七崎観音おこもり護摩法要(八戸市 普賢院)【2024/2/14】(旧暦1月17日大安)〜年に一度の秘仏ご開帳〜

七崎観音おこもり護摩法要をお伝えします。

普賢院本堂内の観音堂内殿中央に祀られる聖観音(しょうかんのん)は七崎観音(ならさきかんのん)と呼ばれます。七崎とは現在の八戸市豊崎町の古称です。七崎観音は毎年旧暦1月17日にご開帳され、ご宝前にて法要が厳修されます。

この行事は夜に開催されるものなので、雪やアイスバーンの際、お運びいただくのが危険な場合がこれまでも多々ありました。こういう時に、オンラインで法要の様子をお伝え出来る環境があることは、有意義なことと感じています。現地でご参列いただくことに醍醐味があるのは間違いありませんが、配信を通じて、場所は違えど時を同じくお過ごしいただくことも、尊いご縁のあり方だと捉えています。

画面とスピーカー・イヤホンを通して、伝統ある祈りのひとときをご一緒いただければ幸いです。

〈七崎観音について〉
七崎観音は糠部三十三観音の第15番札所の観音様でもあります。七崎観音の起源は天長元年(824)に大海から八戸市白銀の浜に引き揚げられ、承和元年(834)に当地に請来されたと伝えられます。

普賢院は鎌倉時代〜江戸時代初期まで永福寺という寺号(じごう、お寺の名称)が用いられていました。当山は永福寺時代も含め、七崎観音の別当をつとめてまいりました。

七崎観音は明治時代になるまでは、現在の七崎神社の地にあった七崎観音堂(寺号 徳楽寺)に祀られていました。七崎観音堂は藩主の崇敬あつく、近郷からも多くの方が参詣する霊場でしたが、明治になると神仏分離政策への対応のため廃止されることになります。七崎観音堂の仏像や仏具など一式は別当寺である普賢院に移され、七崎観音堂は取り壊され、跡地には七崎神社の社殿が建立されました。

現在の七崎観音の仏像は、貞享4年(1687)に藩主・南部重信公により「御前立」として奉納されたものです。本堂建替にあたって史料整理や調査をした所、御前立が置かれていた本七崎観音(もとならさきかんのん)の聖観音像を特定することが出来ました。本七崎観音像は明暦元年(1655)に藩主・南部重直公が奉納したものです。

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糠部三十三観音霊場第十五番札所
十和田山開祖 南祖法師修行のお寺
真言宗豊山派 宝照山普賢院

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