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4月14日礼拝 福音伝道教団熊谷キリスト教会


[音楽]
て中自身が中
[音楽]
あた
をさに
[音楽]
進ま


あた
をとに
[音楽]
もえる主は
あなたを放
[音楽]
あなたを
見つめ
ない
恐れてはなら
ない
おいてはならない主ご自身が主の
自身があなた
を先に
進ま
れる


あなた

思いおら
れる主は
あなをさす
[音楽]
あなたを
見つけ
ない
れてはからら
ない
おいてはなら
ないもう一度しましょう
じしな
あなたの
先きに
進ま
[音楽]
れる


あなた
のそに
[音楽]
され主は


はなさはな
にすめない主が
恐れる

[音楽]
ら恐れてはなら
ない
恐れてはなら
[音楽]
ないのてはならない
[音楽]
T
[音楽]
招きの言葉ルカの福音書第9章23
節イエスは皆に言われた誰でも私について
きたいと思うなら自分を捨て日々自分の
十字架を負って私に従い
なさいおはようございますおはようござい
ます2024年4月14日第2手術礼拝を
これから始めます賛美をいたしましょう新
成果98番緑も深き
[音楽]

[音楽]

わの

れの村

長長

[音楽]
心より
[音楽]
つつ
そだち
たし
[音楽]

[音楽]
おに
はあ
[音楽]
その
心の


[音楽]

人の
すま
をレ
[音楽]



たえ

のこ

君の



たたしよ
[音楽]

古に

[音楽]

癒し
のあ
[音楽]
続いて主の祈りを皆さんでお捧げいたし
ましょう主の祈り天にまします我の父をば
皆を崇めさせた前国を来らせた前見の天に
なるごとく地にもなさせた前我らの日曜の
糧を今日も与えたま我らに罪を犯すものを
我らが許すごとく我らの罪をも許したま我
らを試みに合わせず悪より救い出した前国
と力と栄えとは限りなく何のものなれば
なり
あン続いてえ首都心情を持って私たちの
信仰を告白いたし
ましょう
信条我は天地の作り前脳の父なる神を信我
はその1人後我らの主イエスキリストを信
主はにて乙マリアより生まれテオピラトの
もに苦しみを受け十字につけられ死にて
葬られにくり3日目に死人のうよりりにり
前脳の父なる神の右にざしまりかこよりり
て生けるものと死にたるもとをさきた我は
霊を聖なる動の教会生徒の交わり罪の許し
体の蘇りとしへの命を信じ
メンえ続いて聖書を交互に読む解読を
いたします今日の箇所は旧約聖書四辺第
21
遍7から13節
です司会者が奇数節を読ませていただき
ますので回収の皆さんは偶数

8102そして最後13節は司会者と皆
さんとでご一緒にしたいと思い
ます2017の聖書の951ページになり
ます
では読いたしましょう紙片第21遍7節
から王は主に信頼しているので糸高き方の
恵みにあってぎませんあなたのは全ての敵
を見つけだしあなたの右は
けしますあなたの現れの時あなたは彼らを
燃える色のようにされます主は身怒りに
よって彼らを飲みくらべ
ても成し遂げられません
あ主よあなたの見の故にあなたが崇められ
ますように大いなる道を私たちは歌い褒め
歌いますありがとうございましたでは今日
の礼拝を覚えて代表で司会者がお祈りをさ
せていきますのでどうぞ心を合わせて
ください愛する天の父なる神
様4月となり新しい年度がスタートいたし
まし
たそれぞれ置かれている場所でそれぞれに
4月を迎えまた新しい生活を迎えており
ますそれぞれが歩いたその場所を
思い返し
つつ週の初めである今あなたの元にまた
つってまっておりますどうぞあなたがお
1人お1人立たれている場所を覚えお1人
お1人に必要な御言葉をこの場で語って
くださいますようにお願いいたし
ますあなたからの言葉を取り付いで
くださる小沢先生がこの教会に使わされて
いることを覚えてありがとうござい
ます神様どうぞ小沢先生の口をあなたの
ものとし
てあなたが示そうと思うことを通りの良い
くとしてお用いくださいますよう
に聞く私たち1人1人の心
も精霊が働いて
くださりあなたが示そうとしてくださっ
てることをそのまま受け止めることが
できる柔らかい心をください
不安な部分や痛むところやまた悲しい部分
やまた嬉しい部分もあなたが探って
くださり届いてくださいますようにお願い
いたし
ますこの場所に今向かってるものがある
でしょう
かこの場所ではなくあなたに配信を合わせ
てるものもあるでしょうかまたあなたの
ことを知らずにいるものもあるでしょうか
どうぞあなたが全ての方を覚えそして元へ
と招いてくださいますようにもお願い
いたしますこれからの時をあなたに全てお
委ねしてイエス様の名前によってお祈り
いたします
あンでは今日の聖書の箇所をお読みいたし
ます今日は旧約聖書江木第10章1から9

です旧約聖書の80031ページ
ですではお読みいたします江木第10章1
節から
エズラが神の宮の前でひれ伏して涙ながら
に祈り告白している
時男や女や子供の大回収がイスラエルの内
から彼のところに集まってきた民は涙を
流して激しく泣い
たその時エラムの子孫の1人エフエルの子
シカンヤがエズラに行った
私たちは自分たちの神の信頼を
裏切りこの地の民である異国人の女を妻に
しまし
たしかしこのことについてイスラエルには
今なお望みがあります今私たちは自分たち
の神と契約を結び主の勧告と私たちの神の
命令を恐れかむ人々の勧告に従ってこれら
の妻たちとその子供たちを皆追い出し
ましょう立法に従ってこれを行い
ましょう立ち上がってくださいこのことは
あなたの方にかかっています私たちは
あなたに協力します勇気を出して実行して
ください江は
立ち上がり祭祀レビと全イスラエルの蝶
たちにこの提案を実行するを誓わせ
たすると彼らは誓っ
たエズラは神の宮の前を去ってエリアの子
ヨハンの部屋に行っ
たそこに行ってパンも食べず水も飲まずに
行った補修から帰ってきた人々の不審の罪
を嘆き悲しんだので
あるそして通達がゆとエルサレムに出され
たそれは保修から帰ってきたものは皆
エルサレムに集合するようにというもので
ありまた3日のうちに来ないものは皆指導
者たちや長老たちの決定に従ってその全
財産を生実されさらにその人は保修から
帰ってきた人々の回収から除名されるとし
ていた
ユダとベニヤミンの男は皆3日のうちに
エルサレムに集まってき
たそれは第9の月の20日であっ
たこうして全ての民は神の宮の前の広場に
座りこの件でまた大雨のために震えてい
た以上です今日は悔い改めとは主に
向き直ることという石内で沢先生から説教
していただき
ますおはようございますおはようござい
ます3月18日金曜日から31日の日曜日
にかけて福井伝動教団の正解が行われまし

えその拝では運営委員長が説教することが
習わしとなっているため私は読んで
いただいたイ10章をテキストに準備をし
ました
えその際に2021年から2022年に
かけて旧約聖書の主要箇所から連続して
説教した終わりの方で江木とネヘミヤきを
取り扱ったことがとても参考になりました
旧約聖書の中ほどに位置する絵きですが
時代的には旧約聖書の中で1番新しい時代
について記されている歴史書になります
元々は江木今開いてる江木それとその後に
続くネヘミヤキは1つの巻き物であった
そうです昔は陽子費にこう記されてええ
それが長い長いですねあの1つの巻物で
あったところをまある時からこれが分け
られるようになったんですね実は元々
ヘブル語であの原点が作られてでそれが
ですねある時にあのギリシャ語にこう翻訳
される70人の学者たちがですねあのと
いう72役聖書っっていう風に呼ばれるん
ですけどもその時からこのエキとネヘミヤ
は2つに分けられたていう風にてんですね
エラには戦によって滅ぼされたユダの国の
復興について記録されていますふ
アブラハムが主なる神様を信じて以来
イスラエル民族は神様を第一として歩んで
きました紀元前1000年の頃ダビデ王の
時代に全盛を迎えダビデ王の息子ソロモン
王の知性には物質的的にも絶頂期を迎える
しかしその物質の豊かさが霊的な腐敗を
もたらし神様への礼拝は形だけのものに
なってしまいました王家に権力争いが
起こり国が2つに分裂やがて分裂したうち
の1つ北イスラエル王国が
アッシリア帝国に滅ぼされでもう1つ南
ユダ王国は今度はそのアッシリアの後に
起こった帝国バビロニアに責められて滅亡
イスラエル民族
は大半の特に男性たちがえ捕虜とされて
バビロニア帝国に連行されてしまうという
非常に厳しい時代を迎えることになります
それからおよそ70年後時代は新たな局面
を迎えましたバビロニア帝国はペルシア
帝国にとって変わられれます
エキ1章の冒頭にはペルシャ帝国の初代の
王様キュロスによるイスラエルの民への
通達がこう記されています天の神である主
はユダにあるエルサレムにご自分の宮を
立てるよう私キュロスを任命された
あなた方主のために属するものは
エルサレムに登り神殿を立てるように
せよまこの通達に応答しエルサレムへと
帰って行った民の数およそ5万人だそう
ですがそれらの人々はエルサレムに到着し
これから立て直さなくてはならない当時の
状況をまずは確認をするわけ
ですそれは70年前の戦によってですね
エルサレムはあの粉に破壊されてるわけ
ですねいいえもそして神殿も周りを囲む
城壁もみんな崩されてしかもそれが70年
そのまま放置されていたのでまあ大変な
状況になっていたわけですでまずはその
ことを確認しやがて神殿を建築するための
構築知工事資金として現在の貨幣価値で
3億円にもなる自主的な捧げ物をしたのだ
そうですで彼らは共に集まる時を定めた上
でそれぞれの出身地へまエルサレムにあの
万人が住めませんからえそれぞれ元々です
ね住んでいたその出身地に散っていくん
ですねはいでまそこにはですね廃墟だけで
はなくてあのバビロン保守を逃れた逃れの
民と呼ばれる人たちがまそれぞれのあの
生活をしていたわけです体の弱くて労働力
として使えない男性たちは残されお年寄り
も残されまた女性たちが残されたという風
に言われてますその人たちが細細とその
イスラエル周辺でまエルサレムだけでなく
周辺で生活をしていたわけですねでその
ところにこうまイスラエルは12部族と
いう風にあの割り当てられているのでえで
何々族ユダ族はここの地域が割り当てです
よっていうところにまそれぞれ自分は何族
だっていうことはよく知ってるわけです
バビロンで70年補の生活をしていても
自分は何族の誰々だっていうことはあの
すごく自負してるから自分の割当て地に
こうそれぞれこう散っていくわけですで
エラ3章にはその散っていった民がその時
を定めたその日に霊的に一致をして
エルサレムへて集まってくる様子が書いて
あるんですねでその時
えーまバビロニア帝国の後のペルシア帝国
からユダヤ地方の相徳に任じられたゼル
バベルという1人の男とそれから祭主の
家計に生まれたヨシュアまこれも
あの引き上げてきたと思われますけれども
この2人を中心としてそのエルサレムのえ
崩された神殿を立て直すためにまずはその
崩された神殿後に裁断を築いたと書いて
ありますでその7ヶ月後年が変わって第2
の月に神殿の石の工事をしたやがて神殿の
石勢が据えられ低組織が行われました
ところがせっかくイスラエルの民が思いを
与えられて自主的な捧げ物をして神殿を
立て始めたにも関わらずでその後妨害が
入るんですねサマリア人によって妨害され
長い間工事が中断していたことが江木4章
に書かれていますで5章になるとその
えハガとゼカリアという2人の予言者たち
を通して当時のイスラエルのために神様
からの励ましが予言者たち通してなされて
いったということがあ書いてありますここ
はとてもユニークで歴史書と予言の記述が
とてもリンクしているところですま他の
聖書箇所にもそういう箇所はあります
例えばイザヤ所予言者イザヤがその当時の
え例えばえヒア王と一緒にえこうしたあし
たっていうことが出てきます歴史的なこと
も書いてありまたいやが与えられた予言の
言葉としてこう書いてあるまそういうえ
同じ時代のことがええっと歴代子や列王機
に書いてありまたイザヤ所にも書いてある
というそういう箇所があるんですけどこの
箇所もまさにそうで今えテキストとしてる
江木にもその神殿再建について書かれて
いるし予言所である阻害所にも世界書にも
そのことが出てくるんですね書2章4節に
こう書いてあります仕事にりか
私があなた方と共にいるからだ私ってのは
神様のことですよねゼカリア書4章9節に
はこうあるんですねゼルバベルの手がこの
宮の石を据えた彼の手がそれを完成させる
まそう神様の励ましが予言者たちによって
なされて
いるさあ期間から16年が経った紀元前
520年主なる神様からの励ましによって
中止されていた神殿の建築工事が再開され
ますやがて神殿は完成し神殿の法権式が
行われました第2神殿の法権式では様々な
捧げ物の他に全イスラエルのために罪の
清めの捧げ物として親木12匹が捧げられ
先祖からの罪の告白と悔い改めがなされた
のでした
はいそれから56年から7年ほどの隔たり
を経て祭主の家計に生まれたエズラが7章
から登場しますま今開いてる書はエズラキ
ですよねでそのエズラは実は最初から登場
するわけじゃなくて7章から登場するん
ですねで彼はペルシア帝国ではバビロンの
応急で初期官を務めていたようですま
バビロンっていうのは地名でもあります
からそのバビロンに応急があったわけです
そこで初期感を努めていったでもエズラは
心を定めていたって書いてあります何を心
定めていたのかそれは自分の故郷である
エルサレムへと戻り主の立法を調べこれを
実行しイスラエルの民に定めそして掟てを
教えたいそういう心を定めていたそして8
章の終わりにはエルサレムへと彼らはま
エズラたちが向かっていきえそして
えエルサレムに到着したエラたち一向が
神殿で神様の前に牛牡羊小木
子羊前哨の池として捧げたっていうことが
書いてあるんですね当時は神殿にその生贄
をですね捧げるためのそういう裁断があの
あったわけですそして祭司たちはあの立法
の規定の中にどのようにしてそのま生贄を
捧げるかっていうのがかなり細かく記され
ていてそれに習ってですね
えま動物を解体してですねえそして捧げる
ためにこう焼きつくわけですそういった
ことがなされるわけです
ねさあその後エルサレムへと登り主の立法
を調べこれを実行しイスラエルの民に掟と
定めを教えたいと心を定めていたエズラは
その後どんな働きをしていくの
か9章から今日開いている10章にかけ
てエの元に民の間に不審の罪がはびこって
いるということが報告されたということが
書いてあるんですね具体的にはどういう
ことか周辺の庶民族の娘を妻にしていると
いうことでしたどうしてこれが不審の罪に
当たるのでしょう
かま今では国際結婚はあのそんなに珍しい
ことではありませんよねえそれがあの罪に
当たるなんて当然そんなことはありありえ
ないわけですで
も主なる神様と契約を結んだイスラエルの
ために与えられた立法の中に次のような
規定があるんですま今日開きませんけど
この聖書の1番前の方に神命期っていう
箇所がありますでそこには数々の立法が
あのこと細かに書いてあります
で新明記7章1から4節にこういう風に
書いてあるんですねあなたが入っていって
所有しようとしている地にあなたの神主が
あなたを導き入れる時主はあなたよりも
数多くまた強い7つの違法の民すなわち
筆体都人ギルガ人アモジカナン人ペジ日人
及び人をあなたの前から追い払われる
あなたの神主が彼らをあなたに渡しあなた
がこれを打つ時あなたは彼らを必ず生実し
なければならない彼らと何の契約も結んで
はならないまた彼らに哀れみを示しては
ならないまた彼らと隕石関係に入っては
ならないあなたの娘をその息子に嫁がせ
たりその娘をあなたの息子の妻としたりし
てはならないというのは彼らはあなたの
息子を私から引き離し他の神々に使えさせ
こうして主の怒りがあなた方に向かって
燃え上がってあなたを直にやしにするから
であるってあるんです
ねあまり詳しくは触れませんまそういう
ことがあるんですでそうした規定立法の
規定と共にイスラエルの民の歴史を考えれ
ばあのソロモン王が政略結婚により異国
から何人ものま妻をめっていくそして妻
たちにもたよってもたらされた異境の神々
にやがて心を奪われていったソロモンが神
様から心が離れていきそうした不審の罪が
王家に蔓延しまた民衆にも蔓延しその後の
王国の崩壊へと繋がっていったわけ
ですまそういったことをま念頭に置き
ながらでも別の立法にはこうあるんですね
主エジプト機12章48から49節もし
あなたのとろに気流者が滞在して主に
過ぎ越しの生贄を捧げようとするならその
人の家の男子は皆活を受けなければなら
ないそうすればその人は近づいてそれを
捧げることができる彼はこの国に生まれた
者たちと同じになるしかし無活のものは誰
もそれを食べてはなら
ないいいですか気流者ですねえイスラエル
の国にええまあの違法の民が記をしそして
そのイの民と共に生活をしそしてえ
イスラエルの民が信じている神様に礼拝を
捧げ生贄を捧げようとするならばどうすれ
ばいいか実はイスラエルの民と同じように
活を受けまユダヤ人とまなりそしてそう
することでま要するに神様を信じます
イスラエル人が信じているその主なる神様
を私も信じますっていうことをえ告白し
そして
えここれとこれをすることで同じように
生贄を捧げることができるんですよって
ことも立法にあるわけですでもそうしない
ものは無活のものは誰もそれを食べては
いけない
よま過ぎ越しの生贄を捧げその後ですね
そのそ
えその捧げた残りの肉をですねえみんなで
食べるっていうそういう鳴らしがあるわけ
ですけどそれをまえまそういう規制がある
わけですまた今開いているこの絵の中にも
6章21節にはこう書いてあるんですね
補修から戻ってきたイスラエル人はこれを
食べただイスラエルの神主を求めてその地
の違法の民の汚れから離れて彼らに加わっ
た者たちも皆そうし
たまつまり最初に読んだ新明記7章1から
4節にはこのように
え周りのその日法の民と交わってもなら
ない隕石関係に入ってはならないという
ことは立法にあるけれどもでもその別の
ところでえその違法の民があ同じ神様は
信じるために自分も告白をしそしてえ活を
施していくならば同じように神様を信じる
民として受け入れられることがいくつもの
箇所に書いてあるわけなんですねで今開い
てる絵にもそれが出てくるわけ
ですいくつかの仲介賞やイスラエルの所持
場に詳しい研究者の解釈を参考にすれ
ばま今日開いているき10章これは異邦人
との結婚を禁じているということ以上に
異境の神々への信仰を離れられない結婚へ
の忠告警告と捉えるべきではないかという
ことが言われていますでそうしたことをま
難しいね解釈の難しい箇所ですけどそう
いったことを考えあわせて
もエズラはもちろんそういったこと知ら
ないはずはないわけですよねでもエズラは
悩んでい
ます今日読んでいただいたとこに書いて
あるように悩んで神様の前に悲しみの思い
で祈ってるエズラなぜかいろんな状況が
あっていろんな立法の解釈があったとして
もでもエズラよりも78年早くキュロスの
女霊によって帰還したおよそ5万人の民ま
その後の状況
はまたバビロン保守を逃れた逃れの民の
霊的な体は相当絵面を悩ませ悲しませる
状態であったようなんです
ねそして読んでいただいたエッキ10章1
から5節にあるようにエズラが民の実情で
悩み悲しんで神様の前に祈っていた
時エズラと心出しを同じくする者たちが
エズラに声を
かけ立法に従ってなすべきことをなして
くださいと励またって言うんですそして
エズラは立ち上がったのでしたどうして
いいか分からなかったわけ
ですただただ悩んで悲しんで神様にってい
たけれども自分1人ではどうすることも
できなかったかもしれないでも同じ心出し
を持った人たちに一緒にやりましょうって
励まされてエズラは立ち上がったんですね
で10章6節以降に書いてあるように
ユダヤ及びエスエルサレムに住んでいる
イスラエルの民が神殿の前の広場に集め
られたっていうことが書いてあるわけです
ねとても緊迫した場面
です9節に全ての民は神の宮の前の広場に
座りこの件でまた大大雨のために震えてい
たとあるわけ
ですまこれからなされることに民は不安を
感じていたわけ
です雨が降って寒いってだけではないここ
にはですねその民の大勢の人々の霊的な
心情が表されてるわけです
ねま単純にこの時なされたこの後のこと
異邦人との結婚をしているものを利益させ
るっていうことではなかっただろうと言わ
れてい
ますもう1度この機会に神様を第一とする
ことが誓われたということなんだと思うん
ですねま異邦人と利益しあえっと結婚をし
ていたああでも私たちの家族は主なる神様
を第一にして異邦人である妻も今あの
ユダヤ人となって同じ神様私たちは信じ
ますこれからも立法を守りますと告白した
人もきっといたはずですでも中にはいや私

あ自分があのずっと先祖代々から信じてき

例えばバールの神を捨てるわけにはいか
ないと意字になった人だっていたと思うん
ですねでそういった人たちはどうされた
かて言とそのえこのコミュニティから除外
されてことになるわけですま非常に厳しい
ですよね今の時代の日本に住んでいる
私たちからするとなんかこうすごいことが
なされてるなと思うわけです
民は異境の神々への信仰を捨てて主なる神
様に帰依することのない妻を利益すること
としていくま場合によってはですねその夫
も一緒にこうなんて言うんですかねその
コミュニティから去っていったっていう人
たちだっていろんなケースがあったと思い
ますでもとにかくこののこの時に集められ
た人たちは何をしたのか神様を第一とし
なかったことまこの違法の民を妻とした
あるいは夫としたっていうことにタを発し
てそれだけでなく今までの日々の生活の中
で神様を大一とししてこなかったという
ことをこの機会に食い改めて自分の罪を
許していただくための大償の捧げ物として
牡羊1匹が捧げられたというのです19節
にはあ今日読んでいただいた少し後19節
に壊あるんですね
彼らはその妻を利益すると誓い自分たちの
在家のために牡羊1匹を大償の捧げ物とし
て捧げた
はいでその後今日は読みませんがエキは
10章で終わるわけですけどもこの今読ん
でいただいたその後には異邦人を妻とした
ものの調査結果が上げられてそしてるん
ですねなんとも不思議な終わり方
ですそして江木に続いてネヘミヤきがあり
ますま実はネヘミヤを持ってこの旧約聖書
の時代的には1番最後のことがえ取り扱わ
れるわけですでその後の時代はどうなるか
というと新薬聖書までの約400年間聖書
に記されいない時代がありますそれは中間
時代と呼ばれるんです
ねエズラは言ってみるなら立法学者の
先駆けとなった存在です立法学者っていう
のは中間時代に発展してくんですねそして
新役生書で私たちが福音書でよく読むよう
に立法学者がいっぱい出てくるわけですよ
ねで立法学者たちがまさにイエス様を十字
架につけていくわけですけれど

エキ何が書いてあるかバビロン補習という
苦しみをイスラエルのたに通された後で
機関の約束を果たされた神様の
真実そして神様に立ち返っていく人々の姿
が書いて
ある思いを与えられて
力強く神殿を立上げていく民の強
さしかし時間が経過する中でまた罪が
はびこっていく民の弱さいろんな要素が
この絵には書いてあるわけですそうした
中心ざしを持ったエズラと同じ心ざしを
与えられた者たちによってもう1度神様に
立っていこうという悔い改めの集会がなさ

たそのことを今見ていますでこの江木10
章に書いてあるこの悔い改めの集会
はその後のネヘミヤきも合わせて1つの私
は頂点であるという風に理解してい
ますところが民はまた誤ちを犯して
負の循環に陥っていくことが続くネヘミヤ
きには記されているのですテキストがから
逸れますがま興味のある方後でネヘミヤ系
を読んでみてくださいネヘミヤ家を読むと
その後のユダヤの民の流れが見て取れる
ように思いますまここにも元々同じ絵面木
と同じ巻物ですからネヘミヤきにもエズラ
が登場します
で後からユダヤ地方の相徳としてペルシア
からエルサレムに到着するネヘミヤと共
に清めの集会を行ったっていうことが
ネヘミヤきの8章に出てき
ますであの出だしはですねちょっと
ユニークなんですよ清めの集会に先立っ
てエズラとネヘミヤがまず
に奨励したことは今日は神様の多いなる日
ですあなたたちは悲しんではいけませ
ん喜びなさいむしろ食べたり飲んだりご
馳走を送ったりして大いに喜びなさいって
いうことがこ最初に奨励されるお勧めされ
ていくんですねでまず人々は一旦は神殿の
前にこう集まってくるけれどもでもねもし
かすると絵に書いてあったようにですこれ
から何が起こるんだろうまたあの悔い改め
の集会が持たれていくのだその前に緊張の
高まる場面でネヘミヤはまずあなたたちは
今日は1回帰りなさいそして食べたり飲ん
だりして喜びなさいっていう風にこう言う
んです

あのここ割愛しようかなと思ってたんです
けどねま健康から削除したんですけども
あの世界中であのま聖書をも土台とした
いろんなそのなんて言うんですかねその
行事があるわけですでそれはキリスト教ど
真ん中の行事もありますで
も場合によってはですねまもちろん
キリスト教だけではなくてイスラエルの民
が色々なその所地域にこうま移住してる
わけですよねアメリカには大勢のユダヤ人
コミュニティがありますけどもそういう
ところでいろんなそのなんて言うんですか
ねこう食事をするそういう行事があるわけ
ですけどもあるキリスト教にタを発して
いるその行事にあのマルディグラっていう
のがあるん
ですまご存知の方世界中を食してる方が
もしこの中にいればあマルマルディグラ
知ってるよって方もいるかもしれませんで
元々はマルディグラっていうのはフランス
語なんだそうですけどあのまアメリカに
渡っていったまクリスチャンたちがあのま
マルディグラすっごい楽しみにするんです
ねで今やもう接続的になっていて町の
カーニバルみたいになってるわけですで
マルディグラはですねま例えば私たちリオ
のカーニバルとか知ってますでしょもう
あれもおそらく最初はキリスト教の良子が
あったわけですでも全然そうじゃないです
よね今ね観光に行くでマディラもそういう
でこれこれは復活説のある時期に行われる
お祝いなんですでどういうお祝いかって言
と復活説の中で多分柔軟をイエス様の柔軟
を覚えて食事制限をしていくあるい人は
断食をして
いくでもその前に大いに食べ大いに飲み
街中がお騒ぎするんです
よであんまりにもそれがあのなんて言うん
ですかね華やかなんで
こってあの世界中の人たがそれをこう観光
に行くわけですマルディグラで自分たちも
一緒にそのマルディグラのその雰囲気に
あの食べたり飲んだりしてもう要するに
その前に後に断食が待ってるからもう
惜しみなく食べ惜しみなく飲むわけです
よねなんとももうキリスト教の要素なんか
もうほとんどないですよね
ただ私はマルディグラアメリカ
ップ取ってるなって思うじゃないですかで
もねネヘミヤ
1番最後がとっても残念なんです私に
痩せればごめんなさいね明が何よりも大事
大切大切が大好きだっって人だっているか
もしれないで前回あのヘブルジエの手紙
好きな方いますか言ったらね何人かの方が
手あげてくださったようにネが好きだって
いう人がいるかもしれないただネミは13
章で終わるんです
があくまでも私の印象ですがとても
ネヘミヤがヒステリックな振る舞いをする
んです
ね立法をまエズラが立法の教師ですよね
ネヘミヤも一緒に色々な清めの集会などし
てるから立法をですねだんだんこうかじっ
てくわけですねまそういう言い方するとく
ないかどんどん学んでいくわけですで
もちょっとねヒステリックなんですよ
ネヘミヤが立法の書を手にして人々を監視
していく姿が書いてあるんです
ね13章の後半には異邦人を妻にしている
ものたちを見つけるわけですあってでその
人たちをこうよく観察していると奥さんも
子供たちもえっとヘブライ語が分から
ないでその人たちをのところにこうめより
してそしてのりそのうちの何人か打って
そして髪の毛を引っ張って引き抜いて神に
かけて近誓いなさいって言ってるネヘミヤ
の姿が書いてあるんですでネヘミヤは
そんな自分を神様哀れんでくださいって
言ってるでこれでメカが
終わる小沢先生随分調してないって思わ
れるかもしれませんでもネ読んでみて
ください
は非常にこう人間的だなって私は思い
ます聖書をどう私たちが読むかとっても
分かりやすくあこの方は私たちが信仰の
模範にすべきだっていう人もいるでも
そんなものがまた罪を犯していくという
現実が聖書の中には書いてある素晴らしい
今でもイスラエルで尊敬されているダビデ
をも万年には大いなる罪を犯していくわけ
ですよね
ネヘミヤもまたちょっとどうなんだろうっ
て私は今思ってしまいますでこれを
ネヘミヤきで旧約聖書の歴史は閉じられ
中間時代に突入し新薬聖書の時代が始まっ
ていくで立法学者たちが対当していく立法
学者たちがどういう思いでイスラエルの民
を観察しえそしてえ厳しく振る舞ったのか
このネヘミヤを読むとよく分かるんですよ
ねあそういうことなんだろう
なやがてイスラエルは中間時代を経て霊的
に特発したエズラと同士に変わって
イスラエル最高議会サンヘドリンというの
が組されていくで立法学者たちがま人々を
こう監視していくという管理していくと
いうそういう状況になっていくわけですね
さあま私もう1度ですね正解のえ開会礼拝
にあたってエラネヘミヤきを読み直して
少し前に皆さんと一緒にこの箇所を読んで
その時に私がその時に理解していたことは
その時の思い出精一杯で語りましたけど
それから1年2年経ってみて今私私自身が
この絵き10章をどう読んでいるの
かそれ
は者が不在で人が神様の前に取り出すこと
の限界が示されているとそう理解してい
ますエズラによる悔い改めの集会はそうし
た限界点を示して
いるでこの同じ時代に予言者たちはやがて
メシアが現れるよ救い主が現れてあなたと
神様のの間に立ってあなたを取りなして
くださいますよっていうことをえ予言して
いくわけですでその重保者メシアなるお方
が不在の時にどれほど霊的に自分が卓越し
た思いを持って人々にえ立法を教え
イスラエルの民が同胞の民が神様の前に
記憶正しく歩んでもらいたいんだっていう
情熱を傾けてもそれでもこれが
[音楽]
限界
そしてどうしてこの絵がここにあるのか
どうしてネヘミヤきがあるの
かそれ
は予言者たちが指し示している救い主
メシアなるお方が人間には必要なんだって
いうことを私たち聖書を読むものに力強く
示すためにこの書があるのではないかそれ
が今私が与えられている導かれているこの
箇所の理解
ですもしイエス様の十字架がなければ
私たちはエ10章で震えていた民のように
またネヘミヤき13章の終りにあるように
立法に背いているぞと質問され打たれ毛を
引き抜かれて罰せられるそうした社会に
置かれていたかもしれないんですねそして
私たちはよく知ってます世界中を見れば今
でも厳格に聖書の規定や聖書から派生した
イスラム教でいうコラなどを非常に厳しく
取り扱い人々がそれによって支配され実際
にそうやってこう支配されてい
るっていうのは会所にあるわけですよ
ね最後になりますがエズラによる食い改め
では大償の捧げ物として牡羊1匹が捧げ
られました
が私たちの主イエス様は汚れのないご自身
の命を大償の捧げ物となさるために十字架
にかかられまし
たそれは
私たちが唯一の重保者であるイエス様を
信じ寄り頼むことによっ
て神様の前に義と認め
られるためなのです私たちは
あイエス様の十字架の身代わりによって罪
許されたわけですがだからと言って私たち
は罪を犯さなくなるものでは到底ないわけ
です
だから
こそ礼拝で共に集まり神様の前に御言葉を
聞きまた年に1回ですね福井伝動教団は
正解を大切にしてえそして語られる御言葉
からあ今の自分の状況を知りそして
え悔い改める必要があることは悔い改めて
いくというそのような歩みをしているわけ
です

悔い改めとは方向転換だと聖書は教えます
神様から背を向けていたものが主なる神様
に方向転換をすることが悔い改めなんです
ね私たちは聖書を読めば迷え羊だと教え
られていますでもその
える羊が正しい方向に歩み続けるため
にイエス様
が私たちの羊会となるために十字にかから
れ蘇られえそして今や私たちの心の中に
精霊という形でお住みくださっているその
ように教えられています
神様の目に正しくあろうと熱心に行動した
エズラであってもネヘミヤであってもその
後の立法学者たちさらにはユダヤ主義
キリスト者たちであっても迷え子羊に過ぎ
ないんですそして私たちもそうなのです
私たちが正しく歩むために
はなくてはならないのは羊会の存在なん
ですね
お祈りをしてこの時を閉じさせていただき
ます恵み
深い天の父なる神様皆を崇めます改めて
私たちがあなたの前に気を歩むためには
私たちの力ではどうすることもできない
どんなに熱心であって
も前はる子羊の1匹に過ぎないそのように
教えられい
ます私たちにはイエス様の十字架による
あないが何よりも必要で
あり
そしてあなたが蘇られそして
え私たち1人1人
に精霊として宿ってくださるそのことが
私たちに必要であることを覚えてい
ますイエスキリストが十字にかかり汚れの
ない命を生贄の羊として捧げてくださっ
て痛み
苦しみ
そして罪人として処罰さ
れ私たちの絵の愛を示してくださっている
ことを感謝いたし
ますどうぞ迷え羊である私たちを私たちの
うちに住まれる精霊の助けによって導いて
くださいそしてあなたに方向転換を
し聖なるものとされて歩む喜びを私たち
1人1人が持つことができますように
あなたが今日ここにおられるお1人お1人
をリモートを通して御言葉に耳を傾けるお
1人お1人をどうぞ導いてくださいます
ようにお願いをいたします私たちの羊会
イエス様のお名前によってお祈りいたし
ます
メンありがとうございました賛美をいたし
ましょうカバ山の十字架新成果112番
です
[音楽]

はやな
も主
たき
てイスはお
父を
らし
すの道

開きた前に
あの

[音楽]
め足
間の

れ神を耐え
なる
愛して

見し
のほ

捧げ
ただ

すがるも
悲し
りのす

[音楽]
のめ
[音楽]
ああ
[音楽]
りの筋か

ないイ
よを前に注ぎ
て今
よりま
をひとし
[音楽]
どしまで

すわせ

[音楽]
神の


ない
[音楽]

あの


[音楽]
あはい続いて献金の時といたします
[音楽]
DET
[音楽]
[音楽]
[音楽]
[音楽]
DET
[音楽]
[音楽]
感謝機とをお願いしますえ恵み深いえ天の
父なる神様あ
今日この礼拝と賛美の時をありがとう
ございますえ新年度になりましたあ
それぞれのお道を歩まれてる方もおります

思いますけれどもえ神様あなたが用意して
くださったこの歩みを
おありがとうございますえその中でえ本当
に喜ばしいことや
あえ困難と思われることもあるかと思い
ますけれどもお1つ1つあなたの御言葉に
支えられえ支え
られえ歩んでいけますように神様私たちを
どうぞ強めてくださいえ歩むこの1週間
も神様また今日食い改めえの機会を
いただきまし
たどうぞこの1週間も穏やかに過ごすこと
ができますようにえただいまえ献金を
いたしましたすでに多くのものを頂いて
おりますけれどももその一部をここにお
返しいたしますどうぞ清めて用いて
くださいえこの時を感謝して主イエス
キリストのお名前によってお祈りします
[音楽]
メンでは報告を読みいたします手法の
中ほどにござい
ますまず今週の
御言葉イ第53章6
節私たちは皆羊のように彷徨いそれぞれ
自分勝手な道に向かっていったしかし主は
私たち全てのもののとを彼にわせ
た右側の報告です本日の礼拝後3回多目的
室にて運営会を行い
ますイースター献金を感謝と共に捧げ
ましょう受付にあるイースター献金袋また
は決定献金袋をご利用
ください今月28日日曜日は礼拝に続いて
準備総会を行いますのでどうぞあの備えて
いただければと思います今週の予定来週の
方士ご覧になってください祈りの課題です
新しい年度になり新旧移動など環境が
変わる方のため
に教会に与えられている子供たちの成長が
守られますように健康を試みられている
方々に主の癒しがありますようにハッピー
サンデーの再開のためにこれは今年度の
活動方針の丸1となります神様に喜ばれる
ことをしていけますよう
に報告を以上といたしますではご必要の
ない方どうぞお立ちくださいまして照映を
持って賛美いたしましょう
[音楽]
[音楽]
[音楽]

えら
[音楽]
ISIS
[音楽]
残先生に祝としていただき
ますお祈りします天地万物を作られ私たち
1人1人を作られた父なる神の愛人として
この地に生まれ十字架にかかられ私たちの
罪を許し永遠の命をもたらされた巫女
イエスキリストの恵み私たちに信じる心を
与え信じる1人1人のうちに住み日々
励まし助け導かれる精霊の親しい交わりが
回収一同の上に今週も使わされるそれぞれ
の場所にあって豊かに力強くありますよう
にあめん
[音楽]
はい着席
ください学をしていただく一ですですがお
祈りの時としてください
[音楽]
T
[音楽]
[音楽]
[音楽]
H
[音楽]
[音楽]
お祈りの中にいらっしゃる方はどうぞお
続けくださいひとまずこれでえお祈り時を
閉じさせていただきます礼拝もここで閉じ
ますお世話になりましたありがとうござい
ます
ありがとうございました

4月14日礼拝
福音伝道教団 熊谷キリスト教会
エズラ記10章1~9節
「悔い改めとは主に向き直ること」
説教:小澤聖牧師

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