七世松本幸四郎 Kōshirou Matsumoto VII
[音楽] まだ上にも死の道疑い笑尋にじ答えもが [音楽] そのり ひに つけ人にの 語り あこ大日本の人諸物殺もしらなぱ種かかか 土でもたな危な [音楽] [音楽] 毎月第4週は現在残っております映像や 音声の貴重な資料から名人の芸をたどる 伝説のげ今日は歌舞伎俳優1代目松本郎 ですです私はあのこの郎が亡くなってから 生まれたんですが常川さんは何度もご覧に なってますねえいや何度ってこともあり ませんけどねなくなる1年前昭和23年の 舞台たった2つだったけどとにかく拝見 するという機会に恵まれましたああそう ですか今日はスタジオにゲスト2方をお 迎えしていますこのほど放送文化賞を受賞 なさった歌舞伎俳優の中村弱え門さんと 淑徳大学教授の渡部田さんですどうぞ よろしくお願いいたしますよろしくお願い しますまずジ衛門さんから教えてください あの同じ歌舞伎の世界の方ですが特にこう 近しくなったのはいつ頃からですかえ あの戦争から帰ってまいりまして昭和21 年の暮れでございますけどそれ以後その 結局え廃線の その瓦礫の中からあの拾ってくださったの が松本孝郎ええ次第松本孝郎でございます それで えお前あの各の役者をやるか好きかって 言われまして好きですって言いましたら じゃあやんなさいで あのあれこれれやってみて女方になれと いうことになりましたでもそれまで女方の 思考ではなかったんですねはいあのうちの 父はご承知年6代目とえもでございます からあの私をま後目と思っておりましたの で立役の修行ばかりさせられまして踊りも 立役の踊りばかし あとはもう男のやることでしたら何でも やっていいというようなそういう教育で ございましたのでもう普通のわがままな あのわせの坊野でし たじゃ20代からその市田松本孝郎の言葉 で女方に天候なさってそして昭和23年に えはい衛門の名前を集名なさこの時の舞台 ははいその時はあの大熊というのああえに 出さしていただきました させていただきまし目とまさにその七田甲 郎さんと一緒ですもんねはいはいまその後 まご類と言いますかはいえあきこ結婚 いたしましたえつまりお子様のあの女のお 子さんとのおこさんでいらっしゃるわけ ですよね娘さ娘さんでございますよねま 渡辺さんあのやっぱり七田目甲郎というと はいそうですね肝心長の弁慶ってことに なるでしょうねまあ1600回ともえ 700回ともいう風に言われてるんです けれどもおましかしこれだけえ幹人長って いうものは今日ですねえポピュラリティの ある人気表現になったのはあやはり甲子の 弁慶というものがあ日本全国にね広めたと いう功績が大きいと思いますねうん まあ高齢のね役者の時にも演じていた形 ですけど70過ぎでだって演じ出したん ですからねあの弁慶をねそうですね私が あの見たのは最後の弁ですよねあそうです かそういろんなものはあの舞台所のね成果 がたくさん終われたけどもさっきジャマン さんの話もちらっと出ましたけどねあの実 はお子さんに恵まれたと言いましょうか あるいは子供の養育が大変見事に行ったと いうのかあの1番ご長男がえ皆さん全部 あの亡くなられれてしまったけど11代目 の男十郎さんでしょその次が8代目の孝郎 さんつまり白王さんそれからその次が2台 目の小六さんでそれから妹さんのお様が はい円番さんいらっしゃるとこういうまご 一族があってね皆さん全部それの戦後の 歌舞伎をずっと今日まで支えてこられた 方々というものをの親だったわけですから ねらしたもだったわけですねねでしかも その今の肝心長もそうだけれどもやがて その3人の子さんもそれぞれ肝心長弁慶も やりになるたさらにお孫さんもやる いやいやここへ来るともうひさんの台まで その肝心長がずっと伝わってくるわけです よねそう松之助のね代までその代表長昭和 18年の映像ですから70代の弁後半の 部分をご覧いただきましょう [音楽] [拍手] [音楽] 夜を せもと [拍手] おをせ お [音楽] に の お なく [音楽] よお [音楽] [音楽] [音楽] ものおと [音楽] おし [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] に [音楽] め [音楽] [音楽] 夜 の よ [音楽] [拍手] おそ [音楽] お [音楽] ごれ [拍手] [音楽] よ もろのい お お れてもりにる [音楽] [音楽] [音楽] JO U [音楽] [音楽] [音楽] の [音楽] れよ [拍手] ました [音楽] [拍手] お [音楽] [音楽] [音楽] よ [音楽] さあという弁慶目に残っている弱さんの 思い出はどんな姿の弁慶ですかええそれは もう子供の時からずっと拝見しておりまし たけどいやあもう朗々として勝たでそもう 引っ込みなもうそうですね私が拝見したの は子供の時から拝見しててもちっとも 変わりませんでねお年をめしてもああ すごいもんだ思いました渡様最後のあの ご覧になった先しってまあのもう落として ましたからねあの顔が今出たような顔では なくて老人の顔になってらしたんだけども おそれでも非常に立派な便風貌の弁慶でし たね押し出しが立派な弁慶ですねうんうん とがさんもいろんな役の思い出があります でしょええいえあのことにこのねあの感じ ちょっと見ましてねこれ映像だけれどもで もあの花道が出てくる時からのある風格の うん大きさと言いましょうか重厚さと言い ましょうかねこれはあのピピとこう伝わっ てきますよねうんからこれ私拝見しない スチール写真を見ただけなんですけどね あの茨城で渡辺の砂での最後の入れのとこ に大きな目舞台の中央でね下をこう出して というあのま有名な写真があるこのお顔見 てると立派な顔ですよねええ大きさ立派さ そして顔のそのいわゆる決勝も弱目さ とてもうまい方だっていうか あの顔については大変究してらっしゃい ましたですねですからどんなことも時には ねあのその青い顔にする時には引き茶を 入れましておいに入れて塗ってらっしゃる 時も見ましたえそれからま顔を大きくし たり細くしたりすることも大変お上手でし たですねどうやってやるんですかえあのえ 卵の白身をですね薄い綿でこう1枚1枚 張ってくんですね時間はかかりますけどそ とこう大き うくなるんですえそれでその上をちゃんと その辺を時はドラを使ってらしましたえ今 パンケーキじゃありませんでドラにして ですねそれを塗ってこうやりますと ほとんどわからないですねまそのものを顔 にこう見さああれ元々絵心なる方なんです よねえはを上手でしたうんえあの弱衛門 さんの女方のいわゆる顔もはい私のですか え私はあのま初めてで舞台出ますんでま顔 してあの挨拶にま参りましたそしたら ちょっと顔あげてごらんて言われまして あげましたなんだお前目がないじゃない かって言われえ目どうしてこありますけど て言ってだめだよそれじゃ使い物になら ないよちょっとこっちおいでってそう言わ れましてそうしましたら何か住みでしょう かなんかこう目のうこう塗ってください ましてねその当時の女方ってのは今もそう ですがあの目の上に炭を入れるっていうな ことはほとんどないんですねだけどお前は 特別だから目がないんだから目を作ら なきゃ役に立たない てそれでやっていただいたのは私の アイライの始まりえでそれをその後ずっと 承しりますそうです承すてそれさして いただいと目はやっぱり ないでもそののお父さんにそう言って いただいてしていただきましたから うんと務めておりますけどあなかなか女方 がその上に炭を入れるっていうことは考え られないですねあことですねさんさっきツ の話が出ました他の役はどんな思ああの私 がそのさっきちらっと言った裁判年に拝見 したってのがねあれ亡くなる1年前 でしょうけど23年昭和23年の舞台で6 代目きろさんのえ実森物語でその時は性能 なんですよねあこの時びっくりしました あのはいだから70のちくらいのご恒例 でしょところあの瀬能の最後のとこであの ひっくり返るとこで俗に平和がりてですか あの大変あれはアクロバットみたいな刀を こうやってくっとあれしますねあれやりに なったんでびっくりしましたよ自分のあの 首を落とすとこですよねそうですそうです そうはいそのかなり若い役者さんでもやれ やらないかやれない人がいっぱいいます もんねそう大したですね渡辺さんはどんな 役をそうですね中心ぐの之とかそれからあ 金閣寺の松永大前とか恵のあの四車第8と かですね菊畑のキチとか色々拝見しました けどもあの私はやっぱりね歌舞伎役者って のは押し出しが立派でなければいけないっ てことがそれは大きいってスケールが大き いってことですねそういう意味では光郎 さんは非常にそういう立派な歌舞伎役者 だったと思いますねことにえ実悪っって いう役柄があるわけですがつまりそれは あの実ことと敵役を両方兼ねてやる役な 特殊な役なんですがそういう役の立派さは あのこれは折口部がえ実学役者としての 松本孝郎という文章を書いてますけどね うんあの非常にこの人がいなくなったら 歌舞伎から実学役者はいなくなるだろうっ ていうことなんですが本当にそう思います ねそうした悪の匂いのする役の1つ中心ぐ の高のもの音声だけですがちょっとお聞き くださいあ そりゃそうであろう奥方のそばにばかり へばりついてござって女のこと を少しも思わぬ気候のような個人をあなん とやらそれそれ井内の船という例えが いやいやままも腹を立てずに聞かしてこの 船というやつがのわずか3弱爵の胃の中で 育ちましたがそこ 井で鶴に上がって上がりましたすると蔵し のような慈悲深いものがあってかわいそう にと言うてこれを大川はとと流してやり ましたそたはわてあちらへはうろうろ こちらへはうろうろうろつき回ったその 果て がすいて鼻っ柱をぶつけてそれピリピリ ピリ ピリピリピリとしに [音楽] まじ拍手気候などがその通りじゃ小さな 屋敷から広い御殿へ出たによってでしない らへはうるこらはうどのつまりは松のの柱 へ花柱をぶつけてそれピリピリピリと死に まするじゃその船 がいお拍手気候の腹を立った完食はあ船 しくり逃げてまったああ船じあ船じやな フ フフ [音楽] フまこういう悪の魅力もあります悪って いうとさっきあのジモさんね実悪って言い ましたけど独特なあのカって言いますか髪 がありますねはいはいはいえ王子なんかが そうですねじてこういう大きな髪でこう 長い髪をしておりますでごもってのを来て おりましてねこれはなかなかやはり立派な 俳さんでないとその頭も衣装も合いません でねうんえそ会うような方が実学ができる んでしょうかあの今でしょ金寺の増永大前 ででジャマンさんがま例えば雪なさってる わけですよねであれやっぱりっした実悪の 大きな役者でないと雪の方もなかなかやり はいそうごね大きいただ背が大きいわけ じゃなくてええあのそんなに性の高い方で はありませんでしたね舞台出ると大きかっ たということですがそういう役あの1つ 今度はその荒々しい役っていうんですか 渡辺さんそうですねあごもお得意でらした わけですね僕はま幹人長の弁慶とか スケロクを見ましたけどもスケロク拝見し た時にやっぱり思ったことはねあのもう 非常に70いくつだから高齢なわけだけど 実際に力を入れることと力が入ってるに 観客に感じさせるってことは違うことだな と思いましたねだからえ小さんのご法って いうかねそのいかにも力の魅力というもの を感じさせる技術が終わりになったって ことですねこれがあのしばらくですねま 飛びとびのものですけれどもこういう ところにも力強さがそうですねこれ やっぱりアゴって息ですからあの踏み出し た足のポーンと踏み出すとかですねあの ぎゅっとこう決まるとかですねそういう 呼吸が大事なんですよねうんでそういう ところの動きのキビキビした感じとかです ね今ご覧になるとえ分かりますけども動き のところでそういう骨法がねよく分かり なると思うんですがうん単にこうこう肘 張ったり力強さだけ見せるんじゃないそう そうそう形じゃなくてねその体のなんて 言うんですか整理呼吸から出てくる力強さ ですねこう歩くところほら坂間をさく ところねうんうんそ見に入るところって いうところがねえこれで刀抜きますねほら バラッと腹開きますねそうとその動きに 無駄がないんですよほらポンうんうんうん と言ってこうなって決まるでしょはいで これがねやっぱねアゴのものそうやっぱ力 を感じさせる骨法だと思うんですねうんあ うんさあ今日はですね今あのやはり記録 映画に残っていたの元にえ生前の小六さん があ語るという番組がありましてえ山静 アナウンサーとともにこう平の形でこれは 梅お丸ですねめはいこの車引きをちょっと ご覧いただき ましょうさてこの第1品のですね昭和12 年え1月の車引きを小六さんの解説 でお願いいたしますどうもどうもあ出てき ました出てとてたでで丸桜で兄弟にこれ から実回がありますはねはいえ これは放放片方バドのおじさんですねあさ です か先台サはいはいこれからいよいよ とや トン うんやちんいやち ちちちちちゃよい ちち ちんちんちん ちんちんちん はちちゃちゃちゃちゃちちやばはい上を こし桜丸うざいもなんと聞いた か 存分じゃあめかなるほどなるほど良い ところででこしたそんなら目を さまた来い来い来いでこれが引こになり ますねこれで道具がありでこの時はその 目指しが煽るんですよねこれこの頃はやり ませんかねこの時はまあの歌いもあ煽った あこういう風にだですから花からもう車が そのま場に置きっぱなしてもう裏にいられ たわけですよもうお体が不ですからねうん ですからもうそのまま車もうこの時はもう 裏にいられたわけですねうんうんああで ててうんバタバタバタバタとなってでこう 花道からえお父さんの郎さんと桜丸の15 台マ出てきました車やち車やらぬと さはい小生の出出てきた これいや誰かと思えば今で桜丸が聞こえた シコの見とこれ怖じゃないですよ ちんちゃん白鳥の袖まくり上げつみ ひしがその生よいちゃんちゃちゃ目をふっ と吹きだ し言う [音楽] なこで笑たちちふやちんちんちりちちゃと 肌になって ケいやこのケーキですかねただちち いって踏み出し てれがき気持ちがあればこの車となります ねもの弟それ桜ちいやち代うざいも立 いこれからこうこれね先になさってます からねあのバコ君なんか後でやんです6代 目あってねしちゃんちゃんちゃん ちんちんちん時よ感謝残念によってごちん だその今日 ただいま今日ただいまちんちんちんちん ちりちり ちんちんちんちんちんとこで寄せ足な ちんちん桜丸とこの目を牛に照れしいだ クレ地番にクレ太った2つつつ3つよい ちんちんツツ 5600 くくくくわさ にゃかなね これ原見 ねでよで立が法に過ぎたら案のそれとなり ますで長がかかり ます方ひっくり返して当たりに近づくもの それから6代6 や えバーとこれがチーンこれがチーン チンチンねとこれがドンこれからだふや チンちやちんちんチリチチチリチリ チリンチリン あとさ結いいす ねいい方てね足のペなうんすいです ね手がった ざよえ鼻面通ってとなますねうんうん鼻面 通って出す車とこすごい気合いこれから もうあの1のとにデケデケでんでん でんでん ででいや いやあいやいやあいやあいやはをでけでけ でんでんでこれこれで真ん中で両方がでも 松はねこれ腹ん中でやっぱり崩すんですっ て一緒にそうおああそうですすだそうです ようん現れ入れたるとなりますねああ5代 目歌いもええでもほらぐーっと釣り上がり です上って座ったままですねせの音とうん ねそじさすがの 桜丸5体すんでたてたて たてうん胸胸のぺあるたじたじたたこは 無念 無念とやちゃんわ か わやうむメラあたりを睨んでてったこと ですよねちゃちゃちゃちゃつったっただ からもうこの時はもうその場でねもうあれ できなかこれがさ幕切れですよちゃん ちゃんここがね見事なんですよこの3人が ねよ行きあってってってね互いにその残す 一種以早く車轟かせようええとなりました ね2らんでちゃんちゃん左右ちんちん ちんちんはおいやてけてけてんでん でんでんちちうんやあじねどか行きあって ますねバタバタバタバタバタそうわあ たとこう なっま今の映像には15代目ウザ門6代目 頃5代目歌い門とま大変な顔ぶれですね これね貴重なね映像ですがあのジャムさん ま家にて言いますかお父さんでもあるわけ ですがなんて普段呼んでらっしゃったん ですかこ屋さんのえお父さん言って お父さんやっぱりやっぱりそうですかさあ 菅の7代目甲子郎ってどういう方だったん でしょうかえそうですね年飯って言いまし たせもありますけども非常に温厚な方でし たうんええそれで慈悲深いてんでしょうか ご自分がすごくやっぱりご苦労ご苦労も なすってあ体制した方ですからあのそう いう面での心遣いなんかもとてもありまし てねうんうんで私なんかにはありありと 厳しくおっしゃってくれたんですよねお前 の立方ためだどうんてこら立ってこらん もうその髪開けてこらんもうしょっち言わ れておりました ええまそれがま女方をやっていく上の1つ の基礎教育みたいだったんだと思います けどうんなんか普段あの大きい荷物を 持たされていたとの教育ですいや大きく ないです今皆さんが持ってるような ちょっとあのケースケースカバのような ものを持たされましたんですけどねそれ私 だけしか持たしてくれなかったんですね うんうんはい何が入って言なかっ何入って んですかええそうしましたらある時その父 がこう開けてるのを見ましたらお金が ずっと入ってん ですおがあのということはあの戦後間も ないことですから銀行とかカードとかって いうことが全然ダメな時代でしたから何か あった時にはその鞄が開いて皆さんをお 助けするとかあるいはする払ってあげると かっていうことの用人だったようですうん やっぱり親分だって感じでしょうかそう ですねやっぱ藤魔竜の家元でもあるわけ ですしはいその大勢のおさんを指導なさる わけだからバランス感覚なできないですよ ねこういうことはねうんねま3代目カエム と名前を持っていていろんな意味での リーダーそしてお子さんたちもいたそう ですねあの当時としては歌舞伎の世界では 物事こだわらないっていうか自由に発想 なさるとこがあるのかなと思うのは例えば その3人の子さんにしてもねま長家のあの 後の団十郎さんはこれはま長男だから しかしになりのとこへちゃんと用しに行く それから2番目のね郎さんはこれ初代の物 のと預けるから3番目の小六さんは6代木 預けるで預けた以上は何にも口出しなさら なかったそうですねえ何にも申しません でしたはい山さんその女方の修行なり不要 っていうのま藤海って容名ですけどもあの 立役ですよねどういうようなはいえあの鏡 も道場寺もそのやらせていただけることに なりましてその時についてそのまん 九男治郎はこういう風にこういう風にやっ てたとうん私はそう座ってこれはこうだよ あだよってことはおっしゃってくださるん ですけどお前がこれから女方を勉強して いくのにはあの私のうちにも弟子が たくさんいるけれどもあの仙台の藤治郎の ところへ行って女の勉強をしなさいと踊り の勉強しなさいということを言われまして うんですからあれは随分心の広い方だなと 思いましたですかね材適そういう意味で先 を見る目のあった方まじさんこうやってえ 死とおっしゃっていた次代目から教わった ことこれから若い方におっしゃいたいこと はどういうことでしょうかそうですねお前 役者をこれからやるんだったらものすごく 好きか嫌いかって言われましたですね 大好きです言ったらうんそんならいいって 言われましてねえ好きでないと継続して いけない継続していくからゲは少しずつ 伸びていくんだとうんだからそういう つもりでお前もこれからみありなさいって いうことは言われましたのでうんま後の芸 のことにつきましてはねもう皆さんよくご 存知だから芸のことどのこの申し上げる よりはまそその言葉が1番印象に強いです ねうんかこれジャケモンさんがどっかでお 話になってたの話ですけどこのお父さん から60になるまではあもにならないよう ですかはいそうですねこれも大変な興です ねええですからそれはあの確かに60 ぐらいになりましてやっ女方はこういう ものなのかなっていうことが少しずつ 分かってまいりましたからあの名言だと 思いますそれはえもちろんその芸歴があっ て女方になったわけではございませんから あのもう本当に27からでございますから ねですからそれから一歩踏んだわけです からどうやっても607と計算してあのも にならないなと思いなったかと思います けどね確かに現実にはそうでございました ねあの若いあの若くなくて右の役さんにね 今の話真似してねあんた本当歌舞伎好き 好き好きってテストしましてね60まで ダメだよ言ってみ たいこんな形で今の若いにこの目の上が 伝わっていければと思います伝説の主今日 は松本郎7目でした皆さんありがとう ございまし [音楽] [拍手] [音楽] ございI [音楽]
七世松本幸四郎
Japanese Kabuki actor, Kōshirou Matsumoto VII(1870-1949)
05:36
昭和18年(1943)歌舞伎座
「勧進帳」
弁慶◆松本幸四郎
義経◆尾上菊五郎
富樫左衛門◆市村羽左衛門
20:57
「仮名手本忠臣蔵」から、音声のみ
高師直◆松本幸四郎
24:37
無声映像「暫」
鎌倉権五郎景政◆松本幸四郎
26:02
昭和12年(1937)
二世尾上松緑声色入り解説付き
無声映像「菅原伝授手習鑑 車引」
聞き手:山川静夫アナウンサー
桜丸◆市村羽左衛門
梅王丸◆松本幸四郎
杉王丸◆尾上松緑
松王丸◆尾上菊五郎
金棒引◆坂東彦三郎
藤原時平◆中村歌右衛門
