電気グルーヴ、ケン・イシイ…国内クラブ音楽史、Perfume、きゃりーぱみゅぱみゅ…中田ヤスタカの時代【邦楽通史#33】

[拍手] [音楽] [拍手] [音楽] ようこそミノmusドミノです本日もです ね法学通解説シリーズやっていこうと思い ますこちらにあります私の書籍日本の歌 音読と楽器と芸能にまつわる法学通こちら を用いてですね法学通信の解説シリーズ 制作しております本動画がシリーズの第 33弾となります今回解説していくのが エレクトロニックダンスミュージック そして小室徹夜の次に一斉を風味した スタープロデューサーである中田安孝に ついて話していきたいと思います エレクトロニックダンスミュージックって 聞くとちょっと前に流行ったあのダンス 様式を思い浮かべる人も結構多いのでは ないでしょうかEDMってリスあれですね アビーチとかのさまそれも正しいんです けども実はですねエレクトロニックダンス Musicって広くクラブ音楽とか電子音 を用いたダンス音楽をさしますつまりです ねハウスとかテクノとかトランスとかああ いった様々なスタイルを指す法眼用語とし てエレクトロニックダンスミュジックと いうとまだからアビーチとかのああいった ジャンルはま競技のエレクトロニック ダンスミュジックEDMと言えるのかなと いう感じですねまクラブMusicって いうのが1番一般的かなとも思いますが 70年代末頃にディスコが衰退したのと 入れ替わるような形で主にニューヨーク 周辺だったりシカゴデトロイトといった 大子周辺の都市部で発展していきました クラフトワークとかYMOといった電子 音楽の影響に加えましてドラムマシンとか Cケンサを用いた必要に反復するリズムが 特徴とされていますここでもちょっと ややこしいんですけどねテクノという ジャンル日本国内でYMOが売れてから めちゃくちゃ流行ったあのテクノポップの 略語ではなくてデトロイトを期限とする別 のジャンルであるっていう点これをね ちょっと忘れないでおきたいですねただ 一方でクラブ音楽の方のテクノはクラフト ワークとかYMOみたいなえああいう音楽 に影響を受けているとややこしい80年代 末頃に入りまして国内でもDJカルチャー が対当してきますとヒップホップと並んで ハウスなどのエレクトロニックダンス ミュージックもプレイされるようになって きます渋谷系のねえ解説動画でもちょろっ と話しましたけども日本国内でもチプ化が 始まっていたディスコと差別化する形で クラブが登場してきてえそれらの多くは ディスコが立していた新宿とか六本木から やや離れたえ渋谷だったり原宿だったりえ 芝浦といった地域に展開していましたこん 時にオープンした著名なクラブあげていき ますと芝浦のゴールドとか西のイエローと かがあげられますそういったクラブで川部 浩とか田中文也といったDJたちが連盟期 のシーンを支えていましたちょうどこの 時期にですね原宿の保典でえヒップホップ 好きの若者たちがタムロするようになって きてえそん中からDJを行うね人たちが 登場してきた時期もちょうど重なりますよ ね加えてバブルケーキの競争を反映するか のように流行していたマハラジャとか ジュリアナ東京といった大型ディスコでも ハードコアテクノが好んでプレイされて 一般層にもクラブミュージックが浸透する こととなります立ち台にねえ乗って フラミンゴの羽みたいなのがついてる センスをさえ振ってるあのボディコンワン 連のさ女性のね姿1度は見たことあると 思うんですけどもまああいう映像がかかる 時に大抵流れてんのがハードコアテクノな んですよはい国内でヒットした最初期の クラブミュージックなんですが近田春王 プロデューサーに迎えたきんきんことと 小泉京子が89年に発表したシングル フードアウトこれがですねアシッドハウス を大胆に取り入れたナンバーとなっており ましてえ同局はチャートで2を獲得しまし たこれね僕も大好きな曲なんですよ結構今 でもねいろんなクラブでプレイされてる ナンバーですよね近田ハオ龍のハウス火曜 といいますかさらには翌年90年え底東亜 がDJとしてメンバーを務めたアメリカの ハウスグループであるdライトがシングル グループisinザハートで全米チャート 4位の大ヒットを飛ばし注目を集めました ま低東亜がねその後活動拠点を日本に移し て日本国内のクラブシーンで大きな存在感 を発揮し続けているのは皆さんの知る ところだと思いますがまデビューはこの 時期だったということで93年にはですね 日本国内のクラブミュージックのシーンに おいて天気の1年となりなりましたまず1 つ目の出来事ケ石が発表したミニアルバム ガーデンオンザパームがイギリスの音楽師 NMEのテクノチャートで1位を記録し ましてこの人ね日本国内では無名の存在 だったんですよだからえ何者なのかえ噂を 呼びましたあいつ日系人なのかそれとも 海外で武者修行してる日本人なのかえ何者 なんだみたいな感じでねなんかどこの シーンもこうやって逆輸入的に入ってくる 人いますよねブッダブランドとかレゲー だったらナーキとかさそして93年天気と なったもう1つの出来事はナゴムレコード に所属していたバンド人生を全身として 形成された電気グループ活動初期こそ ラップを取り入れたパフォーマンスを行っ ていましたが次第に電車音楽を死体とした ハードなスタイルに系統していきます同年 に発表したアルバムビタミンではアシッド ハウスを大胆に導入して収録局の大半が インストの内容にも関わらずチャート5位 のヒットとなりますやっぱりね平成初期 ってなんかちょっとせめてる音楽性でも アーティスト多かったんですよね1個前の オルタナの動画でも話しましたけどだって ブランキーとかミッシェルとかゆテとかが 売れる時代ですからね同じ年さらにねもう 1つ結構興味深いイベントがあるんですが 音楽レベルのABXは東京ドームでベッ レイブ93というイベントを開催しまして 東京ドームを丸ごとディスコに様変わりさ せましたすごくないすかでこのイベントは 5万人が訪れるほどの大正教を納めます 5万人もね来てるディスコってどういう 感覚なんでしょうねちょっと言ってみたい 90年代の中盤以降abex提携した小室 徹夜がクラブミュージックを取り入れた ポップスで全国を接見しまして最新の サウンドとして人気を集めますがそうした 流行の前段階としてこのような取り組みが あったと言えます小室徹夜TRFの コンセプトねちょっと思い出してください ディスコ足カラオケ÷2ですよディスコと カラオケという2種類の音楽空間の流行を 敏感にキャッチしてねそれを料理するシア クラブ音楽をJPOPにね落とし込むのが 小室哲也のま方法論でしたミノ ミュージックをご覧の皆様ごきげんよ続い て中田安孝について話していきたいんです けどもま小室哲也に続く世代の著名な音楽 プロデューサーとしてえま中田安孝の名前 をねあげられるのかなと思うのですが97 年にボーカリストの星島俊子とカプセルを 結成しまして2003年から女性アイドル グループとして地道な活動を行っていた パフのプロデュースに着手しますはいだ から最初この人はミュージシャンとして 出発してるんですね90年代の後半以降は ダウデジタルオーディオ ワークステーションなどのパソコンを使用 した音楽制作ソフトウェアが目覚ましく 発展した時代でしたつまり高価な録音 スタジオをねえ借りて音楽制作をする必要 がもうなくなってくるパソコン1つで録音 からミックスからマスタリングまでできる ような時代にこの頃からねえなっていくと いうことですねこの技術的進歩の波に乗り まして中は作詞から作曲演奏6をミックス マスタリングに至るまで楽曲政策の全 プロセスを1人で手掛けることができる新 世代のプロデューサーとしての地位を 気づきましたまたボーカルを除く全ての 音楽要素をソフトウェアで生成するという 方法を採用しまして音楽の制作を完全に パソコン上で行うこれね当時中田安孝のね インタビューかなんか僕どっかで読んだ時 にやっぱ衝撃を受けましたよね僕はもう 制作全部これでやってるんですみたいな 結構前代未もでしたねこうしたアプローチ は極めてデジタルな質感のあるサウンドを 生み出すことにも寄与しますパフュームは 電子加工されたボーカルが特徴のスタイル で2007年発表のシングルポリリズムの ヒットをカ切りに大きな成功を納めます このような人口的なボーカルを特徴とする 楽曲は当時人気を白していた初音ミクトの 類似性もしばしば注目されましたそうなん ですよこの時期ねちょうど初音ミクが ニコニコ動画上でめちゃめちゃ流行ってた んですね2011年からはファモデル出身 のキャリーパミュパミュのプロデュースに 着手しまして翌年発表したシングルツケ まけるで早速ヒットを放ちます一方で活動 初期やコケティッシュな原宿系 ファッションだったりミュージックビデオ などで奇抜な演出を行ったため一部誤解さ れることもありましたが特に注目すべきは ニコニコ動画などの動画配信サイトや SNS上での活動でも大きな存在感を発揮 しましてインフルエンサー的活動を いち早く実践することに成功した点です ほどなくしてえキャリーちゃんは広く原宿 系ファッションのアイコンとして世界的に 注目を集めるようになりますあのアイドル 氏の動画でねちょろっと話したんですけど も日本国内において最後のソロアイドル 松浦綾瀬とまあの動画では話したんですが ちょっとこのパッケージは違え度実は キャリーちゃんが最後のそのアイドルって いうのももしかしたら説としてねあるかも しれませんよねこの時代になってくると 自身のプロジェクトであるカプセルとして の作品もコンスタントにヒットするように なりまして中田安プロデューサー及びとし ても目立つ存在となりますスマッとか鈴木 安へのプロデュース楽曲もヒットを記録し まして平成時代の後期はまさに中田が JPOPを接見した時代と言えるのでは ないでしょう かはいということでいかがだったでしょう か今回はクラブ音楽そして中田安孝につい て話していきました特にクラブ ミュージックがねどのような経緯で国内に 入ってきたかっていうのは意外と見過ごさ れがちなえ法学士のチャプターと言えるか もしれませんよねということで本動画の ベースとなっております私の書籍日本の歌 音曲と楽器と芸能にまつわる法学通よかっ たら手に取ってもらえると嬉しいです そんな感じでミノミュージックでしたそれ では [音楽]

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20 Comments

  1. あまり詳しいジャンルじゃないんで適当だけど日本テクノにはYMOって偉大なお手本が有るけど所謂90年代以降のクラブミュージックに影響与えたのはKLFやトゥーアンリミテッドだと思うんだよね
    当時日本でよく流れてた記憶が有る

  2. EDM全盛期に高校、大学生だったので
    私の青春です!
    EDMも是非取り上げていただきたいです🤲

  3. ライヤーゲームの主題歌は衝撃的だったなぁ
    クラブで中田ヤスタカさんはウーロンハイずっと飲んでたイメージ笑

  4. 中田ヤスタカ的ありようって、わいぐらいの世代だと、80年代中盤に存在感があったPHYSフェライト、松浦雅也を思わせるけどな(作詞はしなかったかも)。あのユニットもvoチャカさんがマニアックならゴスペルシンガーキャラじゃなくてそこいらのアイドル風だったらかなり、ピチカートくらいには席巻したんじゃなかろうか。実際CMタイアップとか結構小ヒットしてたよね(フェライトができ過ぎくんだったので、あんまり一台で演奏してる風に思われなかったとこもあるかも)その流れにカプセルからYOASOBIまでいるよね

  5. 結局日本ではクラブミュージックと歌謡ポップスが入り混じってしまいリスニング的なものに落ち着いてしまったという感じ
    そもそも日本人は踊ることがあまり好きじゃないし
    アジアのなかでもダンスの文化は弱いよなと思います

  6. キャリーさんに近い人が最近出てきましたね。しなこさんという人は新しい原宿のアイコンになりそうだ。😊

  7. ケンイシイとavex が一緒くたに語られる…まあ30年前だもんな….

  8. 電気グルーヴの石野卓球もWIREと称して、日本でレイヴのノリを継いだイベントを開催してましたね。
    現在では、みんなのきもちがそういったノリを継いでる最先端だと思います。

  9. カプセルのフラッシュバックはマジ素晴らしい。アミーゴの曲も素晴らしい。DEXPISTOLSやロウブロウズ、80Kidz、ラムライダー、マドモアゼルユリア、大沢伸一、AMWEなどなど素晴らしいミュージシャンがいっぱいて、東京エレクトロって雑誌のWARPとかEYESCREAMに載ってて、スペシャでもマドモワールドとかやってて、当時スゲェーワクワクしてました。あの世界線の続きを見たかった!!

  10. 僕も当時のヤスタカの制作環境見て価値観ひっくり返る衝撃受けました
    そして音楽性にも
    今ではもうDTMが当たり前になってますけどね

  11. 電気グルーヴの場合は クラブミュージックシーンより ライブハウスやフェスの印象が強い

  12. YMOはもちろん最高なんだけど他のテクノポップのミュージシャンはほとんど知らないんですよね。DJ hondaさんとDJ KOOさんが組んでましたよね。ケンイシイさんも、きゃりーちゃんもフルーツマガジンに掲載されてましたよね。ブンブンサテライツやジョセフナッシングなんかもカッコイイですよね。テディロイドとかパズラムシステムなんかも好き。乙女ハウスが好きです。トレッキートラックスやマルチネレコーズなんかも好き!

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