荘園 動揺から解体へ 南北朝・室町幕府・応仁の乱・京都中心のシステムの終焉 【伊藤俊一著荘園を秦野裕介先生が解説】
糸和のえ正遠の第第5回え最終ね9章と それから就勝やっていきたいと思い ます初めての方終わりいらっしゃると思い ますんで思うんですけどもえ中高新相え伊 先生の名城大学のえ伊先生ですね兄弟の 大学院を出てえというあれです中新でこの というのはまあはっきり言うてかりにい私 も全然わかんない高校時代はもう全く何の こと全くえほぼ理解がゼロのまんま大学に 行っちゃってえお前日本史だろとえ日本市 のそれも中世子だろと省何にも知らない ですねほんまにこ高卒業レベルの平均のえ 人も多分商対する知少ないんちゃうかなと 思いますそれでも必要に応じ必要ないです これずつよくわからないまそういうたえ ってわけわかんねえという人のにえ今回 あの中新書で伊藤先生が遠性の研究をれて いらっしゃったえ伊藤先生がとことでま あの話題になった賞ですね結構話題になっ た書です今回はここです ね遠生の同様とか一体え日本の主演とは何 だったの か放棄する 勝のこれあの昔思い出になりますが私は立 名官大学の大学に入った頃伊藤先生が ちょうど多分大学院のM1の時やったかな 伊藤先生があのあれですね高井法原ユソン のえ一章と生涯というえ論母日本試研究に 出されてそこで気証券の一期ですねで日本 市研究会大会 報告でもこの証券の一期をえ取り上げてい て証券の一期でその時は私はことよく わからないという誠にもったいない話を もったいない話もったいないもったいない 証証券の一期ですねこの将棋の一期これ 伊藤先生がえかなり研究していらっしゃっ たテーマ ですでえまその拝見はショ力の強化え農業 経営の安定と世が村落の発達これによって 百種力が強化されてくシ力の強化それに 対して守護権力の拡て課税の 強化こういったものがぶつかり会うとえ百 勝たちが大館や支配の最大官や召喚を訴え て一期共産する一期まみんなでえ調査する とえこれを消化の一期という風にえ呼んで ます要するに少年が連中はザクっと抜けて いくと全員が消えてしまうとえいうこと ですねでこの消化の一期についてハリマの 国省えの高い方言ユソンのえ障害つのも まさにするねあの私も一応読んだんですが 最後ああの暴落したんかとなんかあの ものすごいドラマですねこれこれはドラマ ですね磁無大館ユソンの派遣まこのユソン という人間がどういう風な事生を頼ってき 歩んできたのかつのこう資料からま当時
105門上がありますからねあのえ当時合 門上まあの士え当時門女士こういったもの IOCに当時文収められてますがえそのソ について書いた論文なんですけどそれを元 にしてますねこのユソンさん結構あのえ 守護との関係をよくして権益をとにかく 追求する とさらに村落結合のリーダーに対して弾圧 することによてえま反発が大き大きだと おやののヘ書たちは一味進水して調査した と消化の一期やられるとまストライキです よねストライキストライキかまされると あの経済的に非常に打撃を受けるとえいう ことでしかも長通のあれなんですねこれ 合法的あの長つのはこれあの基本的に合法 的なんですね合法闘争ですねこれ合法闘争 やられるとえ非常に困るそこでユソンさん 考えた守護権力赤松家とのえ人脈があった んですこれをえ活して弾圧にえ行った 向かったわけですところがえ当日サイドと したら合法闘争順法闘争やられてる時に こんなやられたら悪いのはこっちになっ ちゃうと当時としては順法闘争に及んだ 100勝に対して100勝なんとが変って きてもろうて工作をあの再開してもらない いかんとえ要するに当時としてはソフト ランディングをえ考えとったわけですが 当時側の時無大感であるえ高井方言ユソン さんはハードランディングを考えて結局え 当時は認に至ったというあれですねその後 え明細が大だったんですがこの要彼がえ 起用されたのは彼は土都の共同経営土星の 共同経営を行っており財力があるとえいう ことでま当時としたらユソンさんみたいに え無茶選んだろうと思ったんですがまた 揉めるんですね11箇所の目を持ちながら 守護役を務め ない守護役を務めんと結局え守護から色々 言われるのはわしらやとで年を全で 受け取らない要するにま年を米で受け取っ てえ全で受け取らないのは売却再をえ多分 妙さんは考えたんですね要するに単純銭で 受け取っちゃったら銭は銭やどこにっても 銭やととは米を野野から京都に持っていく とえ倍ぐらい矢野と京都ではえま米の値段 が違うわけだってだから年を物納させると いうことであのまたやのの一期調します 一旦おしたもののえ正どま色々ゴタゴタが ありまして最終的に弟子をえ大において 自分におってあの京都にえ変えてしまうと いうことにななりましたと荒野山領のキの 国のトブの省これでも1918年にえ1期 共産が あり結局問の秘法それから強情府を除く 下しのえ秘法ま下しさんはえま久門の秘法
とそれから強情府をく月子の秘法月子の 秘法のて強情府はまあしゃないえそれ以 長じするとでこの強情婦が結構実はあの くもでして当時ゲシはこのゲシさんはあの あれなんですね黒人やったんですねどう やらだから教条府つまり京都に行って京都 に登って守護の目で強方向しなきゃなら ないとでその時に勝たちをやっぱり働いて もらわんと困るとで問題は守護役それまで 戦争するためのえ守護役強え強制ができて きますと守護薬ではなくて金ではなくて 妊婦が欲しいと京都に登る時の妊婦が 欲しいとこれは移動の負担というのがあっ て要するに京都まで行かないといけない 京都まで守護荷物運んで行かないといけ ないいうことでえま100勝にとっては 非常に大きな負担になっているとまこれが 100勝一期調査に繋がっていくわけです ね当時のえ気候これはあの伊藤先生もこの え気候変動のえプロジェクトに兄弟でもえ どの地球権で行われてるこのそこにもえ 参加したってしてあるんでえま最前線の こう変動の研究を踏まえてますいやこれ あの実は私もねあのランスの天皇では気候 変動について述べたんですけどまあいかせ えアンテナをちゃんと貼ってなかったんで えものすごいざっくりした気候変動なしか してないんでなんか書きかえ書き直す きっかけがありやえその辺をえ手に入れて 書きたいなと思いますけどもまとりあえず 今書いてる足しのりの方ではえこれを しっかりと踏まえてえ書こうと思ってます 変化の激しい気候であるということで南北 町もま時代気候つうのはえ基本こすると アップダウンが激しいとなんとなく私の イメージではなんとなくもま時代はあの 基本が基本的にあの低下してるという イメージでずっとやったんですけどもどう も違うんですよねそあのどっちか言ったら 私はあの太兵器に書かれてるど道スらのえ 投資の話とかそういった話からなんなくえ 鎌倉時代の後半から基本的に寒冷期商標器 に入ってるというそういうえまイメージで きたんですがま小標記多分間違えなくて あの小あるよけたらアップダウンが激しく なるとあすに気候がワンてになるとで13 世紀鎌倉時代つのは基本的低音タウ傾向で あるととは鎌倉の末期14世紀から気温 上昇してくるわけですね1310年 代というのは高音勝の時代であるとこれは これでえ低音タヤと例外が起こるし高音省 と間伐が起こるどちらもくないですねで 1330年代には低音化が進むとまあれ ですね太平器におけるあのど道ますえ徳の 道の投資のえシーンなんかは1つの
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物価高ですね有名な私得性なんかもギャの 方ではよとしには解がします春馬の国では 守護型の軍票まで内にするわ丹波のえ国大 の所ではワド打ち大和の国の宇軍でなんと え以外の国の守護と見られるえ日月なん とかさんが先進してます守護が戦死すると いうえそういうあの時にも至ってしまうと えいうでま非常にえ社会が大きくでま吉 政権とのはそれを受け て失を育ねであのですね金銭対処に関する 法令それから裁判制度の整備いわゆるえ 万人層を含まざるようにとあの吉の裁判に え対する姿勢ですね全ての人がえま売をえ 裁判に不満を持てないようなえしっかりと みんなが納得できるようなを目指して いこうとあの吉のりの初期つは特にあの よもがやった気まぐれな処分をこう正して いくっつうのを結構やっててこれがまた 不満を買うんですよ ね私最近ちょっと明らかにし始めてるん ですしたんですがそもそもあの日野義助 さんがあの日野よし子さんのおいで日野 とみ子さんのソフにあたる日野よすさん吉 にいきなり殺されたんですがまそのけつう のが連陰門関時代に府中の都があってで料 2か所没収されましたという風に説明さ れるんですけど現代機をよくよく読んで みると違うんですよね2箇所を募集された うちの1箇所つうのは元々家の土地でで あのその大観がカスまる豊道なんですよ ところがカ富さんが持ちの怒りに触れて その大式をえ鉄されてであの火のジムに なっ たそれを吉典がえまた日あのカラス丸豊光 の大館に戻したこれが年末なんですよねで もう1つは裁判でえ義介さんが配し たでこの2点に関してよとそれから日子 さんが騒いだよりは恨まつけを滅ぼす つもりはありませんと別に恨みはありませ んという風に言うて収まったんだけどもま この時におそらく吉典はよつのことを許さ んと思ったんですねでこれの背景もう1つ さらに行くと吉典ってどう思う子供の頃 幼少期に実は 彼日野義助と共に生活してるんですよ 彼す宗子つうのは実は吉典と一緒に正解 あのはに日日え浦松の浦松で養育されたね 浦松の名前忘れたあのよつの親父に養育さ れたんです吉のですね屋はえ裏なんですよ ね異性じゃないんですよね当たり前です が浦松なんですよだからあの日野あの浦松 宗子とか浦松牛はえ実は吉典と一緒に幼少 期を過ごしてきてるわけ ですだからこそ多分難しいでしょうなと 思ったんですけどねこの万人恐怖つの私
そういう側面からこの万人恐怖つうのをえ 前半素晴らしいことを考えた吉典が後半 あの有力者が死ぬとえ一気におかしくなっ ていったという風に言うんですけどもま 吉典がバランスを書いたこだわりの強いえ ちょっとやりにくい人間であるのは事実な んですがあのそれが万人気をつがっていく のは事実なんですけどもえまその バックボーンにあるこういう裁判度とか そういう公成な政治というもののつく先が 万人やったんじゃないかなと思ってますで 下のラに繋がっていきましたとで8月これ 6月24日ですけどもえ8月には大江の国 土が起こりますで8月末には京都近郊土中 に攻め入り交通を封鎖し ますまた交通封鎖しちゃったね彼ら起立を 保ってえきっちりと京都をがっつりとこう 抑え込むとに特性の発を迫ってますで9月 に特性がハプそれが諸に波及していくと今 市の本によるとその背景には畑山持国が 後ろで動かしてんですねどうもつうかこの え過の特性期に加わった中に西岡の黒人集 が大量に加わってんですけど彼ら畑は持ち の悲観なんですねなか畑は持国が細川持に 対して吹っかけた政治闘争でもあった と農業環境の悪化この1420年代30年 代つうのはま非常に気候が不安定で農業感 が返していくそと100勝とえ同窓 あるいは百勝守護権力の退治これが戦化し てえま土というものにつがっていた と1つは村落が強くなったから100勝が 強くなって当時から来た大館たちと戦う ようになったわけですね抵抗するように なったわけですねそうですねなるほどと 思いまし たでまたこれユソンみたいな大館がしり しよとは言いません けどえぐいことすですよねそうです ねうん新野賞も優勢さんもそうですけど 農民たちから嫌われるわなとこんなことし とったら ユソンさんは仕事を組んだとそうですね どうも うんはい理屈としてはよく分かってきまし たどういう力学だったかということ がで次にこの賞の話ですけども はいこれはいつ頃からこんなに正確に 分かり出したんですか何年 がこう気温が上がってるとか高水量が増え てるとかこの数年ちゃいますか ね私もあのその辺アンテナしってなかった んですが あの当時105文女一緒に呼んで た伊藤啓介さんがあれですねあのその いわゆる地球拳と言われるそういう気温
変動プロジェクトにえ参加してたのがまあ 10年弱ほど前なんですよだからその頃 からあの その地球権つうのはま兄弟のいろんな部署 のやつもあってでその一等啓介さんはこの あのコ記録からそういう気候つのをこうだ からまそのコ記録のえ気候のあれとそれ からそう科学的なそういうあのかなり精密 が進んでいる炭素とか炭素同体とかそう いったもののえとこう付き合わせていくと いうそういうえプログラムですね確かそう たことでこの数年10年弱やと思います はいここまで詳しくなってたの はヤ省でね年のね納入が上下するという データは昔からあったんですけどそれはい なんでやねんというところでこれは農民の 政治闘争ちゃうかとかなんとか言ってたん がいや実はこれ異常気象でこれ税金負け たらなしゃあねえやんということをやった ということが分かったと伊藤先生がですね はいうん言ってありました特に昔なんか あれですもねあの戦う民衆ということで なんかあの民主があのにい風たこれ民主が 戦った結果やと戦う民衆というそういう風 なえイメージが強かったのもありますよね 多分この大のランの前あたり から年の納入高が下がっていくけどだから と言ってその少年性が動揺してるわけでも なく てこれ当時から見てもしゃあないじゃんと いううんことやったみたいやとな話をされ てましたねそこその方がよく説明できると まシとか結構そう書いてありますからね あれこうここういうあの美上で米が取れん とか言っ て米がトレんという理由が分かったわけ ですねなるほどこれうん気候学的に うんえっと1990年代の支出ボーリング コアの研究が中世の気候まで反映されて いると思いますあそれありますねはいそれ も使われてます ねあの味方ここなんかそういうの ボーリングかてってそこ のチスで置いてとかそういったも取れれ あの草とかこう積んで積んでいてこうなっ ているやつでその層をこうガーとこそれは 綺麗な素なってる確か味方ここってそれの ボーリング調査も確かそう出てきましたね うん今おっしゃった通り はい90年代以降とすると 士はあれ80年代に書かれてるからやっぱ 今から見ると80 年代のあの士では分からんことがあるわけ ですね説明がうん80年代に書かれたもの はもうかなりはっきり言って古いですよね
ね領域型省も出てこないしはものすごい 住んでるはいよしもぼちぼち新しいの 作り直した方が最近また作り直してますよ ねあのってうんそうですねうんミキシ今 作ってます2020年代になってからま ミキ市は前がね70年代だったん で50年近く経ったから作り直すとかいう こと で北海道市なんてあのなんか作り直すと話 を聞いたんですが結局近現代だけになった みたいですねいや中世なんてめっちゃあの 変わりつつあるんだからそこか監とまずい だろうと思うんだだけの北海道北海道 北海道士あのそこまでやってくんないです ね三島は旧村ごとに作ってます ねだからあの細川の賞があるでしょはい はいうん藤原生下乗ったはいそこは細川 だけで作るらしいですあそれいいなあと 思ってでミキーの街は別所長春のとこだけ で作るとああ うんそういうやり方もあるなあとうんま なし新しく作り直すのはいいことやなあと うんいいますねうんはいではコメントの方 見ていきます吉典は彼なりの秩序イのえ 使命感は分かるんですが周りからすると 基準が分からないんで恐怖の的になるん ですかね先生はどうすれば吉典の改革は 成功したと思われますか いや最初から積んでるでしょう え積んでるでしょう あの結局そこんところをちゃんと正しく しよう思っても正しくなるわけないんです よあ例えばまあの守護大名のく介入家って こうよく見てみるとそんなむちだったん ですよ彼はあの要するに対立する両者が 対立しているからそこに対してよりや今 さんのの角はちょっと大げさで吉典のこの 家督会とは基本的に対立している 両者に介入してえこれ以上同様が広がら ないようにするというのが結構あって基本 的にこれ足りしるんですよねあ家介入され てるケースつのはでえそん中でより吉典に とって利があると思れるものま例えば今川 家なんか典型的ないんですけど今川え乗は 乗ただを拝volしてえ乗り降りに つきようとだけどいか線ね齢が離れすぎ てるそういうのをごり押しする乗りのは 間違えてるわけですだからよりは着なんで 本来ったら乗りたに継がせるというこう いう計結構吉の場合ところがこれやると 結局乗り降り押していた人々は不満を持つ んですね乗りたの系統が何かあった時に 噴出するんですよま現実問題て乗たの息子 の吉が人した時に分出して結局乗り降りの 息子のりみが丸を排除する形で一旦守護を
ついで今度はそれを達丸のえ叔父の伊勢神 クロがあののみを排除するというそういう ぐちゃぐちゃになっていくわけですけども これ吉典の責任なのかどうかという話です よねまこれ吉野責任じゃないだったら他の 方もほぼ同じ図式なんですよ大体基本的に 吉野自分の好みのやつを押し付けてるん じゃなくてよりより多数派の人間家中の中 でより多派の人間が納得できるものを探し た結果残る逆の方からま反発で全て同じな んですねあのこっちをちゃんとやろうと 思ったらこっちをこ1つ筋を通すとその 反対側から反発はものすごい作るとでよ吉 っていうのはそこんところのごちゃごちゃ をごちゃごちゃにしたままえうまく丸める のは多分うかったと思うんですよね私の あくまでこれ想像ですがよもさその辺の バランスつうかぐちゃぐちゃだから筋を 通さないというのが1つの回なんじゃなか なかったんかなと筋 当社かと言って吉正みたいなっちゃうと それはそれでまた問題があってその辺の バランスが多分よもちつうのは完璧やった んじゃないかなと今ふと思ってます はいじゃ次のコメントに行きます大洗脳に するとなると銭の品質が問題になると思う んですが戦国期のエリゼのようなことは遠 性の時代にも行われていたんでしょう かどうなんでしょうねその辺ちょっと花変 あまり詳しくないんでわかんないです が多分あったんちゃうかなという気がし ますけどねあのエリゼには急に行われる わけではなくておそらく 昔からそういったものがあってそれが もはや権力から見て雑誌できなくなって くるとエリゼに霊とかが出てくるんじゃ ないかなという気がし ますいや詳しく知らないです申し訳ない です雑談になりますけど反発に興味持って からねヤフオでね買ってやろうと思って はいヤフオク見てたら反は安いんですが同 センターもバカみたいに安いんですね箱 いっぱい3000円5000円とかはい はいなんじゃこというあれそうなんですよ ねあのいや あのうちのあのじゃ函館工業高等専門学校 のプロジェクトであの同線を検査するつう んでで函館光線の先生にえまその被破壊 検査じ頼む前にそこで函館交戦の先生 考えるわけですあの落通報はとかそう線は 一応文化が潰せへんけどもそういう ヤフオクとかでドカンと売ってる同線を 大量に買い込んでそれをガーっと破壊して ガー切ってあの切ってやってえ削ってこに して溶かしてとか言ってそれでセブ分析を
こ積み重ねていった上で あの気それと被こうやって偏差をなんか 取るということやっててあだからもうみが 見たらひめ上がるようなことやってますと か言ってって栄通報か関係通報くやす らしいですね関通報もうバンバンとこう 潰して5000マニアから見たら何すん ねんと言われるもんですがたてああそうや と1枚何円とかではなくてほぼ価値ないん やなとこの小銭というやつはよっぽどね金 とか銀とかのやつ別にして同然なんてのあ ほぼただ同然なやというのを知ってね今 まで江とか集めてたからうんはいそれに 比べ感電ってのは桁が高いなと思いますあ まあ逆に言ったらなかなか残ってないです からね感電地なんかはそうですそうですと いうことで驚きまし た鑑賞の金とオランですね校の努力とこで 130年代から多額の年面が行わ それに関してはえ電池の後本当とこを調査 する内が行われていると省の後輩に対応 する炎領収ま省領とてもそれあの省後半 なんとかしないと金が入ってこないと 例えば上野省では1929年の大図買した んですけども復興事業あるんですけども旅 重なる失敗で基本は様子を引こうとすると 火の連中が半端ですね神のこういう風にか えこの辺あのこの付近の様子引ことすると 下流の人間がちょっと待てとここ引かれ たらわしら少なくなるやんけどあの神く下 くあたりは反発が出てくわけねあるいは あの西八条の賞とか色々ありますけども そういうとこは反発わけです1958年 梅宮神社の中野剣友通人物が梅宮神社と 松尾神社に端子をうまくつけて上のの復興 に成功しますが100勝対して没落えそっ から手を引いてしまいますえわかさんのク のタの賞ではうみひのつこて湿地の排水を したんですけどもこれ堤防をあの貫通する んですねその堤防を管理するえ今富の賞の 実力行使があってうまくいかなかったり するま復興のための事業通のは他の省の 利害に定職することがあると当然うまく いかないここにもう領域型省への限界つが 見え始めてきてるとこの神の賞についても 下のえ神風の賞とか下の省とか西八条の省 とかそういくつかの少年との対立これが あのでなかなか進まない当然利害対します ねでそうなった時になかなか調整が難しい とタの省と今との省もそうですねえ領域型 少年はそれぞれが独立な小世界ですから その間を話をつつけるのはなかなか難しい 時間が かかる結局まバってるしかないですけど も干渉の基金え1050年代には気温の急
効果高水量の増加が始まります管理の基金 継ぐ低音さらに167年ぶりというえ大雨 ですねその結果え199年から60年かけ て監守の基金が起きますこれは1959年 長六3年ですがだから長六監守の基金と思 ますね青の時期に雨が降ら ないというで10月つまり借入れ時に台風 は集落して結局この年はえ米はほとんど 取れないとで196年新暦5月半ばから6 月に大網が降って5月の半ばから6月上旬 つのまだ梅に差し掛かる前ですよねそん時 に大雨が降り続くと収穫マジの麦それから 田直の稲この両方にえ打撃を与えると さらに6月末には大カパ夏ののに冬のささ が起こるとこれでまたえ稲がえやられるで 長月に大雨で結局まこういった旅重なる パンチがえ来た結果1160年の秋には何 も取れないとでまたこれタがあるんですが 1961年に基金の本番が地獄が始ですね 京都に向かう人々人々は京都に向かいます ガによる竹田と吉島さによるえ資金延長ま 吉島については無能とかそういったこと よく言われますしまそれをイメージつける のがご飯天皇の監視なんですけど実はあの 東島先生の研究では実は吉沢はそれなりに やってる方やとただこの吉吉とガのこの 炊き出しつうのは京都に向かえばなんとか なると人々をこう京都に向かわせてしまっ たということでまこれ清水克行先生も言っ てありますけどもま当時の人々は京都に あり地獄のようね京都ってこうぶわ人が やってきてそこにず落ち込んでてそこで 死んでくねみんな応援の基金も干渉の基金 もそうやすごと国のよにこの辺干渉と応援 の基金え共通するものあってでそれまでの 基金つうのはまず京都が植えて地方が 植えるという順番やけどこの大の基金から いや賞の基金の特徴は京都は残るですよね で残ってそこに人うわーと集まってきてで 京都は潰れていくといわゆるえ あの従属理論的な話で言うと一次3品一時 産地要するに農業値がまず植えるというの はで消費値が 生き残る天命の機反復にそのパターンです がそういった図式が見え始めるのは大の 基金だろうとあの東島先生と応と鑑賞は ちょっと違うんやと応の基金つうのは都市 機能そのものは壊滅した鑑賞の基金つうの は実は都市機能は壊滅しなかったこのえ 大衛から鑑賞のにえま流通構造が大きく 転換していったんだという風に言ってます 伊藤先生のこの本ではそういう書の基金の 基本あのは書いてないですね新力5月旬に 無は実ってくれて危はづきますが失は 引き続き駅は引き続き続き結局低音タウン
の時代は1180年頃まではえ続いて我慢 の時代農業的には我慢の時代が続くんです ねただあのもう1つはこの頃になってくる とあれなんですね流通東アジア全体の流通 がえ上がってくるその波に乗ってえ実は 京都つのは植える都市から植えない都市に なっていったとだからこれを計に言えるの はそれねだからあの大江の危機の時には 京都も明したけどもえ監守の時にはそれ こそ本当にえま消費地である京都は植え ないと物流が京都を中心に張り巡らされて いったその結果京都は植えないただこれ 短いですけど ね室町枠の名大2ランこの辺はちゃった ありますの将軍がグタグタするそれその 結果将軍による当の弱体が進む韓国にを配 て的に配したい守護の欲求を解放し少の 横領に突き進んでいくま山なんか有名です ね山宗なんかは張間の国の不をこく横領 するとでこれ面白いのはあれなんですね それが過の直後にもうそれ分かってるん ですねまのこ時はこの張間の国を山名が 取る前にえ少年をえ時務支配化して守護に 入られるようにしようぜと言うんですけど もそれに対して方院議はいやあの細川とか 畑みたいに通り人間それ通用するけども 山根じゃ通用しないでしょと言ってるんで 山名は特別にくるしくないえ連中ですなで ちなみに赤松もそうでは筋はよろしくない ですねあれ細川とか竹山に比べるとちょ筋 はちょっと良くないイメージがあります吉 自身はあの私もランセの天皇で一貫しない ことだけは一貫してると言いましたけども ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ2点3点 して大村に入ってしますで大の結果京都が 衝突化すると京都に研修した所領種初演 領主それからあの守護えそういった人々は 活動が代証人もね所領者小品の活に深刻な 代役を与えた とで1977年乱が集結しますとこは地方 では戦闘が続行し吉さの権威はもうえ地に まみれたと守護は下国が止まらず1986 年一吉のが下国最後まで残った細川一式 若狭武田あたりたんですけどえ1986年 に最後まで残った一式吉も下国し結果細川 正本と若竹田などとなっていますけど基本 的に正本一教なね細川正本一教なるわけ です守護強制の崩壊この時代のえは圧倒的 に細川正本がえまリードしたんで知事長 先生政治という言い方もされましたけど も細川正本1人ではなく 幕府は幕府で正本とえ独立してえ権力を 行使でとまだから正本と幕府が組んでいた そういう時代であるということで慶長先生 再生論は最近ではあまりわれ
ない戦国期室爆というのはもえそんなあの 正本が全部やりた法やったわけじゃない 正本春本がやりた方でやったわけじゃない と戦争が続きますと財源守護たちは財源 確保しなきゃならないだからそれまで遠慮 したごは幕府ご了承方向者部によりも犯罪 や横領などは続きま頼んでいくまシンクロ ハルでもこれ描かれてますよねシクロの家 は方向種であえ方向種なんですがえその 方向種の資料もえ横領にあってるんですね 大道宇の大同時なんか取り上げられちゃ 取られちゃってえ横領されて結局それは 回復しない と結局それをえ伊勢宗は追認するわけです 元々あれはうちがあのお主に貸したもんだ から一時返してもらう とで足さ六角高寄り 抜これ結局六角高よりが実写本条量を横領 して返さないと六角高実写本条量だけなく てわか吉のえ指示基盤でる方向集の書類を 返さないこれが吉の高寄り番ですねでよし これは失敗しますでよ木もそうですね六角 高いずれも実は成功しないわけなんですが それでも自社本寿量幕府ご両書時診療への 横領を続ける守護に対する室町幕府の最後 の抵抗であって結局これがえ両方ともわく いかなかったことが多きなってで一応それ でよよ吉久は結局我がに死ますがよは一旦 六角高をこがに追いやって生生堂々と凱旋 し今度は畑や元畑白息子ですね畑は元討伐 する時にメオ戦がおこうでよはえ没落し ますでこの名誉の制編の結果慶長先生政治 が完成の室町幕府の権威の決定的な大役と ま慶朝先生政治のはこれにえかかってき ますよ ねただま室町爆はそこまでえダメなったの かというとそうではないとシンクロ走るで も結構出てきてます大立久さんを中心とし た内乱州がえま活躍してバークをなんとか 盛り立てるこれまった異論があって大立久 さんの内乱州ってどの程度機能してるのか というのはこれはもうちょっと検討する必 なんじゃないかという議論もあってえ実は あのシンクロ走ではちょっとせこいえ人間 に書かれてる大立久さんですがえ彼実は あれなんですね戦国期室町幕府をえ理解 するキーマンなねえ彼日記書いてますから 大立条項日記を書いてますからえ大立じ さん実はキーマなんです ね彼しかも長きですね90半ばまで生存が 確認されてるといつ死んだかは分からない けど 90半ばぐらいを最後に姿を見せなくなる んだそれは政治的に動いている証知なね うんものすごい長生き
です157年A小作細川本が暗殺え細川家 は分裂しますえ細川春細川高国と細川杉本 高国と春細川春本という風に細かは2つに 分裂し京都争奪線が繰り広げられるでそう いうえ打続く京都の人口はえ減少しその 結果教の人口がまあ20万から3万とも 言われてますけどもえ少年性の求心的な 経済構造あれは地方から京都に向かう物流 それから地方と京都を横する証人 ネットワークこの3つに大きな大役を与え て ますは基本的に今とと少年が結びついてる その京都が潰れちゃったんですねえ地方 から京都その少年性の求心的な経済コスし たら地方から京都に向かうこの物流も動か なくなるさらにそれをえ伝えたえ証人 ネットワークそれも結局京都がぐしと 潰れるとえそこ もになるとで下の下落も始まりで大人の 乱後省どうなるのかと大人のラゴを武大館 あるいは守護家によって昭和スシは続き ます足さがアドした当時領園としては 例えば丹波の国大の賞春馬の国にやの賞 の国にニの賞それからの国にたの賞 大江の国三村の賞などがありますこういっ た省は例えば1546年までははえ年の 能いが確認され2民省にっては1574年 までえ年がえ納入されてる記録がある と一方で年を取るために正上の現地にくる 領主なんかいますね九条正本や一条のりが りですねえ九条正本は泉の国ひの省一条 のりは土佐の国の旗の省にえそれぞれ行し ていますで一条のリフさの息子の一条不園 の第2この夫妻は細川市に変わってトに 収める事実の戦国大名にえ天下しするわけ ね一方夫妻兄の正ささんは切の国で山名軍 の足軽に殺害されるということでまふえと 正さ名運は綺麗に分かれてしまったとまふ は黒人集からの指示を受けて戦国大名を活 していくとまさんは殺されちゃった とそれから経行省 領域型 小園が京都とくっついて機能してたんです ねでこれ京都がダメなっちゃうと小円も ダメになっちゃうというそういう因がそう いう感じですね今の東京一極集中と地方 みたいなもんですねああなるほどね今日と 一局集中だけですねこれ東京から富が回っ てこなくなるぞ地め だそんなことこの頃はでもね少年から どんどん京都に送ってるわけだから領域型 商silというのはできた頃は地域内で 自由に開発できるからこれは経済にために 良かったんだけどもっと経済規模が大きく なってくるともっと広域型のシステムが
必要になってくるので限界が来るわけです ねこの領域型というそうですねしかも良型 省の中のこの開発がもうその領内で極限 達すると行き詰まってきますよねという 矢野賞がね愛ぐらいですから昭和30年代 ぐらいの市町村ぐらいの大きさですもんね 領域型少年っで基本的にはうんどっかに国 週になると軍隊ぐらいでってと書いてあっ たからもうちょっと後ですけどはいいう ことは領域方を3つか4つ合わせたになっ てくんかな赤軍3万国ってそうですねそか 国州っていうのはそう色ですよね大基本的 にあの黒人領収のは基本的に 賞を基盤にするんだけども国州になって くるとそれを3つぐらい合わせた感じに うんうん赤しレベルか赤軍あそ軍はい赤軍 ぐらいになるんですねでそれをまだいくつ か合わせるとと大になれるんですねああ なるほどねはいではコメントの方読んで いきます戦国末期の罪していた長底や芸は 少年を横領されまくってたと思うんですが 収入はあったんでしょう か調定に関しては基本的に普段の生活に 困らないほどの収入はあったという感じ ですね長手の場合はあの実は命綱が山国の 賞なんですねあれをあの吉正が修理式料 からえ金利御料に切り替えてくれたんが 助かったと思いますあれ元々修理式のもん なんですけどもその修理式の外感であった カラス丸スケとがあのサボタージュして頂 から訴えられたら俺はこれ吉典様からもろ たんであってお前らには関係ねえんだ なんて権代なごとは思えない暴言を履くん ですがカススケが死んだ後吉はその修理 式量ではなくて金利ご量にしたこれは結局 生き残った1つの原因かなで他のクに関し て言いますと党員家なんかは結局だから 断絶しちゃうんですよねあれもう党員家は もうあのもう法とか全部うっ払って決 まくってやめ断絶しちゃったとえいくつか 断絶してく傷ありますが逆にあの九条家 なんかは一条家が持っていたおの賞という 園をあの京都の家省ここを抑えたために 九条家は結局最大の角高をえキープすん ですねあれえ後のもしかし あの少しずつ領されていてで最後は九条種 が川藤高にお前全部任せた から投げちゃうんですよねあれあののつ 現在のあのえ軍全体ばってるなんですけど 京都の行にを持ってたらそれで生き残るが 出てきますはい基本は九条正本がひのに 行ってますけど大き地区って行ってみまし たけどそんな大きなとこじゃないですね あそこだけやったら大地区を中心にして もうちょっと広いですね現在の泉佐野市の
山山の方全体あたりですねまそんなにえ めちゃめちゃ広いあれでもないと思います けどね の多分あの多分肝は本当はあの本さんも野 にえ一応言ってますけど本さんの頃には野 は苦情経やったんで本さんも言ってます ただあの野は野にくとややこしかったよう で正本のおる以上に敵が攻め込んできて あの正本関係者が殺されると事件も起こし てますね大変だみたいですってこの幕府の まで来るんですねごしパったらやると思う んですけどね方向臭とかああ幕府の直属 部隊でしょそうですシンクロ走るではだ から伊勢かのす森よあのシンクロのいい とこにあってる森よりが力をつけなかな お前分かってるだろう言うてあのシンクロ に怒鳴りつけるシーンがあるんですが森よ さんはだからあの国衆に向けて自分の関係 者のテラの量とかも全部応してくんです彼 はでバ訴えられるんですけどもで結局実で 言うとこの伊勢森よりのえ子孫つうのは 戦国と生くんですよねあれ戦国巻まずまで 資料残ってますからそうやってあのもう なりふりかわず行ったやつが勝つ現地 クラッシュで聞い切って洪水がひどくなっ たって小国とかあもバンバン作ったら気 なくなりますよねなくなりますよねそれも あの遠か持ってきないであのあっちこっち 持ってき多分京都周辺ぎーと切ったん でしょうから伊勢神宮みたいに あちらこちらにこう計画的にこう作って おいてでそっから管理して運ばせてくると いうそういうあれじゃないよしね四秘密も 問題ありますねありますね あれ経行少年ってことで名手からどこへ 中世少年性つうのは基本的に少年を妙に 分割で有力勝名手に任じて税を受け負わ せるこれが中世消炎性なんですね臣民と いうのは明主と省略症からなっていて明子 は明電端を経営小所にも工作させて果実士 を徴収するこれが中世少年性の姿です妙に 分割するとでその妙単位でえ動くともま 時代にはこの妙の枠組が有名無実化して いくわけですね名手の役割も系外化して いくと変わって農民が直接少年領主に年 くじを納める明主には家事師を納入すると でこうなってきますと果氏は年の一種とし て理解されるようになりそれまでの いわゆる年れた少年領収の年法年でカ市を え年という風に言うようになってくるとえ いうことでやって全ては年に一本がされて いくわけですでそれ妙電場隊に対して明主 の主要権確立していくわけですがうのは 基本的に有力釈書妙に任じて軽税を行われ と思うんですけどもそれが妙手が所有権を
確立するとで妙電場は売買されていき ますで15世紀に広く旗を変え集めて工作 する小省から果士を収する商量種が登場し てきたのが15世紀ですねそういった人々 土とか自とでこの土のは少領ですけども 将来の領ですが地域社会での侍身分を持ち 苗字を持ってなんとかのゴの神とかえなん とかの太とかなんとかのエモとかそういう カトなノりを持つ感じですねシンクロ走る で言いますと平井明の神とか笠原え三坂の 神井上ひの神こういった人々のことだと 思います彼らは基本的に怒号であってそう いう怒号が遺のえ悲観として爆悲観なった んだというそういう組み立てかなと思い ますで室町時代の地域者が生み出した独自 の支配身分であったと妙の枠組明主それ からあのえ100勝え小別省小別省という 枠組を崩壊し実体は怒号とそれから百賞 それなりにえ自分で経営するという司法を 持つえ平賞実ですが消炎領収に対しては 明主と消書という風な形だから消炎領収に 出される書類とえ実態とはずれつつある と小円から早々円と村というのは制度化さ れてないんですけども集村化つまりあの こういうところにここに家を集めるそう すると軽合かあるいは総合にするえその村 の役割が増大していきますで村事は土合の 成長そ土合を中心とした村落結合の強化に よって層を名乗る村が出来上がってくる とそうつのはどことか100勝とか問わず 全ての住人を高成員とし住人の自治による 強い集団規制を持った村落のことを総あれ 草村と言いますでこの草村つうのは 1130年代頃から出てき始めて干渉の 基金によるタハの後輩に直面短所の基金 などにあるね多分え直面し装備水農業基盤 を整備する必要があるあれは治安の悪化に よる集団としての自衛まそういった干渉の 基金後のあの応の基金監守の基金この気候 変動の不安な時期に北の後輩に直面した 人々が農業基盤を整備するえそういう中で 相村とのはできてくるとでこういう村人の 結集の格は村落の珍獣社で あり宮座とものを中心に結合が確かめられ 若州中老大人という風に出世していくと サレの糖尿の役そういったものをやら なきゃならないと召喚の業務の大半が村落 に移動しえ100勝事業受けもできてくる と少年はもうそうなると経や仕組の枠と 実態を失ってしまうたとで名前も省の名前 も消えていくで変わって村号が地域の枠組 として登場してきてそれがえ金星の村生に つがっていくんだという感じですねちなみ に私が大学に入った頃に日本中世の後期を あの立命館大学やってた立命館大学の三浦
慶一先生はこの草村についての明るい側面 の見ならズ1960年代に草村のまその頃 は草村言ったら明るい民衆闘争のえ中心と 言われたんですけど三浦先生はその村の不 の一側面ま今ではもうすっかりなりました けどもえ正本小引きに書いてある非常に 過酷な処分ですねとかあるいはえこういう 全てというけども実はえ排除されてる人々 もいるとえ一式伝とえいうとこなんかの 人々なんか割合いそうで芸人とかアフとか この相村から実は排除されてた差別された 人々にも目を向けなきゃならないという ことを言うてはったですね三浦先生として は資本主義が進む中でえいわゆる正規の 労働者から弾き出されていった非正規労働 者に対する 出しがあってそれとおそらくあのこうあれ やあの三浦先生あのずっとあの別部落の 問題に取り組んではって別身分こういった 人々への目張りつのも必要であると村通の むやみに理想活するわけにいかないという ようなこと言ったありました ね三浦慶一先生あの1988年に69歳 亡くなったんですけどもそうか59歳か もう私今年58になるんだなと思ってえ 三浦先生59歳なくなったんけど58の頃 からもうあの実は56ぐらいからもういが で私は大学入る前の年にはなんか国内留学 内日留学したったんですけどもそれどうも 第1留学とはなばかりで手術やったと話を 聞きました だからそ初めておっきはもう57歳私の今 も年だよなと て黒人領主から国主先ほど言たですね黒人 領主これはあくまで少年の中の少年単位な んですね江原の江原東の商江原西野昌と いうそういうあれはあの少年の中の小さな 江原の商という少年の東にえ伊勢美前の神 系でえ西に美前え伊勢ええ家紋の助ケ北の 方にナス首の助ケがおるんですねエの省に はところが黒人領主から少年を超えた広域 な領域を支配する国 衆黒人領主は少年書式を集積して個々の 集積を超えた支配領域を形成していくよう になります個々の書式例えばあの原子式と か少年隊ですねそれを超えた支配領域ただ その中身は障の大式あるいは守護からの吸 を含む不安なもんだんですけども15世紀 半ば以降幕府の統制力が衰退していくと たらこの守護からの窮地これをこれれって 取り上げられるんですよねこれシンクロ ハルの最新の方では黒人漁師である神原市 がえ獲得した富士下方を今川家のボケで ある主の北ガードの伊藤さんがシンクロの 姉さんがこの富士下方をえうまく取り上げ
たらあんたに上げるとえ300あの12号 え300巻あんたにあげるという風に言っ てこれ守護からの休日ですから方様つまり 伊さんのえ気分が変わるといつ失うか 分からないものそういった不安定なものが 国人より実力支配になっていくとこれは 結局ま守護もま幕府からの命令そういった ものが国人のえ実者っていって軍レベルの 支配領域に領者が入っていくとま実例した は運の市ですですね元々は運野層の国人 だったんですけど近隣の上田野省や時田の 省にえ進出しえその結果運野市の支配官に 入った上田野省と時田の省はま消滅しまう わけです ねでこの運野市は国州となるわけね運のの 省とそれから上田野省時田の省をえ支配 する国衆とこういうの国衆とこういう少年 を超えた軍レベルを支配するこういった ものを国衆といいこの国衆は戦国代賜られ て重心層ま戦国大名つのはどういうあれか ったら国州をいくつか持っているという ですねえ武田で言うなら大山田市とか安藤 市で言うならば柿田市なんかが国衆ですよ ね日本の周辺とは何だったのかと総まとめ は奈良時代天然党大力を復興のために コンデ財法が出されました貴族や実者に よる省の設立立保管する制度であり電と 開発定地経営に軍事の 一族旧世紀構には古代村落が解体していく と厳しい機構中古代すの課すると軍事を 務めた古代豪族も失墜していくとそういう 社会に対応する形で石間政治や国士に権限 を異常していくわけですそん中で取られの は高知を妙に分けてタとにえ軽と納税を 受け合わせるとさらに開発を奨励すると その結果開発者に保有権を認めた資料 あるいは税の原名を認めた面談こういった ものができてくる とこういった資料あるは明電これを貴族や 自社に寄進あるいは買収されて開発予定値 も不したものがいわゆる明電型少年であり そん中には冬不ののを持つものもあった とただあくまでこの時期のえ経の時は考量 にありだから光量が犯されになるとえ頂点 やしばしば消炎整理を出していくように なると 中世少年性の形成ですけども10世紀中場 から大腸肝心が成長し光量の管理税権を 与える別名あるいは式こういったものの 観光が広がっていくとその結果在一領収が できてるわけですがえ白川条項の時にこの 領型少silが作られていくと在地量子 から寄進された明電これを書くに3夜を 囲い込みこの3夜を囲い込みですね冬不立 た本気天皇系石間系あれ地震を仲介した
両系第一列の召喚この3つによる本家病気 召喚による重層的な保有を持つのが流血 商品であるとで特にとばご白川は領を ごそごそ作るんですねトバが作ったのが八 上院料ゴ白川が超行動量それ以外にも藤 石関係量なんかが大量に作られていくと その結果消炎性つうのはえ社会の間的な制 とになってわけねだから消炎性のは完全に 整理するのはやっぱり陰生期だとで地業 国数によって考量も省化してしまうわけ ですねその結果独立た小石が中央に直結 する経済システムができ方これが少年体制 であるとよりつのは何とか言ったら敵方の 書式を募集て味方に与えると脱法行為をし ますがこの脱法行為を追認頂戴追認します 追認された結果兵官僚と無本人跡の書式を えは自党式に統一ここに自党が整理すると でこの自党に認られた人間をご認とこの 自党性自党式の特徴は出国に対する家事の 軍事的法の見返りに領地の支を認めると いう西洋の険性にえ似た制度が出来上がっ てきた とでま下地中分それから本所の出現消権を 確保したものを少女と言いますとでその 結果消炎量子の重層性が解体していくと 下地中分によって重層性つのは消えてる ですねその結果下チーブのすとまがちち 進むと一両書が一力支配する式の一円化だ からここにいろんな権利が重層的にあるん じゃなくてこの場所は武一円料この場所は 根性1円料という風な一円料がいっぱい できてくる と鎌倉代農業生産向上の中で管理の基金と いう切れもある年鎌倉始まった年人の大戦 のは少年生経での大きな転化をもたらした と南北長の空によって自社本治郎が横領さ れるあるいは犯罪守護の見学でこういった ものが見られる守護強性は本1燃料が自社 本条量の一部回復という結果を持出したん だそれから幕府のご両地あるいは守護前代 の所員が増え続けると京都の人口が守護 強制増加し地方から京都の物流も拡大して いくとを支えるえ物理を拡大していくと 大観性が普及し領主権は空洞化していくと そういう中をついて落結合は成長し100 勝の農業系の事実は高まるとで一期調査 消化の一期はできてくると黒人がえ諸子 教習でし性し国主なって いく少年性の解体としてはま間伐応援の 基金省の被害ですね特にえ高質の候化では 公園が非常に大きな日が受けたと象徴で 一期で15世紀半ばから一転して低音タの 気候の中で干渉危機が起こるというえ高温 症による応援の基金それから吉の時代の 高温脱出の気候の人でな被害それから一転
して低音タウの気候による機関症の基金 とで画きのラ後守護への統制の主観と所員 への横領は進み幕府権や失墜守護強性は 解体すると 農村の中では妙の枠組の有名無が進み家事 士を収する果士量子である土合が成長して くると草村の登場あるいは国衆草村や国衆 で省の組の実態は失われてしまうとで教と を核とする求心的な経済構造を消滅これ こそが少年性の解体であって対抗検地に よって重層的な支配所有関係が否定されて 一致作人性によっで少は消えたんだという けれども伊藤先生はいやそもそもそれ以前 に京都を各とする求心的な経済構造が なくなってしまっている段階で消炎制つの はもうなくなってしまってるんだ とその少年性の歴的意義ですが領域少年の 歴史のは結局小さな地域の自治権は最大に して国地方政府の役最初にした場合の社会 実験を400年間すけどうなるのかという わですねどうなるのかと非常に柔な体制 だったのは事実だとた柔なあるに制御も 難しい とこの時期山夜の資源の活用を含めた農業 生産の主役が進み山夜の資源の活用これに よって里山という概念ができると山の資源 も使うまあれですよね宮崎早生の門で描か れてるの結局え山の中に人間がの活動が 及んでいく雨のこのあれですね社会の話で 自然とえ人間の関係が大きく変化するのは 室町時代里山もそういうのができてくるん ですねもう1つ少年の特徴とは年事物の 送信手段の自由度が大きいとそれは貨幣流 の浸透につながっていくとで大戦のの普及 によって農業生産主工業製品の自由度の 増加だから結局金で納める以上何作っても いわけですよねその結果法の事情にあった 特産品を果たしてくるのもこの時期である とただ高知や山のコド利用によって後輩が 進むそこで過剰量にたに管理するそういう システムを作らなければならないつは時代 以降のま流れてまいわゆる日1本首1本 つうのはおそらくそういうことなん でしょう ね江戸時代のえ日本つのは非常に木材管理 とてたという風ですけどもまその分をえ 江戸地の木をバサバサ切り倒してそこの追 を合わせるっていうことで私はあれはエコ システムであるとあまり思いませんあの エコーであるとは思いませんねsdgsで はない実は江戸時代 は少年の世界に触れるということであの 補助整備事業で消えていくんですが補助 整備以前の記録を一生懸命こ戻してえ一生 懸命取ってその記録だけでも残そうという
動きあるいは棚田つうのは補助整備が進ま ないんで抽選らするものも 市丸それ から無の国コツ寺村の絵に書かれた一関 本寺のえ農村警官あるいは泉の国比の省絵 に書かれた比の省大きの農村警官文庫の国 野省の地である8省え小崎の農村警官つの は文化地の重要文化的景観として少年の姿 をよく残していると国のえ指跡に指定され たものもありますよということで以上です この本のこの就勝のとこってようまとまっ てますねそうですねこれ読めはもそよく わから初演ってとりあえずこれ読めばこれ 理解できれば大体まとまってるじゃないか とったりなんかしましたね最後の補助整備 しちゃったからもう分からなくなる言うん でやの人の場合は江原先生が東大のはい 大学院の頃にもう岡山へ帰ると あによってはあの歩き回ってまあそこ1番 詳しいのはエ先生やまだその江原先生ある あの大学院の頃はまだ補助整備行われてい なかったんそうですね補助整備仕掛けてる 時代田先生も歩き回ってはこれは何ですか でそこらにいるおじさんおばさんにも聞き 回っ ておじさんおばさんから見たら何を聞い てるんやて思ったでしょ ねいさんがああ少しだけえっと常理性の後 を放置されてますね結局ね補助整備し なかったとこなんて日本業やりにくいん ですよはい機械入らへんからで今こんな とこで誰が米作るんやてこれみなあの警官 位置してるところは観光農地でやっとん でしょそうですね特にあの足部賞とかねあ とこ普通やったら米作ったって絶対儲から へんわと機械入るのはきついよねという そうですで今なんか田んぼね3タを1枚に するて言ってましたね一旦でも小さいわ言 て70年代の補助整備ではまだ小さいとか 言ってね本格点機会でやろうと思ったらね 今矢野シの本体の部分で農業やってる業者 は2つらしいです 大手が2つあとも自分でちょっとだけする あそんなもんかとコメントの方へ行きます 結局小円は都に富を吸い上げるシステムを 実量の人民支配から都管理者に受けおばせ たシステムということですかそのシステム が解体した時に省も消滅ということ でしょう かどいう感じですかね主演でねま富を都に 吸い上げるのは分かるんですけども小園に 住んでる側から見るとメリットはあったの か と少年の地域側から見た時にはねメリット があったんでしょうかね
と領域方小園の場合あれどうなんだろう隣 の奴らから攻撃さ れる訴訟とかの時に若干あれなのかな訴訟 とかになると少年領主本上の力によっ てったりするのあるんやろけどそう考える とそんなにあれか 結局揉めた時に裁判やってくれるぐらいか な高知公民性に比べると少年性の方が地元 にとっては有利なような気がするんです けど高地見せてうんあれはもう完全に地元 にとてあれですよね結局まあ大変ですよね あれは少年生の時代って経済良くなって ますもんねだんだんねもちろん江戸時代も 良くなってますけどもま少年は少年の中で 村が育ったから村を生み出した少年は村の 母体だからって誰が書いてたんやろうああ なるほどね地方から見た少年のメリットっ て誰か存じてないんかなと思いますねでは 次の長遠の解体で1番損が受けたのは不や 皇族寺院なのでしょうか幕府もきつん ちゃいますかねいや例えばあのシクロ走の 伊勢美前の神家のは少年性の崩壊で むっちゃ割りを食ったんですよねえ結局 シクロさんの家が生き延びたのはあの伊勢 も料理みたいに伊勢か助けのようにもう なりふりかわずその自分の土をこうぎして 結局え伊勢美前の神池は土地を追っ払う わけであってあの家紋の助けにえま 追っ払うシも出てきうっことを申し入れる しも出てきますけどもあれ結局今川系の から関わりで今あのスガの国とかいずの国 に所要もらんかったら積んでましたよ ねあのあそこは結局最後法条総になって 関東支配する大大名になったから生き残っ てるけども普通に考えたら住んでますよね あの異性美前の神ケのは逆に少年の解体で 1番利益を受けたのは誰かって言われたら 村じゃないんですかねそうでしょうね うんマルクスじゃないけどもま少年つうの は高知公民からこうあの移動してくる時に はま高地公民と最初の頃に比べると当然 その高知公務によって生産が発展したでも そのうちに漆黒になるえで少年性が 出来上がって少年性によってこう発展して きてでも少年性の限界見えてくるそなって くると新たなノス出てくるというマルクス のあの経済薬批判除雪の話ですわねし意外 とマルクスのこの基本図式つうのはそんな に間違えてないと思うんですよねえ先生 だったと思うんですけど今日本は村の時代 が終わりよにやと村の時代が1300年 から2000年まで700年その前700 年が高一公民生の名残りで700年高地 公民から村の成立までが700年村の成立 から今までが700年でついに村が解体し
てさて私たちはどうやって生きていくんだ とあなるほどとこういう1300年で スパッと半分に切るという見方もあるんや なとうんうんで消炎生っというのは村を 生み出す母体となったと うんなるほどなるほどま色々歴史感あるま なと思いましたねということで上映の解体 で1番損が受けたのは初演漁師でしょう けど誰が得したかということがあるので えっとじゃあ次のに行きます南北長合一の 時寿命院党が長行動僚大閣党が全国の国画 を得るということだったんですが八条飲料 については全く触れられてないですよね料 はその頃は解体していたということ でしょうか一応ねあの条件では8乗員料と 国画量を大学事党が支配してということ8 料もないんですよね書いたしちゃってん ですよね南北町の時に武士たちに横領され ちゃった八条医療の1番有名な少年って足 の賞ですよね日田の賞とかあなるほど 実量性の末期の戸籍は女女ばかりやさんで 人がえいなくなってまともな戸籍把握が できてなかったから逃げない土地単位で誰 かに管理公認して受けおばせるしかトミー を吸い上げられなくなっていたのでしょう かそういうことですよね結局私は人間を 把握する1人と人間を把握するという人身 支配はっきり言うて当時日本には無理だっ たしいやそもそも中央軍でも結局うまく いかなかったわけであって当初はそれで うまくいったんでしょうが結局そんなこと できるわけがないじゃんと特に日本の場合 でき最初からもう破綻してるんじゃないの という気がするわけですね高知公民性 ちゃんと白線んかったらそれはみんな女女 女逃げる逃げる逃げる逃げるうん おっしゃる通りそうなって言ったらそら そこの土地をもう任せるから誰が何しても ええからとりあえず あの金払えとやった方がそら現実的ですわ ねと 吸い上げるにはこれ田平がやった改革です よね大朝国家に行く時そうそうそうタに 任せちゃえという国士に任せちゃえという 長円って結局領域省になったらその中では 自由だったんですね国家権力からの会につ 基本的にまよたら犯罪にあそこに逃げ込ん だ本1料逃げ込んだら隣の所に もうどうしようもないですよねという レベルのでの独立性ですからね国みたい もんですよねはっきり言うて1つ の
中世は大都市京都と地方の独立した小世界領域型荘園で構成されていました。室町時代中期になると領域型荘園の規模が生産の桎梏になり、一方で京都中心の物流・金融システムが崩壊します。
再生リスト
#日本史オンライン講座 #荘園 #解説は秦野裕介立命館大学授業担当講師 #研究者と学ぶ日本史
#応仁の乱 #悪党 #代官請負 #秦野裕介
0:00 荘園制の動揺 南北朝から室町幕府
36:48 応仁の乱と守護在京制の崩壊
57:40 荘園の解体 領域型荘園と京都一極集中システムの崩壊
荘園関連動画
初期荘園から免田型荘園へ https://youtu.be/mNbbu3g3BYo
荘園整理令と領域型荘園 https://youtu.be/pCbG_6LIAQQ
鎌倉時代の荘園 https://youtu.be/yDCSI4Vkl9E
荘園経営の変質 https://youtu.be/1qCzUXvXtKo
荘園制の終焉 https://youtu.be/O3Id2jr27WI
本郷和人荘園 https://www.youtube.com/live/WnnZGVtSYI0?si=Jb704aQ70hIECJ27
荘園とは何か https://www.youtube.com/live/WnnZGVtSYI0?si=-mxcD7Ay8UQZDDhX
荘園関連動画 https://youtu.be/XfXgwNw-XPE?si=z0J86PERXIkiE1gJ
https://youtu.be/ny8pDK2dKyY?si=Y7uIH2_GM6LYTNPs
https://www.youtube.com/live/NtcV9yEzN10?si=UNalfLA0V9wJH4aZ
