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第1178回「お釈迦様はわがままか?」2024/3/29【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

[音楽] [音楽] おはようございますテクナ阪の小説仏陀 イエの道白い雲春従者を修行層たちと共に 輪読していますティックな阪の語るお釈迦 様のは何とも気品があり静かでありそう明 で穏やかなのです池田久さんの日本語役も また素晴らしいのです輪読ですから1段落 ずつ章に出して読んでいきます3章ないし 4章くらい読んでみんなで感想を述べあう のです修行層たちと車座になって語り合い ますお釈迦様を思い浮かべながら静かな時 が流れます お釈迦様9歳の時の初ク入れの儀式に出た 時の話が書かれていました小説仏陀 イニシエの道白い雲から引用させてもらい ますバラモンの祈りが終わると須藤だ王は 2人の武将を引き連れて畑に降りていった 群衆の関成がどよめく中初入れの儀式が 始まった王に続いてノフたちが畑に隙を 入れ始めた完成を聞きつけてシダルタが畑 の端まで走りよると水牛がぎながら 思いつきを引く光景が目に飛び込んだその 後ろには炎天下の労働で尺色の肌をした 納富が続いた左手に隙を右手には水を進ま せる鞭を握っていた太陽がギラギラと 照りつけノフの体から汗が滝のように 流れ落ちた火な大地は小切な2つのうに 切り分けられ隙が土を耕すたびに死んだ あたはミや小さな生き物たちの体が切断さ れているのに気が付いた地面でミミが のたうち回っていると鳥が急行化して虫を 取ったすると今度はもっと大きな鳥が来て 小さな鳥を鍵爪に引っかけて飛び去ったと いう箇所があり ますこの本は小説ですので全て点に忠実に 書かれているわけではありませんがこの 辺りの記述は拠点にも解かれているところ ですよく知られた場面でもありますその後 にお釈迦様が母に対して母上いくら晴天を 労ししてもミミも小とりも救えませんと 述べているの ですお釈迦様が幼い頃から当時のブラモン の教えに対して反発するところが見受け られますまた小説仏陀イニシエの道白い雲 にはこんな記述もあります村人たちは バガンガ側が人の過去世から現世までの悪 号を洗い流してくれると信じていたので 極寒の幼と家ども物おじせずにこの川の水 で欲したある日のこと川岸に座っていた シッダールタがチャンナに尋ねたチャンナ お前はこの川の水が人の悪を流し去って くれると信じるかそうに違いませんでか さもなくばどうしてあのように多くの人々 がここで身を清めるのでしょうかシダルタ

は微笑んで言ったそうかそれならこのに 住むエビや魚や貝たちは全ての生き物の中 で最も純粋で得の高いものということに なる ねチャンナは答えたこの川で沐浴したら 少なくとも体の赤や汚れは洗い流せ ましょう死んだアルタは高らかに笑い ながらチャンナの方を叩いた全くだ僕もど かんだよということ です古い俗信名神と思われるようなものに 対して冷静に見ているお釈迦様の姿が彷彿 とします聖の苦しみ山の苦しみを見つめた お釈迦様は現実の王家のあり方にも深い 疑問を抱きます小説ブッダイシエの道白い 雲にこんな記述があります王子は儀式や 国政の場に連れ出されある時は国王と2人 で話をしまたある時は精神たちとの修義に 加わった全身前例で政治に関わるうちに シッダールタはこの国に押し寄せる政治 経済軍事といった諸問題の根本に政治に 関わる者たちの自己中心的な野心が渦巻い ていることに気づいた己れの権力維持のみ に救急とする者たちに庶民のための優れた 政治できようはずもなかったシッダルタは 堕落した管理たちが偽善をようのを間の あたりにして怒りが込み上げたがうまい 大安もないので怒りを押し殺したというの であり ます政治に携わるものにみな自己中心的な 野心が渦巻くのを見てとったのですそして お釈迦様は出家を志すようになりました 先日の輪読会ではお釈迦様の出家の場面を 学びましたもちろんのこそこと父である 国王はお釈迦様の出家を思いとまらせよう とし ます我が家計にも修業者となったものがい ないでもないが誰1人としてお前の年に 出血したものはおらん皆50を過ぎるまで 待ったものだお前はなぜ待てないのか幼い 息子を持ち国から将来の王として食されて いるというのにというのですこれは最もな お気持ちでありましょうしかしお釈迦様は 父上私にとって王座に座る日々は燃える住 の上に座するもののように地獄の日々と なりましょう心に平和がないのに一体どう して父上や国民の信頼を得られましょうか 時の流れはういやすく私の青春もつの間に 過でしょうどうぞこのわがままをお許し くださいと答えるのでしたさらに王はなお もすがりつくようにお前にはこの国があり 親もおり妃の野生だらも年もいかぬ息子 までいるではないか父上今こうしてお許し よいに参りましたのは私が愛する者たち 全ての行を考えた上での決断 です責任の放棄ではありません父上ご自身

がそのお心に救う苦しみから逃れることが できないように私の心のうちの苦しみを 取り除いてくださることはできないのです 大はち上がって息子の手を握った死んだ あるたよ私がどれだけお前を必要として いるか分からぬはずはなかろうお前は私の たった1つの希望の星なのだどうか私を 見捨てないでくれ父上を見捨てるのでは ありませんただしばしの間追いとまを くださいとお願いしているのです道 見い出した暁月にはきっと戻ってまります 道なな王の顔に九重の色が浮かんだもはや 語るべき言葉もなく王の居室へと戻って いったと続いています隠してお釈迦様は 相葉カタに乗って城を出るのでありました お釈迦様の出家の名馬面であります修行層 たちがそれぞれの思いを述べて語り合い ましたその中である修行層が自分にはどう してもこのお釈迦様の行為は身勝手に見え て受け入れがいと言っていました仏教の 立場からすればここからお釈迦様が出血し て悟を開いて仏陀になる名馬面となるの ですがこれが父である国王から見ればまた 違ったものに見えます小説ではお釈迦様の 奥様であるダラーはお釈迦様のお気持ちを 理解していたことになっていますしかし ながらまだ幼い子を残して家を出るという のは身勝手だと言われても致し方のない 一面もあるもの です物事をただ一面からだけ見ていては 心理を見抜けないことがありますこうして いな方向から見てみることは大事であり ます特に今の修行層たちのほとんどはお寺 の子であります家族を捨てて出血してきた のではありませんむしろその逆で家族を 大事にするからこそ後継になるために修行 道場に来ているのですそんな彼らにとって 家族を捨てることとりわけまだ幼い子を 置いて家を出るというのは身勝手としか 言えないのでしょう またお釈迦様が国をして王にならなかった からお釈迦様の国は滅んだのではないかと いうものも言いました最も歴史にもしもと いうことはありえないのでもしお釈迦様が そのまま国王になったなっていたならば 隣国の高原国に滅ぼされることはなかった のかどうかは分かりませんがお釈迦様の国 は滅びました仏教的にはお釈迦様が家を出 たおかげで苦行の末悟りを開きその心理を 多くの人にといて数えきれないほどの人人 たちを救ったのだというのですがその仏教 もインドの国ではなくなってしまいました これらは考えさせられる問題であります ただ言えることは全ては無常で移り変わる ということだけが心理だということです

そんなことは話ていたのでした若い修行層 たちは彼らなりに真剣に考えてくれている のであり ますそれでは姿勢と呼吸と整えて参り ましょうまず両方の足で床顔をしっかりと 踏みしめますこの第1に支えられている ことを感じて足に力を入れてよし 立ち上がるぞという気持ちでお尻を5cm な10cmほどすと持ち上げていって ストンと下ろし ます息を吸いながら肩をにと持ち上げて いって吐くと同時にストンと下ろし ますもう一度息を吸いながら肩をにっと 持ち上げていって吐くとど同時にストンと 下ろし ます最初一息息を強く吐き出しますこの時 にはお腹の底に溜まっている空気も全部 吐き出してしまうつもりで胸に抱えている 思いや煩いも全部吐き出してしまうつもり で口を開いて一息 強く [音楽] と吐き出して口を閉じますと鼻から新鮮な 空気がいっぱい入ってまいりますおへその 下下腹いっぱいに新しい空気が満ちて さらに体の隅々まで新しい空気が雪渡って いくのを感じながらああありがたい嬉しい なとこの思わず微笑みがこぼれてまいり ますそんな気持ちでその後は口を閉じて ただ鼻から息が出たり入ったりする様子を 沈かに見つめて座り [音楽] ましょう はいありがとうございますどうぞ今日も 良い1日でありますようにお祈りしており ます DET

【サムネイル写真を募集しております】※概要欄下部をご覧ください。
 
■ご紹介の書籍
ティク・ナット・ハン師 / 小説ブッダ いにしえの道 白い雲
https://amzn.asia/d/hKGqR2e
 
■管長日記「お釈迦様はわがままか?」
https://www.engakuji.or.jp/blog/37449/
 
■Voicy
https://r.voicy.jp/6MmO1qwdVEG
 
■note
https://note.com/engakuji/n/n25f9bfa662cb
 
 
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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ティク・ナット・ハン師の『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)を、修行僧達と共に輪読しています。

ティク・ナット・ハン師の語るお釈迦様のお姿は、なんとも気品があり、静かであり聡明で穏やかなのです。

池田久代さんの日本語訳もまたすばらしいのです。

輪読ですから、一段落ずつ声に出して読んでゆきます。

三章ないし四章くらい読んで、みなで感想を述べ合うのです。

修行僧達と共に車座になって語り合います。

お釈迦様を思い浮かべがら、静かな時が流れます。

お釈迦様九歳のときの初鍬入れの儀式にでた時の話が書かれていました。

『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)から引用させてもらいます。

「バラモンの祈りが終わると、スッドーダナ王はふたりの武将を引き連れて畑に下りていった。

群集の歓声がどよめくなか、「初鍬入れの儀式」がはじまった。

王につづいて農夫たちが畑に鋤を入れはじめた。

歓声を聞きつけて、シッダールタが畑の端まで走りよると、水牛があえぎながら重い鋤を引く光景が目に飛びこんだ。

そのうしろには、炎天下の労働で赤銅色の肌をした農夫がつづいた。

左手に鋤を、右手には水牛を進ませる鞭を握っていた。

太陽がぎらぎらと照りつけ、農夫の体から汗が滝のように流れ落ちた。

肥沃な大地はこぎれいなふたつの畝に切りわけられ、鋤が土を耕すたびに、シッダールタはミミズや小さな生きものたちの体が切断されているのに気がついた。

地面でミミズがのた打ちまわっていると、鳥が急降下して虫をとった。

すると、今度はもっと大きな鳥が来て、小さな鳥をかぎ爪に引っかけて飛び去った。」

という箇所があります。

この本は小説ですので、すべて経典に忠実に書かれているわけではありませんが、この辺りの記述は経典にも説かれているところです。

よく知られた場面でもあります。

そのあとにお釈迦様が母に対して、

「母上、聖典をいくら朗誦してもミミズも小鳥も救えません」

と述べているのです。

お釈迦様が幼い頃から、当時のバラモンの教えに対して反発するところが見受けられます。

また『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)にはこんな記述もあります。

「村人たちは、バンガンガー河が人の過去世から現世までの悪業を洗い流してくれると信じていたので、極寒のさなかといえども物怖じせずこの川の水で沐浴した。

ある日のこと、川岸に座っていたシッダールタがチャンナに訊ねた。

「チャンナ、おまえはこの川の水が人の悪業を流し去ってくれると信じるかい」

「そうに違いありません、殿下。さもなくば、どうしてあのように多くの人々がここで身を清めるのでしょうか」

シッダールタは微笑んだ。「そうか。それなら、この川に住む海老や魚や貝たちは、すべての生きもののなかで最も純粋で徳の高いものということになるね」

チャンナは答えた。「この川で沐浴したら、少なくともからだの垢や汚れは洗い流せましょう」

シッダールタは高らかに笑いながらチャンナの肩を叩いた。「まったくだ。ぼくも同感だよ」」

というところです。

古い俗信、迷信と思われるようにものに対して冷静に観ているお釈迦様の姿が彷彿とします。

生の苦しみ、病や死の苦しみを見つめたお釈迦様は、現実の王家の在り方にも深い疑問を抱きます。

『小説ブッダ いにしえの道 白い雲』(春秋社)にこんな記述があります。

「王子は儀式や国政の場に連れだされ、あるときは国王とふたりで話をし、またあるときは廷臣たちとの集議に加わった。

全身全霊で政治に関わるうちに、シッダールタはこの国に押し寄せる政治、経済、軍事といった諸問題の根本に、政治に関わる者たちの自己中心的な野心が渦巻いていることに気づいた。

おのれの権力維持にのみ汲々とする者たちに、庶民のためのすぐれた政治などできようはずもなかった。

シッダールタは堕落した官吏たちが偽善を装うのを目のあたりにして怒りがこみあげたが、うまい代案もないので、怒りを押し殺した。」

というのであります。

政治に携わる者にみな自己中心的な野心が渦巻くのを見て取ったのです。

そしてお釈迦様は出家を心ざすようになりました。

先日の輪読会では、お釈迦様の出家の場面を学びました。

もちろんのこと、父である国王は、お釈迦様の出家を思いとどまらせようとします。

「わが家系にも修行者となったものがいないでもないが、誰ひとりとして、おまえの歳に出家したものはおらん。

みな五〇をすぎるまで待ったものだ。

おまえはなぜ待てないのか。

幼い息子をもち、国中から将来の王として嘱望されているというのに」

というのです。

これはもっともなお気持ちでありましょう。

しかしお釈迦様は

「父上、私にとって王座に座る日々は、燃える炭火のうえに座する者のように、地獄の日々となりましょう。

心に平和がないのに、いったいどうして父上や国民の信頼を得られましょうか。時の流れは移ろいやすく、私の青春もつかのまにすぎ去るでしょう。

どうぞこのわがままをお許しください」

と答えるのでした。

更に「王はなおもすがりつくように、「おまえにはこの国があり、親もおり、后のヤショーダラーも、年端もいかぬ息子までいるではないか」

「父上、いまこうしてお許しを乞いに参りましたのは、私が
愛するものたちすべてのゆくすえを考え抜いたうえでの決断です。

責任の放棄ではありません。

父上ご自身がそのお心に巣くう苦しみから逃れることができないように、私の心のうちの苦しみをとり除いてくださることはできないのです」

王は立ちあがって、息子の手を握った。

「シッダールタよ、私がどれだけおまえを必要としているか、わからぬはずはなかろう。

おまえは、私のたったひとつの希望の星なのだ。

どうか、私を見捨てないでくれ」

「父上を見捨てるのではありません。

ただ、しばしのあいだ、お暇をくださいとお願いしているのです。〈道〉を見いだした暁には、きっと戻ってまいります」

スッドーダナ王の顔に苦渋の色が浮かんだ。もはや語るべき言葉もなく、王の居室へと戻っていった。」

と続いています。

かくしてお釈迦様は、愛馬カンタカに乗って城を出るのでありました。

お釈迦様の出家の名場面でもあります。

修行僧たちが、それぞれの思いを述べて語り合いました。

その中で、ある修行僧が、自分にはどうしてもこのお釈迦様の行為は身勝手に見えて、受け入れ難いと言っていました。

仏教の立場からすれば、ここからお釈迦様が出家して悟りを開いてブッダになる名場面となるのですが、これが父である国王からみればまた違ったものにみえます。

小説ではお釈迦様の奥様であるヤショーダラーはお釈迦様のお気持ちを理解していたことになっています。

しかしながら、まだ幼い子を残して家を出るというのは、身勝手だと言われても致し方のない一面もあるものです。

物事をただ一面からだけ見ていては真理を見抜けないことがあります。

こうしていろんな方向から見てみることは大事であります。

特に、今の修行僧達のほとんどはお寺の子であります。

家族を捨てて出家してきたのではありません。

むしろその逆で家族を大事にするからこそ、跡継ぎになる為に修行道場に来ているのです。

そんな彼らにとって、家族を捨てること、とりわけまだ幼い子をおいて家を出るのは身勝手としか言えないのでしょう。

またお釈迦様が国を捨て王にならなかったから、お釈迦様の国は滅んだのではないかという者もいました。

もっとも歴史に「もしも」ということはあり得ないので、もしお釈迦様がそのまま国王になっていたならば、隣国のコーサラ国に滅ぼされることはなかったのかどうかは分りませんが、お釈迦様の国は滅びました。

仏教的には、お釈迦様が家を出たおかげで、苦行の末悟りを開き、その真理を多くの人に説いて、数え切れないほどの人たちを救ったのだというのですが、その仏教もインドの国ではなくなってしまいました。

これらは考えさせられる問題であります。

ただ言えることは、すべては無常で移り変るということだけが真理だということです。

そんなことを話し合っていたのでした。

若い修行僧たちは、彼らなりに真剣に考えてくれているのであります。
 
 
横田南嶺
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【サムネイル写真の募集】毎日の管長日記と呼吸瞑想
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この度「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」につきまして、皆さまからのサムネイル写真を募集いたします。
いただいた写真を「毎日の管長日記と呼吸瞑想ラジオ」のサムネイルとして使用させていただきます。

■撮影対象場所
臨済宗大本山 円覚寺山内

■応募内容
・山内のお勧めスポット
・季節や時間帯で変わる円覚寺の風景
など、皆さまのお気に入りの写真をお送りください。
また、お一人さま何枚でもお送りいただけます。

■撮影について
カメラは横向きで撮影お願いいたします。

■応募方法
下記のメールアドレスに必須情報をご記入の上、写真データをお送りください。
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#管長日記, #呼吸瞑想, #毎日更新

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