串野真也×若佐慎一「ホルンフェルスと進化する美」対談 MONTHLY WAKASA vol 12
あ、こんばんは。皆さんどうも今日は ありがとうございます。えっと、ちょっと ちょっとちょっと微妙にあ、ですよね。 はい。ていうことで、えっと、ちょっと だけ何人か、あの、え、まだあの、 いらっしゃってない人とかもちょこちょこ いるんで、えっと、ちょっとあとあとあと 5分。5分ほどちょっと待って、え、始め たいなと思うんで、それまで、あの、今日 は、あの、そちらにある食べ物とは自由に 食べていただいて、どのタイミングも オッケーなので、で、えっと、喉が乾いた 方は後ろで、えっと、ドリンクを頼んで いただいて売上に貢献していただいたら ありがたいなと思います。今日はよろしく お願いします。ちょっともうちょっと待っ てください。すいません。 よく がい え、もしてかご飯てかラーメンを食べたいとかなんかそういうなったら自分で各しあの Ubber とか頼んでいただいてあのそれぞれでやってください。 で、あの、ちょっとここにお金を落とすの やだなって思ったら、あの、あの、近くに スーパーがあるんで、そこであの、お酒と かソードドリンクとか買ってきていただ、 持ち込んでいただいて本当に自由にやって いただいて感じなんで、あの、はい、 ちょっとこう、え、緩い感じで、え、 行けれたらなと思うんで、よろしくお願い します 。 うん。 えっと、じゃあそろそろあの始めさせていただけたらと思います。よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。 [拍手] あ、ありがとうございます。本当にすいません。 えっと、本当、え、選挙が終わってはい。 自民党皆さん、そんなの日いかがお過ごし ですか?株価とか大丈夫ですか皆さん? 投資方面ね。でもなんかあの安定してる みたい。ま、そんな話はどうでもいいです よね。えっとですね、えっと今日は皆さん 本当に来ていただいてありがとうござい ます。本当にありがとうございます。で、 さんありがとうございます。今回はあり ます。えっと まずこの先にえっと説明と今日の会の趣旨 とか説明させてもらったらと思います。 えっと、そもそもここは、えっと、僕の、 ま、アトれです。普段はこの椅子とかない 状態で、えっと、ここで制作してます。で 、あと5階もあるんですけど、えっと、5 階は目帳、僕最近始めたんで、その目調 する部屋と物置きになってます。もし、 あの、ご興味あったらこの トックセッションあった後に、あの、ご 案内できたらなっていう風に思ってます。 で、ま、僕はここにあのアトレを構えた 理由とかが、ま、わざわざ赤坂に構えたり 、やっぱりこういうなんかあの僕自身が いろんな人と交流する中であの僕自身の そのなんだろう美術家としてのえ キャリアっていうのを大きくこう作ってき たっていう背景があるんであの交流する 場所をどっかでなんか作れたらなっていう 風に思っていてえまこのイベントこういっ た対談イベントするなんていうのはま ちょっと夢にも思ってなかったんですけど もまできたら面白いなと思って作ったのが 赤坂にこう構えた理由です。で、最近この 対談イベントを始めて、え、56回目に なります。で、僕自身がここに赤坂にこう 後れを構えたのが大体1年前で、今日が あのマンスリー若さって言って1ヶ月に1 回あのこういうこう対談イベントだったり とかちょっとこうあの僕の好きな料理屋 さんのお料理をあのみんなで食べるみたい なあのいろんなこう出身のこうイベントを させていただいて12回目になります。 その最後のこの1年の最後の締めくりを あのクッションさんに来ていただいて本当 ありがとうございますって感じです。 えっと、ま、そんな感じで、えー、あ、で 、来ていただいた、あと重要なことが来て いただいた方がそれぞれで僕だったりとか 、ま、今日だったらク野さんのその、え、 その関係者とか友達だったりとかするので 、それぞれ来ていただいた方が交流して いただいて、またなんか新しいご縁という か、あ、新しいストーリーがこうそこで 始まったりとかしたら嬉しいなと思います 。実際そのなんか、あの、この12回の うちにあの来ていただいた方同士が交流し て実際その仕事にもなったりとかしてあの 僕としてはなんか僕の知らないうちになん かあの その取材を受けたりとかして、え、元々 知り合いだったんですか。いや、ここで 知り合ってどうだこうだってなってこう 実現しました。僕に言ってようとかと思い ながらもでもなんかそういうちょ交流が 生まれてこういい感じにあの実際の仕事 だったりとか友達関係に発展しても色々 あるんで皆さんそう いうご理がなければ色々あのいろんな人と お話いただけたら嬉しいなって思います。 っていうことで、えっと今日は、え、対談相えてにあの串の正也さんいつも僕あの友チャンネルでクシって呼んで、あの呼んでるんで今日はちょっとクシーと呼ばしていただいて クさんクッシーに対談来ていただきました。ありがとうございます。はい。ありがとうございます。今日よろしくお願いします。 ちょっととりあえずあの自己紹介を長めにあのえっと自己紹介しつつご自分の作品のこととか話していただきつつっていう感じです。ちょっといいですか? [音楽] あ、分かりました。 えっと、僕自身はあの広島県のイノ島と いうちっちゃい島に生まれ育ちまして、で 、元々こう、ま、幼少期、ま、周りがない な、周りにこういわゆる都会的なものが ない中でこう自然と共存するような生活を ずっとしてきたんですけれども、で、ま、 元々は、えっと、ファッションに関心を 持ち始めて、で、それが大体中学校ぐらい の時なんですけれども、で、ま、最初は どちらかというと、着ることに興味を持ち 始始めてそっからどんどんファッションを 掘っていくんですけれども、ま、島には そういう洋服を買うところがないので、 福山っていう場所だったりとか小道って いうところだったりとかに、ま、島から 一応橋が通ってるのでバスで通って、ま、 古着買いに行ったりとかそういうセレクト ショップみたいなところに、え、ま、洋服 を買うところから、ま、自分のこの島以外 のいわゆるファッションの関心っていうの があの向かっていくんですね。 で、あの、大きくなんか自分が影響を受けたことっていうのが僕がその高校ぐらい、高一ぐらいの時にあの通ってたセレクトショップがありまして うん。で、そこの人にあの、見せて いただいた、えっと、ま、ファッションの 様子がですね、マルタンマルジェラって、 ま、ブランド皆さんご存知だと思うんです けれど、その当時は今みたいなブランドと はもう全然違うアプローチをされていて、 もっとこう大配的な美だったりとか、その ファッションに対する革命を起こすような クリエイティブっていうものを当時彼は やっていて、で、僕はその時に見せて もらった、ま、頭と言いますか、それが、 えっと、ガラスケースに入ったカの生えた ドレスだったんですよ。で、それまで自分 が見てきたファッションションっていうの は、ま、自分が着てどういう風に見えるか とか、どういう風にかっこいいかとか、 なんかそういう表層的なっていうとあれ ですけど、身を、ま、聞かざるっていう 意味でのファッションとしか見てなかった もの が美術館にガラスケースに入って、しかも カが生えた服っていうものが世の中にあ るっていうことがまず1つとても衝撃的 だったのと、あとは、ま、そこに展示され ていた写真があまりにも美しいって思って しまったんですね。で、それをきっかけに 、えっと、自分は、ま、海外でその活動を したいなっていう風に思い始めて、で、ま 、海外に自分が出て勉強するないし、なん かこう活動始めるって考えた時にやっぱり こう日本の良さっていうか、日本人たるや 何なのかとかなんか日本の歴史っていうの を学びたいなと思って、それで京都という 町を選んで、今は京都に住んでます。え、 京都の復職の学校に、えっと、ま、え、 通って、で、そこで、ま、日常的に神社 だったりとかその日本の古い文化みたいな ものを、ま、その当時はその当時なりに 自分で受け止めて、で、その後、えっと、 ミラノのマランゴーニっていうところに 留学をします。で、元々は、えっと、その 復職の学校で勉強していくうちにどちらか というと、僕は、あの、すごく インスピレーション受けたデザイナーが マレジラ以外にアレクサンダーマックイ ンっていうデザイナーとジョンガリアノっ ていう2人のデザイナーがいまして、なん か、まあ、今見てもこう心踊るような いわゆる白チームのようななんかこう ファッションの世界っていうのが繰り広げ られていて、もう映画のワンシーンを 切り取ったようなというか、なんかそう いうものに対する憧れがすごく強くて本当 は元パリとかロンドに留学したいなって 思いが元々あったんですけれど、海外研修 の時にベルギーのアントワープと、えっと 、パリと、ま、ミラノ3つ行ったんです けど、アントワープはもうすごく、ま、 行ったことある方もいらっしゃるかと思う んですけど、街もすごい暗くてどんよりし てて、で、ご飯もあんまり美味しくなくて 、で、なんか、ま、ちょっと哲学的なと いうか、なんかそういう空気が頼ってる ところで思ったよりこう華やかさがない なっていうのが自分の中であって、で、 パリに行った時に 僕その最終日に、えっとすと詐欺と食中毒族に 1日に全部あっちゃったんですよ。 で、それでちょっとこういう街に住むのは 無理だなと思って。で、それで1 番最初に行ったミラーのがご飯も美味しくて、で、その当時は、えっと、グッちってブランドにトムフォードが入ったりとかで、ドルちゃんのガッパーナとかがすごくこう勢いがあって、で、ま、いくつかその多分今思うとミラのコレクションが、ま、 1 番っていうかすごくこう勢いがあったクリエイティブな時代だったんじゃないかなと思います。 うん。 それで、ま、ミラノを選んで、ミラノのに留学をしました。 で、えっと、ただ僕が思ってたあのミラノ の勉強って全然違うくて、僕自身が やっぱりデザインとかそういう クリエイティブ発想だったりとかなんか そういったものを勉強しに行きたかったん ですけど、そのミラノのマラゴニっていう 学校で多く学んだのはマーケティングだっ たりとかリサーチだったりとか、あと プレゼンテーションどういう資料を使って コレクションっていうのを発表かっていう とても、ま、業務的なものが非常に多くて 、ま、今となってはそれはデザインをの 仕事をするっていう意味ではとても役には 立ってるんですけれども、ま、その当時 こう自分のこうなんて言うんですかね、 思考を拡張するような勉強っていうものが なかなかできなくて結局、ま、1年経ずで 、え、ま、卒業して戻ってきます。ま、 こういったのはその4年コースではなくて マスターデザインコースっていう、ま、 一度勉強されたりとかした方がもう1回 勉強するっていうコースだったんですけど で、そこからえっと日本に帰国して、ま、 洋服自分のブランドを立ち上げたいなって 思ってたので、こういろんなまずこうどっ かに就職するっていうよりかは自分の ブランドを立ち上げるっていうことを考え た時にまずはその日本にあるファッション コンペって今はもう随分なくなっちゃった んですけどその当時は結構色々あったん ですよ。 で、そこのコンペに引っかかることによって、ま、受賞すると、ま、その道が開けるっていうものがいくつかあったので、ま、そこにずっとこう挑戦をし続けたんですけれども、なかなか思うような結果が全然出なくて、そん時は、えっと、アルバイトをしながら そのデザインを挑戦してて、 え、その時は、えっとね、ヘアメイクとカラーコンサルティングの仕事でスタイリングの仕事っていうのを、ま、友 時代でしていて、それこそ、あの、これ、え、録画されてるんでしたっけ?今 録画してますが、あの、お金払った、選ばれたしか見てないです。はい。あ、なるほど。じゃあ大丈夫です。えっと、その当時僕、あの、佐田正さんの事務所のなんかお仕事とかもさせてもらってて、で、なんかその当時、え、多分なんて言った?なんかこう言っちゃいけないような話いっぱいあるからな。 [音楽] あれなんですけど、ま、もちろんその洋服を直したりとか作ったりとかスタイリングしたりっていうこともやりつメイクもやってたので、えっと、もしあれだったらこれだけ切ってもらえたら嬉しいんですけど、こう正さんが舞台に出る時の横の方で黒い粉をこう振りまくっていう 仕事をさせてもらったりとか、 それはダメだね。 振りかけをさせてもらうっていう。 あ、それは初めて聞いた。そうなんだ。 はい。いう仕事をしたりとか、あるいは その百貨点であの、ま、例えば半球百貨店 とか関西だったので、で、そのシーズン ごとにいろんなクレドポとかシャネルとか 、え、一とかの、ま、シーズンごとに メイクがあるんですけど、それをこのお客 さんに合わせてカラーコンサル当て、布を 当ててその人に合う、ま、カラーを調べて その人に対する、ま、ポイントをしたりと かバイトをしながら、えっと、その洋服の コンペのずっと挑戦してたんですね。 京都そん時はもう京都にいてうん。 京都です。はい。 で、えっと、ま、そういう仕事をしながらで、もう最後自分がいいっていうものをこう表現してるにも関わらず評価されないっていうことは自分の美式っていうものが世の中と合ってないんじゃないかなっていう風に、ま、ちょっと自分の感性を、ま、疑い始めるわけですよね。 [音楽] で、そうした時に、ま、じゃあとりあえず もうこの最後にこのコンペが無理だったら 1回就職っていう形で誰かの元で勉強し ながら自分のものを立ち上げるっていう風 に、ま、考えを変えようと思った時に1番 最後に出したのがジャパンレザー ワードっていう経済産業がやる川のコンペ だったんですよ。うん。で、今はもうその コンペはどっちかというと商業的になっ ちゃったんですけど、その当時は カーサルータスとかとタイアップしてやっ てる時で、ま、その当時、えっと、審査 委長がの方が三原泰さんとか長さんって2 の方とかていう、ま、活躍されてた方がさ れてたので、で、そこに、え、出したん ですけど、ただそん時は洋服ではなくて、 そのレザー部門の中にあの洋服、鞄、靴、 手袋とかいくつかこう分かれてる中で、 えっと、僕は出したのはそれが靴で出したんですよ。で、右曲接あったんですけれども、ま、一時審査はそれが受かりました。 で、それはね、羊の靴のようなね、なんかこう皮がくるくるっとなってるものがありまして、インスタ ありがとうございます。へえ。 結構下の方にどっちが上? あ、そう、そう。こっちが新しい方。 そう。あ、いい。今のは古い方に、 こっちが新しい方。 えっと、あ、これですね。この 、これがあの初めて作った靴で、で、その 当時はなんかその靴のヒールっていうのが 太いとか細いとか高い低いであと装飾ある かどうかみたいなものが多かったんです けど、こういう構造的なものからこう 新しい形っていう形状が全然なかったので 、なんかこの靴をこうデザイン画として 出したんですよ。で、そのデザインがって いうか、その、えっと、靴のコンペの中2 種類あって、その靴職人の人が自分でその 靴を作って出すっていうものとデザイン側 を出して、えっと、その靴協会、ジャバン レザウドに加入してる靴協会の人、浅草 だったりとか、いろんな靴メーカーの方が 制作してくれるっていう2つあったんです けど、僕は今まで靴を作ったことがなかっ たので、まずはそのデザイン側を書いてで 、職林さんに作ってもらうっていうことを 前提にあの、 デザインを送ったんですけど、一時審査通った後に、あの、もう本当に翌日に連絡があって、すいません、この靴作れないんで、今回なかったことにしてくださいっていう風に言われてしまって、 ちょっとそれは困るので、自分でどうにかするので、とりあえず一時審査通してもらえないですかっていうことで、で、そっから、えっと、靴を作ってくれる神戸の工場を見つけたりとか、あとはここのヒールの部分って中が木なんですよ。 で、木をこう削った上にレザーを被す、 靴下のに被せてやってるんですけれども、 じゃその木を削ってくれる、あるいは一緒 に削って協力してくれる人をまず探す ところから始めて、で、ま、どうにか形に することができて、で、それが えっと、ま、グランプリを取 るっていうところに繋がったんですね。で 、ただま、そん時のその審査委員長が三原 泰安さんっていうこともあって、僕はその 高校の時によく三原さんの靴とか服を買っ てたんですよ。から、ま、そのあくまでも これは自分の靴としてのポイントだったの で、1回三原さんに、ま、 プレゼンテーションとして自分のブックを 持っていって、で、ま、働くないし、ま、 勉強させてもらおうと思って、あの、交渉 しようと思ってたんですけど、受賞式に 本人が来ないことがあったりとか、で、 まさかね、いらっしゃらないと思ったので 、すごい楽しみにしたんですけどなので、 ま、だって新請委員長でしょ。新委員長い のすごいね。 いや、すごいなと思った本当に。 それで、ま、後日改めて連絡をさせてもらって、で、ぶを持って話をさせてもらったんですけど、なんかもう結構 2 時間ぐらい説教っていうかダめ出しをしていただいて、まずそもそも持ってきたブックが薄すぎるっていうこととか で内容もそうだし、君より前に来た子はもう君の 3 倍の厚みのものを持ってきたんだけど君はそんな薄いもので何をしようと思ってるんだよみたいなことから 始まりでまず今回のそのコンペに対して君に対してなんでグ あげたと思うって言われて うん。 で、それはデザイナーがデザイナーの元で免許するっていうことはもう違うんじゃないかっていう風に言ってくださって、あ、もうこれはもう自分でやるしかないというか、ま、あるこを認めてくださったっていう側面なのかなと思っていて、で、あ、じゃあとりあえずもう人に頼るんじゃなくて、えっと、ま、自分でやらないといけないのかっていうところからもう大変なこう時期が続くわけですよ。 あ、え、大変な時期、大変な時期から何年ぐらいのあの、 えっと、ま、次の、ま、大きいこう でも34年ぐ、3、4 年ぐらいはかかったんじゃないですかね。なんかそもそも靴作れないじゃないですか。だから、えっと、この翌年に作った靴とかは、えっと、年間 2速ぐらいしか作ってる。 だってそもそも靴を作るという専門的な勉強してるわけ。 00じゃないわけ。独学じゃないですか? そうですね。 それからみたいな。 そう、そう。だから、ま、やっぱりこう自分でなんか作れるようになった方がいいんじゃないかと思ってね、関西とかで色々調べて靴のわゆるビスポークってメンズのオーダーシューズを作ってくれる、えっと、あるいは、えっと、一緒に作ることを教えてくれるっていう、ま、靴教室があったんですよ。 だ、学校に1 年以上通っていうのはちょっと自分の中で時間かかりすぎるなと思ってなんでまずは 1 回靴に通って1 からま、型を例えば削るとか すいません。それが何年ぐらい?何年? 2000 え、えっと僕が23種ぐらいの時なんで 18年ぐらい前かな?18年前?うん。 なるほど。 2006年ほ とかですかね。で、実際なんかその自分が 靴1速を、ま、メンズなんですけど作った 時にめちゃめちゃ大変だったんですよ。で 、よくよくそれ考えたら皆さんはその靴を 作るために何年も修行してそれだけを ずっと作るっていうことの時間を費いやし た、ま、技術っていうものがあるわけじゃ ないですか。だ、それを自分がしかも自分 が納得するクオリティを作るまでに、 えっと、修行しようと思うと何年かかるん だいって思って、そう。 で、それは一旦もう自分で作るっていうことを諦めようと思って、で、それよりかは、ま、デザインとかあるはその靴職の方が想像できないような物づりを自分でしようっていう風になんかこう思考を変えたっていうか うん。 あの、結構大きなきっかけですね。 で、あと当、当初は、あの、なんかこう日本人であるっていうこと、ま、特に海外に 1 回行くとなんか日本人のアイデンティって何なのかって言った方が余計に考えちゃうんですよ。 ま、僕の経験上ですけど、 で、なんかそれを考えれば考えるほど日本に帰った時に日本人らしさっていうものをなんかこう作品に思いを込めたいみたいなものがどんどん強くなってきたっていうことと、あとやっぱ京都に住んでいたのでそのいろんな日本の技術っていうのがま、修席してるっていうかたくさん残っているので例えば塗りを使いたいなとか、あるいはこう彫刻の部分を武資さんに削ってもらいたいなとかなんかそういう職人さんの記術を使って表現したいなっていう風に思 てなので帰ってきた最初の えっと最初じゃなくてあ違う えっと ねなんか髪の毛が生えた靴とかその後物資 さんにこう削らったちょっとこれは分かり にくいかな?あ、これですね 。うん。 えっとこれが、えっと、その2速目に作っ た靴なんですけど、なんこの丸いところは 物資さんに削ってもらって、で、そのR っていうのを出してもらって、で、ここは あの本じゃないんですけど、ま、一応 うし塗りに近いものをやって、で、なんか その当時素材についても色々考えてて、 なんか人間って動物の素材使うのになんか 自分の一部って使うことないなっていう ことが結構違和感があったので、じゃあ その素材の一部として人間も捉えた方がいいんじゃないかっていう風な考えのもとをこの尋毛っていうものを使ったりとかあとここの白いこれは白いレザーなんですけどこれは白っていう姫路のレザーなんですけどこれはえっと [音楽] まムシ白まムシな飯 な飯しな飯しなし ま虫シってなんだよなしなし舐めすって皮を舐めすっていう あるんですねえ一感識なし なめいや、どうなんすかね。なし側って言うよね。なし側ご存知じゃないですか?あ、うん。あ、そうですね。共容がないってことで。はい。なるほど。なるほど。非常に残念ですけど。ごめん、ごめ、ご はい。その舐めすっていうものがあって、で、これ、えっと、当時はあのブグですね。あ、鎧いとかに使う技術なんですよ。 なんか姫路ってとてもあのレザーがすごく有名なところでで元々は鹿側なんですけどでそれをこうまだ単人とかそう色をつけるんではなくてそのレザーのままだものを舐めすと皮でこう洗ったりとかするとこういう白に独特なまいの色になるんですけど なんかそういうものをその当時はすごくこうリサーチをしていて でま作に入れるっていうものをま作って発表もしてたんですけど でもやっぱりその発表してすぐの時は全 ま、評価されなくてというか 発表の場所っちゅうのはなんかどういうどういうところでそのタイミングだと これもそうですね。うん。 で、えっとそれもなんかえっとねもうそとにかく出せる場所っていうのがなかったから [音楽] その翌年も僕レザーワードにもう1 回出しちゃったのうん。もう3同じのに3 回ぐらい連続で取ってやろうと思ってそうなんだ。 うん。で、2 回目はでも手袋出して審査委員長特別書みたいなもらってで 3回目にこれ出した。 すごだ。すげえうざかったと思うよ。なん、なん、 それ、え、でも具体的なんかあの反応はどんな反応? えっと、ね、2 回目の時は別にあ、また来たなっていう感じだと思うけど よく出してたのなんかあ、なんかある持ってるね、君みたいな。 うん。まあ、どこなんだろうね。3 回目はちょっと顔引きるよね、運営した的に。 うん。うん。なんかその運営人とすげえ喧嘩しちゃったの。 なんで え、なんかその何を基準で選んでるのかみたいなところがどんどん商業的になっていってるから。 だからその運営の人に対してその選んでる基準と何のためにこのコンビをやってるのかっていうのクレームをすごい言ったの 出すなって言われるよね。もうあの嫌なら嫌なら見なくていいですよ的な話になっちゃう。 で、ま、自分としてはクリティカルみたいなものができたと思ってるから これ評価しないのなんでだよみたいな他の見てみたいな感じで。 え、あ、ごめんなさい。これ、これはどういう、どういう評価だったんですか? 3回目。 いや、それはね、もう全、全然スルーだったと思う。 何も評価されなかった。これは。 ええ、入戦もしなかった。 入もしなかった。入もしなかった。 入もしなかったです。3 回目だから多分うざかったんだと思うよ。 うん。 ま、大体そういうのなんか電動入りにさせてお役ごめ的な雰囲気に うん。じゃないでも多分すげうざかったからすごい言っちゃったから。 そうでそれでもあのすごく僕はこれ自身は 作って良かったなって思ってるのはこれを 制作して32年後か3年後ぐらいにあの ニューヨークにあるFITっていう ファッションインスティートテクノロ ジーっていうファッションの大学とあと 美術館が併設してるというか一緒にやっ てるところがあるんですけれどもそこの えっといわゆるアワードじゃないけどその 美術の展示 の展示かなにもお声が書けをいただいてで、さっきのあの金色の方ですね、なんかこっちの方がえっとその美術の展示の広告の広告に使ってもらえたんですよ。 [音楽] それそ、その、えっと、お声がけたいたきっかけとしてはどういう経緯でこう連絡があった? えっとね、メールで普通に直接 てことはその方は何をご覧になって 全然わかんないね。 あ、それは知らないね。うん。 あ、え、多分そん時は、ま、今で言うとX とかTwitter みたいなものとかうん。 それが何年?もう2011年以降の話。 え、あ、でも11 年ぐらいかもしんないね。 あ、じゃあ本当にXあ、ま、 Twitter があの、出始めたタイミングだかもしれない。 そうでなんかそれでちょっとま自分にとって自信がつくっていうか日本で評価されなかったけれどそういう海外のま、叱るべきっていうか、そのファッションの文脈がある美術館にがこういう風に自分に、ま、声をかけてくださるっていうことがあ、なんかすごく自分の自信 じゃ、これ2011 年のタイミングでこのビジュアルだったの? うん。こ、かっこいいよね、これ。 ありがとうござい、 これす、すっごい好きなの。本当? いや、いや、なんだろうな。 その今ね、あの、ずっと、ま、ちょっとまた後で話聞きたいんだけど、そのクのその靴ってさ、 靴じゃないよね。あ、いやな、履けでも履けるんだよね。 うん。そうだよ。 いやいや、えっと、あれだよ。あえと褒めてるので、あの、その靴なんつうのか靴というその、え、使うものじゃない。 若にとって靴って何なの? いや、だから普通に履いてあの足を守ったりとか要は機能的なデザイン的な部分から があの基本的には靴のあのまでの靴っていうのはすっごく使いたくない言葉だけどわゆるアート的表現 まデザインの枠から出たあであるとでそれの要素がすごく強くあるなっていうのは分かるでその代表的なビジュアルが結構さっきのあ あの、ビジュアルにもあるのかなと思って。それ何かと言うと、一見すると靴にわかんない。靴だと、あの、見えない。 うん。うん。 あの、これは靴ですよって言うとなるほど。ここに多分足入れんだろうなってなるだろうけど、あの、靴って言われないとあ、そういうのを知らないとただかっこいい。なんか、ま、なんかちょっといけてる感じだなみたいな。これ、これ褒めてもらってんだね。ありがとう。 違う、違う。そう。ごめん。本当に褒めてる。いや、いやっていう意味において、で、それが、 それが2011年の段階で、これ2000 ごめん。9年だわ。作ってた。 さっきのさ、さっきのやつ。あれも 2009年かな。 いや、だからそうだったらなおさらよ。 その、えっと、わゆるSNS が牧行する前のタイミングで、 [音楽] あの、いわゆるこう、今でこそ、え、もともの、あの、靴とか服とか、あ、そういったもののジャンルの枠を超えて、え、新しい何かこう、う、そこにとまらない、え、もの、その教会戦を曖昧にするっていうのが 2011 年以降の、あの、すごいキーワードの1 つになってる。ま、働き方も全部全部。そう。 そこのあのワードに全部あの当てはめられると思うけど、そういったことを、ま、やっぱずっとあの、そのままさにその前からずっとやってきたんだなっていうのを今こう改めて見て思ったていうのって。 [音楽] うん。多分僕自身がえっとファッションからインスピレーション受けて物づりしてなかったんですよ。 もちろんファッションはすごく好きでコレクションとかは見るんですけどそこにないものっていうのをずっと求めていてでえっとたえその当時多分僕が 1番影響を受けてたのが中川幸夫っていう 家の方なんですけどその当時からあ でその人は グググってくださいすぐ出るんですよ でまその人が作ったま稼働家の傘なんですけどまゆるそれも本当にまシュールリアズムにも通るものもあるしえっといわゆ 花の概念をこうぶち壊した池花っていう 概念では全然ない物づりをしてる方があっ て、で、その人の作ってるこう池花が 小ギャラさんのなんか洋服のフォルムに インスピレーション与えてたりとかそれ僕 後になって知るんですけれども、とにかく そのあ、しかもそれ知ったのがその海外に 行った時にこうリサーチをしてくださいっ て授業があって、今1番新しいもの自分が 最先端だと思うものを探してくださいって いう授業があって、で、それでずっと何か 本だったりとか行ってずっと色リサーチし てた ですよ。で、僕はそれを見てなんでこれは斬新で新しいものなんだって思って見つけたものがもう 10年以上、20 年近く前に日本人が作ったものだったんですよ、たまたま。 そうですね。 なんかそれは僕にとってすごく不性を感じたものだし、事態をいつ切り取っても新しいものであるっていう風に思って、で、それが多分僕のある種のこの美意識のそ持というか 1つのあの記録として残ってるっていう。 その、その授業いいね。 いやいや、あので、それはたまたまだよ。たまたま結びついただけだから。 その考えたとえらいい、その、自分が最先端であるものをあの考えてプレゼンしてくださいっていうのは最先端ってことは今ないことじゃん。 うん。そうだね。 ま、でみんなが気づいてないことでこれが再戦だと要は発見するクリエイティビティが必要になってくる自分の目線が。 だから過去にあるものはいや、これ最先端ね。今流行ってるだけじゃないですか。 最先端っていうのは今ちょっとだけあのこうヒットしてるけどでもこれからこの感じがガンガン行くよみたいなっていうところの部分の目線がないとあのそこに対しての再先端っていう風なあ要はあの授業だからあのま有劣をつけるってなった時にま僕がもしそれを問いを出した時に今あるものは最先端じゃないのであなたが見た再先端は何なのかっていうとこ見たいから うん。そうだね。 なんかそういう意味で言うとやっぱファッション業界の最先端っていうのはやっぱり今である で今斬新であるとかま気を寺っていうと抜たりとかいわゆるムーブメントみたいなものを捉えるっていうことの感覚性なものがとても重要とされたので僕がそれを持っていってそのイタリアのあのマナゴの学校の先生に出した時にはこいつ何持ってきてんだみたいな感じだったよ。 うん。へえ。 うん。からであと何年のものなのかとかって言われた時にえな。 なんだクのみたいな。なんかイタリア人の方ってちょっとわかんない時とかあってボって言うんですよ。ボっつってすっげえなんか嫌なボって言われてなんだこれつって。 あ、じゃあその評価はその低くな、あの、高くなかった? いや、全然低かったと思うし、それがファッションと何が繋がるんだっていう なるほどね。 感じだったと思う。その当時は。 え、でも自分的にはそれは信じた再先端であるっていうのは過去たれ何かがあったみたい。 そうだね。 なんか、ま、今こうやって話をしさせていただきながら原点を辿どるとそこはなんかもしかしたら どっかでぶつかってたと思うよ。きっとなんかその中川教夫っていうあの素晴らしい方には何かでぶつかってたとは思うけど、ま、その海外に行ってそういう授業があったからそのタイミングで会えたっていうのはある気がしますけどね。 いや、不縁変的ですね。 再先端を求めて考えると結果封的なものに至るかつ、ま、自分が今見てない新しい景を見せてくれたと思えてそれを辿どると 30 年前の作品だった。これはんだっていう、ま、いろんなろんな方向での衝撃があるっていう。 確かに本当にいい作品っていうのはそうなるよね。うん。 うん。 なんかその影響があったからさっきあの赤さが言ってくれたみたいにじゃ、このビジュアルがっていう風にあったのはなんか僕は靴を靴として見てなかったんだと思う。 うん。見せ方としてっていうか、 いや、あの、先取りなんですよ、やっぱりね。ちょっといや、ちょ、あの、す、だから、あの、すごい表現が設、あの、ちょっと単純すぎるかもしれないですけど、まあ、一応そのいろんなところで結果は出して社会的にね、あの、色々し知られてる人だからさ、 [音楽] ま、一応知られてるじゃん。あ、はい。 うん。 でね、だからそのなぜじゃあそういう風な人になれるのかとか、 ま、多くの人はあのそこにそこ1 つこう、あ、疑問というか興味あるポイントかなって思ってまして、慣れる人と慣れない人の違いは何なんだろうって思うことがあって、その 1 つとして、ま、クシーとずっと色々こうコミュニケーション取る中でやっぱりそこのこう、え、見てる視点が、ま、常に不的な部分を気に考えつでも結果それがなんか時代のちょっとだけさ、あ の先というか、あの未来を示してる部分が あったりとかして、で、今のそのあの、 えっとデザ、デザインそしてアーティスト としてのクッシのその編遷を聞いた時に そもそもあのTwitterの全夜から そういったことをあの結果的にやって たっていうのが なんかあまだそういだから今のこういっ た結果になるんだなっていうのをちょっと こう不に落ちてがあってうんなんか多分今 は、ちょっと言語ができるようになった けど、時間の捉え方だと思うんですよ。 なんか、ま、あくまでも時間っていうのは 一方向に進んでいってるじゃないですか。 で、それで過去現在未来という風に見てる と思うんですけど、でもなんかそれが過去 現在未来ものが同時に存在するっていう 概念を持てるようになると多分その 性も身近になるっていうかうん。だから今 があるから過去があるとも言えるしはい。 えっと、があるから過去があるで、過去も過去があるから今もあるっていうなんかそこのまま苦労するっていうかたその捉え方っていうか、そのもの概念みたいなところがなんかこう不に落ちると割とその美に対しての不性みたいなものっていうかタイムレスな考え方になるような気がする。 いや、あの、はい。あの、10 年ぐらいお付き合いさせてもらってて、なんか初めてした会話がだったんで ちょっとうん。 あ、すごいねと思ってなんかちょっとよかった。あ、で、ちょっとここで、あの、ちょっと僕すっごい 1つ忘れたことがあって、 乾杯しなかったんですよ。 あ、すいません。 確かに皆さん、あのね、ドリンク持っていただいて、あの、一応ちょっとね、やっぱお酒入れながらこう行こう行こうみたいな感じがあるんで、ま、ちょっと皆さんも飲んでいただ、ちょっと緩い感じで、あの、行っていただければ、今日はじゃ、皆さんよろしく。乾杯。どうもです。 [音楽] 全然しなかった。本当。 うん。 っていうので色々やって上く説があり うん。 ま、なんか多分こっからギャってこうスピードを上げていくとなんか僕の中でいくつかターニングポイントがあるんですけど で、ま、1 つはそういう海外の美術館で展示していただいたっていうこととでやっぱりあのその次に 1 番大きかったのはレディガっていう、ま、アーティストに履いてもらったっていうことがやっぱ非常に大きかったと思います。 そこ、そこがやっぱりこう1 つの、ま、よく言われる、紹介する時によく言われる話じゃない。 ま、分かりやすいからね。 分かり、ま、一般の人にこう広がりのところで、 ま、とてもある種なんかもちろん僕以外にも縦花さんっていうあのシューズの、えっと、アーティストの方がいらっしゃるので、え、なんかよく比較されることもあるし、どちらが間違われることもたくさんあるんですけれども、ま、それも含めて、ま、そのレディガガガっていう現象ですよね。 その時代を作るっていう現象が起こったところに自分がたまたまコネクトをしたっていうだけではあるんですよ。で、ま、例えば日本でもレディガが来た洋服を作った人とか各国に本当にめちゃめちゃいっぱいいるんで、だからそれがどれだけすごく効果的だったかって言われる。 だ、効果的っていうか、あの、別に僕1 人ではないし、高々、ま、えっと、 数人とかで、 そう。それが、何年でしたっけ?ガガガの云かの中の 何年だった?大体何年? えっと、ね、僕の場合はちょっと時間差があったんですよ。で、なんか元々は えっと、その、それもTwitter だったんですよ。で、まだそのレディガっ ていうアーティスト自体が日本でそんなに 著名ではない時にそのスタイリストの方が Twitterで、ま、こういう海外から アーティストの人多分初なり日の時だった と思うんですよ。えっと、ま、リリストの 人が彼女に何かこう提供できるの方 いませんかっていう風に募集があった時に 自分がコンタクトをしたのが多分1番最初 ですね。うん。 でもその時はあの僕ではなくてまず縦花さんの靴だったりとかっていう、 ま、この戦いと言いますか、やっぱその時の選択ってあるじゃないですか。で、うん。 僕はやっぱその時になぜ至らなかってすごく大きな理由が 1 つ自分あると思っていて、それやっぱ時間の問題だったんですよ。 [音楽] ね、彼女が日本で何日してで、そのミュージックステーションかなんかだったかなの時に白靴を作ってくださいって言われて多分ちょっと細かい日に日は忘れたんですけど 1週間か10日だったんですよ。で、1 週間か10 日に新しい靴を提供してくださいって言われた時にやっぱ僕はできなかったんですよ、正直。 うん。それはやっぱ僕1 人で作ってなかったし、いんなチームで作ってたしで、その毎回やっぱり僕 1速同時作ったのって3 ヶ月から半年ぐらい新しいものを作ってたのでやっぱりそれに叶わなかったんですよね。で、あるものは提供できるけどでもそれ別に歩けやすいわけでもないしとかなんかいろんなこうハードルがあってで、ま、靴自体を確か送った記憶があるんですよ。 だけども、ま、最終的に選ばれなかったっていう。 自体は作らま、あの物自体はもう送った。 そう。なんか僕は新しいものをこの短時間で作れないんで で今あるものだったら提供できますっていう感じのアプローチをその時はしたっていう感じかな。うん。うん。うん。 で結局、ま、そこからえっと彼女に入ってもらうまで多分ね、 1年半か2 年ぐらいやっぱり時間があって、で、その都度例えばニューヨークだったりとか撮影の時に送るんですよ。 なんか例えば白のこういう靴が欲しいとか、こういうのが何か、新しいの何かって言って、 あ、細かく結構そういうやりた。 ある、そういう時があるんですよ。あ、 で、もちろんなんかそのニューヨークに送る費用とか全部出していただくんですけれどもなんかそれで結局履いたかどうかっていう、ま、ちょっと他の人はわかんないですよ。でも僕の場合は彼女が着用したかどうかっていうのはビジュアルが出た時に初めて聞くんですよ。 うん。 だから時間が何ヶ月か経ってあの撮影がものがおらくこのビジュアルでやろうと思って、ま、楽しみにするわけじゃないですか、その時は。 [音楽] うん。 で、見た時にいや僕のじゃないやんかとかうん。あ、また彼のかとかなんかそういうこうもかしいものがずっとこうめいく時間がやっぱりすごくあ、ありましたけどね。 うん。 で、で、ま、その何年後にアートポップっていうミュージックビデオに、ま、ビジュアル的に履いてもらう。 機会があって、で、それも面白いなと思ったのは、えっとね、作品で言うとこれ大丈夫?僕この話長くない? いやいや、えっと、あの、えっと、基本的にこのイベントは、 あの、僕のこ、僕の話はもういいやんみたいな前提の、あの、え、鉄ツ子の部屋的な感じで。 ああ、なるほどね。 あの、今日何?今日、今日、今日何?デザイナーそうなの?アーティストなの?みたいなそんな感じのニュアなんで、あの、クッシーのこと色教えてしい感じです。 はい。 じゃあそのままでいいね。えっと、ちょっとこれは 3D データになってるので分かりにくいかもしれないんですけれども うん。えっと、こういう、ま、フォックス テールルって言われる、言われるというか 、ま、自分で呼んでるんですけど、ま、 作品があって、で、この時は あのブンダーカンマーっていうのをテーマ にしてまして、で、皆さんブンダーカン マーってご存知ですか?なんか中世 ヨーロッパ16世紀とか17世紀ぐらいの 貴族の間で流行った文化があるんですけど 、いわゆるすごくお金を持った不裕層が その当 見たこともない品例えばえっと妖精妖精つ本当にいるわけはないんですね。に人口的な妖精の形をしたようなものとかあるいはえっとの切りザメのこういう角とかあとは白とかだからなんかそういう変なものを集めて でそのある部屋に沈してるんですけどそこに呼んできて驚かせるっていうま貴族の遊びみたいなコレクションがあったんですよ。 で、その中にキメラっていうジャンルが あって、多分皆さんご存知だと思います。 なんかゲームとかでも色々あるいろんな、 ま、気ラとも言ったりとかするんですけど 、いろんな動物が、ま、ミックスされて、 あの、構成されたあの架空の生き物って いうのがありまして、で、その当時僕が そこにこう興味を持ってなんか作ったのが これで、で、えっと、ま、何が僕にとって 決めだったかって言うと、ちょっとこの 写真じゃ分かりにくいんですけど、 フォクステールっていう、ま、狐っていう 動物がいて、で、猫足のところが蛇で ライオンがあって、牛側があって、最後 に人間が履くっていうことで新しい生き物 が生まれるみたいななんかコンセプトで 作ったのがこれだったんですよ。で、この 靴は実はロングとショート2種類あってで 一応2速送ってたんですよ。そのリガさん の撮影に。 したら、えっと、出てきたビジュアルが右と左が長いのと短いの履いて出てきたんですけど。 すご。 いや、それはやっぱり、あの、すごい面白いなって思って。 面白い。うん。 なんかやっぱりこう自分ではこう思いつかないっていうかなんかそういうスタイリストの面白さみたいなのがなんかそこにあるなっていうのをは結構あの勉強になったというか。 で、ま、そこをきっかけに、ま、例えば来日した時とかに色々靴を履いてもらったりとかなんか、ま、断ることにっていうか、ま、色々履いていただく機会が増えて、ま、その分なんかあの、当時とかってその、ま、不安の方が勝手にこう宣伝してくれるわけですよ。その通りに誰が何を履いたっていうものがあって、ま、それインスタもそうですけど、それが勝手にそのファンの中でアーカイブされていくんですよね。 うん。 で、その時にどちらかというと、そのブランドのものっていうよりかは個人で出してるものなので、なんか、ま、 1 つ目につきやすかったというか、で、あとは、ま、造形的にもあまり多分、ま、他にのファッションブランドがやってないようなことをその当時できていたと思っているので、なん、そういう意味で言うと割とこう注目、その中でも注目していただけたんじゃないか。 それが大体何年ぐらいですか? めっちゃ年代言うね。え、違う違う違う。 なんかあのなんか自系列付きど違う違リアが何年に何なんかねそのじなんだろうな。そのなんでじゃあクッシーがあのこういう目あのこの今の形として出てきたのかな。例えばもしかしたら 10 年前だったら全然出てこなかったかもしれないっていう思いがあ、 10年ぐらい前で あ、違う違う。えっと、え、スタートが 10年前とかだったらね。ああ、そう。 うん。 あ、だから僕はすごくあの最後になんとなく言おうと思ってたけど あのだから本当に時代が求めたんだなっていう風に僕は思っていろんな表現の仕方あるけどうん。 ま、結果的にその当時それが、ま、必要だった、必要にしてくれたっていうのはあるかもしんないけど いや、なんかこのクリエイティブな世界って、ま、何でもそうかもしんないけど、あの、それが、あの、その人が残るとか、あの、え、その人が評価するされされるみたいなんで時の海みたいなところもあるじゃない。 で、それが狙ってできるのかそうじゃないのかっていうのも色々あると思うけど、 ま、あの、一応、ま、話を聞く限りではその狙ってその時代にコミットするっていうていうよりかは、ま、自分なりに本質をこう求めて、え、突っ込んでいった結果それがたまたまちょっと早い、え、時代における早い段階で、え、それがこう、え、あの、センスのいい人、感覚のいい人、あの、本質的な人に引っかかって、え、ま、何年かこにそれ、そういった感覚当たり前。 [音楽] うん。うん。そうだね。 ていうのがあったんで。いや、そもそもいついつ?あ、俺だけ興味あるのな。なんで?いや、なんか僕自身がなんかある種何年に作った何っていうのはあんま、あんまっていうか全然興味がなくてというか えっと多分かんないけど評価する側からするとあのそのえっと何でもアート作品でも何でもそうだと思うけどあの今めっちゃうまい絵書いてても評価されないじゃない? うん。 え、だけど写真の技術がない時にめちゃうまい帰ったらすごいってなったわけじゃない。だからどの時代にどういった表現をするかってめちゃくちゃ重要でなんでじゃあクシーがそうやって評価されてるのかっていうことを客観的に認識するためにはそもそもどの時代だったのかっていうことを考えなきゃいけないっていううん。あ、ええ、 違う。 いやいやいやいや、それは、ま、客観的に言っていただくのはすごくありがたいけど、でもそれはなんかさっき言ったみたいに僕自身がその時間の概念っていうものがあ、あんまりないからいやそれはえっと僕作家の問題っていうよりかはま、関節的にっていうか結果僕のことに戻ってくるのであろうけれどもその時代の変線遷みたいなところっていうのは僕はあんまり重きに置いてないっていう。 あ、ま、ま、一応そのなんか、あの、なんか いやいや、分かるよ。言ってること。 あ、ま、ま、ちょっとなんかこう、あの、なんだろうな。 えっと、今日クシを呼ばさせてもらって、じゃあなんで今クうができてるのかとかっていう背景とかは、あの、誰でもそんなことできるわけじゃないし、 だからな、なんでこうなったのかみたいなことを、え、ま、他人が認識するためには 分かった。年代を言う。 年代を言う。 でもあんま覚えてないから間違えてる。 いいよ、いいよ、いいよ。い、雰囲気、雰囲気。あの、 SだからSNS が出てきたとかなんかそんな感じだから。 うん。あ、じゃあ出てきた時だね。僕の だめ。いや、全然いいよ。全然いいよ。むしろちょうだい。 全然。そっか。うん。違ったか? いやいや、全然違ってないです。ちょっと続けて。 いいよ。続けて。あ、僕がね。うん。 うん。ガガガがありました。 あ、そう。ありました。 で、ま、それをきっかけにやっぱりなんな美術館の方とかが、ま、色々こう、ま、知ってくださって、そっから、まあ、多分なんだろうな、えっと、いくつかの美術館、ま、その当時って今、今より、ま、こういう意味で言うと、そうだね、君が言う、こう、えっと、時代的なもので言うと、その当時はやっぱりファッションっていうものがより華やかで、美術感ってものがより今よりもフォーカスしてた時代だとは思います。 うん。 例えばそれがさっき言ったガリアとかマックインとかっていう華やかなところがまだあの存在したみたいなところがあってで、ま、例えばマックインはあ、年代忘れちゃった。つ死んだか。 いや、そうちょっと何?嫌みいいの?いいの?いい。そういうの いい? そうなくなったりとかして、ま、もちろんそれは時代と共に今、ま、ファストファッションも含めて、ま、色々なかって確かに変わってきてる。 その若い時代の編成で言うとけどその時は いわゆるその華やかだったりとか 面白いファッションっていうものが ちょっとアートなのかファッションなのか とかなんかそういうところにえっと注目を 浴びたクリエーションをした美術館の 展示っていうものが結構増えた時代んだと 思ういと思う よとかデザイナークリエイターの自分の やりたいことをや ある。もうそれがシンプルかもしれないけども、それが評価される背景ちゅうのは時代というものがあるわけであって、 その時代がどういうことだからこうなんだという話っていうのは、あの、視点としてすごく重要だなっていう風には、 ま、思っていていや、で、なんか、なんかそこの部分を、ま、本、本質と今の話はちょっと違うんだけども、 あの、でも まあまあはい。 そうなん。ちょっとなんかそこをこう突っ込まれると思わなかったから。そっか 違うかなんかいだってさアで 構造認識するためにはそこの歴史 構造主義の話ですか? あ、そうそうそうそうそうそう。本当でも大切じゃないですか? そうね。 でうん。アートも結局そうじゃん。 その時代によって今さ、それこそ多様性っていう風な、ま、日本は遅いけど言われていて人的人感の問題があって、えっと、性別感の問題もあってっていうところの話があるから、今 1 番そのなんだっけ、ベネチャビになれとか、いわゆるアートの最先端と言われてるようなところでの多くの出品者はそういったところを描写した作品が増えてるわけでしょ。 で、これがそこの波に乗れるか乗れないかっていうのは、あ、だから自分がそこの部分を分析してやるっていうよりかはそういうことをそもそもそのタイミングでちょっと前のタイミングからずっとやってた人にやっぱりあのその人の方が本質的な表現をやってることの方が多いと思うから うん。ま、結果的にそんな そうそうそう。だからそれが時代の長寿だっていう風に言われたりとかするっていうそうだね。 話であると思うけど。 なんかだから最近そういうのがすごい嫌だなって思うんだよね。 分かるよ。うん。 分かるんだよ。分かるよ。 本ん当?いや、分かってる。 分かってるのかな? 分かった。わかった。あ、じゃあ何が嫌なの?教えて。 いや、なんかやっぱりそういう、ま、概念っていうか、なんかこうレドっていうか、なんかそういう考え方がに、えっと、ま、求められるわけじゃないですか、作家って。 求められる。 うん。で、なんか別に求められてもやりたくもないこともいっぱいあるし。 そ、だからそれがだから今求められるってことはもうすでにある概念なので作家からしたらつまんないんで、え、ちょっとそれもうみんなと同じことやるのやりたくないよっていうのでそれを通した上で何かそこに対してのあのカウンターをやるわけじゃん。だからそれが最初はえってなるけどそれの絵がいや実はこの次の時代をやっぱり掴んでたっていう風に新しくそれがどんどんこう進んでいくっていう話だと思うんで うん。うん。 あ、えっと、え、一応僕、あ、僕、あの、え、画家っていうか美術家なんですけど、僕も一応作品作ってるんだけど、僕が普段そんなことを前提に考えてるわけじゃないよ。ま、物作る時当たり前だけどよ、あの、うん、うん。まと態度としてね、今回、 そう、そう、そう、そう。 あの、話を聞く形として、あの、僕たちがさ、 やっぱ作品作る時やっぱ最後は気合いだよねとかなんかなんかそういう感情論とかなんか僕たちの知ってることだけで話してると、あの、聞いてくださる人に何もね、 確かに。確かにあの、残せないかなって。 そう。すいません。クッシーの構造。 はい。 で、え、続けてください。続けて。 うん。 あ、僕は何が言かということ?違ガの後違。 あので、いや、あの、今自己紹介のあれだからだいぶ尺。 そう、違う、違う。あのね、一応ね、あの、プログラム組んでるんですよ。あの、何分まで何の話してそもそも今日ね、あの、新作のホロウエルフスの話をするっていう話なんだったんだけど、ま、なんか全部あの、溶けて、あの、ほ、 うん。溶け、け、そうだね。 うん。オ、オッケ。だから2 つでいいかなと思って。 あの、あの、だから追い立ちじゃなくて今までのクリエイター、あ、えっと、アーティストとしてのこの人生を話すのと同時に今本席的な話もしてくれてるからで、今そう、今までの話をしていただいて、その後、あの、未来の話をしていただくんではい。もちろんです。きましょ。 いいですか?ありがとうございます。 で、で、え、何話したっけ?あ、その、ま、えっと、あ、いくつか他人コイントがあったって話だよね。 はい。 で、それで、ま、美術館とかしてもらって、で、あ、で、えっとね、そう、僕の中でいくつか、えっと、その作品が変わっていくフェーズっていうのがあるんですよ。 うん。 で、えっと、まだこういう時は自分の中で靴っていう形状の延長線上なんですよ。 で、 例えばこの辺ちょっと後ろだから見え にくいんですけど、えっと、この辺とかの 作品は、え、な、僕がやっぱり その、同植物っていうものが身近にあった ので、装飾品としてというか、装飾として のなんかこう素材としていろんな動物の 素材を使いたいなっていう思いがその当時 はすごくあって、やっぱ美しいっていう ものが前提としてあるんですけど、なので 、あとなんかこの時は特にその、ま、 ファッションションって言われるものの いい素材って何なのかて言うと、もう すごく分かりやすく言うと、 えっと、なんか例えばこれとかってそう ワニ側を使ってますとかで、これはあの 水ヘビを使ってますとか、いわゆるこう 貴重品であるとかなんかそういうものが ファッション業界において良し とされてるっていう側面は今もどうしてもあると思っていて、例えばヘリメスとか、ま、ケリとかバーキンとかの素材がワニ側だったら高いみたいなところがどうしてもファッションの中であって、で、あともう 1 つ自分の中で葛藤があったのがもうこの当年フェイクレザーもいっぱい出てるんですよ。 いわゆ的にけられたワ側とかってあったんですけれども、でも自分がそれを使って残した作品が例えば何十年あるいはもう 100 年以上残るって考えた時に偽物の素材を使ってるっていうものが歴史に残るっていうことはどうなのかっていう葛藤がすごくあったんですよ。その当時 やっぱちゃんと見てるね。歴史をその構造的に時間軸もちゃんとね。 あ、じゃ無意主義できてたのかな。 そうだね。うん。続けてはい。 なんかそういうのがあって、で、ただあ、ま、そうだね。そういう意味で言うといくつかちょっとそれを考えないといけない時があって、で、その大きな理由がやっぱ海外の美術館、えっと、パレにあるルーブの隣に装飾美術館ってあるんですけど、そこにすごく大きい靴の展覧会があって、で、そこに作品を輸送したんですよ。 44点ぐらい。で、そのうちの1つが なんかね、メリウスみたいな なんかあの蛇のごちゃごちゃっとした みたいな作品があるんですけど、どっかな それがやっぱりワニ側、あ、蛇側を使っ てるから、あの税で止まっちゃったんです よ。えっと、ちょっとこれの バリエーション違いんですけど。あ、これ はでもその下のカラフルなやつマキン金の やつやあ、そう。はちょっとどこにあんの かな 。うん。なんかありまして。で、それを やる時に、ま、その世の中的に今その輸出 できない作品を作っても輸出できない みたいなものがやっぱりすごくハードルが 高いなっていう風に思ったタイミングと あと自分自身が僕やっぱ動物すごく好きで あの猫ちゃんと一緒に住んでたりとかした んですけどなんかそこのこう自連マって いうか動物すごい好きなのになんかそれを 使って自分のエゴで作品を作るってところ に気持ちが悪いなっていう風に思った ところの感 と現状が重なった時に、あ、ちょっとやっぱりこういうものを作るっていうことを、ま、やめていきたいなっていう風になんかすごく大きく思ったことが、あの、ま、これは今に繋がる話なので、もうちょっと前の話になっちゃうんですけど うん。 でもそれまでは、えっと、なんか本当にね、残酷なことをたくさん [音楽] やってたなっていう風にすごく思うんですけど、例えばこれとかはえっと玉ムシの羽なんですけどで、僕なんでこの玉ムシの羽を使った作品を作りたいかって言うと、もう本当に今となって、ま、恥ずかしい話というか、あの、国報になるようなもの作りをしたいなって。 ま、その自分が作品を作る上で、えっと、 1つ大切にしてることは200年前の人が 見ても、200年後の人が見ても、ま、今 の人が見ても感動するような物づりをした いっていう風に思っていて、で、その玉ム の図脂も奈良の、えっと、あ、どこだ? 東大寺か。うん。 にされていて、で、それが、ま、国報になってるんですけれども、そこに使ってる玉ムっていうのは、 えっと、ま、本当に一部なんで、こういう風に使われてるわけじゃないんですけれども、なんかそこにちんだようなというか、その、ま、命を頂いた美しいものをで自分の作品を作りたいっていう、ま、とてもこう表現としての英語の塊りみたいなものがあったので [音楽] うん。 っていうのを、ま、作ったりとかしてたんですよ。 で、ちょっと話がそれちゃうんですけど、 えっと、なんで玉ムの、え、えっと、図子 が玉ムシを使われたかって僕のあの、想像 するんですけれども、エジプトからシルク ロードを通ってきたんじゃないかなと思っ ていて、で、エジプトの中で、ま、奮中 って言われる、いわゆる噴ढ菓子ですよね 。スカラベって言われるものが生命の エネルギーとして、例えば、ま、太陽とし てすごくこう復活のエネルギーとして象徴 として使われてたと思うんですよ。で、 それが大陸を移動して移動してで、で、 日本に入ってきた時にもちろんふン転が しっていうものがなかったんですけど、 その当時玉ムシっていうのは、えっと、ま 、腐った木の中から生まれてくる美しい ものっていう概念、概念というか、実際 そういう生物なんですよ。これは泥の中 からハが浅くっていうのと同じ発想で、 いわゆる復活だったりとかなんかそういう 生命のエネルギーみたいなところがあるの でおそらく日本のに残ってる玉ムシって いうものを使ってえっとその未来英語 あるいはそういう復活のエネルギーので 図脂を作ったんじゃないかなと思っていて で僕はすごくそれに明をしてであのこの 玉ムの作りたいなっていう風にま思っ たっていう作品です。 はい。これが何年何年だわるね。 でも結構本当に最近だよね。いや、でもね、 10年後半、えっと56 年ぐらい前だと思う。 あ、まあ、まあ、でもそれだね。 うん。そうだね。ぐらいかな。もうちょっと前かな?そうですね。 でもこれそれこそそのそうね、56 年ぐらい前でなんかその靴を中心としたクリエイティブまあとはそのカとかをずっとこう作ってるイメージがあってそっからなんかちょっとずつあのいや最近なんかずっと本読んでてとか 映画見ててとかうん でその延長戦上でね323 年ぐらい前から舞台美術やったりとか あの舞台プロデュース全部 ってことはあれは うん。えっと、舞台美術と衣装と 衣装とか なんかそこら辺のなんかあのまさにその 2010 年末ぐらいから今にかけてちょっとこう変わってきたイメージがあるけどなんかそれは実際あったやったかしですか?うん。ここ 45 年がいや、ファッションが嫌になっちゃった。 嫌になったんだ。ああ。 え、なんな、な、なんで [音楽] [音楽] なんか、えっと、ま、皆さんご存知の通りというか、そのあまりにもサイクルがすごく早すぎる消耗的なものに対してなんかその自分の作ってるものが消費されているのもすごく嫌だなと思ったし、なんかその経済的手っていうものもそうなんですけど、なんかそういう、ま、自分がいいと思ってるもの、ま、本当に最近なんか ファッションなんてに4 回ぐらいコレクションしたりするじゃないですか。 プレイがあったりとかリゾートみたいなものがあったりとかで、その時自分がいいと思ってリサーチしたものが作品としてえっと、ま、発表するわけですよね。商品として。で、それがあっという間にパくられたりとかで、それがえっと 1 年も経たないうちに出したものがもう古いよねって言われるようになるみたいなそのファッションの、 えっと、祝図みたいな構造みたいなものにすごくもうへしまった。 うん。 なんか欲求を満たすただけのとして出ては消え出ては消えて言ってそれ自体が残わる消費されてる形っていうものいたりする。 [音楽] ただまあなんかファッションはそういう役割だとも思ってるんですよ。 その、ま、切的なというか、その瞬間気分 を雇用してくれるとかてはとても素敵な ことだと思うし、例えばじゃあ雨が降って 今日嫌だなとか、今日仕事行きたくない なって思ってる時にでも自分の好きなもの とか最近買ったばっかりの靴があって、顔 の靴履いたら今日ちょっと仕事頑張れるか もみたいななんかそういう人の背中を押し てくれるこう素敵なん性のはあると思っ てるから、そういう、ま、人の気持ちを 動かすなんか準度が高いものはとても好き なんだけれどもで でもなんかやっぱり僕自身の感覚というか感情がそのファッションのムーブメントにも追いつけなくなったっていうか うん。 うん。そう。なんかキャッチできなくなったっていうかいうのはあると思う。 キャッチできなくなったとはいえ、ある意味でこうファッションの世界で、え、ま、それこそあのお金稼いだとかあ、こうしてく中でそこの部分に対していや、ちょっとやったんだよねつってやめれる感覚って何なの? [音楽] いや、やりたくないからね。 結果的になんかもうそれはなんか削除していくし、手ってあ、えっと削除していくしかないじゃん。 なんかん年を重ねていくとどうしてもう選択肢としてやりたいっていうかやりたくない仕事を選ぶっていうことの方がなんか自分にとって重要なんじゃないかなっていう風に思えて そうそこら辺のだからその周りが求めてるクシーとかあの仕事の人たち求めてるクシーとかっていうことよりかはやっぱりそういった自分のその瞬間瞬間というかあの今考えてることとか をこういうことやりたい。ああいうこと今が自分的には正しいと思うっていうのが結構その特にここ 56 年ぐらいはこうすごくこう変わってきてるイメージがあって あ、そうですね。 [音楽] なんかそれも多分オッケーか。ただ僕自身が、ま、よく多分皆さんあるのがコロナ以降色々変わったっていう方もあると思うんですけど、確かにそこで仕事のあり方とかっていうのは変わったと思うんですけど、僕はあんまりそれは自分の中で変化はなくて、なんかそのここ数年で自分の身の回りの人がする機会がすごく多かったんですよ。 それはあの一緒に住んでた猫ちゃんもそう でなんかそのじゃ命なのかとかそこの 限られたその生きてる時間って何なのかと かじゃ死ぬって何なのかとかっていうもの をま必然的に考えざるを得ない状況って いうのがあまりにも立て続けにこう自分の 中に振りかかったというかあっ なんかそうを考えた時にじゃあ今 やる仕事何でしょうねとかうんだからそこ の部分のタイミングで最近なんか ま、僕の勝手な印象だけど、物具体的な物をつく、生み出すっていうよりかはその物に対する態度 のなんか情勢みたいなものがなんか見られるっていうのがあってでその延長戦上でま、今回そのあのトイのテーマのその入れそこの部分っていうの繋がるんですか? あ、それはあるあると思うんです。 そ、そもそも、そもそもホロンフェルスてたんですけど、ちょっと意外とちょっと聞き慣れない単語だったです。なんか溶岩の地想とかなんかそういうことだみたいなのは、ま、あの、あの Google先生がおっしゃってますが。 そうですね。えっと、皆さんホルンフェルスってご存じですか?わゆる、ま、すごく単純に言うと石ソのことなんですよ。 で、ドイツ語のホルンっていうものと、ホルンって、ま、角ですねとフェルス、え、フェルセンかっていう崖とか岩っていうものが、それを組み合わせたあの硬い岩石っていう意味なんですけど、ちょっと読みながらで申し訳ないんですけど、 [音楽] 接触、接触編成作用によって生成する組織に逸しい方向性のない編成癌っていうのが、ま、大きな考え方なんですね。 えっと、なのでもうちょっと分かりやすく 言うと、あの、地の中で高温のマグマが 搬入で間に入ってくるんですよ。で、そう するとその周辺に生じる編成作用っていう か、なんかそのマグマが入ることによって 解け合ったりとかしてそこにこういろんな エネルギーが集席をしていて、で、それが こう積みたいなエネルギーがあ、あるん ですね。それで組み合わされ るっていうのが。 で、僕はこの言葉を、えっと、大きく認識したのが、えっと、僕の祖母のルーツが鹿児島の式島っていう島があって、で、そこに白の石ソが見れる場所があるんですよ。 で、僕はそこの石を見た時にのあまりにも 圧倒的ないわゆるこう人間が高々えっと 数千年積み重ねきた歴史っていうよりも 圧倒的に強度があるいはこう まスケール感動を持たせてくれる自然の すごさみたいなものにとても明を受け たっていうことが1つあるの とうあとそのこれは以前からもずっと思っ てたんですけど今そのなんか地 っていう、ま、生態系が1 つあると考えた時にどうしてもあの日常生活で言うと人間がいわゆるそのカーストっていうかその三角の中で 1 番上にいるっていう風に思いがちな生活をしてしまってるんじゃないかなと思っていて、それは人間がコントロールできるっていう風に えっと社会の構造人間それはもうあくまでも人間目線ですよね。 人間を中心とした社会っていうものがそこ で編成されてるっていうことにずっと違和 感を考えてたんですよ。で、その腰島に 行った時にもうその三角形が真逆になっ ちゃったんですよね。自然があって動物が あってで人間が1番下であ るっていうものがそのいわゆるその公式島 の生体系のヒエラルきってなった時になん かそれがこう積気のような組み合わせって いうなんかそれが都市場所によってその 構造っていうのが色々変わるんじゃないか なっていう風に思ったんですよ。例えば 東京とかだと、え、なんだ、じゃ、 コンクリートとかそういう物みたいなもの があって、で、おそらく下の方に昆虫とか 植物みたいなものがあって、ま、そこの 真ん中かその上に、ま、人間がい るっていうところがあ、で、ちょっと田舎 の方に行くとそのバランスが若干変わっ たりとかするなんかこう積木構造みたいな ものがこの年都市によってあるんかなって いう風に思い始めてうん。 で、なんかその積木の構造ってすごく面白いなって思ったんですよね。で、あの、え、なんだったっけな、腐敗の哲学だったかな。 [音楽] なんかそういう本があって、で、それを見た時にいわゆる循環っていうことをとても大切にして考えてる本があったんですけれど、ま、人間っていうのはあくまでも循環機能の 1 つであるっていう風な考え方が書いてあって、 で、あ、なんかそれもすごく正しいなと思ってるんですけど、ま、本来はというか、ま、一部であるっていう生態系のなんだけれども、今はあまりにもそれが、えっと、本来の人間のあり方っていうとても大げさになっちゃうんですけれども、ま、それがいわゆる経済だったりとか ことによってバランスが崩れちゃってるっていうところが自分の中でこう違和感があるなっていう風に、ま、思ったんですね。 [音楽] で、ま、ちょっとそのホルンフェルスに戻るんですけど、なんかそのいわゆる熱量のこマグマだとマグマを自分の熱い熱量だと思った時にその熱量によって、ま、方向性のないっていうのはいわゆるか根のないろんなジャンル、ま、自然でもいいし動物でもいいし、なんかそういった他方向に向かってるものが編成して、えっと、ま、新しく組み合わされた 1 つの個体としての彫刻を作りたいなっていう風に思ったんです の素材はえ、最近あの期みたいなも始めるこれから始めるんですけれどもでそれもまあ 1 つはやっぱ人間っていうものがえっと生活の一部として地球から頂いてるものっていうかなんか使ってる材料としてでその焼き物を使ったりとか石を使ったりもしかしたら木とかガラスとかなんかそういったものを組み合わせた 1つのえっとま構造っていうも の人間を中心した構造ではない。えっと、彫刻物を作りたいなっていう風に思って、今は仮に、ま、そのホルンフェルスっていうものを 仮説をした。 そう、そう、そう。そこにこう矢印が向き始めてなんかきっかけっちゅうかは それでもね、常だと思うよ。なんか うん。常ちゅうのは いつもなんかさ、怒ってないろんなことになんかイライラすることとかさ、 もちろんあるよね。うん。 なんかそういうのを、え、なんかこう自分の中で勝手になんかこう蓄積していくっていうかなんかふつふツとしたものみたいなものが自分の中にあるのと 多分えっとこれっていうものっていうか多分日常的に皆さんがあることだと思うんですよ。 だ、それはもしかしたら旅行に行った時に感じる自然の美しさかもしんないし、もしかしたら美味しいものを食べた時かもしんないし、あるいは自信があった時に自然に対する父のね、みたいなものを覚えたりとかなんかそういう ことが常に自分の中に同時にこう存在するわけじゃないですか。 だからそれを なんかこう編集するっていうか、ま、とこう煮詰めてるっていう感じかな。 だからその枠自体を、ま、よくその、え、さっき言ったヒラルキー構造っていうのはよくその欧米的なその政、え、西洋的なあの宗教感のが作り出す 1つの構造的な話だと思うんだけどもう ま、あります。 それってさ、そのわゆるこう、ま、資本主義が始まって数に、ま、 300 年とかそれぐらい経って、で、今あの人間のある種の限界というかあ。 人間の、ま、ダメさとか、あの、ま、戦争がいろんなところであって、いろんな部分の限界がこう見えてる中で再度原点会議じゃないけど、そもそも人間ってみたいな話になり、 それってそもそも人間ってその生命ので、生命っていうのはその地球とか宇宙との関係があって、え、ま、人間っていうのはあの人間だけで生きれてるわけじゃないよねっていうわゆる昔からずっと日本人が持ってるあの自然感っていうのとすごくこ こう、あの、そういう時代、あの、そう いうところにこう関心が集まってる時代だ なっていうのがあって、で、その、その 延長戦ちょっとこれ会かもしんないけど、 僕的には、ま、言ってる人もいるかもしれ ないけど、インターネットが勃行してる 時代ていうのがまさにそれとのがいい。 あの、インターネットが、インターネット 以の世界っていうのは、ま、よくあの話で SNSとかも結局上とか下とかそのじ、 あの、全部それをめちゃくちゃにして、え 、今までヒアルキーが作られてきたものを フラットにしたっていう風な、ま、よく話 があるよね。で、最近はそこの部分があの 、え、そういうところに興味があった人 までがあの、今まで10年代まではある 程度う、見てたんだけど、コロナ以降あの 自分との向き合いとか世界の状況とかどう なのかっていうのをネット投資でしかあの 感じることができなかったっていう意味に おいて、ネットに一般の人もあの5年配の 方とかも見るようになってネットという ものが当たり前になり、SNSが当たり前 になっで、そうするとSNS の世界屋はカオスであり、フラットであるので、え、ヒラルキーというあの秩序がないってことですね。無秩、そこがま、ある女のこう日本人の宗教感とか自然感とすごくマッチングするなっていうのがあった。 うん。 なんかでも秩序がないっていう手だけど秩序はすごくあるような気がしていて。 そう。うん。それはうん。あの、はい。はい。で うん。 だからなんかそういうそのエントロピー的なものじゃないけど、どうしてもやっぱり宇宙構造上を成列するっていうか、そこに集席して向かっていくっていう構造自体は絶対に変わらないからインターネット自体もうそういう方向に絶対向かっていってると思うんです。うん。 で、で、それは、えっと、そうならないように抗うっていうことが常にこうなんだろうな、循環するように、 あ、だから秩序ってちゅうのはいわゆるこう人間社会を成立させるための方法便だったりとか方法か手段なので、でもそれって人間世界を成立させるためだけのものなので、そもそも人間はあの人間の前に生物なので、あの、いわゆる今ここにある、ま、あの、ま、文子とか原子レベルとかには、えっと、こう広がっていくことだと思 ね。だから、え、だからそこの部分にあの 返だから人間であった延長戦上にそういっ たあ、世界をどういう風に えっと次のま、人間との人間として限界を 感じてる人たちがどういう風に次の人間 どう人間としてあるのかみたいなことを 考える時代に入ってるって意味において僕 は何が言いたかったかていうとあのその、 え、新しいテーマに据えてるあ 流れとかも自分と向き合っていろんなあの嫌なこととかあるじゃないですか。怒りとかだからそれをこう考えると今こうやってなったんですよねっていうのが [音楽] うん。 またあのこのこのテーマを通して56 年後先のクのその作品の編成を見るとえ人の先のねあのちょっとした未来を結果作ることになるのかなと思って [音楽] うん。 そんな、 そう、そう、そういった、こうスタンスでずっと来て、あの、え、世の中に受け入れられてきたわけだから、あの、あ、やっぱ今もあの、ちょっとそ、あの、先の未来っていうものを 見て、あの、捉えてるのかもしれないなっていうのを今感じたっていうのを言いたかったです。 なんか、ま、た、単純に、ま、わかんないって言った方が正しいのかな。なんかその、今のアート業界で流行ってるものとかっていうものがよくわかんないですよ。 ま、嫌、あの、23年、1 年前に特に、あの、本当にアートとかマジよくわかんないから、もう考えるのやめたからとかつって言うて で、なんかでもそのいわゆるちっちゃな、ま、コミュニティだなって結局は思うんですよね。 で、その中であとそうね、 なんか、ま、ちょっと話はずれるかもしんないですけど、そもそもなんか人間っていう生き物自体がその矛盾な生き物じゃないですか、両方持ってるっていうか、常にイエスであり、常にノであるっていうことが流動的に常にこう変化し続けてある状態をどれだけこう、ま、続けるかっていうか、ま、最適会っていうものすらちょっと僕はよくわからないんだけれども、その時選んだことってものがおそらく結果的に、ま、その人にとって必要な選択だったのかもしれないし、えっと、通りすげてう しまうと、例えばその時は失敗だと思ったことですら人間っていうのは生きるためにそれを肯定的に受け入れるっていう、ま、生きるなんかこうとしてそういう能力を持っていると思うので うん。 だからなんかそういうな、何て言ったらいいんだろうな。 う、ま、その経済に対しても何かにしてもその矛盾、ま、その生きるとか死ぬっていうことも含めてなんかそういうものは常に払んでると思うのでなんか、 [音楽] え、例えば僕自身も資本主義自体は大きくは悪くないとは思ってるんですよ。うん。うん。 [音楽] で、なんかそのあり方っていうものが、え、なんかどういう風に変化していくのか進化していくのかっていうところと、あとはその受け止める側がどういう風に捉えてどういう行動を 1人1 人していくかっていうところがなんかとても重要な気がしていて、なんかそういう意味で言うと作家自身もなんかそういうなんだろうな行するとか対抗するとか何かを打ち任すっていう態度っていうよりかはなんかその両方を持ちながら作品を作り続けていく状態っていうの をどれだけ続けることができるかっていうのが [音楽] うん。 なんかとても重要なんじゃないかなと思っていて うん。 で、あとちょっとこれはえっと僕自身作家っていうのは円影だと思ってたんですよ。いわゆる泳ぎ続けるっていうことが作家活動で、これちょっと前に若さんにも話したかもしんないんですけどで疲れても 疲れたら平泳ぎすればいい。 浮いてる時間もあっていいでもここという時にはクロールではあって泳ぐべきなんじゃないかっていう風に思ってたんですけどあの柳美さんっていうま、現代美術家の方に お話をした時にあの話とちょっと似たようなことを森村安泰さんがされてたよって言ってあ栄だなと思ってでどんな感じでしたかって言ったらあの作家っていうものは溺れた状態でえっと死なない時間をどれだけ続けることができるかって言われ 全然言ってることちゃうやんと思って確かに だからそれで結構ギャフンってなっちゃって [音楽] だからま結局まれてるっていうのはその自分の中で常にいろんなことも判断したりとかまギリギリの状態ですよねを続けながらまの苦しみってものを続けていやもう嫌だしんどいよとかもうこれやってて何の意味があるんだろうとかって思いながらもうとにかく向き合って作り続けるっていうのがまおそらく僕が思う芸術う の形というか、ま、表現っていうことなのかなっていう。 うん。ま、やっぱりね、あの、世の中に、ま、特に表現ちゅうのは 1 番重要なのはやっぱり新しさっていうのは 1 つあると思うんでね。そう、新しさっていうのは常に今自分が表現してることすら常に否定し続けるってことなので、ま、苦しいよね。 そうな。 だからそういった意味でこう、ま、ま、打つになるし多分あの精神的におかしくなるぐらいなあの矛盾した行為なので、だからそういった意味に言うと溺れるっていうのはそういったあの正しくないしんどい状態っていうものをま本当に言えてみようだなっていうの思うけどね。 [音楽] うん。ま、結構ね、噛言葉でしたね。 でねはい。 時間ちょっと見たらなんともう、もう、もう、もう、もう間もなく終わる時間なんですよ。ま、良かったね。 自己紹介で終わるこのうん。だ、 ま、やっぱ良かったです。で、あの、ちょっとせっかくなんで、あの、もしあればなんですけど、あの、ま、今日の話じゃなくても大丈夫です。えっと、その、今日の話を通したとか、もしくは今日のイベント来てくださった方の何か疑問とかあれば聞きたいんですけどあったりします。 [音楽] ちょっと亀ちゃん質問してもらっていいですか? 確かに特にない。 ま、そうよね。なかなか言えないですね。まあまあまあまあ。なるほどね。ま、でもあのなるほどね。いやいやいや、あの、なかなか手はあげづらいよねっていうね。え、あったりしますか?皆さんなんか何でもいいすよ。 [音楽] プライベートのことでも。 プライベートなこと。 はい。最近何映画見たとかでも そうです。何に影響受けた? 実際そのさ、じゃあ、そのフォルムフェルスの作品のは 取りかかってるんですか?うん。 今はえっとあ、取りかかってます。取りかかってます。 で、構造自体はできてるんだけれども、ただ技術的にまた 1 からこの造形っていうものを取り組んでいるので うん。 ちょっとやっぱりどうしても時間がかかってしまうっていうことと、あとは、ま、焼き物って新しいチャレンジをしてるのでそこに対する知識みたいなものを今ちょうどこう学んでるところなので、で、 なんかうん、ま、こんだけ世の中いろんなものがあるわけじゃないですか。そこにわざわざ自分が作るっていう以上は それこそさっきないようなものっていうか新しいもの。ま、僕が作るものが新しいかどうかわかんないけどうん。 [音楽] でも自分の概念としてあるいはその表現したいものっていうのはおそらく今存在してないものだと思っているので [音楽] じゃあそれを出すってなった時にやっぱりこうちょっとハードルが高いってま自分で自分のハードルを上げてるんだと思うんだけれども なんかあってでなんかどうせ打席立つんだったら毎回ホームラン打ちたいってなんかこう思うんですよ。 なんかとりあえずあの立ってルに出たいとか 1 類だからバントでもルに出るっていうタイプの人もいると思うし、それはこの作家としての態度っていうか、とにかく発表し続けることがその人に立っての、ま、いわゆる、えっと、自分の毒抜きなのか、表現なのか、つぶやきなのかっていう人も多分いると思うんだけれども、僕の場合はなんかそんなに多くの作品を残したいとも思ってもないので うん。 だからなんか自分のタイミングで、え、叱るべきところで自分がもう吐き出すっていうところ、そういう生き方を今したいなっていう風に思ってる。 うん。や、ま、やってるよね、実際。 い、ま、適当に生きてるからね。そういう意味ではなんかできてるかもしんないけどでもどっちかっていうと若さの場合はさ、もうなんかとりあえずやるやん。 とりあえずって言い方やばいよ。 ま、違う。それはスタンスが違うだけど。その自分が 上同じようなやついっぱい並んでたよ。 ぶわつ。 ちょっと待って待て待て待て待て。 なんかちっちゃい仏像の顔みたいなやつ。 待て待。あ、もうちょっとその話すると時間長いからま、いいんだけど。まあまあいいや。いいや。え、だからそのえっとホロフェルスのテーマとした作品ちゅうのは実際具体的ななんかあの 発表のタイミングですか?うん。 あるんですか? えっと、えっと、多分来年の3 月に、え、香港の、えっと、ギャラリーで展示をするので、そこに、ま、プロトじゃないですけど、その時にできる全力を使って何か発表するのが 1つと、あと来年の9 月に僕京都に、あの、今アトリアあるんですけど、もう 1 個移動するんですね。それが結構大きい施設になるんですけど、そこのオープニングに対して すごいプロジェクトですね。そ、 そうですね。結構 身に身に余るというか広さでもありスケール感でもあるのでなんかそれはえっと僕が一緒に今プロジェクトをやらせてもらってる山内財団っていう元々任天堂のご足の方が都市開発をしてるんですけどそこのプログラムの 1つとしてというか1 つのなんかま現象としてえっと自分っていう作家がそこにえっといて作品を作るっていうことが仕事というかまとはまたちょっと違うんですけれどもなんかそういう共同体としての動きってもの がありまして、そこに本当に大きな アトリエを構えることになったので、で、 今は、えっと、実際自分が今まで作ってき てる作品のスケールっていうのはやっぱり 足とか、ま、靴に近いようなもの、身体性 に近いものなので、そんな大きいものって 作ってこなかったんですよ。 [音楽] なんですけれども、ちょっと自分がやっぱり次に表現したいものっていうのはこういうものではなくて、例えばここからもっと外した 2m、3m とかなんかそういう大きいそれこそ積木の構造だからできるようなものもあると思っていて、 なんかそういうものをあの今後作っていこうっていう風に思ってます。 なるほど。楽しみですね。 ちょっと僕最後に あ、え、ま、ちょっと最後のチャンスです。一応ありあります。 質問ないですか?じゃ、僕さ、いやいや、一応一応ね、そのなんか、あの、じゃ、最後僕質問していいですか? あ、どうぞ。あの、 えっと、今の話もそうだけど、そのなんだっけ?任天堂の はいはいはい。 え、その財団、任天堂の財団ですか?いや、えっと、いや、任天堂ご得の方なので、彼は直接的な今の、えっと、任天堂ではなくて、いわゆる創業者としてのご足ですね。 [音楽] なんか彼は任天堂で働いたことはないけれども、任天堂を作ったっていう DNA を持ってるっていうわゆる各家族としてのこうレガシーっていうかそれを継続するために彼が今何をしないといけないのかっていうところを、ま、模索してるわけですよ、やっぱり。うんうんうん。 [音楽] なんかそこにえっと、ま、寄り添うというか、一緒に肩を組んでやるプロジェクトの 1つっていう感じですね。 ちょ、ちょっとあの、質問としては全然あのこなくて実あの現実的な質問ちょっとしたいんだけども、もちろんあのクシーのクリエイティブの部分があのいい面白いっていうのがあるので今のキャリアっちゅうのはあると思うんだけども、あの、ま、誰しもその今の言った任天のその関係者とかご足得の方とかとあのし、えっと、そういう自分のエイティブ見てもらえるような状況、評価してもらえるようなタイミングとかないと思うし、過去のその ガガのこともそうだし、その前のことも そう、あの、自分の今、今までのキャリア のはもちろんクリエイティブの良さもある 一方でそれ以外にあの大切なポイント、 なぜかみたいなのを自己分析すると他あ、 他の人はそうなってない人もいるわけ じゃん。一方歩でで自分は 一方違いていうのはどういうところにある んだと思いますか?自分。あ、それに聞く の?そう、そうだね。えっと、 いや、うん、自分、自己分析としてどう? そう、そうだね。えっと、ま、そういう意味でと多分 20 代の時とかはすごく浅ましかったんです。自分自身が誰々と知り合いになりたいとか、誰と繋がるとどうなるのかみたいなもので、特にやっぱり田舎育ちだったので、え、そういう接点があまりにもなかったから、東京に来て、例えばもう本当に恥ずかしい話ですけど、その当時 1 度にあった人も友達って言ってしまうぐらいそれで自分がなんか大きくなってるっていうか繋がってるみたいな態度を取ってたっていう過去はあります。 でもそれがに繋がったかどうかわかんないです。逆に今考えたそれをやることによってその人はこいつであかんなと思って例えばま距離が離れた人もあると思うしででもそれでやっぱり自分なりにま感じたりとかするわけじゃないですか。あ、恥ずかしいなとかあ、なんかこんなこと言っちゃって本当は言いたくないんだけどなんかポロっと出ちゃったよっていう恥ずかしさみたいなものが、ま、どんどん年を取ってくるとなんかそういうのがなくなってくるっていうかうん。 [音楽] [音楽] っていうのは、ま、自分の中であるので、えっと、ま、恥ずかしい思いをたくさんしたっていうところは 1つあるような気がするのと、 うん。どうなんだろうね。わかんないな。 [音楽] いや、なんか こうぼ、僕はいつも思ってるのは、あの、 もう今の時代、あんと技術とか面白い作品 っていうのはもネット検索して大体のその 今までの流れ見ればこういうことすれば、 ま、大体みんなある程度は評価してくれる ねっていうのを多分分析できるはずなん ですよね。 ある程度、あの、自分に、え、技術力があれば、え、なんだけども、あの、え、今こう出てる人たっていうのはそれだけだからそのいいものを作るのはもう当たり前の時代だと僕は思って。 なんかそれってさ、多分平均的に70点、 80点のものは作れるけど、120 点作れないっていう話でしょ。えっと、 120 点になるためには物を作るだけじゃない気がするっていうのは僕の前提としって。 あ、なんかそれはもう、えっと、僕のことがどうこじゃないですよ。 魅力的であ、ていうかなんか常にこう自分の情報として、ま、思考の深さはどれだけなんか持てるかっていうことだと思うんです。いわゆる学びをやめないっていうか。 だから僕はなんかとても魅力的だなって会う人って、ま、 1 つのことにも限らないんですけれども、すごく思考が深い人とか自分が知らない魅力的な話っていうものをあの聞かせてくれる人っていうのは僕はやっぱお会いしたらすごく好きだなって思うし、 [音楽] なんかそういう自分になりたいなっていうのはやっぱり思うので、そういう意味で言うとなんか自分らしさっていうかその人にしかないものだ。ま、情報ってあるしこう うん。調べたらみんな同じ情報を持てる わけじゃないですか?情報として。だ けれどもそれをリアルに体感したりとか あるいはその情報と情報の組み合わせ方が 面白いとかあるいはえっと疑問を持てると か例えばこれが当たり前だと思ってること に対して同身のようになんでこれなん だろう疑問を持ちながら自分の経験値を元 に話ができる人とかってなんか やっぱめっちゃもろいなこの人って思うの よ。 だからなんか僕はそういう人になりたいなって思ってるので、えっと、例えば、ま、じゃあ僕小説読むのがすごく好きなんですけど、最近はアフリカ文学を呼んでるんですよ。 うん。 で、アフリカ文学を読むとやっぱりそこの今の自分たちに概念がないものっていっぱいあって、で、あと、ま、これは戦略的にとかじゃなくて、アフリカ文学読んでる人ってまだ昔は多分ね、あったんですよ。そのアフリカ文学を読むっていう。 それこそあのマルケスの100年の孤独と かって昔に随分流行ったんですけど、今 最近文化されたじゃないですか。で、多分 今読むとまためちゃめちゃ面白かったりと かして、じゃそことひづくとパドロペラモ 、あ、ペドロパラモっていう同じ仕事を やってた南ラテンアメリカかとかメキシコ の人の小説とかに繋がっていくんですよ。 だからそういうのを読んでいくとやっぱり 自分にしかない編集っていうかストックが バンバン広がっていくんですよね。紐づい て。 だからその、あ、今話しながら思ったのはやっぱりこう知的好奇心っていうのを持ち続けて、 えっと、他の人にはないっていうことを意識せず自分が好きなものっていうのを結局書き集めた時に自分の自分にしかないこうおもちゃ箱っていうか宝物の箱が持ってるものがすごく面白ければその人は素敵な人っていうか、誰かがえっときっと素敵な人って思ってもらえるような人なんじゃないかなと思います。 [音楽] ありがとうございます。 質問の答になってますかね? はい、なってます。 ありがとうございます。いや、あの、いや 、あの、本当に、えっと、今の話を受けて 、え、感じてるのはそのクッシーの隣で、 あの、クシーがそのいろんな人と コミュニケーション取る中で、あの、話し てる言語感が、ま、やっぱりこう自分の あの、経験則から出てるリアリティにおい ての話し方で、それがやっぱりこう見てる 、聞いてる人たちがすごくそれを目を 輝かして新しい発見がそこにあるみたいな 感じであの、聞いてて、ああ、だからこう いった形であの、広が あ、こういった形でシっていうの広がってきたんだっていうのがあって、で、その元としてはやっぱりこういんなにこういろんなことにかけて新しいことを、ま、勉強っていう感覚じゃないんだろうけど うん。 [音楽] まあ、なんか実体権としてな、好奇心がやっぱ多分すごくあって、例えば、え、まだ続けていい話もちょっとなんか最近ナビ宮の砂漠っていう映画あってご覧になられた方いらっしゃいますか?なんか、えっと、それは多分 21 ぐらいの女性が復活屈する、ま、社会の中で、えっと、その、ま、いろんな男性関係とか人間関係とかいわゆるもう理不尽なというか、その日本っていう社会に対して、 あの、こう悩んでるっていうよりかはどんどんこう精神的にも不 なったりとかしてるっていうものがあるんですけど、作品があって、で、そこの中でナビアの砂漠っていうタイトルがなぜついたかと言うと、その主人公の女性が、えっと、その YouTube でナビアの砂漠のライブ配信が見れるわけですよ。 うん。 で、僕も今その映画を通してそれを見るようになって、毎朝、え、朝昼晩と自分のことあるごとにナビ宮の砂漠の中で動物の生体系をずっと、ま、見てるんですけど、 インスタげてるの。それか。 あ、そう、そうなの、そうなの。 で、すごく面白くて、でも結局僕はに行ったことがないわけですよ。で、だった行った人と話した方が絶対に面白いやんって思うし、あ、結局その情報社会だであればあるほどフィジカルに経験してる人の方が圧倒的に面白いと思うし、むしろなんかその両極端っていうか両方さっき言った矛盾じゃないけれど情報がどんどんになって同じような情報を持ってる人よりも行ったことがあるぜっていう人がパーンって入った時に見たことがある人をひっくり返すわけじゃないですか。 カジガ的にだってあなた実ないじゃんつって。別に、ま、そういうマウント取るとかっていう話では全然なくて、やっぱりそこに、え、行ったことあんのって単純になると思うんすよ。で、話聞かせよって。いや、あん時の風がどうこでさとかなんかこう途中でなんか狼に襲われてさとかそこに砂漠に行って長の水飲む音聞いたことあるとかあれすげえんですよ。チャポンチポンって言うんですよ。すごい救うような音で。これは動画で感じてる。 僕は動画でしか見てないんですけど、実際じゃあその場所に行った時のリアルなことってあるじゃないですか。 なんかやっぱそういうことを体感してる人 の方がというか、ま、両方知って るっていうかなんかその振りして両方持っ てる人の方がなんかやっぱ面白いと思う 説得力があると思うのでなんかむしろそう いううまチャレンジかままみんなできるん であればそれやればやるほどきっと気持ち も豊かになると思うしん 人生楽しんじゃないかなってすごい思う けどね。 いい話。いや、ま、やっぱり興味の持ちがすごくこう、あの、滝に渡ってて、それが積極的にあるっていうのも、ま、根本的な部分なんだなっていうのは改めて感じたけど、 全部繋がんだよ。でも自分が興味あることは 最終的に掘っていくと。 そうね。はい。ありがとうございます。 ちょっとはい。長くなりましたけど。 いえ。な、あの、ま、ちょっと時間なんで、あのさ、最後な、宣伝とか、ま、宣伝とかない? いや、全然ないですよ。あの、 その、ま、とりあえず次の文のあの活動としてはその 3月の天、あ、台湾かえっと香港ですね。 香港か。香港の分があるんでか あるけど、ま、マイペースに自分もやってるので、なんかそういう自分が発表した時に、あ、こいつそろそろできたんだなみたいな感じでなんか思ってもらえたら嬉しいと思うし、なんかそ、そんな感じですよ。全然焦ってもないしというか。 うん。え、逆になんかないですか?先生は 何すか? え、なんかこう言いたいことっていう いや、言いたいことは別に後で発表とかなんか いえ、あの、古典があります。はい。 あ、つあるんですか? あ、広島で。 あ、え、つからですかでしたっけ? うるさいよ。広島でいや、月末からあります。で、あと来月末はあの東京で青山古店があるんで。はい。 青山。どこですか?どこでやる? 有限ラリーっていうとこです。 ええ、すごいっすねえ。 その作品どんな作品を出されるんですか? 時間なんでじゃあそろそろめたいと思います。はい。あのでも今あの制作中です。あのも今日はでも本当わざわざあの京都から はい。はい。 あの来ていただいてそう。すげえすげえ失敗しちゃったのスケジュール。 あ、そうな。このためだけにもしかしてそうそう。えっとね本当明日も仕事の予定がにいる予定だったんですけど 明日の朝の11 時から京都で自震祭なのよ。 [音楽] だからそのね、途中メール朝一なんか1 回また戻ってまた帰ってこないといけないのやっちゃった。ま、あの自分の興味をあの最優先にして動いてるっていう結果だよね。それね。いや、でもそれがさ、できるのがいや、だから多くの人はそこでやめんのよ、どっちかを。え、でもじゃこれやめようかと思ったよ。 あ、どっちって言ったらうん。ごめん。 いや、そう、そう。いや、わかる、わかる。 やから、だからやめないのがクノだよ。 [音楽] え、違う違うね。だからやめなくてやりきるとその身体を動しやりきるっていうのがやっぱり結果その今の世の中に結果を残す人なんだろうなっていうのは、ま、強く行動力がだよね。 1 つね。うん。うん。ま、気分次第だけどね。 ありがとう。はい。 ということで、わざわざあの、スケジュールをして来ていただいたク野さんでした。今日ありがとうございました。 ありがとうございます。 ありがとうございました。 え、これで、えっと、トークセッション終わりたいと思います。えっと、こっから引き続き、あの、し、今日、あの、 あ、いて飲んでくれると。 ま、明日、朝帰りますから。 そうですね。はい。ありがと。なので、えっと、こっからは、えっと、え、皆さんザックバランに、え、もうあの、飲みたいもの飲んで食べたいもの食べてって感じで帰りたい人は帰ってって感じなので、いろんな人と交流していただければと思います。 えっと、これは、ま、毎月やってて、次がちょっと宣伝なんですけど、 11月8日に僕があの、1周年 はい。てか誕生日だったんですよね。 あ、そうだ、そうだ。もう ちょっとあの、言い訳で言ってただけだからなんか忘れてたわ。 10月15 日誕生日でしたよね。あ、おめでとうございます。 そう、今月誕生日月刊なんですよ。 そうですよね。祝ってください。はい。 お、怒ってください。お酒が好きです。 いや、そうだからそれの分のイベントとして、あの、せっかくなんでクッションに来ていただいて盛り上げて欲しいって言ったら はい。うん。行くよみたいな。 ていうことで来ていただきました。本当ありがとうございます。 はい。はい。おめでとうございます。 で、次の1周年記念が11月8日に8 日にあります。で、ここでやります。えっと、え、ま、え、ジェルミハンターっていう、ま、セルフマネージメントっていううセルフマネジメントの第 1 任者として、えっと、ロサンゼウスかあで、えっと、教授、あ、準教授やってずっとそこであの教えてらっしゃる人です。で、その人が来てくださるんで、もし興味があったら是非お願いいたします。 皆さん、今日はありがとうございました。 ありがとうございます。 [拍手]
【イベント概要】
若佐慎一のアトリエで、月一で若佐と交流がある様々な人にお越しいただき、お話を伺い、そこに集まっていただいた皆さんと交流する中で、何か新しいきっかけを得ていただこうとするイベント「MONTHLY WAKASA」。その一環として行われる今回の対談「ホルンフェルスと進化する美」では、アーティスト串野真也氏と若佐が、自然と美の本質を探求し、創作の哲学を語り合います。
串野氏が提唱する「ファイナルデザイン」の概念を軸に、自然の摂理が生み出す美の最終形態について掘り下げます。動植物のフォルムが持つ美しさをどのように自身の作品に反映しているのか、また次回作のコンセプトである「ホルンフェルス」についても、素材の特性や象徴性を探ります。
さらに、串野氏のキャリアにおけるジャンルを横断する活動にも注目していきます。ファッションデザインから靴のデザイン、彫刻、文学、舞台デザイン、プロダクトデザインまで、多岐にわたる分野での挑戦が、どのような背景や意図を持って行われているのかを深掘りし、ジャンルを超えて創作を追求する意義や、それが創作にどのような新しい可能性をもたらすのかについて伺っていきます。
対談のもう一つの重要なテーマは、創作における哲学です。串野氏が創作において最も大切にしている価値観の一つに素材選びや持続可能性、循環という考え方が、どのように作品に反映されているのかを掘り下げます。現代社会におけるモノづくりに対する責任やその選択が美意識とどのように結びついているのかが語られます。
若佐は聞き手として、アニミズムや自然との関わりを交えながら、串野氏の思考や創作の背景を引き出し、自然と美、そして創作のプロセスにおける探求がどのように表現されるのかを明らかにします。参加者にとっても、創造の新しいインスピレーションや気づきを得られる貴重な対話の場となるでしょう。
【登壇者プロフィール】
串野真也(アーティスト)
“広島県尾道市因島出身。京都芸術デザイン専門学校を卒業後、イタリアに留学。
”Istituto MARANGONI”ミラノ校、ファッションデザインマスターコースにてディプロマを取得。帰国後、自然からインスピレーションを受け、ファイナルデザインをテーマにした靴の作品を最先端技術や伝統技術などを駆使して製作し、世界に向けて発表している。現在は、バイオテクノロジーなど科学技術を取り入れたアート作品なども積極的に取り組んでいる。作品は、イギリスの国立博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、NYのFashion Institute of Technology 美術館に永久保存されている。
若佐 慎一(美術家)
1982年広島生まれ。広島市立大学大学院博士後期課程 満期退学。大学で日本の伝統画法を学び、卒業制作を同大学の首席に当たる買い上げとなる。
卒業後、月刊美術主催公募展「デビュー」にて準グランプリ受賞。
日本の風土と宗教観をテーマに、漫画やゲーム、アニメの特徴とされる要素を作品内に取り込み制作する。
活動は国内外問わずその場を広げ、伝統工芸の「長艸繡巧房」への原画提供や、NYのファッションブランド「sawa takai 」、でんぱ組.incの相沢梨紗が手がける「MEMUSE」とのコラボ、そして、メディアアーティスト落合陽一、デザイナー串野真也と共にファッションブランド「凄い若い」を立ち上げるなど多岐にわたる活動を見せる。
近年は横浜駅直結の複合型エンターテイメント施設「アソビル」で巨大壁画を制作、設置する。
栃木県立美術館、広島市立大学、円覚寺塔頭龍院庵、作品所蔵。
