復興担う子どもたちの人間力を培う場所に 人が戻り始めた富岡町で学習塾を再開 校長親子の決意【福島発】 - Moe Zine

復興担う子どもたちの人間力を培う場所に 人が戻り始めた富岡町で学習塾を再開 校長親子の決意【福島発】

復興担う子どもたちの人間力を培う場所に 人が戻り始めた富岡町で学習塾を再開 校長親子の決意【福島発】

よし。え、 こんにちは。こんにちは。 はい、いらっしゃい。どうぞ。どうぞ。 はい、どうです。 富岡町の学習塾 川崎学院富岡。 先月川崎水ほさんと 母洋子さんの親子が 住宅を回収して開行しました。現在は富岡町の小学生と広野町の高校生の 2人が通っています。 これね、初めてではい。 場所すご分かった。あ、分かりました。 本当あの今度ここからやるから一見やからびっくりしたでしょ。 そうですね。うん。ね、あの、 来年大学受験を控える青山柚ずさん。距離 これまで通っていた岩港から自宅の富岡に転校し、 この日が初めての授業です。 でしょ。あ、タイム 近くに塾があるってのは、ま、すごく楽しい、頼もしいことですし、ま、のように、ま、そういう、ま、あの、ま、学習の場があるっていうのは、ま、自分の勉強の意識の向にもつがるので、ま、すごくいいなと思ってます。 校長の水さんも 生まれ育った富岡町で塾を開できた喜びを噛しめていました。 で、一言て無料生まれは富岡町の森なので、あの、小学校までましたし、それを思うと戻ってくれたなっていうのとそこでできるっていうのはうん。すごく嬉しい。 ここは私がですね、え、最初にあの川崎学院っていう名前はまだつけてない。学習を 1 [音楽] 番最初に始めたところで母よ子さんが世代の森地区の実家で学習塾をスタートしたのが 50年前でした。 やってましたね。 すごかったですよね、子供はもうあ、私 この辺は特にここは有名朝夏休み朝60分 とせてくる [音楽] から双葉町など双葉地方を中心に熟を拡大 しました が東日本大震災で急行を良儀なくされまし た 。震災前、富岡町に1500人ほどいた 小中学生は現在およそ100人に。かつて は町に複数あった学習塾。まだ川崎学院 のみの再開ですが、富岡町の希望の1つ です [音楽] 。 いろんな学びの場が学校以外の場でもできるということは非常にあの子供たちの経験体験をできる場が増えるということは非常にいいことだという風に思います。 やるきっと最初のきっかけっていうのがね。 はい。 うん。でもできるようになったらそれが自然うん。やろうかなって気になってくるよ。 いかに自分がそうやって 解散の見通しが立たない中 親子2人参脚で塾を再開させたのは 生まれ育った地域の復興を願う思い。 そして親子の信頼関係がありました。 そうそうそう。 楽しくもあるしまそうじゃない時もあるけれども 仲良く喧嘩しながらやるとかね。あの、 やっぱり人生の先輩としても仕事の先輩と しても身近にいてくださるっていうのは すごく一緒にやってくださるっていうのは すごく心よく感じております 。お 互いのいいところが出し合えって21+1 が2じゃなく2にも4にも8 にもなってくっていうようなそういう力強さがお互いに今感じ取れるようになってきてる 復興を支える子供たちには勉強だけではなく心も人間力も成長してほしい 川崎さん親子の思いです のあのみ追いかけた 踊りを教えたり 、踊りができるといいな。 勉強だけじゃない。 勉強としてね 、心育てない とそれもやりたい。あれもやりたいって いっぱいある夢だね。 来年度からはピアノやバレーなどの カルチャー教室の再開も目指している川崎 さん親子 。子供たちだけではなくみんなが学べる 場所を目指し て親子2人の夢が重なっていきます。

2025年3月に、福島県富岡町で震災後14年ぶりに再開した学習塾「川崎学院富岡校」。川崎瑞穂さんと母・葉子さんが住宅を改修して開校した。これからの復興を担う子ども達を、教育面から支援するため親子二人三脚の挑戦が続いている。

■富岡町にあることの意味
富岡町の小学生と広野町の高校生の2人が通っていた塾に、新しい生徒が加わった。
2026年に大学受験を控える青山悠珠さんは、これまで通っていた「いわき校」から自宅近くの「富岡校」に転校し、この日が初めての授業。
青山さんは「近くに塾があるというのは、すごく頼もしい事。何より学習の場があるのは、自分の勉強の意識の向上にも繋がるので、すごく良いなと思っています」と話す。
校長の瑞穂さんも、生まれ育った富岡町で塾を開校できた喜びをかみしめていた。
「一言でいうと、感無量。生まれは富岡町夜の森で、小学校までいました。戻ってこられたことと、そこで塾ができるのはすごく嬉しい」と瑞穂さんはいう。

■東日本大震災後の教育環境
母・葉子さんが、富岡町夜の森地区の実家で学習塾をスタートしたのが50年前。
葉子さんは「すごかったですよね。子どもは。この辺は特にここは有名。夏休み、朝6時っていうと生徒くるから」と振り返る。
双葉町など双葉地方を中心に塾経営を拡大したが、東日本大震災で休校を余儀なくされた。震災前、富岡町に1500人ほどいた小中学生は、現在・約100人に。
かつては町に複数あった学習塾。再開したのはまだ川崎学院だけだが、富岡町教育総務課の松本真樹さんが「学びの場が学校以外にもあって、子ども達の経験・体験をできる場が増えることは非常にいいこと」と話すように、富岡町の希望の一つとなっている。

■人間力を培う場所に
採算の見通しがたたないなか、親子二人三脚で塾を再開させたのは生まれ育った地域の復興を願う思い、そして親子の信頼関係があった。
瑞穂さんは「ケンカをしながらやったり。やはり人生の先輩としても、仕事の先輩としても身近に居てくださる、一緒に居てくださるっていうのは、良い事だと感じております」と話し、母・葉子さんは「お互いの良い所が出し合って、1+1が2じゃなく、2にも4にも8にもなっていくような。そういう力強さがお互い感じ取れるようになってきている」と話す。
復興を支える子どもたちには、勉強だけではなく心も人間力も成長してほしいとういうのが川崎さん親子の思いだ。

2026年度からは、ピアノやバレエなどのカルチャー教室の再開も目指している川崎さん親子。子どもたちだけではなく、みんなが学べる場所を目指して親子2人の夢が重なっていく。

#福島 #ニュース

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