【リプロマヴィ】渡邉美穂さんバスケトークインタビュー Full Ver.
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さて今日は株式会社リプロのショールーム
をお借りしまして女優の渡辺美穂さんにお
話を伺いたいと思いますよろしくお願い
いたしますよろしくお願いしますさて早速
なんですけれども渡辺さんは埼玉
バスケットボールアンバサダーそして
ダブルリーグアンバサダーを務めて
いらっしゃるということで
バスケットボールといは深い深い関わりが
あるということなんですけれどもはい元々
小学生の時はここ埼玉でミニバスをされて
いたとお聞きしておりますはいそしてなん
と実は渡辺さんこのリプログループで支援
しているミニバス周期大会のリプロカップ
第1回目にご参加いただいていたという
ことなんですよねはいそうなんです記念す
べき1回目にまさかのまさか私もあの当時
多分出てたのは小学校6年生の時だと思う
んですけどまさかそれが1回だったとは
多分思ってなくてえでもちょっと今でも
覚えてますね写真とかも実家に置いてあっ
てリプロカップって書いてあったような
なんか集合写真とか撮ったりしてでまさか
それが第1回目だったなんて思ってないん
ですけど思ってなかったんですけどうん出
てましたねはいうんその大会今でも暑く
熱く盛り上がっているんですけれども私も
実は去年リプロカップの順位決定戦そして
決勝戦の現地リポートをさせていただいた
んですよねやはり現地で見ると本当に
みんなのボールを追いかけるキラキラした
目が本当に印象的で会場全体が本当に一体
感あるなという印象を受けまし
たそしてこんなバスケ熱全国的にも高まっ
ていると思うんですけれどもこのリプロ
マビーをご覧になられているという方は
ミニバス関係の方も多いとはい
まずはミニバスについて伺いたいと思い
ます渡辺さんがミニバスを始められた
きっかけ何だったんでしょうかはい私が
まずミニバスに入ったのは小学校1年生の
時だったんですけど元々3つ年上の姉が先
にはいミリバスに入ってやってまして
バスケをでそれを私はあの毎週その練習の
日に体育館に行って練習してる風景を
ずっと端っこの方で見てるですねそうなん
ですなんか母親もその練習の日は見に行っ
たりしてたのでそれの付き添いみたいな
感じで端っこに体育館の端っこでずっと
なんかマットで寝っ転がったりとかなんか
1人でずっと遊んでたんですけど正直最初
はあんまりそのバスケをやるっていうのは
そんなに考えてなくてただなんかあの小
学校低学年の子たちが出る大会みたいな
フレッシュ大会っていう名前だったかな
いうのがあったんですけどそれにじゃうち
のチームデルうんぞてなったんですけど
人数が足りないってなっちゃってあその時
ちょうどねすごよく私がそこにい
てもう人数合わせで入れられたっていうの
が本当は実はそうだったんですけども
とりあえずやったこやったことなくても
いいからユニフォームを着て選手登録をし
て試合に出てくれればいいからって言われ
てだだから何にもルールもなんかバスケの
そういう何をやればいいのかも何もわから
ないまま正直最初はその大会に出てなんか
とりあえずもうゴールの下にいればいい
からみい言われてはってもうとりあえず
もらってシュートみたいな感じででもそこ
で初めてなんかファールされてフリー
スロー1本だけ決めたっていうのは覚え
てるんですけどそれがきっかけですご実は
あの人数合わせで外ですね始めたのが
きっかけでしたでもそれからどんどん
どんどんはまっていって続けていかれたと
いうことなんですよなんかまだ小学校1年
生で周りでバスケをやってる同い年の子
っていうのあんまりいなかったうんですね
ていうのもあってなんかちょっとその特別
感というかのもありましたしなんかうん
パスができるようになってでドリブルが
できるようになってシュートができるよう
になってってそのどんどんいろんなことが
できるようになっていくっていうすごい
家庭が楽しくててるめり込んでいきました
ねうんじゃ最初は人数合わせだったけれど
もやってみて初めどうでしたできるなとか
やっていきたいなって思ったということな
んですね楽しかったですねなんか難しいと
かかもあんまり思わなくて気づいたら
なんかいろんなプレイができるようになっ
ててっていうのがあ意外と合ってたのかな
自分にはって思いましたねちなみになん
ですけどポジションっていうのはどこだっ
たんでしょうかちょっとガードポイント
ガードでしたねもう背もあんまり高く
なかったのでもう小学生の頃からずっと
うんちっちゃくてなんかちょこ
ちょこちょこ動いてたので基本的にガード
やってましたねでも周りを見るその令とと
いう役割も持っていると思うんですけども
自分からやりたいという風におっしゃった
んですかそれとも監督さんですとかあでも
その当時のミニバスの監督が多分それぞれ
どこをやりなさいってポジションを多分
振り分けてたのでうんずっとそうなってた
のかな思いそうなんですねもうずっと
ポイントガードだったんですねでしたねで
も1度だけ中学校に上がってからちょっと
同じチームにポイントガードが多すぎ
ちゃってちょっと溢れて私は結構
フォワードとかやってる時期もあったん
ですけど結局その後もまたポイントガード
に戻って基本ず軸はガードですねそうええ
ちなみに当時の生番号とか覚えて
いらっしゃいますかはいでも初めてもらっ
たユニフォームは18番でへあすごい鮮明
に覚えて覚えてるもんですよねそっから
ちょっとこうやって15番になって133
番になって9番だったかななってて上がっ
てて小学校6年生の時は最後キャプテンを
やってたので4番でしたはいあそうなん
ですねキャプテンっていう大変なイメージ
もあるんですけれども当時振り返って
いかがですかはいえ私がいたあのミニバス
は同い年の子が2人しかいなくて私と含め
てなのであの6年生に上がってからま6年
生が1番年の子がキャプテンをや
るっていう決まりだったんですけどうん
なんかもう1人の子もすごく優しい子で
控えめな子だったのであんまりキャプテン
をやるタイプの子じゃなかったのでうんま
消去法でというか私になってしまったん
ですけどうんなんかま当時はすごい子供
だったのであんまり周りを見る余裕も
なかったですしなんかそんなキャプテン
らしいことをやってないんですけど周りの
子もすごいしっかりした子が多かったので
逆になんか支えられてた気持ちながら唯一
ま声が大きかったぐらいですかねああ大事
ですよねはいそこだけは結構助かりました
ね今でもそのチームメイトの皆さんとこう
交流なんかはあるんですかあでもあります
たねつい最近あの1つ上であの私の1個上
の先輩で小中校ってミニバスからここまで
ずっと一緒にバスケをやってきた人がいい
んですけど久々に本当つ数日前に会ってあ
そうなんですたたそうですたまたまなんか
会おうよみたいになってあったんですけど
なんこうして大人になってもなんかも10
何年間人世の半分以上一緒に過ごしてる人
でうんこうやって大人になっても関係を
ずっと続けられるっていうのはすごい
バスケやってて良かったなて思いました
うんやはりこう今でもバスケの話なんかで
盛り上がったりんあしますねやっぱり昔の
話当時あんなことあったよねとかあの試合
のあれあだったよねみたいなの意外と
みんななんか鮮明に覚えてたりもしますし
なんか久々にバスケやろうよみたいな話に
もなったりしましええ嬉しいですよね
嬉しいですねそしてミニバスのチームに
よっては毎日練習しているチームもある
そうなんですけれども渡辺さんが
いらっしゃったチームはいかがでした
でしょうか私がいたチームはと日曜日の2
日間だけでま土日毎週あるっていう土曜日
はえっとお昼からえっと夕方ぐらいまでの
半日で日曜日は朝から夜までの1日練習
っていう形で平日はなかったですねお休み
というのもなかなかないという状況だった
んですかあそうでしたね平日学校行って
土日はバスケしてだったあんまり小学生の
頃は遊んだ記憶がないそうんですね業との
も大変だったと思うんですけれどもやはり
ご家族の支えというのも大きかったのでは
ないでしょうか大きかったですねやっぱり
あの母親は毎週その土日練習の時必ずそう
やって体育館に一緒に橋を運んでくれてで
なんかご飯とかそうおにぎり握って持たせ
てくれたりとか試合がある日は絶対ついて
きてくれたりとかもしましたし父親もいつ
もその大会とか試合練習試合の時はやっぱ
足を箱でビデオ撮ってくれたりはあたので
なんだかんだ家族全体ですごく支えてくれ
てるなっていうのは感じてましたそう
やはり私も会場を生で見させていただいて
本当にホームビデオと言いますかカメラを
回されているそうなんですおしも多かった
ですし本当に皆さんすごいなという風にい
ましたす結構声とかガンガンなそうですよ
ねなんかもう本当に会場全体が一体感で
あったような気がするんですけれども
楽しい思いもたくさあったね思うんですけ
も中でも練習や活動で何か苦労したな大変
だったなって思うことはありますうそう
ですねでもあの私はやっぱ小学校1年生
からミニバスを始めて小学校3年生ぐらい
まではあんまり同の子がそんなにいなかっ
たので結構なんかちょっと調子に乗ってた
というかなんかそういう低学年の子たちの
試合とかでもそのやっぱり初めたての子に
比べたら小学校1年生からやってるとなる
と結構優位な感じというか技術的にもまだ
私の方がやってる歴が長いのであんまり
その負けたことがなかったというかそんな
に試合とかでうんうんああなんか手ごわい
なこの相手って思ったことはあんまなかっ
たんですけどやっぱり小学校4年生後の高
学年にもなってくるとやっぱりみんな
やっぱ背もどんどん伸びてきたりすごい
どんどんすごい上手な子がいっぱい増えて
くるのでなかなか試合で勝てなくなってく
ことが増えた時はうんあなんか悔しいなっ
ていっぱい思いましたしなんかどうやっ
たら勝てるのかなっていうのは悩みました
ねあなるほど同じミニバスをされている
みんなは仲間とはいえライバルでもあり
ますからねはいそうなんです上手な子が
どんどんチーム内でも他のチームでも増え
てきたのですごいちょっとやっぱ悔しかっ
たなと思いでがありますうんそういった時
ってご自身の悩みとかをどなたに
打ち明けるんですかええ私はえ意外とあで
もやっぱ母親ですかねうんなんかすごい
負けず嫌いな性格だったのであんまり
チームメイトとかにもそういうのは話せ
なかったですねそうなんで母親にいつも
なんか怒りをぶつける記憶あるんですよ
試合勝てないてそうなんですねなんププし
てましたねこんな可愛らしい笑顔のその中
には悔しさというのもすごありましたねん
ですねさて大変なことも多かったと思うん
ですけれども逆にかったことどんなことが
ありますかうんそうですねでもやっぱり
そのミニバスとかでもなんかあの練習は
もちろん結構大変だったりきついことも
多いんですけどその分なんか結構私は季節
ごとになんかイベントとかが開かれること
があったの例えばクリスマスとかに
クリスマス会をみんなでやったりだとか
なるほどなんか合宿夏に合宿があったん
ですけどあの合宿はま練習はきついけど
それを頑張った後になんかさ最終日に
なんかみんなで牧場に行って遊んだりとか
そういうちょっとしたお楽しみが私は結構
嬉しくてクリスマス会とかみんな1人1人
プレゼントを自賛して買ってくるんですよ
でプレゼント交換とかしたりあとなんか
あの親たちも混じってあの子供たちと一緒
にみんなでバスケをするみたいなそういう
ちょっとなんか軽いゲームっぽいのもやっ
たりしたんで
やっぱにはあのお母さんたでも経験者
バスケ経験者がいると結構なんか
盛り上がったりもしたりてそういうなんか
一緒に辛い大変な練習を乗り越えてみんな
で楽しいことをするっていのが子供ながら
にすごいいつもワクワクしてましたね
やはり楽しみがあると試合というのも
頑張れますよね頑張れますねやっぱりご
褒美みたいな感でしたねもう常にじゃ
バスケがにあってみも時にいたということ
なんですねそうですねだから土日はその
ミニバスの子たちと毎日それで2日間練習
の時合うんですけど普通に平日とかでも
放課後学校の後にそのミニバスの友達と
遊んだりとかお家行ったりとかしてたので
なんかそういうとこで友達が増え
るっていうのもすごくいい経験になった
なって思いましたうんバスケの練習とか
試合のみならずそういったところで繋がっ
ていたらこうチームの連携っっていうのも
さらにこうパワーアップしそうですねああ
しましたね結構その年齢はバラバラなん
ですけどみんな全然まるまるちゃんみたい
なみほちゃんみたいな感じで全然ため口で
みんな喋って仲良くしてましたしうんはい
あとなんか今思い出したんですけど私の
時代は今はあるのかなわかんないんです
けど練習試合とか大会とかでその複数の
チームが1つの会場に集まった時になんと
なくやっぱみんなそのこの子と仲良くなっ
みたいなみたいな他のチームの選手とかに
あのなんて言うんでしたっけあれ
プロフィール帳へえていうのをベリって1
枚渡してまたどっかの会場であった時に
返してねって言ってみんな交換しやって
なんかだから全然あの違うチームの違う小
学校の子のそういうプロフィール帳とかを
こうやってみんな交換して集めたりとかは
多分今もうみんなスマホ持ってると思うん
で小学生でも多分なか連絡先すぐ交換でき
ちゃうと思うんですけどそのプロフィール
帳渡すだけ渡して次いつ会えるかわから
ないみたいなのが結構私は楽しかったです
ねでもまた会えた時嬉しさありますよね
そうそそう時に帰ってきたよってみんなで
交換しやったりしてました当えでも今
スマホありますけど手書きっていうのも
また味があっていいですよねなんこうその
人を表すといいますかすごいなんかみんな
その試合の試合モードのあのお互いしか
知らないうん
はこう見ためちゃくちゃ可いあるじゃん
みたいなのとか結構あって面白かったです
ねあれは見知りとかされないんですあ
めちゃくちゃ人見知りでした今は全然もう
治ったんですけど当時はすごい人見知り
だったので急にそうやって声かけられた時
とかにみたいなあそうだったんですみたい
になってましたねへえそうなんですねでも
先ほどもリプロカップ第1回目ご参加
くださったというお話ありましたけれど
もい6年生その最後の試合っていうのは
覚えていらっしゃいますかはい覚えてます
ねもう覚えてますはいどんな試合でした
それこそあの何でしたっけ科学最前
アリーナでしたっけ名前変わったんですよ
ね当時まだあの記念総合体育館っていう
名前でだったんですけどあの桜区の
アクションとこの体育館でやったのは覚え
てますね負けたチームも未だに覚えてて
そん時のうん相手のユニフォームが黒と
ピンクだったのも未だに覚えてて結構あの
ボロボロに負けた記憶はあってしかも
なんか結構頻繁に練習試合とか一緒に合同
練習をやってるチームだったのでうんうん
最後の最後でやっぱそこにボロボロに負け
たっていうのは結構悔しかったなていう
思いではありますその悔しさがどんどん中
学校高校に繋がったんじゃないですかうん
そうですね結局そこで負けてもやっぱ
やめようとは思わなか
そうなんですね私中学上がっても一緒に
ミニバスでバスケやってた先輩たちが中学
に上がったらうんみんないるのでなんか
そのままやっぱまたこの先輩たちとやり
たいなとも思って自然に続けられたとまし
たね本当に素敵な思い出が森沢さんだと
思うんですけれども中でもミニバスをやっ
ていて印象に残っているということござい
ます一緒に残ってることはわあなんかもう
いっぱい66年やってたんですもんね私
いやなんか続けるって本当に難しいことだ
と思います本当にそうですよねでもなん
だろうなあ私なんか6年生の時に選抜
チームみたいなのになんか参加させて
いただいてそういうなんて先行会みたいな
のに行ってうじゃうじゃこうやってみんな
いる中でちょっとなんかゲームとかして
そこで本当選抜されたなんの10数人だけ
が入れるチームみたいなのてそれに参加さ
せていただいたんですけどなんか私が小
学校6年生の時自分がいたミニバスはその
お世辞にもあま強いっているチームじゃ
なかったんです正直もう本当に1回戦負け
みたいな感じであんま強くないチームだっ
たのでその初めてすごい上手な子たちか
もう全員上手なチームだしそれに身長も
すごい高い子がいっぱい選抜には集まって
たのでその環境の中でやるっていうところ
で結構緊張とあとやっぱ楽しみだなって
いう気持ちとでなんかうんうんちょっと
背伸びをしてる感覚はあってでその時に
あの小学生と中学生ってリングの高さが
変わるんですけどもう中学生のことを想定
してその高いリングで練習も試合も行うっ
てなってでその時あのさ中学生たちと試合
をすることがあったんですけどあの埼玉
さえっていうもうめちゃくちゃ強いあの
中学生たちと一緒に試合をやらせてもらっ
た時にもうなんか相手になさすぎてでもあ
本当になんか全国とか行く人達てこういう
レベルなんだなっていうのを肌で感じる
ことができてそれは本当にあのすっごい
いい経験になったなって思いましたそうな
んですね刺激になったということんです
ありましたあとなんかミニバス時代とかに
なんか1つ上の先輩ですごいずっと憧れて
たプレイヤーの人が
うん埼玉にたうんだからすごいあ嬉しいな
てども末チームに参加するだけでも本当に
すごいことだなと思うんですけどもすえ今
でもその経験というのはこう生かされて
いるんですかねいや生きてますねやっぱり
なんかそういうグループとか複数にいる中
でうんなんかやっぱ積極性が当時の私は
からなんか試合出たい人みたいなぐらいの
だったんではいはいはいはいみたいな感じ
でみん私はも怖すぎてあいいですみたいな
感じだったんですけどなんかそこから
やっぱグっとみんなのことを見てやっぱ
もっと積極性を持ってバスケもやってか
なきゃいけないなって思ったのでそれは今
の仕事にも生きてるのかなてちょっとね
積極性を持って自ら取りむっていうことは
生きてるかなと思いますうん先ほど
たくさんチームメイトのお話も
厳しかったですかいやめちゃくちゃ
厳しかったですねちょっとこれ絶対見られ
たら送られると思うんですけどきっと見
られてるといやどうなんですか私のこと
覚えてるのか良かったらねメッセージ
なんかもいいちゃっいやもうあのすごい
ちょっとこの言えんのかなんか当時は監督
が1人とコチが3人ほどいて結構4人
ぐらいいらっしゃったんですけどなんか
私のまだ小学生の時代はなんかよくなんか
叩かれてましたねなんかちょっと今の時代
じゃ絶対ないと思うんですけどまそんな
本気じゃなくてちょっとシュート外した時
とかにこっち来いみたいに言われてあって
言ったらその内輪とかメガホンとかで
なんかパコンて叩かれて痛くはないんです
全く痛くないんですけどパンて叩かれる
ような時代だったなて思ってでもなんか
最近うん聞いたらもう今そういうのない
よって言われてあ時代だなてことなんです
けどうん今でもその信仰があるということ
ですあなんか私のあの近所に実家の近所に
あのミニバス私が入ってたミニバスにあの
入ってるっていうあの子がいてでそのその
子とその親子さんとちょっと話す機会が
あったんで聞いたらえめちゃくちゃ今
穏やかだよて聞いてあ変わるんだな変わっ
たんだなっうん厳しいに情というのが実際
にあったと思うですやでしたね今思うと
当時はなんかもうすごい怖怖い怖いと思っ
たんですけど今思うとなんかすごい多分
可愛がってもらってたんだなっていうの
うんさて渡辺さん小学校低学年のお子さん
がいらっしゃるという親子さんたちに是非
ミニバスをやってもらうための何か
ポイントなどがあれば教えていただきたい
んですけれどもあへえまだ定学年の子たで
やっ
ことですよねそうですねうんでも興味は
あるけどとかそういう方もいらっしゃると
思いますうん確かにでもまず
なんかお友達がミニバスに入ってる子が
いるとかそういうので結構体験に来てみ
ないみたいなので楽しかったからちょっと
入ってみようかなみたいな子がやっぱ私の
周りは多かったのでそういうまずミニバス
をやってる子をちょっと探してみ
るっていうところから始めてうんまあとは
それじゃなくてうんもなんかちょっと体
動かしてみないとか体験だけ言ってみる
ちょっと楽しいよっていうやっぱなんか
うん楽しいっていうイメージをやっぱ
なんかあった方がそういうイメージがあっ
た方が多分えじゃちょっと行ってみようか
なってなるので最初はそんなガチガチに
バスケをやりに行くていうよるかは
ちょっと遊び感覚で体験に行くぐらいの方
が案外そっからえちょっと楽しかったから
また行ってみたいってなること多いと思う
ので実際にこうだけじゃなくてボールに
触れることもねそうなんじゃない楽しいの
でやっぱ私なんか同学年の同年代のお友達
がみんなやっぱり頑張ってやって
るっていうの見たら結構感化されると思う
のでうんうんうんちょっとまずはちょっと
行ってみようよぐらいの気軽な気持ちで
誘ってみるっていうのは結構大事かもしれ
ませんね元々ねみほさんも人数合わせで
始まったものですからねそうそう私も遊び
感覚でいつも体育館に行ってたのでなんと
なくでなるほど軽い気持ちでということ
です
はいありがとうございます続いて小中高等
長年バスケを続けてこられて1番得られた
経験というのどういったものでしたかうん
うん私の場合はもちろんバスケの技術的な
部分とか運動神経だっていうそういう
ところもあすごい良かったなって得られる
もの大きかったんですけど1番はやっぱり
私は人間関係のなんか上手な気づき方とか
人とのコミュニケーションのうん撮り方
っていうところが1番学べたかなって思い
ますねまだ小学校の頃ミニバスの頃って
いうのは結構その感情がバッて出ちゃう
ような時期も多くて悔しくて負けた時は
うんなんで負けたんだみたいなのを結構
みんなの前で行っちゃうようなタイプの
子供でま母親にめちゃくちゃ怒られてそれ
でえそうなんですなんかやっぱ感情任せに
指示をしてプレイをなんか本当その1人
よがりのプレイをしたところで周りはつい
てこないよっていうのを小学生の時に母親
に言われて怒られてああそうだなって思っ
てで中学校に上がってからそこが結構
ちゃんと周りの人とうまく
コミュニケーションを取りながらバスケを
するってこを覚えてうんうんあとなんか
自分よりも上手で自分より才能のある子
なんかいっぱいいるんだっていうのを私
中学に上がってより体感してあそこでなん
かあちゃんと謙虚にきよっていうのは思っ
てあとやっぱ高校が私は1番大きかった
なって思うんですけど高校で私結構人数が
多かったんです東学年が多かったのでま
そんだけ女の子たち集まったらなかなか
あのままとまらないこともあったり
ちょっとそういう揉めちゃうこととかも
度々あったんですけどその中で話し合いを
放棄したりやめるってことをせずに
ちゃんとみんなで話し合ってどうしたら
改善されうん
うんってみでバスケも練習も頑張って
ちゃんと大会で結果を残してっていうそう
いうなんだろな1つ1つ
コミュニケーションをしっかり取
るってことを大事にしてきたのでそれを
踏まえてなんか今の仕事でもちゃんと話す
こと私何か壁にあのぶち当たった時とか
悩んだり困ったりした時も考えるちゃんと
って周りと相談をするていことの大切さっ
ていうのを私はうんバスケを通して学び
ましたねこう自分の中で解決しようとする
んじゃなくて周りと一緒にこう頑張って
いこうよっていうまさにチームスポーツ
ならではの醍醐ですよねですね強調性とか
大事だなて思いましたねはいありがとう
ございますそして渡辺さんは現在埼玉
バスケットボールアンバサダーとダブル
リーグアンバサダーを務めていらっしゃっ
てバスケ関連の番組などにもご出演なさっ
ているということでこういったバスケに
関係するお仕事というのはずっとやりたい
と思われていらっしゃったんですかやり
たかったですねやっぱりうんなんか多分
バスケを小学校1年生から高校3年生まで
12年間みっちりやってきてうんで急に
なんか多分みんな私のことを知ってた人
からしたらえあんなにずっとバスキやって
た急に芸能感入るのみたいな結構衝撃だっ
たと思うんですよ未だにやっぱ言われるん
ですまさかこういう仕事すると思わなかっ
たっていうの結構びっっくりされてうん
うんだからなんかそういう人たちにも
ちゃんとこうバスケのお仕事とかバスケに
携わるお仕事をすることであなんかその
当時の子供の時の経験とかがあ今に生き
てるんだねってちゃんとなんか安心して
もらえたらいいなっていう思いもあります
しあとはやっぱなんかうんこうやって
バスケのお仕事をすることうんで過去の
自分をなんか認めてあげられる気もするの
でうんなんか多分そうだなんかそこまで
やっぱ私は小中こってやっててもやっぱ
自分がプロになれるほどの技術とか持って
るっていうのは思ってなくてそこはどこか
子供ながらに理解をしてたのでうんでも
ここまでせっかく長年やってきたことを
なんかどこかで行かせたらいいなっていう
のはずっと思ってたのでこうして今お仕事
にできることによってなんか
報われたなというかなんか子供の頃の自分
になんかやめなくてよかったねって続けて
て本当正解だよっていうのをなんか言って
あげられる気がするので良かったなって
思いますね素敵なお話ですねそれでより
そうこうバスケをされるお子さんが増える
といいですよねいやあ増えて欲しいですね
やっぱり今日本中もどんどんバスケなんか
盛り上がってきてると思うのでやっぱ
やっぱやっててよかったなって思うことは
大人になってからもたくさんあるので是非
たくさんのねお子さんにやってほしいなと
思いますねそうそしてこれから渡辺さんが
バスケ関連のお仕事でやってみたいなと
いうことってございますかおおられまし
けどねいやでもま今現在こうやってうんな
んだろうな実態験を話したりとかもねさせ
ていただいたりとかあとは試合を会場に見
に行かせていただいたりとかも色々あるん
ですけどえ実は密かに思ってても実現する
なんて思ってないんですけど1つあるのは
あのバシをバスケットシューズを
プロデュースしてみたいなっていうのは1
つあぜひ実現してほしいですそうなんです
すごい難しいことだと思うんですやっぱ
性能的な部分でもう実際の試合とか練習で
使えるのかっていうところでうんうん
なんか私ねまだそういう専門的な知識が
ないので多分いろんな人の力を借りないと
できないと本にれるとって思うんですけど
でもやっぱ子供の時とかにこういう
デザインの可愛い場所があったらなとか
思ったことあったなって思って今でこそ
多分いろんな種類があると思うんですけど
そういう時のこと思い出してなんか
なかなかその世界に1つだけのというか
あんまり見ないようなデザインの場とか
ちょっと作れたらなるほどなんかいいなっ
と思ってちょっと実はずっと思ってます
どんなこう場がいいなって色とか形とかっ
てうんええ悩みますねでも私はずっと現役
時代本当白か黒かみたいな感じの結構
シンプルなデザインしか使ってなかったん
ですけどなんか
うーん難しいです難しいこれから考えたい
です意外となんかピンクとかって多分最近
はあると思うんですけど私が子供の頃で
あんまピンクのバシってあんまなかったん
ですよなんでちょっとピンク系とかあ
なんか可愛いのとか作りたいなって思い
ますねだけで気分上がりそうですねそうな
んですねちょっとそういうところは
あんまり見た見たことのないような
デザインとかはやってみたいですうん是非
叶えていただきたいなと思います頑張り
ますさてここまでバスケについてたっぷり
熱語っていただきましたが渡辺さんにとっ
てのバスケットボールの魅力というのは
ズバリ何でしょうかはいうわあ
バスケットボールの魅力はうんでも
やっぱりシュートが入った時とか試合に
勝った時ってすっごい嬉しいし楽しいって
いうのをよりそう感じられるのでま
もちろん練習は苦しかったり大変だったり
とか自分との戦いにもなってくると思うん
ですけどそういうなんだ地道な練習を
乗り越えた先のその勝った時とかいい
プレイができた時のその喜びっていうのを
知れるっていうのはすごく魅力的だなって
思うしそのやっぱ努力なしにはなかなか
いい結うんっていうのは残せないのででも
努力をしたその先に自分が頑張ったから
こそこの結果がこうやって結果がついてき
たんだよっていう知れるそういう成功体験
ってすごく大事だなって思うのでなんか
そういう楽しさを感じられるのはバ県の1
つの魅力だなって思いますねはい
ありがとうございますえそれでは名残り
惜しいんですけれども最後に今年のリプロ
カップにご参加される選手の皆さんにはい
はいエールをお願いできますかはいはい
おおはいリプロカップに出場される選手の
皆さんあの皆さんは多分もう日々バスケに
一全力で多分練習取り組んでると思うん
ですけど今皆さんが頑張ってるこの時間
この経験っていうのは大人になってからも
必ずかけがえのないあの貴重な宝物になる
と思うのであの練習はすごくね大変だとは
思うんですけど周りの仲間を信じて一生
懸命頑張ってそしてリプロカップでも全力
を出して自分の持ってるものを全て出せる
ように頑張ってください私も応援してます
ありがとうございますここまで女優の渡辺
みほさんにお話を伺いましたありがとう
ございましたありがとうございまし
たまえたい夢も
プロー逃げ出したいこの心を抑えて
レフこの街
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で
リプロマヴィで女優の渡邉美穂さんにバスケットボールについてのお話を伺ってきました。
渡邉さんは元ミニバス経験者で、高校3年生までバスケットボールを続けていらっしゃいました。
そこで得た経験、良かったことつからったこと、またリプロカップ出場選手へのエールもいただいています。
3 Comments
全3回のインタビューありがとうございました!
渡邉美穂さんがバスケットボールから多くを学び人間的な成長をしてきたことが良くわかる素晴らしいインタビューでした。
初めて聞く美穂さんのエピソードもあり、大変興味深かったです。
渡邉美穂さんの今後のご活躍をお祈りするとともに、リプロマヴィさんの益々のご発展をお祈り申し上げます。
べみほが元気にしてることは、おひさまにとってもいいことだ😊
あんま精神状態よくなさそうだな。