なぜ人間だけが老化と死を恐れるのか?【「火の鳥」展を通して福岡ハカセと考える、生命と美:前編】 | Vogue Japan - Moe Zine

漫画家 手塚治虫がライフワークとして約35年にわたり執筆を続け、未完の大作となった漫画『火の鳥』。過去と未来を交互に行き来しながら、超生命体である「火の鳥」を中心に据え、生と死という深遠なテーマを描き出している。作品のなかで印象的なのは、不老不死になれるという火の鳥の生き血を求めて、呆気なくもこの世から去っていく多くの人間たち。生命の営みをメタ視点で見つめ続ける「火の鳥」は、死を恐れ、老いに抗い続ける人間とはなにか、という大きな問いをもたらしている。

手塚治虫とハカセの共通点は、昆虫愛を通じた生命観

――今回、ハカセ(著書でも「福岡ハカセ」と自称されており、私NOMAも親しみを込めてそう呼んでいる)が故・手塚治虫さんの「火の鳥」展の監修をされると聞き、両者のファンである私はお二人のコラボレーションに感激しました。ハカセは手塚さんのどのようなところに共感をしていらっしゃるのでしょうか?

漫画の神様と私自身を比べるのはおこがましいですが、“虫を通った人”であるというのはひとつの共通点です。手塚先生は戦争時代に10代の少年期を送り、軍国主義や同調圧力に息苦しい思いを抱きながら、そこから自身の繊細さを守るために虫の世界に逃避していた方だと思います。

私もどちらかというと内向的な少年で、学校での周囲からの同調圧力から逃れたくて、昆虫の世界に癒しを求めました。蝶の幼虫がさなぎになり、成虫へと羽化していく自然の精妙なさまに触れて、「繊細な自我を守った」という気持ちが私にはよくわかります。虫を通して世界に出会うと、基本的な生命観が決まってしまうんですよね。今回の展示では手塚先生の蝶のデッサンと、私が先生のデッサンを元に集めた標本コレクションを展示しています。

【「火の鳥」展を通して福岡ハカセと考える、生命と美:前編】手塚治虫の想いとリンクする「鳳凰編」

――私自身も、幼少期に一人で過ごす時間が多かった時期もあり、そのときに自然との距離が近くなったと感じた記憶があるので、お二人の経験にとても共感します。『火の鳥』は未来と過去が交互に描かれているのが印象的ですね。

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