に取り上げられることになるであろう三雲南遺跡の甕棺墓ですが、ここからすごい数の鏡が出ているとのことで、それこそキングダムや項羽と劉邦の時代から王莽時代にかけての鏡が出てくるものと思われます。こちらも楽しみにしています。
あけましておめでとうございます🌅今年一発目は平原王墓と天照大神ですね。
たしか原田大六氏の説だと神武天皇の母親の玉依姫が平原王墓の被葬者で天照大神として記紀神話に投影されてると、
昔本で読んだ記憶がありますがうる覚えなので間違ってたらすいません笑😂
平原王墓の考古学的年代は確か倭国大乱の少し前の時代だったと思いますので、
岡上さん的には平原王墓の女王の子供が神武天皇=崇神天皇ミマキイリヒコ で同じ伊都国の王族の卑弥呼と共に纏向のほうに東遷したというロジックでしょうか?😅
ただ天照大神は後から作られた皇祖神で女神ではなく元々男神だった説も根強くあるので、
そうなると話がまた変わってきてややこしくなるので頭が痛くなる次第です😂
今年はその辺の詳しい考察動画などまた楽しみにしております。
まずは岡山での講演会のほう大勢参加者がおられるようなので頑張ってください。私は東国の東蝦夷なので遠す
ぎて行けませんがw😂
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
伊都国、平原王墓はいろいろ謎が多いですね。
王位継承は女系女子だったのでしょうか? その場合配偶者はマスオさん状態だった? 方形周溝墓で割竹形木棺というのも珍しい。
もし伊都国が畿内に東征したのだとすれば、卑弥呼の死後に男王が立てられたのは何故? 何故卑弥呼は生涯婿なし(=子なし)だったのか?(⇒王位継承時にもめるのに)、 奴国(後漢から金印を仮授された)との関係(北部九州の盟主はどちら?)、などなど
個人的には大和連合西征説ですが、卑弥呼が伊都国から来た可能性はあるかなぁと思っております。
それはあくまでも大和連合政権内で中立的な存在として、正式な大王が決まるまでのワンポイントリリーフの形で白羽の矢がったのではないかと。
本居宣長などは「神代のこころばへ」を重視してそもそも神話の神々の順番もなくすべて並列で同時にスタートし 書くのに順番があっただけで時系列はないとしてるようです。
それはつまり記紀の時系列は便宜であり 多数の豪族ごとの物語を書く順番で書いただけで時系列は同じであるということにもなりますね
それがわかるには 神代のこころばへ に入ることが大事だそうです
あけましておめでとうございます!改めて見ると、平原王墓古代史のナゾを秘めたスゴい史跡ですよね(夕日をバックにした平原王墓はとても風情ありますね😚)発掘調査してくれた原田大六氏に感謝ですwなお支石墓などもある伊都国エリアの史跡はどれも興味深く、何回行っても飽きません(笑)次回の三雲南小路遺跡クローズアップ編も楽しみです😚
なお、平原遺跡周辺地域が、宮崎日向ではなく、「真」の神武天皇生誕と出発点だという説もある。
八束の剣と思わしき副葬品が出たということですが
ニギハヤヒに渡しているのに
なんでその墓に埋められたと思いますか?
副葬品が古墳時代よりも豪華というだけで
それがアマテラスの墓と断定するのは無理筋だと思うのですが、、、
九州北部の王の墓の一つには間違いないですが
それをアマテラスと断定するのはどうなんでしょうか?
願望でしょうか?
そもそもアマテラスは王なのでしょうか?
記紀にアマテラスの墓や副葬品のことは書かれているのですか?
伊邪那岐命が迦具土を斬った剣は、天之尾羽張又の名を伊都之尾羽張、伊都の水軍が伊都之尾羽張と呼ばれたと聞く。
平原墓の近くの神社の祭神は名前の伝わらない女神と、さて何れか?
岡上さん、惜しい!!
平原王墓は、天照ではなくて、天照の後継者である、玉依姫です(原田大六先生、そういってますよね?)。神武天皇の母です。大日孁貴尊ていうのは、ご承知のように天照の別名だけど、「太陽神」っていう意味で、2代目3代目がいた。まあ、山幸彦の嫁の豊玉姫は、実家に離婚して帰ったから、後継者じゃないけど、有名酒蔵の嫁の地位継承のようなもので、ウガヤフキアエズと結婚した妹の玉依姫が後を継いだ。
三雲南小路遺跡は、ニニギとコノハナサクヤヒメの墓。すぐ隣に、細石神社がある。祭神はコノハナサクヤヒメとイワナガヒメ。墓と住居はわりと近い。神社も近い。純粋神道、天皇の先祖関係者の場合は、祖先神だから。
これも、すっかり忘れ去られて、景行天皇が宮崎を「日向」と言ってしまった問題発言が根本間違い。宝賀先生によるとその前は「襲の国」と宮崎県は言われていたらしくて、要は熊襲の国。
前に、視聴者の方で、「宮崎県にも弥生遺跡あるわ」といわれていたので、調べたら、石器ばっかりです。こういう高級そうな銅鏡とか、剣が出てこなかった。家も10件ほどでしょぼい。
東小田峰遺跡にいっていただきたいです。
内行花文鏡、ガラス璧(中国の神器)、鉄器が出ています。しょぼいといわれていますが、紀元前1世紀くらいなので、「三種の神器」が固まっていない二種の神器なだけ。
もしかしたら、天照大神か、その息子の墓ではないかと思います。ガラス璧は、よほどでないと中国からもらえません。下級の首長ではもらえないはず。金印とガラス璧は同等か、ガラス璧のほうが上級ではないかと思います。
ついでに、近くにまてら山、まてら神社があって、「まてら」が天照(あまてらす)のことだと言っている人がいました。
ある先生の学説によると、糸島半島の部分だけが伊都国で糸島平野が邪馬台国だったというのです。そして平原遺跡こそが卑弥呼の墓であり、同時に卑弥呼=天照大神だというのです。すごいと思いませんか。
3:26花文鏡は日文鏡と名付ける方が実相に近くて分かり易いと思う