正木裕@海幸・山幸と隼人の真実~三転した海幸・山幸神話②和泉市 コミュニティセンター@2024年6月11日、14:39:08@29:01@DSCN6180
ですから天尊降臨のまさにその紀元前2 世紀あるいはそれ以前の話だとこれ海が 有利なんですね海が有利海の勢力が丘の 勢力吸収本当の方を制服していますよと いうことですからえ最初生さの方がえ お兄さんであって山幸に命令をすることが できるという形はまよく分かるわけです しかしですねその後だんだんだんだん やっぱり生産力は山の方が高いですね山と 丘の方が高いそ濃厚の方が高いです主要 民族よりも狩行生活してるよりはそら田房 を耕してえねあ大々的に策をした方が当然 生産力が高くなるしかも えそこではあの技術力もありますから ねえどんどんと製造の武器なんかも陸側が 作ようになってくるでその証拠はもうあの 糸平からたくさん大きなねあのえ日本最大 の同あの同居とかね出てきますからそう いうものはどんどんどんどんえこの山川で 作れるようになるでその頃ね調べてみます とその頃九州北で作られた同歩なんかが逆 に津島の方 にあのもたらされているのも分かってきて いますのでもうあの弥時代機になりますと 山陸側北部九州を征服して生産力を発展し たさせた勢力が勝手の本拠海ですね津域の 勢力を両がしたよりも勢いが強くなった 本拠をのった本を変化しちゃったですね どっちが強いか新しい新山の陸のがが強く なるわけでその証は井戸 井戸金融もらいました ね工部停57年工部停から金融をもらった ということはもうその時点であの岩時代の 後期になりますともう陸の方が九州本島の 方がえ海側よりもあるか に実質的にもあるいは大外的名目上も強く なった だからこっちの山の勢力がかつて本拠 だっった海の勢力をひっくり返したという 歴史事実を背景に山崎が海幸を屈服させる というそういう風に逆転をさせた という風に考えられば最初は海の方が山を 予を制服したんだけどだんだんだだ当然の ことながら え本州というか九州本島の方が力をつけて でもそれがもう国をなったりえま山一国に なったりするわけですがそうするとえもう 山の方が運を制服した支配するというよう な逆転の行動が起こってそれが神話の中に 者山崎神話の中の海先が山崎に服すると いうこういういう構造に変わったというよ に思われるわけですですがここで逆転し てるというのはこういう歴史をちゃんと 背景にした逆転劇だったと誰かが思いつい てね逆転さしたわけではないいやこれは あの大体弟の方がえマシ相続とか言って弟 の方が強くなるからなんで考えてやった わけでないちゃんとこういう時代背景を 踏まえてこの話が逆転 でずっとですねあのそれでまあ 山崎山が海を両腕だから山の方がですね ずっと山崎の松江ということでずっとやっ てきたんですが8世紀初島には大和町が それまで我が国を代表した九州の勢力です ねあのもう金融をもらってそれからあの 天野太麻さんがいてねずに死者をったりし てたそういう勢力 をこれをですねえ復習させることになり ますでこれはもうえもう大和帝の成立でえ 大砲年号が700年1に権限されて実量が できてそしてえそれと並行して九州さの夢 の判断を抑えたりさはとの討伐を行ったり まここでですねえ和勢力これまでずっと 続いてきたこの 山ま戦力をまひっくり返してしまうわけで そのひっくり返した時のやり方がどう かっていうとこの90の勢力は実は山の 勢力じゃない山の山崎の松じゃなくっ てこのこいつらは覇というこの斗というの はえ要するに生さののくこしたさの子孫 ですよ ということ にしちゃったんですねでかつそうすること によって新話時代にちゃんとその子孫題 までですね天皇県に使えると約束してたに も関わら ず発生になって暗行したで消しからという 風にですねそのもう覇討伐すると九州の 勢力を討伐するその根拠にこのさ山幸神話 を作り替えたというかしてしまったという ことになろうかと思い ます でま本来は本来は山やっぱり同じですね ような山さの同じ飛行歩みを継いでると いうことですからま山の勢力なんですけど ねだけどそれは海の勢力だという早だと いう風 に日本主公式はしてしまったであのま度々 話しますけども白村皇の時に捕虜になった 立山ですよね山なんですね山なんだから 本来は山のま山の系統 の王朝王王がまそそ7世紀の後半はあ九州 の中心だったでそれをそうじゃない やっつける時にいやこれは海の海たちの 末裔だという風 に小食日本主教を作る時にひっくり返して しまったということになろうと思いますま この辺はちょっと置いときます最初 え国りとか天尊の元になったていうのは 先ほど言いました紀元前2世紀頃に朝鮮 海峡の津島行海も天ですからね海海は天天 さんの天ですね海の人 天え拠点とする天テラスとかのらその天と 言われる人た天族がま旧来の支配者から ですねえ長竹伊遺跡見るように稲作が盛ん なった豊からみほの国え博多湾から九州の 支配奪って堂や鉄の武器を携えて進行し ましたよあだからえこの時点では1番最初 はやっぱり海が有意で海たちがお兄さんな いうことにしたです ねでえこに もう海の勢力は山の水冷みほの国の有地の 縄文人を制服しました先ほどちょっと言い ましたもっと詳しくここに書いております が広島地域紀元前6世紀から2世紀頃にえ 広島地域には人え史跡部分とあります首石 簿とかえそ石ヶ崎新町三雲加賀簿こう たくさんの史跡簿がありますこっからはマ 赤要するにもあの石の矢印が姿縄文の物 ですねこれたくさん出ますしあと縄文人の 形質を色残した人骨も埋葬されていました このはDNA分析がねえちゃんと行われる ようになりまして指的簿に入っている人 たちは縄文的な あの色彩を強く残したえ遺伝的な形式を 形跡を持った人たちが埋葬されていました とで一歩紀元前籍を同時在の博多湾岸吉高 遺跡や方遺跡からはえ天尊降臨神和に 見える三種の人ね製造の鏡同権同玉これは 出動しますしこれ埋葬された人骨はえ どちらかというと野系の特色を備えでいる ということになりましてえで今言いました 吉崎大石遺跡から は石の剣の一先あるいは石の矢じりが体に 埋まっているというようなまあの 遺骨遺骨も発見されていますでこれはせ 戦闘の結果体内に残された可能性が高い これ福が市の博物館もちゃんと認めており ますのでそういう石の武器を持った人たち と製造の武器を持った人たちが戦った証拠 がここにちゃんと残っ てるでですねその今度技の技とは何かと いうことを考えていきますがこのとかって いうのは一体どこの誰の族かということな んですえ今言いましたようにえあつま先 立ちをしたり足を上げたり走り回ったり腰 をひれたりですねまああ手を上げたりです ねえそういう風にずっとやってきましたよ という風に書かれていますで今に及ぶまで ということは8世紀の斗は裁などの設備に 対して天皇にはとを奉仕したことを言うと いうのはおそらく間違いないと覇たちは今 までというの8世紀に至るまでそういう形 でえ使えてきましたよと書いているところ から見ると大嘗祭の時のは舞というのが これに当たるという風にま考えていいと 思いますただ今はですね 早なかなか残っていないねあのえ復活させ てますが本当に早と舞だったかどうか 分かりませんだから今も早と舞というのは え古い形できちっと残ってるということは ないだどっかに残ってるとこれ先ほど チップにせまし た あのいわゆるその おサバそですねサバサバま大きなのが1番 めでたい時新年の初めとかねそれから大変 来た時に将軍大来た時あるいは天皇大来た 時にまやる その沖縄名前1番ごめなさい場それについ てるのが3まそということですこれだとま 考えると思いますで大場祭の時に田舎やっ た新天皇はその年のニないいを神に捧げて ま天皇水からも食べますでま穀物の神に 感謝することです でこれはもうあのこの前の令和店の時の 大祭ね覚えておられたと思いますが ちゃんと組舞とかですね雪月の風俗舞とか こで古代はそのえは前も奉納されたという 風に書かれていますんでま天皇話題があり て1番最初のおめでたい時にやるのはこの はだったねで溺れたさ様そんなめでたい時 天皇が即位して1番最初にめでたい儀式の 時に溺れてら苦しむ様をです ね果たしてそんなことを見せたのかとで 本当にこれ溺れて苦しむ様なのかこれは 日本初期乞食を作った大和長平がそういう 風に日本初期乞食の中でいやこれは苦しむ 様だという風に言っただけなんじゃない 本当はもっと違う元々その大嘗祭でやる ようなめでたい本当の真事だったんでは なかろうか神様に使えるためのこういうこ やってますよね組前なんか行きがみんな 風俗前も全部溺れたい間になこれと同じ ように早と舞があったとすればそれは 決して溺れた様じゃはないもっとめたいれ たいちょうどこの穀物ね穀物をを神に感謝 するための儀式にふさわしいようなもの だったんではないかと思います えじゃあそれは何かというのは まで今も残る穀物の実りに感謝する演芸が ありますそれは農学大きなあるいは文楽で も歌でもあるんですがこの3バ この3バこそですねごく工場をこほはと 言われていまし てあ足上げ走り回り腰の腰をひる手を 上げる などまさにこれつま先立ちですねこれ手を 上げる腰をひねるねこう手をこうあのこ 見事にその先ほど 日本職に書かれてるような所作をやるの がこれがサバ創なんですねでこれは何かと 言うとこれ田なん田 種まき種を巻くそれからウエルそれから イカルそれから担ぎ上げるとかそういう 稲作の 去これを表しているのが3バ層ですねこの 3バ装を金やったのは農学の三バ層です けどこれこそですね日本初期のはと前に ふさわしいものだと考えますもう文言通り するとこがこれしか今のところは考えられ ないねなくなってしまってますけどもこれ があこの農学の3バ層に残ってで沖縄って いうのは最も古い形の農学ですからえ まさにその神ゼ以前がはか昔からね伝わっ ているような農学がえ沖縄ですから沖縄に 付属するが三波ですからまこういう形で 残っていると考えていいのではないか本来 の覇舞は濃厚民の真事田上の真事を移した もので農学沖縄の三バに残されていたと 考えられると思います綾とされるような おし時の草草の様というのは天尊降臨時代 に支配された在地の濃厚民の真事であって え支配したる新しい士の代表のためにその 儀式で奉納されたものでま今は失われた けれども農学の最も古く神聖な沖縄の三和 に残っていたと考えられるのではないかと 思い ますでまあの三 これからところ千代までわしませ千代にに しのまこれえ君もあるんですがえ3バ所 千代までわしませんで所千代までてどこま あのねあの博多千ありますねあの長な ね所地代までわせましがまあの長寿を祝う とされますま仙台 え千千体の先まで元気にしなさいよという 風に解釈をしていますが赤川には治療の浜 がありますでえここにはあみの君を迎える 歌が伝っていますこれは農学沖のくが地で あると指名しているのではないこれ直前の 国直不ましてえ地代の松田滋賀の海神社山 ほさの神楽に滋賀の浜滋賀浜を見ればいい という貸に向いたるあの吹き上げの浜千代 に八千代まであれはあれこそは熱の国の メタを見になりけるよまこんな歌が残っ てるまそもそもこうえ 博多北九州の初のえ風俗でえあったという のが このま歌にもま残っていますで先ほど言い ました現在の早はま70年にあの復活され たもんですからこれはあの昔のままでは ないでこちらの方が本当の昔ののトであろ これね残念なこと に あ良かった これこ足これ足を上げて 足はうとこです ね手あげて [音楽] これ がが足りました よいしょ足は ね足上げ [音楽] JA [音楽] [音楽] [音楽] お [音楽] はいま あのこんな感じでえ見ていただいたこれ まだちょっとまちょっと上品なんで先ほど のあの絵の方はねあのもう少しちゃんと あの押ひねったりするとか言てましたけど まこ今のちょっと分かっていただいた思い ますがまこれがですねあの公式日本主に 書かれてるようなまあ溺れたさと言われ てるもんで本当は見たら溺れてるんじゃ なくて犬のね内を植えたりいかりをしたり してるところだってのは大体分かるあれ 溺れた仕草っていうよりはあそういうイか とかね濃厚の真事のえ紛であというのは 分かっていただいてると思います でもこれ繰り返しになりますんでもう あまり言いませんけども新話のストーリー としては本来立ちが山たちを復刻させるの が自然だけども え しかし紀元前頃の天行から300年で海と 山の勢力が逆転をしました1枚飛んでます よ飛ん でるあこれかあごめんなさいこれ えもう1つありましたのはねその祖とか田 とかありますね先ほど言いましたあの顔に 手にえ赤土を塗るとかね顔になとかでえ これはですね天尊交流により制服された 北部九州の魚民の風習だったとで日本初期 には兄塞ぎこれふをしてえそに赤頭を持っ て手に塗って顔に塗ってその音をに申して い我れえ身を汚すことこのごして下風に 何時の和木タと モストでこれはもうあのま現代というより も義志は神殿ちゃんと残っているわけです ね顔で特にマ国マ国の風習として残ってだ から九州側の え在地の人の風習として残っていますで皆 あの水に潜りますと和の水人こんで海に 潜ってえ魚や貝を拾います拾いますと分身 これ入れ済みですよね分身ま持って太陽 水品を糸そういう入れ墨をすればサに襲わ れないとかねこういう風な伝承があってえ こういうのやってますでえまあ感ですねえ その使い中国マルやえ皆自ら大部と消すと 加工症候の子会計に放られるやだから単発 分身を持って交流の概要をされ今和の水人 好んで沈没してえ魚介を捉え分身してまた 持って大魚水を りこういうようにちゃんとこう顔にですね いろんなものを塗ってええそして水流の外 を避けようという風に書かれていますで今 もですね これふんどしこれありますこういうサメ なんかを避けるためにふんどし長いふしを してねあの海に潜ってっていうのは これこういうのはずっと残っていますそれ からあこうですねまこれ昔のあの生物に ありますこれふさぎタフさぎと書いて ふんどしこういうものですよ という風にま書かれていますでこういう やっぱりあの風習は南方方からですね南の 方から南方からやってきた風習でこれタと か家族とかこういうところに皆 ゲ 分発分分身ですねこういう報酬が残ってい ますよで海の勢力があ山海が山の山幸を復 させるのは本来だったけども神話では逆に 山立がさをさてるこれはこういう その先ほどの言いましたように生産力がこ 逆転したからだということが言えでの勢力 が強くなっ てだ から山太山一山がつくんですね山がつい てるなんでなんで山なのって言ったらそれ はこういう背景があるわけですね海と山と 海の勢力がやってきたけども山の勢力を 陸側の勢力が強くなって井戸国をま中国 からも承認を受けるになってでえ自分たち をF国と呼びましたとであの先ほど あの井戸国王っていうのにこのあごめん なさいこの和の条項音はいなんですねな何 回ずっと言いますけど輪というのはあの えこれで のずの時代 北方北方のね千美族が やってきてで音が変わりますね音が変わっ た時に輪になりますけどそれ以前はいい ですこれ衆院とか講員とかいう600年 ぐらいにできたこにちゃんとあの載って おります元の条項はいなんですねい和のい で山1国これ1というのいなん同じいなん だ山の異国 和国和国と言って山の本当は異国だから山 の異国山を名山の異国ねすなわち山国が ここで誕生しました よ行側 の行側の勢力が海を両下してそして中国 からも認められて見も交流したちゃんと 私たちは山の勢力ですよで山行こっと元の 海 の和国では異国ではありませんよ海のでは ありませんで山国という風になりますです からこの山崎海崎の逆転まず第1回目の 逆転神話つまり海から山へ海から山への 神話の天というのはまずこれは山の勢力が 海をしりで家国異国お代表する井戸国山国 時代 に作られたというかひっくり返されたのが え岩の海たちを山たちが合服されるという この神話の原型だったのではないかと思い ますでもうこれも何回言いますが次は王朝 交代時代にこれはひっくり返ってしまう わけですがまひっくり返ってるかあのな 作り替えてられてしまうわけですがえ8 世紀の初島にはその先ほどの和国国が
