【雪辱】阪急ブレーブスの黄金時代がヤバい!打倒巨人に燃えた逆襲の物語

今回は、優勝には縁遠かった弱小球団から強豪球団に生まれ変わった
阪急のエピソードや逸話を紹介していきたいと思います。

なぜ創設以来、初優勝までに30年を要したチームが黄金時代を迎えたのか
その理由について迫っていきたいと思いますので
歴史の1ページを振り返る準備が出来た方はご一緒にどうぞ。

0:55 阪急を変えた西本改革
7:42 『奇跡のドラフト』が黄金時代を呼んだ
13:56 『打倒巨人』に燃えた上田
20:54 巨人へ6度目の挑戦

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44 Comments

  1. マルカーノ、ブーマーが懐かしい!
    山田久志のアンダースロー好きだったな

  2. 9:54 昔のドラフト会議はくじ引きでは無く被ったら「じゃんけん」で決めてたり、後に変則ウェーバー方式で決まっていたらしい。変則ウェーバー方式は、あの江川事件の影響で…
    観客は、無観客である。今でも無観客のままでも良いと思うけど。

  3. 阪急黄金時代の基礎を築きあげたのは、西本監督です。上田監督でなく西本監督が阪急を辞めなければ、日本シリーズでの優勝もありえた。悲運の闘将ではなかったですね。

  4. 長嶋一次政権時代の阪急は強かったな。 こんときゃミスター日本一なれなかった。
    福本、長池、マルカーノあたりだったか。

  5. 福本さん曰く上さんの長時間による抗議において、「監督、もうええから早よやりましょうや。」と説得したそうで、もしあの抗議がなければ優勝できたかもしれないと。最後に上さんがトレードによる選手補強で、チームとして苦手だった高橋直樹投手に相性が良かった藤井栄治選手を左の代打の切り札として獲得したのは意外と知られていない。

  6. いぶし銀の足立投手😊
    V9時代は、阪急は足立でしか勝てないと言われていました。その頃は、
    王手をかけられる
    →足立で一矢報いる
    →次の試合で劣勢になる
    →救援で足立を無理使いして打ち込まれる
    というのがお決まりのパターンでさした。
    なので足立投手はシリーズ勝ち数は多いが防御率が悪かった。

  7. 長池「南海入りたいですけど」

    南海「大学行ってから出直してこいや。その代わり、大学卒業したら高待遇で入れてやるわ」

    ドラフト会議

    南海「ドラフトで取らんと長池がどこかに取られる可能あるけど、2位で大丈夫やろ」

    阪急「長池1位で取れたでwww」

    南海「ファッ!?」

  8. 加藤哲郎氏よりも前に福本氏がやってくれていたとは(笑)!?まぁ「言葉」ってのは恐いですなぁ~。

  9. 京都市で生まれ育った私は「西京極球場を準本拠地」としていた阪急ブレーブスのファンでした。
    この動画、間違いが無く・適切な内容でとても嬉しいです。
    さらに付け加えるとすれば、剛力スペンサーの意外な頭脳面での功績でしょう。

  10. 秋田出身選手が活躍する秋田県民にはたまらん球団
    大エース山田
    超強肩の中嶋
    戦後すぐのクリーンアップ滝田

  11. 山田、米田、梶本、石井、足立、
    佐藤、今井、山口など
    歴代でも最高級の投手と
    福本、加藤、長池、ブーマー、中嶋、石嶺、大橋、阪本など
    一癖も二癖もある野手が多くいた最高のチーム

  12. 西本監督、仰木監督ともに、オリックスと近鉄に深い関係があったんだ

  13. 福本さんはこの当時を振り返って
    キャンプからもうしんどい練習ばかりさせられた
    しかし打倒巨人、巨人に勝つ為にやってると思い
    耐える事が出来たとコメントしている
    それが1976年、1977年と連続で巨人に勝ち
    1975年から日本シリーズ3連覇を成し遂げた
    正に無敵の阪急ブレーブス黄金時代の先頭打者であった。

  14. シリーズ3連覇中の阪急を止めたのが78年ヤクルト。同じくシリーズ3連覇中の92年森西武を止めたのもヤクルト。ヤクルトがセリーグの防波堤役。

  15. のちに西武も黄金時代は素晴らしかったですが、やはり私にとっては、黄金時代と言えば阪急ブレーブスですね。

  16. 小学二年生の時、山口を見て
    阪急ファンに。当時の小学生は
    巨人の帽子が必須の時代。オレだけHの帽子でしたね(笑)
    草野球でもバッターのモノマネはチャ。投手は山口、山田、今井、佐藤義、山沖。
    阪急のドラ1を3年連続で当てるという奇跡も起きました。(笑)
    榎田とったのは嬉しかったな〜😊活躍してほしかった😅

  17. そんな門田も89年、20年越しに後身のオリックスブレーブスへ入団。しかしその2年後、福岡のホークスへ復帰。

  18. 阪急時代に2回、オリックス時代に1回対決した長嶋監督はとうとう勝てませんでした。藤田監督や王監督が全然勝てなくてコンプレックスまであった西武に勝った長嶋監督なんですがね。
    監督にも日本シリーズの相性があるんですね

  19. お前のお尻 丸かの? とマルカーノ選手に掛けたコントネタありました

  20. 外国人のウィンディまで鉄拳制裁とは…御大めちゃくちゃやってんなぁ

  21. 私はまず、伯父の影響で阪急ブレーブスのファンになりました。その後阪神タイガースのファンにもなりました。ずっと阪急と阪神の日本シリーズ(兵庫県決戦)を望んでいましたが、それは果たせず、昨年ようやく阪神とオリックスでの日本シリーズとなりました。阪急と阪神でやってほしかった😅しかし、今や阪神電鉄は阪急電鉄の子会社になりました。隔世の感があります。阪神とオリックス、来季はペナントを奪回してください。

  22. 福本は完璧な天才肌。
    野村と似てるところがあるよね
    努力もそうかもしれんがさ、抑々盗塁でさ、癖を研究してそれを生かすってさ、
    だいたい他の選手は、いくらその8ミリ見てもさ、わからんかった言うからさ。
    やっぱり天才だよね。
    盗塁の数もそうだけどさ、三盗はむしろ100パーセント成功するから敢えてしなかったとかw最初嘘だろか?って思っていたけどさ、マジらしいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 本気で盗塁していたら、1000じゃ効かないでしょうね

  23. 阪急にとって不運だったのは、同じ西宮を阪神が本拠にしていたこと。
    人気の面で雲泥の差があった。
    70~80年代は間違いなく阪急の方が好成績を残したにも関わらず。
    当時のテレビ中継は殆どセリーグで巨人戦だらけ。
    パリーグだった阪急は注目されることが稀だった。
    今みたいにSNSが発達し、多チャンネルの時代だったら...。
    そういう現状に阪急上層部も野球に対し情熱を失ったのだろう。
    後にオリックスに身売りされた。
    時代が悪かった。
    その阪急と阪神が今は合併しているのはまさに皮肉。

  24. しかしなぜ、ホームの西宮スタジアムの看板パネル(in阪急西宮北口駅)は阪急の選手ではなく、野球選手でさえなく、地元の大学のアメリカン・フットボールチームだったんだろう・・・?

  25. 自分がプロ野球にハマったきっかけが阪急ブレーブス
    1970年代後半は
    ドストライクでしたネ···😅

  26. 黄金期西武や今のホークスとも十分互角に渡り合えるチーム
    ただV9と当たったのがねぇ
    あとあれだけの実力があっても人気はさっぱりだった。史上最強の反比例w
    マルカーノほんといい外人だった

  27. 背番号14・・・山口高志さん。凄いストレートで当時は村田兆治さんと五分のストレートに憧れた年少の私でした。現役年数は短かったけど一生忘れない投手さんでした・・・・・・・・・・・・・( ^ω^)・・・(笑)・・・

  28. 現在はスカパーや配信とかで野球中継が楽しめるが···当たり前だけど70、80年代はそんなの無かったワケで···東京ではパリ―グは不人気で···😅球場のスタンドは閑古鳥···テレビ中継、民放は殆ど無し···中継されても中途半端だったし···たまにNHKであるくらい···パリ―グの放送がある時は気合いが入ったナ😅😅😅

  29. いしいひさいちの漫画に描かれたくらい人気は無かったなあwww まあ水島新司先生に阪急の広報さんは「うちの選手で良ければどんどん出してください!」と言ったおかげで『あぶさん』への出演率は南海の選手並みに多かった山田・加藤・福本・今井選手でしたがwww

  30. 東京生まれ。78年に燕ファンになるまではご多分に漏れずG党でしたが日本シリーズでの阪急は鬼のように強かったし勝てる気が全くしなかった。
    後にマルカーノが燕に来たり78年に燕が阪急を倒した時は子供心にも本当に嬉しかったのを現在でも鮮明に憶えている
    当時のブレーブスは西武の黄金時代よりセ・リーグファンにとって絶望的に強かったイメージがある
    その阪急、西武を辛うじて打倒した燕との日本シリーズは昨年のWBC並みに1球も見逃さないようにTVに食いついてたなぁ

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