日露戦争の謎!!国力10倍の国になぜ勝てたのか…【ゆっくり解説】
ゆっっくり霊夢とゆっっくり魔理沙だぜ 戦争の勝敗って結局物量と資金力が分ける わよね現代になるとその傾向も強くなるか もしれないが戦争の勝敗を分けるのはそれ だけじゃないぜそうでも第2次世界対戦 なんて物量のない国は負けていってるじゃ ないじゃあ日ロ戦争はどうだ当時のロシア なんて日本からしたら長大国だぞでも日本 が勝利している確かにそうねどうして日ロ 戦争は日本が勝ったのかしら実は要因が 絡んでいるんだそれじゃあ今日は日ロ戦争 で国力10倍のロシアに勝利できた理由に ついて見ていこうそれじゃあゆっくりして いってね日ロ戦争の流れじゃあまずは 1904年2月8日に陸軍部隊が委チに 上陸し始まった日ロ戦争の流れを整理して みようロシアはアジア方面での不登校獲得 のためどうしても朝鮮半島とヤオトン半島 が欲しかった冬でも使える港が欲しいって ことよねそこでロシアは日進戦争後に日本 が新と結んだ下関条約にに対し三国干渉 つまりロシアドイツフランスで意義を 申し立てリオト半島を変換させたそして ロシアは今度新王どしにかかるロシアは 日本にイモをつけて新に進行したかった わけねこうしてロシアは新から鉄道不折権 を獲得する不登校獲得を果たすため物資 兵員輸送が必要だったロシアは鉄道建設に 力を入れており特に中国方面での不折は 軍事的な意味が非常に強いものだった なるほど物資の輸送のための鉄道ね ただし当時はロシアだけでなく他の欧米 諸国もアジア分割を進めていた時代だった 特に中国ではドイツが公衆湾をロシアが 旅順と大連をイギリスが給半島と栄を フランスが公衆湾といった感じにあちこち の国に狙われていたアメリカはいなかった のアメリカはハワイやフィリピンに関わっ ており中国に関しては出遅れているそれで も中国には文句解放と機械均等を呼びかけ ているから分け前に預かるとしていたん だろうな新も大ピンチじゃないもちろん真 もここまで圧迫されればさすがに危機感を 強めた当時真では一般人が不信滅用という スローガンを掲げ際弾という組織を 立ち上げていた不心滅用途はヨーロッパを 廃石死身を助けるという意味だ日本の尊皇 上位みたいな感じか不審滅要は新政府の 考えと合致したため際団は半ば政府公認の 団体になってしまうそして際団は北京に あった各国の公子官を襲い際団の乱を 起こすようになるさらには真も際団と一緒 にになって排斥を行うようになった自分の 国がバラバラになりそうなんだものね 気持ちは分かるわしかし当然この際団の乱 をヨーロッパ諸国は放っておかない日本に も誘いかけて連合軍を組み事態を収束させ たこの時連合軍の兵士を1人ずつ横に並ば せた写真が有名だなそうそう日本人って 小さいんだなって思ったわねもちろん個人 差はあるけどこの後の戦争の経過を考える と興味深い1枚だなそんな1番小さい国が 勝ってしまうだから確かにねこの際団の乱 で神話大外戦争どころか内乱すら収められ ないことが各国に露呈してしまうそこで 諸国は真に北京議定書を突きつけ巨額の 賠償金と軍の中友行使官のあるエリアの 違い保険などを認めさせた今度は内乱を 抑えてあげたんだから分け前をよせって 迫るわけねこの時ロシアは中国北東部後に 満州と呼ばれる地域を占領し事実上活させ た日ロ戦争は日本とロシアの戦争だが上が 全て朝鮮半島と中国なのは当時その辺が ロシアや日本の実行支配地域だったからだ なるほど中国の土地で行われた戦争だった わけねさらに新の様子を見て挑戦でも危機 感が強まる満州は北京にも挑戦にも近い 当時の朝鮮を率いていたのは朝鮮王妃の 便秘だ朝鮮王で夫の構想は愚鈍で政治の ことは分からず関心もなくそう明な王妃に 頼っていたため便秘が政治を取り仕切って いるえ朝鮮の生みたいな女性の支配者だっ たのね日進戦争では便秘を始め朝鮮の停止 の誰もが日本が大国心に勝てるわけがない と考え新に追従したしかし日本が優勢に なると便秘は新をあっさり裏切り新身派の 停止を切り捨て日本にすり寄るえしかし 便秘は日本への悪環状からロシアに すり寄り始め日本を排除しようとした ロシアが三国観賞に成功し日本が真に リオト半島を変換すると便秘はロシアへの 依存を強めていく手のひらくるくるね新日 政権を作りかけていた決勝は最3追い出さ れてしまったが間もなく便秘が暗殺されて しまう残された便秘の夫構想もようやく 政治に関わるようになり大官帝国を名乗る ようになった新日政府でないなら日本に とってはピンチよねそうだ日本としても これ以上ロシアに進出されては困るそこで ロシアについては和戦両法のパターンを 考えて対策が考えられた和の方は日代彰論 という日本とロシア仲しようってこと どちらかというと満州はロシア朝鮮では 日本がおいしいところを取ってお互い損が ないようにしようというものだ主に伊東 広文などが関わっていたが問題を先延ばし にするのとほぼ変わらないため立ち消えに なったまあね結局ロシアは止められない でしょうしね一方桂太郎はロシアと戦争を してでも食い止めるべきだと主張し戦争の 準備を始めるでもさっき言ってたけど戦力 差が10倍とかあったんでしょカたちも部 の悪すぎる戦いになるだろうということは 十々承知だっただからそのため少しでも 有利にすべくあっちこっちへ寝直しをした 寝直し日ロ戦争前の根回しまず当時の アメリカ大統領であるセオドア ルーズベルトとハーバード代の同機だった 金子健太郎を渡米させ日本に有利な タイミングで和平交渉を仲介してくれる よう依頼したアメリカの協力を根回しした のかさらに日銀服装祭の高橋コレ用え米さ せABBから当時の貨幣価値で8億円の催 を取り付けたそしてなんと言っても日栄 同盟を結んだことが大きいイギリスって 当時大衛帝国よね当時のイギリスは太陽の 沈まない国の何はな世界一の領土を持つ国 だったもちろん中国大陸にも多く権益を 持っていたしクリミア戦争などでロシアと 戦ったこともあるでもイギリスからしたら 遠い中国にそこまで力を避けないんじゃ ないそうだ中国方面での権益を守るための 戦いに本国からわざわざ大軍を送るのは さすがのイギリスでも非現実的ではあるで も逆に言うとと近場でそこそこ対処して くれる国がいればアジア方面でイギリスの 支配が楽になるわけだあそういうことか アジア方面にイギリスの代理国があったら 便利よねイギリスも爆発の頃から何人も 日本へ行使を送っており日本の文化や社会 についての理解はある程度持っていた日清 戦争で国際法を意識した行動を見せたこと や際団の乱を鎮圧した時日本がまとまった 兵数と戦いぶりを見せたことも交感を持つ 理由になったようだ日本もここまで大きく ななったのかって気持ちだったのかもね 日英同盟がこの時代の白人と夕食人種の 同盟の中でも珍しく対等なのはこういった 複数の要因があったからと思われる確かに 両方ウンウンだからスムーズに同盟も進み そうねところがこの同盟は簡単ではなかっ た日本は徳川幕府時代に列強との間で様々 な不平等条約を結ばされていたこれをどう にかして改正するために活躍したのが外務 大臣ム宗光だそうかそもそも外国の時時に 対等な国とはされてなかったものね無の 鉱石も去ることながら日栄同盟を成立でき た要因は他に大きく3つある1つは日本人 の表なしだ1874年金星の太陽面通過に 際して各国から日本に観測隊が送られた その時政府は彼らを艦隊し非常に親切に 振る舞った外交ってそういう細かい表なし が大事になるのね2つ目はさっきちょっと 言った際団事件での日本兵の姿だ1899 年申告の際団が外国人を襲撃し日英米ロ毒 など8カ国が深刻に真中し巨龍民の保護に 当たった他の国もいたのになんで日本は 高く評価されたのこの時北京で日本軍を 指揮したのが芝五郎中佐だったんだが中心 イギリス講師は日本兵の勇敢差芝五郎の式 の見事さに深く心を打たれ日本との同盟 樹立を推進したそうだ日本兵都校を高く 評価したわけね3つ目はイギリスの利害に 関するものだイギリスは後期ある孤立と 称し他国と同盟を結ばない政策を取ってい た世界のどの地域においても優勢を誇れる だけの軍事力を持っていたからだただ アジアでは事情が異なると掴んだのが福島 安正だったまた軍人の話陸軍軍人だところ が彼は陸軍歯間学校も陸軍大学校も出てい ない40歳にして短期シベリア横断を結構 し488日間かけて1万4000kmを破 した人物だな何そのフィジカルお化けは さらにその後ロシアの極東進出に対する イギリスの動きを観察すべく1年半かけて 香港ベトナムインドといったイギリスの 植民地をつぶさに見て回っている徹底した 現場主義ねそこでイギリスは手を広げすぎ て単独でロシアの極東進出を阻むつもりは ないだろうという見解を導き自らの目と耳 で日英同盟の可能性を見い出した実際に 現地で見てイギリスはこの同盟に乗って くるだろうと判断したわけかこのような 努力の積み重ねで同盟を結ぶことができた ものの日本は戦争を終わらせる仲裁役とし て大国アメリカをなんとか味方に引き込み たかったロシアとの間に入れる第3国が 欲しかったわけね伊藤博文はそのことを 真剣に考え時のアメリカ大統領 ルーズベルトとハーバード大学の同窓生の 金子健太郎に白の矢を立てたしかし アメリカは当時局外中立の立場を表明して いて国民に向けてどちらか一方に加担する ような言論を禁止すると告していたじゃあ の協力を得られないじゃないこれには金子 の気量の大きさがあったようだまず ルーズベルトは柔道を習ったりニトベ像の 武道を愛読して子供にも読ませていたりと 非常に親日的だった金子とも仲が良かった の金子に絶大な信頼を寄せておりホワイト ハウスに面会に来た金子を駆け足で出迎え 指定にも止めているへえ当時の日本って国 の小ささを考えるとすごく仲が良かったの ねルーズベルトはイギリスやフランスの 外務大臣に手紙を出し日本が利になるよう 働きかけてもいるこれは金子からの妖精で はなく自発的な行動だった金子と ルーズベルトの友情を感じる話ね日英同盟 の衝撃と回線この日英同盟は当時の ヨーロッパ諸国に衝撃をもたらしたその ためロシアも一時譲歩する姿勢を見せて いるロシアが今すぐ満州から完全に撤退 するのは難しいから半年おきに3回に分け て鉄平すると言ってきたわけだふんふん 背後のイギリスを感じて撤退することにし たわけねしかし実際にロシアがやったのは 1回目の鉄平だけだったこれは回線までの 時間稼ぎと同時にイギリスの出方を伺って いたんだろううわなかなかのことするわね それでも今ロシアと争となると日本が圧倒 的に不利な戦いになることは確実だった 何せ人口も国土も軍事費も装備も全ての点 において10倍以上の相手と戦わなければ ならないからなでも日本としてはここまで いいようにされて黙ってるわけにもいか なくない1904年に日日本艦隊は朝鮮 半島西武の委19校のロシア艦隊を攻撃 すると同時にガトン半島南端にある旅順校 でもロシア艦隊への奇襲攻撃を行ったまた その一方で日本陸軍の先見部隊が委チに 上陸したついに攻撃を仕掛けたのか翌9日 にも引き続き日本艦隊は旅順校外のロシア 艦隊を攻撃しイチ沖回線ではロシアの軍艦 を撃破したそして2月10日日ロ両国は 総互に戦戦告を行うこうして日戦争が 始まったわけだあれ戦戦富国の前に戦争が 始まってるのね戦戦富国の前の2月4日に はすでに日本では午前会議でロシアとの 回線が決定されていて6日には政府が ロシアに対し国交の断絶を通告していた2 月4日から9日にかけての日本艦隊による 攻撃は戦戦富国の前に行われたことになる なそれって日本が卑怯ってことにならない 当時の国際法では戦争を開始する前に戦戦 布告を行うことを義務とするとたような 明確な決まり事はなかったんださらにここ には軍事的な事情があった軍事的な事情 日本の国力では長期の戦争になった場合 勝利を収めるには十分ではないと考えられ たそこでロシアが準備を整える前に戦争を 仕掛け朝鮮や満州周辺でロシア軍を撃破し ていった後戦いを長引かせず有利な条件で 講和を行うという方針で日本は回線に 踏み切ることにしたんだなるほど一方の ロシアでは皇帝を頂点とする先生政治に 対しこれを廃止して憲法と議会に基づく 体制に改めようという国民的運動が高まっ てきていたロシア革命ねだからロシア軍は 日本都心に面した東側とドイツ オーストリアトルコに面した西側の両面に 備えながらさらにその広大な領土内の治安 の維持にも力を注がなければいけない国の 中も外もガガだったわけかとはいえロシア の財力や軍事力は日本にまさるものだった から日本との間に長期の戦争が起こった 場合西側を守る軍隊を日本側に振り分ける ことができればロシアは有利に戦争を 進めることが可能だったじゃあやっぱり ロシアが有利じゃないなんで勝てたの かしら戦場でも日本は有利だったこの両国 の軍事的な事情を巡る駆け引きが日ロ戦争 における様々な戦闘と密接に関係している じゃあ日ロ戦争では実際にどんな戦いが あったか見ていこう日ロ戦争といえば いわゆる203校地や日本海回線など有名 な戦いが多くあるそうそういろんな小説や 映画になっているわよねまず戦争を始める にあたって重要なのが陸軍海軍双方にとっ て作戦を進めやすい拠点の選定だ海軍が 希望したのはプ3で陸軍が対古山だった しかしそれでは片方にとって皇軍の負担が 大きくなるためほぼ中間地点の委チが選ば れた中間を取っただけなんだすでにここに もロシア軍がいたためまずは1904年2 月8日イチョン確保のために上陸する たまたまこの時のイチョンにはロシア戦が 2隻しかおらず日本海軍は比較的すんなり と勝利を収めることができたこれが翌日9 日に起きたインチ沖回線だラッキーな勝利 ねその後日本は大官帝国と第一次日韓教約 を結び今後は日本人顧問の許可なしに他国 との連絡同盟をしないことを確約させた 大官帝国に釘をさしておくわけね次は陸軍 だまずは第1軍と第2軍の2つに分れて それぞれ別方面を担当する第1軍は委チ から上陸し満州方面を目指したしかしその ためには王力光を渡らなければならない今 は中国と北朝鮮の国境になっているかはね 平水と物量で圧倒的に有利なロシア軍相手 に正面から戦ったのではボロ負けするのが 目に見えていたからノームに紛れてロシア 軍の側面に回り込み混乱させて勝利を収め たこれが王力光の戦いだまずは海森も日本 にとって幸先のいい結果ね特に王力校の 戦いにおける勝利は欧米に高く評価され 当時外界交渉中の高橋予にとって追い風と なった外旋は戦争の資金調達で第3国から するとこういった外旋はギャンブルに近い ものだだからこそ初戦の結果は重要だった 貸すなら勝つ国に貸さないと帰ってこない 可能性もあるものねそして陸軍の第2軍は リオト半島の先端旅順にいるロシア軍が 満州方面へ向かうのを防ぐためリオト半島 南部の円対応から上陸したしかしその途中 にあるナザの要塞から期間中で集中攻撃さ れ6200名もの戦士者を出してしまう へえ一気にやられたじゃない報告を受けた 国内では審議を確かめるのにてやわんや だったそうだそんなに一気に死者が出る わけないって思ったわけね地元の中国人 から多少の情報も入っていたらしいが日本 軍が機関銃を配備した軍と戦うのは初めて だっただからその威力に実感が持てなかっ たんだろう機関銃ってまだ日本にはなかっ たの機関銃自体は母神戦争で使用されては いたがその頃の期間中はあまり大きな戦火 を挙げられなかったから過小評価してたの かもなただロシア軍も最初から弾薬を使い すぎて球切れになり日本軍の粘りがちに なっているうんロシアも日本も満身ね第2 軍は皇族の第4軍と王力校で勝利を納めた 第1軍と合流して満州へ進むことになる しかし旅順をそのまま放置しておくわけに もいかないので新たに第3軍が組織された 一方ロシアは日本相手に敗北が続いて焦っ ているまさか日本に手こずるとは思って なかったわけね前線に急行できる旅順艦隊 にウジオストへ向かうよう命令するこの 旅順艦隊に出てこられると日本にとっては 非常に厄介だそのため海軍は急遽これを 迎え打とうとしたロシアの艦隊は怖いわよ ねしかし参謀秋山実行が公案実行した定時 戦法が形にこだわりすぎて大失敗し一時 旅順艦隊を逃してしまうすると戦艦三笠の 干潮だった統合兵郎がメインマストの東海 覚悟で全速力の追撃を行ったスミの アタックか奇跡的に追いつくとその状態で 放った攻撃が旅順艦隊の機関司令室に2発 も大当たりし式能力が一瞬にして消滅した 突然司令が届かなくなった旅順艦隊は戦闘 不能に陥り逃げていくことになる統合兵八 郎すごい強運と体力の人ねしかしこの時点 ではまだロシアの敗退は日本軍に知られて いなかったためこの後もしばらく旅順艦隊 を警戒していた一方ロシアには旅順艦隊の 失敗が伝わったためバルチック艦隊に日本 に行くよう原名がった出たバルチック艦隊 まだ情報が伝わりきっていない日本として は旅順艦隊とバルチック艦隊の挟み撃ちに なっては勝ち目がないので1日でも早く 旅順封鎖を徹底しなければならないそこで 海軍の方から陸軍に旅順攻略を早めて 欲しいと妖精が飛ぶ旅順ってすごく重要な 場所だったのね日ロ戦争ではこの旅順と いう地名が何回も出てくるので紛らわしい が日ロ戦争前半に行われて海軍が失敗した のが旅順閉塞作戦日ロ戦争後半に行われて 陸軍が勝利を納めた203行知の戦いが 旅順法意戦と覚えるといいぜああなるほど 陸軍としては旅順は攻略対象というより 足止めする場所と認識していたから海軍 からの要請に対し一次困惑したようだ さらにこれまでにも海軍が1904年2月 から5月にかけて旅順閉塞作戦を行って おり全て失敗していたというのも理由だっ ただろう負けてるのになんでって感じだっ たのかもねざでで要塞と近代兵器の恐ろし さを知ったはずの日本軍だがなぜかここで も正面攻撃を繰り返す当時は要塞の攻略法 など確立していない時代なので他にやり方 が思いつかなかったのは仕方がない面も あるそうねその前の大きな戦争が日進戦争 だものねしかし何の工夫もしていなかった わけではない爆発に日本沿岸防衛のために 作られた東京湾要塞などから旧式の大砲を 旅順まで送って使ったり周りの山に行動を 掘って攻め込む方法を試したりと色々思考 錯誤している全く柵なしに突っ込んだわけ じゃないのねそして本来は旅順攻略によっ て旅順艦隊を封じて欲しかった海軍も陸軍 の被害の大きさと到着状態に危機感を強め ていくそこで要塞の背後にある203行知 を取りそこから射撃攻撃によって旅順艦隊 を無力化すればいいという意見が出たああ いい案なんじゃないしかし陸軍からすると 背後を取るにしてももっといい場所がある し旅順艦隊を行動不能にできたとしても 要塞本体を攻略しないとどうしようもない という意見が多かったまた海軍と陸軍で 意見が違うのかしかしこれより少し前に例 のロシア海軍はドッガーバンク事件を 起こしていたこの事件は日ロ戦争中の 1904年10月21日日本海へ開校途中 のロシアのバルチック艦隊が北海の ドッガーバンク沖で夜間創業していた イギリスの漁船を日本の水来低と5人して 攻撃した事件だイギリスの民間線に誤射し ちゃったのかイギリスはロシアに対して 謝罪損害賠償及び責任者の処罰を要求した 結局ロシアは6万5ポンドの賠償金を 支払っているそのためバルチック艦隊は 石炭不足屋敷低下に悩まされるようになっ たじゃあバルチック艦隊も日本に来る前に 弱体化しちゃってたのねそれを当時の日本 軍が知っていたかは分からないが203 行知攻略は行われ第3軍が勝利したこうし て旅順攻略は多くの犠牲の上に終わる海は 死にますか山は死にますか風はどうですか それもそうですか先の歌な203行地は その通りの激戦だったしかしリオト半島 周辺の脅威がなくなったおかげで陸軍は 法典のロシア陸軍本体海軍はバルチック 艦隊に全力を注ぐことができるようになる そして方天回線が始まる少しずつ有利な 状況を作ってきた日本軍だがこの時点でも 法典のロシア陸軍は37万対する日本陸軍 は第1軍から第4軍まで合わせても25万 ほどだ確実な記録に残っている中では市場 まれに見るレベルの回戦だ空前絶後の戦い ねそしてここでロシア軍の司令官である クロパトキンがなぜか我先にと撤退して しまったこの理由は戦略的撤退だった クロパトキンの離脱によってロシア軍の 足並みが乱れさらに日本軍にとって追い風 となる南風が吹いたことで方天回線は日本 の勝利に終わったクロパトキンなぜただ まだ切札のバルチック艦隊が高校中だった しロシア本国には兵がたくさんいた日本 から見てもまだバルチック艦隊がどこから 来るのか分かっていない候補としては北 から順に宗谷海峡津軽海峡津島海峡の参 箇所あった結局どこから来たの統合兵郎は 津島に山を張り新型定治戦法の演習を 繰り返して待ち構えることにしたそして 日本側の予想よりも遅くバルチック艦隊が 到着した場所は予想通り津島海峡だついに 日本海回線が始まる本日天気労慣れどもな たかしねこれは有名な伝法なんだが実は 当初はノームだったバルチック艦隊は霧の 中をすり抜けていこうとしたが時間が経つ につれて正郎そのものの空模様となり日本 軍から見て絶好の条件が揃う天候に恵まれ てるわねそれともそれも呼んでたのかしら 新型定時戦法を用いた統合兵郎の思い切り の良さと部下たちの息のあった戦技術に より日本側が勝利を得たそして対象を納め た日本はこの絶好の機械を逃さずアメリカ に連絡を取って和平の仲介を依頼した あらかじめ早めに公和を結ぶてって決めて たものね日代戦争の公和条約である ポーツマス条約における最大の争点は賠償 金とカラフト活量だった日本としては外旋 もあるし賠償金は欲しいわねしかし双方の 妥協により南からふと日本へ活量その 代わり賠償金はなしといった内容で条約が 結ばれた日本国内からすると戦争によって 働き手を取られているわけだから勝って 十分な障がないと当然ながら不満が溜まる 賠償金がないと経済も辛くなるわね戦った ばかりのロシアとはこの後しばらく強調 路線が取られ他の欧米諸国によるアジア 進出を防ぐ方向で動くことになったさらに 日栄同盟が絡み後年の第一次世界対戦に おいて日本は三国教相及び連合国側で 関わっていくことになるわけだ後の第一次 世界対戦へとつがるわけね日本の所員日本 は最終的にロシアとの戦争で解消とはいか ないものの有利な状況で戦争を終わらせる ことができた日本が大国ロシアに勝てたの は大きく分けると2つのことが挙げられる まず1つは日栄同盟よねそうだ日英同盟は もちろんイギリスから日本は資金の調達や ロシアの燃料調達の妨害を行ったりして いるそしてイギリスと同盟を結んでいた円 でアメリカに仲介してもらい終戦の条約を 結ぶことができたわけだその2つの国の 根回しを行えたのは強かったわよねもう1 つは日本軍とロシア軍のやる気の温度さと 運も関係している日本は極端に言うと ロシアに勝たないと国が滅びるくらいの プレッシャーで戦っていた実際それくらい の脅威ではあったものねそれに対して ロシア軍は日本を完全に見くびっていた ために皇帝を始め兵士の戦意も低かった そして国内での不安定な政治情勢も影響し ており国内で沿線ムードが漂っていたただ でさえ舐めてかかっていたところにロシア の国内事情までも絡んだのねどうだ戦力差 があっても戦争は勝てないわけじゃない だろというか戦争って本当に外交なのね つくづくそう思うわ戦争って言と敵対国 同士しか目に入りにくいが実は背後には いろんな国が絡んでいるからな当時国だけ じゃ決められないんだろうそれは今の戦争 と同じかもねということで今回の解説は ここまでだぜ次回も是非見てくれよな チャンネル登録高評価もよろしくねご視聴 ありがとうございました
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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