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【徹底解剖】31年ぶりに長編最新作『瞳をとじて』公開記念‼スペインの巨匠ビクトル・エリセ徹底解剖 活弁シネマ俱楽部#335

始まりました活弁シネマクラブこの番組の M伝います映画ロンカモナドと申します どうぞよろしくお願いいたしますえでは まずえメンバー紹介から行きましょうMC チムより月さんよろしくお願いします はいはいえ映画ジャーナリスト女こしさん よろしくお願いします はいえという毎度おなじみ恒例のメンバー ということでえただ2024年は初めてな んですよねそうですねはい今年もどうぞ よろしくよしします好きなか今日初めて ですもんね今年ねはいえまいつものように 余談をまたくさん挟めながら色々お話して まいりたいと思うんですけどもえ今回の 話題ですがえ2月9日より絶賛公開中とか 実はこれ取ってるのが2月9日なんです けどえなんと31年ぶりの長編最新作一目 を閉じてえ日本公開記念ビクトルエリセ 監督徹底解剖でございますいや恐ろしい会 がまたやってまりましたけどま一目を閉じ てもうねあの何回もあの平井けさんじゃ ないですよとフレズを今日まで口に活かし てきましたけどいやいや分かりますよ平編 はあれあのセカ中国もみんなしてひさんと の会も 言っ閉じてま英語タイトルがクローズ アイズということでえこれがねあのま最初 に言いますけどもいきなりめちゃめちゃ 良かったうんはいめちゃめちゃ良かった ですよねいやいやびっくりするびっくりし ました私ははいここまでのねレベルのもの が飛んでくるとは正直思ってなかっ たまたまだからあの月永さんと同じ回の者 だったんですよねそうですね結構初期のと いうか最初の方の死者でね結構前ですよね もうねであの終わった後その出口で ばったりお会いしたんですけどももうそれ こそあの瞳が赤かったというねそうですね もう興奮状態でといううんあれ見た後はね あとその後で聞いたんですけど奥浜レイラ さんも実は同じ会の死者だったらしいん ですよあでただあれ見た直後だと気軽な 言葉出てこないですよ確かにそういや 良かったですすごかったですとしかこう言 言なかった言ってなかったと思ううんお 疲れ様ですとか言えないですやっぱり来て ましたみたいなこと言えないと思うんです けどえ女さんはどのタイミングで見たん ですかそあれあの割とカヌの時は実は ちょっとオンラインで拝見していて実は3 回見ましたよオンラインの時を1回拝見し ていてまオンラインだからこの映画のすご さ全然感じられないのでまは一旦置いとい てあのカの時期ですしたくさん見る時期で はありますけどその後プさんであの頭30

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分からないですけどもちろんすごく感動は したんですけどそれ以上にもとにかく すごい人すごいそパ多いすごい作品先に 権威があるから素直に感動できないそうな んです感動しつつもあとにかく感動し なければいけないくらいのちょっと プレッシャーもあったんですよなので実は 言うと私のちょっと同時代というか感が 大きく変わったのはあの2006年にえ 溝口健二の後50年シンポジウムというの が有楽町朝日ホールで開かれましてその時 にあのジャジャン空とかも来日されたん ですけどあのエリセもなんと来日して溝口 大ファンなんではい溝口について男女で 語ったんですよで私もそれを見に行ったん ですけどうんそこでエリセがじゃあこれ から僕のエリセとのあの体験を語りますっ て言って語り始めたら本当になんかその時 からこう時空が一気に変わったというか もうボボそっとこう語ってま通訳さんが 通訳されてるんですけどもう1つの物語 だったんですよねそれが自分が平気につい ていた頃をあの毎晩抜け出して溝口のあの レトロスペクティブを毎晩1本見に行って いたで最終的にあまりにも映画にあの感動 しすぎてあのうん弊社の文言を過ぎてあの 帰った結果ま懲罰も受けたとでもそれでも 全く僕は後悔はしなかったっていうなぜ ならあのその時に人生よりもあの大事な 映画というのはあるということを僕は知っ たのですっていううん語りを聞いた時に もうみんなでうわあみたいななんか ビクトルエリセってもうこの人が映画なん だくらいのちょっとフリ上私が私はええか なうんその時にちょっとあの改めてあこの 人は知ってはいたけれどもなんかこう生で エリセの映画を見たわけではないんです けどエリスに触れたような気がして面白い なそれそうなんですだからどちらかという と私そこから結構エリセのあのもう1度 しっかり見直そうっていう始まってさらに その翌年かその年の年末かに初めて フランスに旅行に行ったらちょうどパリの ポンピドゥセンターではい まこれ今日持ってきてんですけどあの アロスとあのビクトルエリセのあの往復 書館のインスタレーションという代々的な 展覧会がそきたそうなんですもう ポンピドゥセンターの1番大きいところで すいやってたのであのそこにもま立ち会え たというか見に行けたっていうのもあって なので私はそう実は遅かったというか 2006年からあのエリセと再び出会った という感じがしていますでもあれ不思議な もんですよね作品それ自体じゃなくて

エリセの溝口についての語りが映画的体験 のように残ったってことでしょうんそうな んですよ不思議だよなでも瞳を閉じて今 おっしゃったお話で瞳年に入ってても おかしくないようないやそうなんですそう ですいや兵役運動みたいなね本当にだから 今回瞳を閉じてを見て思ったのはあもう それこそ今までエリセが作ってきたうん 映画ももちろん全部込められているような そう全部体性ですはい集体性って感じたん ですけどはいそれと時にこうやっぱり エリセの映画体験というかエリセの人生 そのものが何かあの語りここには物語りと して語られているような気がしてあのそう いう意味でもものすごくやっぱ新作は感動 しましたなるほどねはいじゃ割とこれまで のその彼のフィルモグラフィーだったら 人目を閉じてかちょっと別格にあるぐらい に強いそうですねあのどちらかというと エルスールが一番好きではあったそその話 並ていくとただちょっとやっぱり瞳を閉じ て特にしかも初めて同時代で新作を見れ たっていうのま短編とかはありましたけど 映画館で今日も初日の1回目をこの収録の 前に見にってそうですこれがパンフレット なんですけどなのでやっぱりそういうが 映画館で公開されると思ってこう初日に ウキウキ見に行くっていうのがなんか エリセであるとは思わなかったという本当 ですよねなるほどねじゃ今日いい日ですね はい今日はちょっと若干興奮気味でしかも ねパンフはあのそれこそ深田浩司監督と 浜口裕介監督と三宅翔監督の定があって 東山すおさんがやられたのかなはいそう ですね東山さんがえっと司会進行を務めて いて3人のえもうたっぷりスペシャルトク という定もあるのでまだちょっと全部は もう今朝買ったばかりなので読めて僕も 読んでないけどはいうんでもこれも是非 いいと思います宮さん同じ日に夜明けの 全て開もすごいよあそうですね多分だから 私はシャンテあの見に行きましたけどう 多分隣の東方シネマズ日比谷では三宅さん のやってるんじゃないかなライバルに手を 貸していやいい話ですね全てがいい話だと 思いますはじゃあどうなので私はあの多分 月永さん逆近い時期で拝見しましたけどま 日本に来る前に三橋だけを拝見しまして それも別にエリセていうよりもやっぱり その時ちょうど1番映画を見る時期でして でスペイン映画のなんていうかあの勉強と いうか入門で進められたのはあのエリセの ミバとそしてあのサオラのカラスの飼育な んですあそうなんカスの飼育と三橋とカス かなりあのな最近見てないんですけどでも

ま同じ人出てるからあかなりやっぱり 繋がってる部分もあってそれその時かなり やっぱりスペイン映画あとスペインの歴史 とかも関してまフランコのことも関してす やっぱり色々興味持ってそこから色々勉強 もしましたがでそこから日本に来てそれ さっきの話もりますけど日本はものすごく エリスで大好きな国でしてでその後あの エルスとあのマメロも拝見しましたけど まあ何でしょうエリセ監督っていうのもま 映像のすごさっていうか映像のすごさ1番 そのすごさ出してる監督じゃないかなって いうちょっと映像の魔法的な部分を1番 やっぱり出しているじゃないかなと思い つつで今回瞳を当時でを見たらよりそれを 感じたっていうのもやっぱり時間っていう 要素がある時間と映像の関係性そして さらに映画との関係性もやはりこう いう人じゃないとできないんじゃないから ぐらいのそのすごさがまとにかくすごいっ ていうま言葉もやっぱり感情的に全部その 映画そしてエリセ監督には感情ま感情移入 というかやっぱその世界に見せられて入っ ている感じかなとなかなかこれあの いわゆるその記憶とか時間を描く作品って いう言い方はよくあるんですけどでも実際 やる人はそんなにいなくてしかもここまで やるっていうのも30年ぶりの作品って そもそも30年ぶりってていう言い方も そもそも少ないと思いますよももしかしら もう引退しましたみたいなそういうことも 含めてそのすごさも今回やはりあの同じ人 あなさが出たっていうところもうんない じゃないですか普通だとでそういった ところも含めてその自分の人生もその映画 の中に入れるようなその全部混ざっている ようなだから今回私もをじてはあのすごい 映像体験だなとあのあのバラバラ3回も 拝見しましたしなんかもう1回ちょっと 時間置いてもう1回劇場で見れたらいいな と思いますのでなんか今日も本当になんか 色々皆さんとお話できたらそそそして今の 映画会との真逆の方向性とかも含めてそう だねそこは本当大きいよねうんていう ところもでも実際まちょっとですけど香り 巻前回もう3人でやったんじゃないです カスは決して前向きではなかったという 感じはありますね作り方としてはあまあ まあねだから通じる部分あると 思そうですよそういったところもやっぱり エリセはさらに徹底的っていう感じじゃ ないかなっていうまたから神聖的な体験か なといううんえ作品でしただかえ彼は5位 こっち2位っていうのは何かをあ象徴し てる気もしますけどねちなみに僕はあの

今回あのシネさんで今出てるけどあの メールインタビューさせてもらったんです よびっくりしたんですけどあれはどういう あの本当にメールでメールで質問を出して あの返していただいたでそしたらいもう 本当貴重なね体験をさせていただいたん ですけどあの全問道のような回答が書いて てあの謎は解けないんですけどでも本当 その語りはいもう本当エリセの語りって もうあのまま そうなんですよ 独特あの本当にあこれ本人だと思ったのあ そうですメールインタビューは時々本人 じゃない可能性があるあるじゃんこんなん もう彼しかいないっていうような答えが 帰ってくる感動してもうすごいいい体験を させてもらったんですけどもあのでねそれ でも言ってたんけど31年ぶりって言う けどはい失礼なとあのインスタレーション もねこういうねポンピでやってるし展覧会 もあのあの短編中編は結構取ってますけど そう引退してまへんでみたいなことは言っ てましたそこは明確に確かについついこう 長編31年ぶりそうなんですよ僕もねでも いや聞いちゃったけど31年ぶり大丈夫 ですかみたいなね31年間何をやって10 年10年もいかないのかでも10年起き くらいとかになんかこう天に登そう色々 やりましたね311のあの川瀬さんのあれ も参加しましたそのトレントまほと分だ けどねはいうんたりとかあとあのあれです ねカウリスとペトロコスオリベラとの ポルトガルポトルギマライスここに誕生し た2000あれも12年あれはでも天 ミニス近い時期ですよねそうですねだから 意外とこう辿ってみると確かにあの決して ずっと沈黙されていたわけではないという 細なちょこちょこコうんそしたらいきなり 169分の映画を出してきたわけですけど もそうですねそれも三橋と全然違います あっちは8あそうそうそうそうエルスルも 短いしねあれはま元々長かったのがま前半 だけみたいな感じだったらしいけど僕はね あのだからえ深田監督あれだ1980年 生まれですよねそれで三橋を中学生見たん で多分あれだよななんかお父さんが録画し てた多分録画かあそうですそうそうですワ た 画さん持ってらし覚えてるので僕はあ71 年ものんでさらにまちょっと魚おります 世代はで最初に見たのはもうずばり 1993年え大学生の時なんですけど当時 大阪でしたがマルメロの横の公開に合わせ てあのその前にフランス社のバオシリーズ で三橋のさきとエルスルのリバイバルを

やったんですよでそれがえあこれなんです よパンフがあのミバのさやきエルスールっ ていうこのスラッシュねこれ元のやつ でしょ最初最初のです85年公開のやつ でしょ日本73年なんだけど85年公開 これは93年のえ三橋エルスール リバイバルのパンなるほどうん2種類ある んですよね実よく持ってらっしゃいたこれ はそうこれはね貴重なんですけどでねそう 73年スペイン映画え日本公開がえはえ 85年2月かで当時そのシネビマのえ工業 成績第1位を記録してあの98年にあの キブねヴンヴィンチェンゾナタリ監督のえ に抜かれるまではもう歴代の第1位を ずっとキープしていたぐらいミニシアター ブームをま代表するヒット作であるこれが まずその日本でちょっとあのえ特別な人気 があるっていうところのえ理由その位置 ですよねミニシアタブームっていうところ にあったであのえそそうこそう ヴェンダース徹底解剖の時に杉永さんが 持ってきてくれたあのリミエールのねあの 総観合あれが85年の9月後だったと思い ますけどあれでその73年の世代というま 遅れてきたヌーベルバーグの一軍をま蓮見 茂子先生が規定されたえその最大の論 okayになったのはあのベンタスの時も 語ったようにベンタスの73年の都会の アリスだったわけですがただ都のアリス 当時まだ日本でロードショがされてない わけうんとななるとあのタイミング的には その三橋のさきというエリセのえ73年の デビュー作がえ1番大きな存在感を持って 多分あの受け入れられたと思うんですね 読者にとってはでそのえ長編大熱エル スールはまそれから10年後なんですよね あの1983年の作品え日本公開は85年 の10月まこれもやはりえミニシアター 部分の中で公表を白したとでそれはちなみ に僕あのこれだけDVDを持ってるんで がこれであのだから10年に1本だったね あそうですよねはもう本当に10年に1本 です8393それで著作となんか多分言わ れてた10年1本の監督とも呼ばれてます ね一時期はあそうそうそれが30 年この頃からま家作のえ人だったわけだ けどでその85年っていうのは僕まだ 和歌山の中学生なのよでその数年遅れて 93年にえこの の佐とエルスールを見たえであの両方 素晴らしかったです素晴らしかったけどえ 当時僕がすごく引かれたのはあのエル スールあぱりそうなんですねうんあのこれ 結構ね別れると思ううんミバ派とエル スール派分かりますあのでなんとなくミバ

派が多いようななんとなく体感としてそう 多いかなま多いか多いかミスパチだけ見た 人は多いかもしれないですねあああそれも あるああ有名なのはバだから映画好きて いうことじゃない人があのでもこのミバの あの穴トレントというかミバは好きだった みたいにちょっと上の世代の人とかも言っ たりするのでそれこそミニシアターブーム の時にミバを見に行ったって人が多いって いうのもあるかもしれないそっかだから 数字的に言うと結構差あるのかもしんない ねスとえあのでも月なささっきちらっと 押しちゃったけどエルスールはんでしょ そうなんですよエルスールもちろん みのさきもすごく面白いし大好きなんです けどなんかやっぱりこのエルスールのま父 と娘の話ですけどここのしかも見れば見る ほど何回も結構見直してるんですけど見る たびにどんどんその悲痛さっていうのが すごくあの迫ってくるというか最初はなん となくこう少女のあの成長の話みたいにも 捉えてたんですけどだんだん見ていくと 本当にそのうん親のもう救われなさていう ま死に向かっていくあのそれを周りもどう することもできないっていうそして娘も 1番理解してたはずだけど結局父親のこと は何も分かってなかったっていううんうん そしてあの最後のねあれはだからエリセと しては不本位ある意味で不本位なラストと も言われてますけど本当はその続きを半 ぐらいしか取てないですもうまさに第1部 よ第1部ですねはいはいでも私はあの ラストが本当大好きでそからに行って お父さんのあの後を探すっていうパッてと あのカを閉じて出ていくっていうところの あのラストがもう大好きなんですよねいや あれ最高ですよねまあの続きを見たいって いう規模になるけどあれが幻に終わった ことも含めて今回ひを当時に繋がるですよ ねありますよねそうこそうエルスールとま 要するに南っていう意味なんだけど北た だけで終わるっていうね南編がないはい はいそれがまたねよりいいんですよねそう えジョさんどっちは私もあのエルスール ですけどただ私はあのメあマメも大好きだ からねそうなのよこれは僕後で本当言い たいはいそうです不当にはいはいそうなん です落とし落としめられてないけど目立っ てないけど丸目もめちゃめちゃいいからね はいもう水橋とあのエルスはもう私も逆に 完全にエルスル派ですおその心はもでも やっぱりさも好きなやっぱ父親の描き方は やっぱりよりそのなんかそのすごさって いうか時間っていう要素が感じられたって いうかそこがやっぱり一番あの時の私に

1番刺さったかな今もう1回見ると ちょっと分からないですけど最近ちょっと 見てないんですけどあかり衝撃受けました いやこれね本当いい映画ででね色々思う ことがあってあのこれ島本りさんの奈良 タージというま小説これにそのビクトル エリスの言及が出てくるんですよま いろんな映画についての言及があるんです けどもこれを映画したのがあの幸尾監督ク セカのあの平井さんの瞳を閉じてのこれ 本当狙ったんかと僕思っだもんあの確か松 ですねそうそうそうそうあの松本純さんね セチを取った幸監督がえ奈良ター映画され ててえ映画にもエルスールを見るシーンが 出てくるんですよ奈良タージご覧になって ますあ映画あ映画版は見たかな見たような 気は原も読んだんですあそうですかじゃあ わかってらっしゃるそうそれであの松本じ さんねエンラの早山先生というのがあの ビクトルエルセの映画が好きでま特にエル スールが自分は好きだっていうまえ流れに なってるんですけどねでそのまあのその 島本さんがだから島本さんもエルスールの 方がちょっとこの言及で見るとあの傾い てる気がするしまユサ監督もそうかなって いう思いますじゃあ三橋のさきってどう いったあの指示のされ方がしてるかという とまやっぱりその当時6歳ねアトレントふ する少女アの映画であの1番シンプルに見 てしまうならあのま精霊ものと言いますか あのすごい感度の高い少女ですよねで彼女 がそのえ異形のものだとか異業のものだと かその世界の向こう側みたいなところと こう更新するようなあの感覚あれが ポイントになると思うんですよで全体のお 話の枠組っていうのはやっぱ成長端とかま ある通過例的な枠組があるだからあの言っ たらそれこそその先と千の神隠しですとか あの隣のトとかねあの宮崎早生監督の アニメーション映画に結構近い感じがある んですようん同じ年でそう新作をしかも 同じとして体性的なものを出したんです君 たちはどう行けるかよね瞳を閉じてて君 たちはどう行けるのか本当そうなんよあれ 君たちはどう生きるかよと思ったもんあれ だで宮崎監督にとても10年ぶりの新作 長いちゃ長いです長いちゃ長いよなあの ビクトルエリセと宮崎ハ監督は完全に同世 大事そう年齢も近いですはいエリセが 1940年6月まバスク生まれでしょで 宮崎さんが41年の1月東京生まれだけど 言ったら日本で言ったらもう同級生 早生まれだからであの60年代にはあの さっきちらっとその溝口のお話でもあり ましたけどもあのまそう政治的な混乱期で

政治青年だったわけよねどう考えてもね うんでその三橋のさきもえあれはまだ フランコの独裁政権中庸73年だから75 年までフランコ死ぬまで続くからだから 安友がま色々込められてるしえ宮崎監督は 監督デビューがあの未来少年コナんていう もう政治青年からすご噴出したやつなん ですよねでまあの彼らはだから同世大臣で ありまかなり共通点も多いと思うんです けども一方でその三橋の佐はそのさっき あの言った細田守監督もあの人生のベスト 映画によくあげられてるあとあの僕これが すごいもしち思い出すのがあの ギレルモデルトロのあのパンズラビリンス あはいあれがもうあの完全にミバのさき そうですねなのよほどあのスペインの内戦 スペイン内戦モチーフで少女のダーク ファンタジーだからあのミバってあの アニメーションとか特撮方面の方々との 神話性がすごく高いんですうんうん確かに アニメ化もできるんですねまストーリーは ねそれこそなジブリかスタジオこのてはい できそうですね映画うんでもそういえば あの深田監督もねオールタイムベストが三 だうん深田監督宮崎大好きだから大そう そうですキーパーソねパーソですうんでも 確かにいや三の佐も本当にちょっと先ほど はまエルスールが大好きと言いましたけど 三橋のさきもなんていうかうんそのも特に 作り手の方に対する人に対するこう影響力 ってまアニメだけに限らず大きいのかなて いう気はしていてっていうのもやっぱり 見直してもびっくりするのが本当にある 意味であのまシンプルっていう言葉で 収まらないくらいあの何も語っていない ようでそう映像という言語みたいな感そう ですよね本当にあの一見屋というかあの 兵士が隠れているあの野原の中の家がパッ と映ってそこに子供たちが走っていくって いうなんかそれだけですでに物語が全て 語られているとかで列車が走ってくるだけ であのものすごいスペクタクルがとかそう 列車ですよ列車ああいうのは確かになんか 深田さんの話をこないだ聞いていてもこう 映画を作る上でものすごくやっぱりどう いう風に映画って撮ればいいのかどうやっ てあの1つの家を取るか誰か子供を取るか みたいなことうんの換気力っていうのは 確かに三橋のさきはすごく大きいのかなと は思いますねそれはねもう本当思います あのそれで言うとエルスールより三橋の方 が圧倒的にあると思うあのえ森優介監督の こちらあみこでもフランケシタンを見る あみこが見るシーンがあってそうです完全 当ててき

てるま活弁動画にも出ていただきました けどもまあまあそうですよみたいな感じで おっしゃっ言ましたねでももう完全そうよ ねあのだって原作にはないないあの写だ からはいだから三のさアニメーションって ま元々ねアニミズムからあの派生した言葉 とかも言われるけどもやっぱあのざわめき 感ざめ感ですあの映像として映って フレームの中にもう多元的という言葉で 追いつかないぐらいのあの多生がもう ざわざわざわざわあのしてる感じあれは ちょっと特別ですよね特別でしかも逆に 実写でこれでできる人はもう映画見ても 少なですねそうやなはいはいそうですね なんかこう作りものすごく作り込んでるん だけれどもある意味でこの時間この人の この時でしか取れないみたいなあの ドキュメンタリー性というかみたいなのが あんなに本当に奇跡的にぴったりはまった 映がってあとすごいのデビュー作ですこれ あそうだねそうですね編としては長編 デビュー作っていうのは長編デビュー作で ありアトレントデビュー作でありまだ5歳 とかですもんねそう です ドキュメンタリーのはまにそうであの マメロので一ドキュメンタリて言われてる わけよねあまそこそこのまあの淡いであの 何か記録された映像ではあるこれもなんか ね人法の主題にすごく関わってくると思う んですけどもそれに比べるとねエルスール で結構ストーリーテリングに行ってるのよ そうなんですよそれがあのま原作もね もちろんありますあの当時のパートナーの ねあの方あのガルシアモラレスさんか 2014年亡くなられてるんだけどあの 10年間多分色々まスペインにとっても やっぱり激動の10年間なのでいろんな 自分の思いも全部込めてあのそのそういう 背景も入れたりとかはで自分の色もいこう できたんじゃないかなという感じですね そうねだからあのもっと取りたいっていう 半分しか取れなくてみはいはいそうだから そうこれだこっちはだから本当あの ストーリーテリングの映画で続きありまし たよっていう映画なんねだから結構その 性質は違いますよそうですねなんか同じ こう少女の映画のようポスターがねした だけなんです今回も同じやもんあれちらっ としか出てこない今日今回瞳を閉じてのさ えこれよどれだこれかうんこれあれよ劇劇 のさ劇ですあの彼女よはいはい中国人の地 がそうそうそうそう上海上海で見つけた もう笑っちゃいましたよだけどやっぱり このビジュアル使いたいだなと思ったよね

あのかつてのアナトレントのようなまそれ それぐらいそのえアイコンとしてこの当時 のアナトレントっていうのがやっぱでかい 存在なんだろうなと思いますけどねうん そうだからその何三橋のさきは本当にでも 少女の映画でこれもねだからこれ今めった な言ったらほと怒られるとこだけどうん 結構さだからそのロリコン映画のマスター ピースって言われてたのよかつて普通によ 分かりますだからそれが実はとこう ちょっとあのあるんですよねエルスールの 方が好きっていうのはなんかこうありまし たうんあの男性たちがなんかいやトレント 可愛いもんねっていう時のなんかこう ちょっとざわって感別の意味のざわつきが ねいや間違ってはないんだけどみたいな めちゃめちゃ可愛いんですけどっていう違 うん確かにエルスールの方がそういう意味 でこうまこれも10代というかあの小さい 女の子なんですけどなんかこっちの方が やっぱり物語いううんそこがしっかり 出来上がってるのでなんか変な話ですけど ちょっと安心して見れるみたいなところが あったかもしれないですそうあと見れば 見るほどこれあの月永さんもおっしゃった けどオメロアンアントヌッてィお父さんの お話だっていうのことがしめるからねそう なんです主体がねうんそうミバのさきはだ からそうなんすよあのそれは本当に言われ ててだからあの都会のアリスと同じよ 同じ年で73年のはい同じ年であの マスターピースはアリスとアナなんですよ ね両方なんか今はちょっとロリコン映画 って見えちゃってでエルスールは一方その 傷ついたお父さんうんと娘の話でだから こっちはあれよどっちかたらパリテキサス みたいなああ無理やり言うとね確かに時期 も近いです近いよあの時期も近い需要体系 としてはこっちパリテキサスだわ確かに あの感じ似てると思うよあのこっちはだ からさき女さんもちらっと激動の時代と おっしゃれたけど最初だから1957年 から始まるえだからあのスペイン内戦が 36から39かだからま20年後フランコ 政権のまた田中であのえオラアントヌって 演じるまお医者さんかお父さんがえ北の バスク地方のまかの家でえ妻と15歳の娘 と暮らしているただどうやらお父さんは もういきなりねあの施うんしまったらし いっていうところからこう始まるそうです うんでこの娘さんはまそれこそあのアと 同じようにまちょっとその霊的能力みたい なものがあったりもするんですけどもそっ からそ回送に行くんですよね彼女がえ7歳 か8歳の頃えつまり78年前を回送するん

だけどもそうしたらこのお父さんていうの がその南エルスールの出身でえつハ フランコつまりその共和性の指示者であっ たとだけどその身内がみんな体制派なので え故郷を捨ててま北に逃れてきただけど その南にはその内の頃に別れた恋人がいて えお父さんはまだ彼女のことを思ってい るっていうのがえ分かってくるだからその あの当時すごく思ったのはあの日本で言う とあの挫折した全教頭世代みたいな うん感じかなと思ってであのそのすごく ナイーブな男の話なんだけどもえさっき ちらっと言いましたあの原作は当時その エリセのパートナーだあのアデライド ガルシアモラレスさんていうえま妻え奥様 で2014年に制御されてるんですけども だからさ結構その男の話なんだけども女性 目線のま娘っていう死体があるから話でも あってだからそのあるところでも言ったん ですけどもある種そのファザコン的なね メンタリティのある映画っていう感じも するんですようんうんそうですねただ なんかそのやっぱり複雑なそれがもしか するとその男性目線とそのの女性目線が 複雑に原作と監督と物語の視点とか 絡み合ってるせいかもしれないんですけど 確かにこうお父さんが好きなあの愛してる 女の子の話ではあるんですけどなんか あんまりこうノスタルジックとやっぱり 違うですよねやっぱりどっかこうある意味 で冷めた視点でこうお父さんていうのは こういう人だったのかもしれない私はそれ を知らなかったっていうじゃあ知らなかっ たお父さんをもう1度探しにううんって いうようなあのちょっとその冷めた視点 っていうのがなんか単なるこうあの お父さんと娘の話っていうだけではない うんいいところかなとはそれこそその後半 部があればさらにその彼女のそうですねね 成長端っていうところ彼女したいっていう とこがこうぐーっと上がってくるお話には まもちろんなりますよねうんそうですね うんだからその内面化された父親っていう ことだと思うんですけどもまそういった ニュアンスのその距離感がうんもにいいの よこれそうなんですやっぱりすごさですね めちゃめちゃいいやっぱりこう自分がそれ こそあの子供の時好きだったお父さんて いうそのことなんですよねでもそのあの時 の愛情っていうのはある意味でもう なくなってしまっていうか変わってしまっ たっていうそのちょっと違う視点からなの でここがまた絶妙ですよね絶妙ですよね あとあのかの家がまたいいの よなんかねだから

率直にエルスールが好きっていうのまお話 のその良さってのもあるんだけども一方で あの雰囲気ねうんあのスペインの北うん あのどっちかて言うたらさだからあの スペインってなんか南の方のイメージなん あのララテでわーっていうラテのイメージ をあの明るい方のスペイン濃厚な方の スペインまアルモドバルとかはそう南国 みたい あのこのねとしたまそういうこと ポルトガルに近いようなこのスペインの 感じうんもうエリセのイメージなんですよ 確かにそうですねなんかあの本当家が なんて言うんですか本当にあそこだけ ポツンと立っていてその前のあの1本道が あってとかでみんながあの寒そうなこう 吹き込んでっていうあのイメージはなんか そうですねあのエリセの中のクエリア未だ にまだそういうなんなんっていうかそ南と 全然違ううん全然違うよな雰囲気はねうん 南はもう御容気な さっていうイメージをもう偏見だけどでも 本当それもあってバスクしかもバスクの人 はもう本当にバスクを誇りに思っていて ものすごくあのちょっと余談ですけどあの バスクはあのサッカチームがあるんです けどそのサッカチームはバスク出身の人 じゃないといけないんですああそれまで そこまで厳しくしているっていあれすごい 民族ぽい ですいうそこまでやるなっていうなるほど ねでもそれぐらいアイデンティティが強い んでしょうねうんだからそれはねすごく 思うところでもありますでそのえ次の マルメロの要綱92年これはだからリアル タイム本当のリアルタイムで見たのがこれ うんえ今見る機会あんまりないのかそうな んですそうですこれしかもリマスターもさ れてないですあんまりDVDしかないです 全世界は私もすごく好きなんですけど語り づらいのは実はVHSでしか見たことない んですあので見れて良かったですよねそう ですねギリギリだからあのつやで借りれた 世代ではあるんですけどえDVDないのか これDVDは日本多分発売されてない気が しますクライテリオンとかでも出て クライテリオンねその2本あの2本出たん ですけどやっぱこっちかはいこっちとあの ミバ両方はいこれマ両方なかなかでも海外 もあのなんか一部の国しかビリが出してい なていう今回だからそのビクトルエリセ 特別上映もやっぱりこの2作なんですよね そうこれがなんかやっぱり権利問題か単純 に日本の上映多分単純に経利問題だと思う んですけどでもなかなか多分難しいです

ジョさん見れたの私は見れましたあれ海賊 版に見れましたのでそうちの国のあのお そうそうそうでもなんか調べたらあの ネットにどっかに動画で字幕なしでは 上がっていたのそうあのYouTubeも 一時期あった気がしますあそうなそうです かもしれない消されてるかもしれないです 多分どこかではデジタル化というかDVD になってるんだろうなという気そうそう DVDのいわま海賊版のDVDの画質が 割と良くてうんまでもなんていうかこの 映画の雰囲気にもこのDVDの画質でも そういいなっていう逆にはいその綺麗 スキルと逆に違和感出ちゃうかもしれない です確かにでもさこんな感度で勝負取っ てんのにさもう腰伝説やんそんな扱いで いいのちょっと怖いよねなんか映画のです よねなんでこれがこんなに見れないのか そしてなんかそういう意味であのまこの2 作も新作瞳を閉じてともちろん繋がっては いるんですけどうんそれを言いたいのあの マメロの陽光こそ人そう一番通じるのは そっちですこれ見ないと始まらないのよ マジでこれなのよこあの本当人としての 前作ははいこれなんですよだからさ三橋と エルスールってさ はいもうざっくりうであのベロのはでも その映画作家としてのエリセの自己言及性 が一番強い映画ってことなのよであの アントニオロペスガルシアさんていうね まあ36年生まれだからま世代も近いわエ とガがガの先生があのマドリードの アトリエでマルメロの洋光の絵をえ描き 始めるうんのをまゆっくりゆっくりゆり ゆっくりゆっくりほった映画なんですけど もこのガルシアさんもまエリセと同じくま 似たタイプなんねそうですま芸術家同士の 芸術家同士の超家作20年かけてマルメロ の木を書いたけどできませんでし たそういう人よだからそのエリセはまるで その自分の分身を見るようにというか自分 と対話するような感じでガルシアさんの姿 をえ見つめるっていう映画でまあのそれで ねそうそうこれでさそのインタビューでも そのメールインタビューでもあの出した ことなんですけどもあのこの時のパンフに あったこここれこれこれあの公式コメント ああはいうんこれでもうエリセがねこう いうこと言ってるんですよその一部です けどあのま生命の象徴としての木の イメージ木っていうのは地目の木その木の 枝の1つにえ今から100年ほど前新たな 果実が実ったとえその名をAA写期って こうあの翻訳されてますがまつまり シネマトグラフでございます

シネマトグラフはま人類に映画という言語 をもたらしましたとでこの素晴らしい言語 が今日消滅の危機に品していますっていう これもそのまま瞳を閉じての主題なんです 代ですさっきあの女さんが後ろ向けて言っ たけどシネマトグラフの消滅映画言語の 消滅の危機っていうのがもうえ瞳を閉じて の主題ですよだからその1900え 1895年にえルミエル兄弟が開発した シネマトグラフとそこから生まれた映画と いう言語がえ消滅の危機にこの時期で92 年の時期でもう瀕していた今はもうえ死ん でいるのかもしれないっていうねうんあの 映画だと映画が一目の閉じてだなと思い ますであのうん本当ねこの30年の時の 飛び越え方もうこれにかなりもうぐっとき ましたであのやっぱりその問題意識って いうのはえ一貫しててでもすごいいい タイミングであのこれ降りてきたって思っ たのよすごいいいタイミングです今考え たらそうだって本当にさその映画の死って いう主題をこの時はエリセエリセとか ヴェンダースぐらいしか語ってなかったと 思うんだけどもあ今はだってさ言ったら そのポールトーマスアンダーソンも スティーブンスピルバーグも言ったら ちょっとそうこと意識してタランていうの もそうだしあの映画作家共通の手段になっ てきてるの映画の死っていうのがでそこに もう新口が登場したぐらいのイメージで見 たのよ去年そういう映画はすごい多かった から去年年うんはいそうその辺でいかが ですかいやそうですねだから特にマメロの 陽光に関してはだからこのだんだん まお話というかドキュメンタリーとしては 取っているのはそのうんこのアントニオ ロペスというかがあのマメロを描こうと するんだけれどもまだんだんとだんだんと 時間とともにこう身があの腐っていくあの 色も変わっていって形もそうそうそうあの 崩れていって最終的にま落ちてしまうと いうかもうこれは書くことはもうできな いっていうところで終わる話でもあるので この時間がもう嫌なく過ぎていってしまっ てその芸術家にはそれをもう追いかける術 がないっていうその諦め方てまにうんこう 人を閉じててもう映画監督っていうのは やっぱりあの現実には追いつかないという かその時間の残酷さみたいなことてもう まさに本当にマルメロの陽光とあのその まんま繋がってるんだなっていうのは本当 そうです思いましただからなんで本当に今 ね丸めるの横が見れないんだっていうのが 逆に丸める横光を見てから行くの方がそう そうですねだって最後あれなんですもんね

あのちょっと最後丸めののてクションあ そうフィクションっぽい 感じそれがまさに Aカメラがこうカタカタカタっていうああ いうのもね瞳を閉じてじゃないですかいう そめちゃめちゃ繋がってるよねそう女さも やっぱりマルメロが好きってことよねほ とても好きですねうんやっぱりあの芸術か とは何かかなり本質的にドキュメンタリー ですけど攻めていく姿勢がうん も監督っていう人もやっぱりなんか一体化 してるような作品がなんかちょっと奇跡な ような作品でしたうんそうだねはいしかも 僕興味ぼやなと思ったのはだからさその ベクトルエリセが映画っていうその表現 手段表現方法をどういったものとして捉え てるかって言った時にやっぱりさ絵画に 近いものとして思ってるね特に油言ったら うん油絵のようなものとして彼は捉えてる なっていうのが今回のあの瞳を閉じての あのマックスっていうねあのシネフィルの あのフィルムコレクターの編集映画編集者 キーパーソンですけどやっぱあのマックス のあのフィルムの保管状況とか見てたら あれも本当その絵画をあの失われないよう に保管してるようなイメージに見えたうん だからいろんなその映画ってどういうもの かってあの撮られてるで作家ごとま非評価 でもいいけど違うと思うけどエリセは やっぱりあの本当絵画芸術に近いものとし て考えてるなっていうのはねマルメロの横 みたうん本当よくわかると思ううんうん そうですね確かにだからそういう意味で もしかすると今のあの最初にじさんも言っ たように映画祭で通じるのがあのちょっと 難しいのかもっていうのはそういうところ もあるのかなとも思うんですけどこう あくまでも本当に自分の主題というものを 延々とあのずっと書き続けている人なんだ なという気がしてもちろん今のあの時代 っていうのも今回は特に瞳を閉じてはま 割と現代ですよね2012年っていう ちょっと微妙な年ですけど約10年前ね約 10年前でもまこれまでに比べるとま マメロの横もその時のその時代が記録され てもいるのでちょっとこの2本は現代映画 ではありますけどただその時のこう映画の 何かあの流行りだとか潮流とかとは全く 関係なくあくまで自分が追い続けている 主題をあの作品ごとに本当に単年に単年に 描くていうのはうん 多分エリセ自身自分はそういうねあの画家 と同じだっていう意識ではあるんだろうな と思からやっぱり起こると思いますよ やっぱり今の映画祭のそう映画祭の姿勢に

関して多分かなり疑問を持っていますし 結局映画祭で本当に映画ををいわゆる プレミアする場所なのかとかも含めて映画 の本質論が崩れてるじゃないかまみたいな ところが逆にその裏話も実際この映画の うんにもつがってるなっっていうところが 感じましたはいそううん今回はねでも僕 なんて言うのかなあの色々でもその瞳を 閉じてはねあのま重層的な作りでしょだ 色々思いましたよでも結構うんあのなんて 言うのかなエリセらしいもちろんその エリセ固有のテーマを延長したエリセで しかない映画なんだけどうんとはいえ作り 方は結構違うなっていう印象でもあって これがまずますます好きな部分なんです けどうんちょっとその辺細かくいきたいん ですけどはいえまずね瞳閉じてのその冒頭 とま最後もそうなんだけど別れのまなざし っていうねはいはい劇中映画がまず出て くるのは1947年かなパリ郊外ウタにし たあのなんか王様みたいないる人そうです 王様であのチャイナ系のねあの執事さんが いるあの屋敷のえ謎の中謎のかなり謎な映 これ最初 いきなりびっくりしたもんなえ1947年 とか始まっどういう トちょっとビクッとしたけど最初別れの 出していうねその劇中映画があるんです けどもあれはさフィルムで撮ってるよな フィルムですねはいその後の未解決事件 っていうねテレビ番組マドリードのテレビ 会社に依頼されて出てくるじゃんミゲル さんビクトルエリセにそっくりな人が出て くるもうだから画像みたいなねあの元元 映画監督さんがあの出てくるのよでその それこそあの出だしだけで言ったらあの アルモドバルの同じスペインのねえあの 濃厚派のペインアドグローリーはいはい ああはいそうあのかつての主演俳優を探す 監督の旅っていうラインはま似てるのよだ から割とその意味では最近多かった LINEの感じであの人目を閉じても 始まるんだけどもこの元監督のミゲルさん がえ不うんっていうそのかつての主演俳優 別れの主演俳優を探すための旅に出る パートはこれデジタルデジタルですうん これ大きいと思ってでね僕そのこの デジタル撮影パートはえま今回長い映画な んだけどもなんかすんなり見れたんですよ ていうのはねあしその3部構成というか そうですね3部構成って言えますねはい うんまずテレビ会社のあるマドリード都会 ですわそっからあのマンナリンコンって あの海辺の片隅っていうゲートがあるあの 今えミケルさんが住んでるなんかすごい

チルアウトしたいい雰囲気のあの海辺のご 自宅の第2部があってでえ第3部があの 施設ねあれもまちょっとなんかリゾートっ ぽい海に面した高齢者施設なんだけども あそこやてこう段階ごとに場所が映って いくじゃんうんだから僕ねこれ言ったら 本当あのそういうこそメールインタでも これはさすがに書けなかったんだけどうん ドラマのミニシリーズ見たいと思ったんあ そうですねなるほどはいはい3ワですね サワはいあだからさなんかえ長いなと思っ てしかもどうせゆっくりでしょっと思って 言ったらはいなんかすんなり見れなかった そこそれは思いましたあの今まで以上にま そう意味でそうなんですセリフもね やり取りも多いですしそう一応ミステ リーっていうミステリーそうです ミステリーですサミステリーが面白いん ですよあの面白いもちろんね主題としては それこそアルモドバルもそうですしなんか こうみかの映画をとかお探し求めてとか 失踪した俳優とかアンゲロプロスのあれコ 立ちさんでとかいろんな多分今までの映画 でアルモドバルのあの包容のかけらとかも なんかみかんで終わった映画のあれコのり かなユシーズじゃなかシーズいかちょっと ぼやっとしてはいこいろんな映画であの 描かれてきた映画的主題でもあるのであの そんなに目新しい話ではないとは思うん ですけどただしかも最初にやっぱりあのま 最初のあのフィルムパートで捉えたのはザ エリセな感じの素晴らしかったんですけど そうその後のあのテレビ局に行ってみたい なのって確かに普通に見るとえこれエリセ が取ったのっていうぐらい割とこう軽軽い というか軽やかに軽やかにどんどん話が 進んでいくので驚きつつも普通にえこ れってこの人フオさんはどうなったのとか そうそうです最初このミステリーの結果は どうなるかはやっぱ気になるんですなる ですね娘さんがなんか知ってるのかなとか あ娘があかみたいなそうだから結構話とし てもあの普通に現代的というか面白いです そううんその現代シーンがまさっき月永 さらとおっしゃった2012年の設定なん ですけどねだから今今ではないうん厳密に 言うとたださだからあのこれ思ったのは あのミステリータッチの話構造ね共同脚本 にミシェルガズタビさんが入ってるこれ 大きいうんうんあの悪人に平穏なしとかえ ペトロは静かに退治するとかああいう ミステリータッチのねあの面白い映画を 書かれてるえ脚本家さんが今回共同脚本に 入ってるんですよだからちょっとあの いわゆるデジタル現代パートに入ってから

はうんもうなんか違うなっていう感じは あるあるっちゃあるんですよねでもいい 意味だようんうんそうですねうんそんなに 違和感がなかったですねその作品の全般 的そうそうだからその集性って意味で言う とそれこそさっき言った宮崎早監督の君 たちはどう生きるかじゃないけどあの本当 彼の人生があのエリセの語であの詰め込ま れてるんだけどもま1つ得るのはただそう いったえデジタルパートとフィルムの両方 で語りつつあれがねその映画についての 映画あのメタシネマっていうところのえ 重層性をねあのさらにこう織り込んでる なっていう感じがしたわけあれがねさらに 興味深くてだからその後ろ向きかもしれ ないんだけどもそのなんかあのえその羽駅 え単極的なあの要素っていうのもこの映画 には込められているっていう言い方が できると思うんですよつまり割とそのえ ちょっとそのうんいわゆるえ映画的なら ざるような要素っていうのも割と瞳を閉じ てる中にはえちゃんと練り込んで るっていう感じはすごいしたんですけどね うんあとやっぱり色々まいわゆるそ ディジタル時代に対するやっぱりあの ベテラン監督の姿勢っていうかやっぱり やってみるっていうところもあるので なかなかなかなかそそこもやっぱ興味 深かったですそううんそうそうだからあの ビデオインスタレーションとかもやってん じゃんだからゴリゴリのフィルム主義者 かって言うたそうでもないわけようんそう なんですよねただ私そういえばなんで 2012年なんだろうなって思っ たあのまももしかするとスペインの色々 政治的なあれもあるのかもしれないんです けどでも1つはそういえばこの映画って その携帯の写真は出てくるけどあの携帯で 撮ったあのスマートフォンの映像って出て こないじゃないですやっぱりそれが出てき ちゃうとさすがにこうちょっとデジタルか というかあの映っていうのが一歩あまりに も行きすぎちゃうのかなてなるほどねそう ですねYouTubeが始まる前ぐらいの 感じですですギリギリあの2012年だっ たらまだ多少あったかもしれないけどまだ そんなに不まガラガラがそうんですだから あのフリオに似た人がいるよみたいな送る のも普通だったらもう今だったらむしろ 映像で撮っちゃってネットに先に公開し ちゃうとかそう動画で送るよどうですか そのSNS上の反応とかもそうそうSNS でこんな反応があったとかそういう話に なっちゃうとそこなかったねそこはもう 完全にミステリーになりまし

たこれ確かにそうだねだからそこはかなり 意識的にあったのかな自分が対処できる 時代というその時代今の時代になっちゃう とこの本書けるかなっていうことにもある と思いますそうなるほどそれはでも言われ たら本当にその通りだなんかギリギリその とはいえやっぱりそのテレビであの どんどんああいう番組もできてあの携帯で 連絡も撮れて写真も撮れるしとかあの フィルムがそうもうほぼ滅びててっていう 時代でもあるけどなんかギリギリあの スマートフォンじゃないっていうなるほど ね時代かなとは思いましたそれ大きいです ねだからこの2012年その後今現在見 るってここもだから多になってるのかも そうなんですよ現映画であると同時にはい 実はちょっと過去の映画で ある映画あま2012年もちょうど分 フィルムが完全にデジタルに入る時代って いうとますそうそうだねもうフィルムは 終わったっていうようなあの本当のその むしろえ贅沢な選択する選択肢の1つに フィルムがなったぐらいのそうあそうです ねだから映画館であのフィルムをかける写 機があってでもそれが潰れちゃってみたい なのもちょうどあの年のの時代のものです よね今だってフィルム上位でも完全にあの ノスタルジックとかになっちゃいます うんうんだからここが言ったらその 後ろ向きじゃないけどそのエリセがま対応 できる時代の要素がそこまでっていうのは まあのシアに言うと可能かもしれないです よそうですねうん確かにねそれ非常に興味 深いです僕意外に考えてなかったそうよね 動画っていうところでもう一気に変わる もんねうんなかさこれ映画のその中盤 あたりでそのマドリードからそれこそあの シが映るような感じあの運営の自宅に帰る 時の夜行バスの中でうんああはいパラパラ 写真するでしょはいあれがあの微妙にね あのラシオタ駅ではないと思うんだけど うんいやでもあれじゃないですかリメイの じゃないいや列車の到着よ完列車到着だ けど僕ねでもね気になって比べたら ちょっと違うのよそうなちょっと違う ちょっと違うあれラシオ待機じゃないと 思うえあの観客の着方がちょっと違うのよ ええあそうなそうそれは権利の関係じゃ ない多分ああ多分ですあれ作ったわけじゃ なくて多分あのありものおもちゃでしょ うんで列車の到着ほぼ列車の到着 の別のどっかの駅のパラパラだと思う ちょっと違うのよその観客の動き がすごい細かいですでもま意味的には あそこでその映画の期限1895年のえ

リル列車の到着をはいま出してるわけよね うん1895年から2012年までのその パースペクティブで撮られた映画っていう ところであのそれはもう完全にあそこで 自己規定してるのかもしれないですよね うんだからその映画の期限映画の始まりを あそこで打ち出してじゃあその映画の死 っていうところはどこかっていうとまだ からエリセにとってはもうあの辺 りってことなんですかねどうなんでしょう ねうんうんやっぱりフィルムがこうもう 取れなくなっていくっていうあの辺りが 1番映画にとってもう大きなま死の瞬間で もあったていうことなのかそう映画じゃ 映画じゃなくなるっていうところももう今 はもうよりそういういわゆるシネマもあの その意味も変わったりとかそういった ところもあるのでだからもういわゆるその さっきのなんか後ろ向きていうもそうなん ですけどやはりどどうするかっていう ところはややっぱ根本的に映画じゃなくな るってじゃないかなっていううん感じでだ だとここの作品を見てもやっぱりその 悲しい感じもやっぱり出ますねだからそこ はちょっとお2人に率直なそのエリセを 離れてですけどあのご意見伺いたんです けどその辺ってどう思ってらっしゃいます か今現在もうその映画っていうもののその なんだろ輪郭はかなりぼやけてきてるああ とは思うんですよね確かに特にま配信って ことが始まってそうですねそもそも Netflix映画って映画なんです すかっていう言い方で言えると思いますよ もちろんさあのジラテレビ映画とかねもう その延長ではあるんだけどもただその映画 祭がね結局その配信もオッケーにしたって 割とやっぱ大きいよねはいそうですだだっ てさらにひひのはカヌー配信NGなんです けどこれを断ったっていうそうそう思うよ ねはいあのあんだけ反対しあのアルコス キアロのローマの時とかさ言ってたのにや って言っててもう後ろ向きじゃいられな いってなったでしょカのもうんいやでも私 が思うのがあのちょっとこの映画のまた もう少し先に進んでしまうですあのそう 後ろ向きではある確かにあの映画っていう のはもはやあのマックスとあのミゲルが 語るのはもう映画っていうのはこれで 終わりなんだうんフルがなくなってしまう しっていうえそしておそらく今できている 映画というのはもう映画ではないっていう ような2人ですしあのそこに特に若者が出 てくるわけでもなくあくまでも本当にあの どんどん置いていく人たちの昔語りとして は語られていくんですけどただ私が思うの

はこの映画であの結局すごく希望を感じる というか最終的にあのミゲルはでもあの 過去の映画を上映することにによって むしろあの映画というのを取り戻したよう に私は思うんですはいはい映画を信じ るっていうか映画愛してるっていうところ が逆にこれはかなり前向きだと思いますで しかもそれがあの昔撮った映画をに対して あのあの愛を感じるっていうだけではなく て私はあのうんちょっとこれはパンフの中 のあの三宅さんもちらっとその場面のこと すごく言っているんですけどあこういう 文脈ではないんですけどあのミケルがうん あの急に最後張り切り出してあのみんな ここ座ってみたいなあのここで座るあ映画 館の画ラストねラ進んじゃいますけどでま 宮さんそこが急にミゲルが本当に1番映画 監督らしいことをしした面おっしゃってて で私もすごく思ったんですなんかあそこで こうミケルはそれまで人からはこうあなた やっぱり映画監督だってロラに言われたり あのお医者さんからはやっぱり君は作家だ ね うん感だったそうそうなの自分はもう映画 でももう手放したからていう人だったのが なんか最後あのうんあそこの映画館に行く ことによって彼は映画監督っていうものを 取り戻したような私には見えてそう考える とま私もあのそういう意味で割と古い世代 というかあの映画っていうのはこういう もんでしょみたいなガチガチなあのタイプ ではあるんですけどただ一方で結局それっ てじゃフィルムで撮っていたら映画なのか とかじゃないそうそういうことじゃない です多分おそらく映画とはこうであ るっていうものをあの何かもっとなんて 言うんでしょう 魂そうで共有できていればそれがどんな 映像であろうともしかしてそのもう スクリーンに何も映っていなくても映画と 呼べるんじゃないかくらいの あのうんすもっと神秘性を信じてるのかも しれないってあの私もそうだしエリセも そうなんじゃないかと思うんですよね そもそも上映されていないエリセの語りに 映画を見てそうそうそうそれにつがるよな あいうものが全部集まるとドラゴンロール のようにもう 絶対 なんかなるほどねていうなんかやっぱり その辺に映画に対するなんかかなり やっぱり神聖的な気持ちていうかそこが かなりこの映画まラストでうんました ラストなまあのえそれこそ1回閉管した 映画館をもう1回その上映する場所として

使うあの空間三明さんはそれどういう ところで言ってんのそのあなたここに座っ てていうあの感じが映画監督だってやっぱ 言ってんのなんか最後になんて言ったかな 映画監督あ劇中にこう彼はうん現在失業中 なみなわけだけど最後1度だけ映画監督と し てや いあ演出面白いそうなんですよねそれは 本当その通りだなと思ってまさにだって あそこから急にそれまでちょっと自信なげ にいや見せようと思うけどみたいになって たのがあそこだけものすごいもう仕事し てる感すごいじゃないですかどんどん やっぱり気持ちが変わりましたねどんどん 最後に入る時はなんかそれがやっぱり エリセにとってもこう映画は決して諦めて はな うんなんかそれはもしかすると自分の記憶 のにある映画かもしれないしあの今ここで 映っている新しい映画かもしれないしもう 見れなくなった過去の映画かもしれないで もなんかこの映画を信じるっていう信じて それに奉仕するっていうあの信仰にも似た あのそうですよね何かがあれば映画って いうのはあの死ぬことなく続いていくのか ななという風にちょっとすいません話が だいぶラストシーンまで行ってしまいまし たけどいやでもねこれがま今日のほ確信の 部分にま近づいてきてると思うんですけど も僕もねだからねその辺はすごくあの今回 の瞳を閉じてで思うところですでそれは あのエリセインタビューメール インタビューもそうだだけど答えは出て ないんですけどあのもうそういう領域をね あるしもスピリチュアルな領域に映画と いう問が入ってきてるなと思ってるわけ瞳 を閉じでです ねはいはいもう見てない見てない閉じるん ですよ クスそうなのよ見れないです見れない見れ ないそうこれもちょっとあもうちょっと後 で話したいのそなぜ閉じるなかいうところ も含めてよそうこれね本当視的な開けて ないのよはい閉じてるのよでねだからこの 映画のその物語をっていくとあのね確かに まずそのフィルムとそのデジタルの断じゃ じゃないけど行こってことはまず語られは するんですよでそのマックスっていうね もう何回も登場したけどミケルさんの友達 編集者フィルムコレクターの男性セル セルロイドのフィルムはもう今や骨董品に なっていてえデジタルによるデータの時代 に入っているまこれも割と大きいんですよ ねつまりフィルムは物であってそれこそは

三橋のさきの最初のあれじゃないけど運ぶ もの運ぶですものとしてただデータはその もうものではないから そうクラウドでオッケーですっていうこれ はまやっぱりまずそのえ特に絵画としての 映画っていうそのニュアンスで取られて エリスからするとはいえ物じゃないのって いうねそうです絵画だってクラウドでき ないからそうだからさ思ったのよ映画って そもそも複製芸術として生れてきたはずだ けど複製芸術ではないわけやあのフィル ムっていうものがあって劣化もするし保存 しないといけないものであるっていうのが 多分エリセにとっての映画のイメージうん あの1895年から続くねところがその デジタルというデータになったらまず劣化 という概念がなくなるで物という概念も なくなってそれは情報としてあの コンテンツとしてあのえ一般に教授される ものであるっていう風にま映ってきたま それに対しての1つの究はあ るっていうことだと思うんですよであの この辺はちょっとあの彼派香りすの彼派に も通じるんだけども あの映画への無邪気な言及があるつまり ポスターが貼ってあるはい はいこっの殺人代がってるのうんであの これはもうご響 ですそういうのが今回すごいありますね あのでも結構それに無邪気に喜んでしまっ てもあるんですけど1番はあれですよね リオブラボリオブラボですねいやあの歌は もう見るたびにもニコニコしてしまうん ですけどうんうんだったりあとそうとどで もあのあのスタンバーグのスタンバーグ はいあの上海ジェスチャーっていうのが あの最初の引用されるえっと別れの まなざしなであのタイトルだけですけど あの王様みたいな彼があのまシャハ ジェスチャーだよみたいな言ってるのはま スタンバグは本当にあのエリセが昔 スタンバグロも書いてたりもしたくらい 大好きな監督ですしましかも実はエリセは 上海に についての映画も撮ろうとしてたていう そうそうなんだ中国の予想がありますね あの確かにマルメロは中国人登場しました ねあったねそうですねはいはいはいでも その別れの出しは確かにあるスタンバーグ イメージをねうんだからあのエリセが 取ろうとしたのはま上海テシアとは全く別 なんですけどえっとスペインの東世代か ちょっとしたくらいの監督さんあ作家の方 の原作で上海の呪縛か呪文っていう原作が あってそれでそう上海の約束っていう

タイトルで撮ろうとしてかなり結局すごい 脚本も出来上がったんだけどあの作られ なかったそれで脚本だけシナリオブックと してできたっていうあのみかのまミ プロジェクトというか今回も生えてます あるそうなんですよだから別れのざしって ま多分ストーリーは全然違うと思うんです けど 海で取ろうとしたっていうのがだからなん で上海なんだきなリサしかもさあれ完全に でもスタンバグ経由の上海イメジでしょ そのかなりエゾチック なあの明らかになんか西洋はいから見たた いやもう笑笑うぐらいの感じですよそう それがまさにそのそうなんですよね昔の ハリウッドのそうね昔のハリウのあの中国 語を喋れない人が登場した中国 だからさあの本当あの劇中映画に関しては すごい違和感あるよね違和感あそれがね また面白くはあるんです面白くあるよねま でもスタンバーグというそのフィルターを 通すとあの全部腑に落ちるというあの劇中 別れのざしもてことですよねうんそれ くらい本当にエリセが好きなあの監督だっ たり映画の絵のこう研究やめくばせていう のがなんかいつも以上にすごいストレート にいやこんなにやる人だったみたいなね もうみやりたい放題になるもうや必ず出て くるあのリオブラボはそうあのえ海海辺の イエパートねうんあのめっちゃいいシーン なんすよいやすごい泣きそうになります よあのマイライフルマイポニアミて ライフルとアバかていうあのえディン マーティンがねそのハワードホークス監督 のリオブラボ西武劇の中で歌う曲をミゲル さんがすごいうまく歌うんですようん しかもそれがこう若者からあのほら昔の 映画のあれ歌ってよて言われて歌えるか なって言いながらすごいうく めちゃあれだからさ別にその元ネタ知ら なくてもますごくそのいいアメリカの カトリソングだとかフォクソングみたいな イメージで多分受けとりますよねすごい いい歌だねみたいなあのあのバランスが すごく好きうんあそこ大好きですねそうで さだからあのその別れのし含めてだけど ちょっと話まもう色々前後していき ましょうかもう思いついたこと語るけど はいもちろんさその映画ネタ映画作家とし ての自己言及の映画ではあるんだけども ただやっぱりその君たちはどう生きるか じゃないけどあの人生の集性でもあるから あの政治的なバックボーンってのもやっぱ ありますよねしっかりとねえそれはそのだ から主人公そのミゲルを演じるあのえ

マノロソロさんってあのエリセ監督だいぶ 若い1964年生まれなのでえまでもえ 現在パートが2012年だから役柄として は代前行そうでもね多分70歳ぐらいの 設定なるですあのそうあの劇中設定として はあの若く見えちゃうんだけど多分顔が似 て雰囲気が似てたからもうわかんないよ もう丸のソロさんにやってくれ とで世代的にはあのどっちかてとマックス とまあ要するに同じぐだからえ同世大臣と してね2012年70歳ぐらいの男性とし てミケルさんが出てきてると思うんですよ でねこの世代性っていうのはめちゃめちゃ 重要なんですよていうのはやっぱりその スペイン内政にタを発するそのフランコ 独裁政権というモチーフがこの映画にも やっぱり絡んできてるからですよそのえだ からスペイン内戦がそのウフえそフランコ のね半乱軍の勝利となってそっからま35 年もフランコのその独裁政権が敷かれる わけですけどもそのミゲルさんとそのえ 親友の俳優不男さんはえ海軍の兵役でで あって結構細かいんですよあのツショット の写真が出てくるんですけども裏に 1967年4月って書いてるんですよねで その後その共に政治犯として逮捕されたと いうエピソードが語られるえつまりその 不良さんはその政治的なあれにあの 巻き込まれたみたいなことも語られるけど も要はそのフランコ政権の弾圧がまあの うんの60年代後半あたりとま世界的に 政治の季節って言われた頃だからますごく その強まったつまり民主化運動と体制の 対立っていうのがえ激化した時代でそう いった時代をくぐり抜けてきた世代という ことになると思うでその別れの真し劇中 映画でフリオが演じたフランクがえアナー キストって言われるんですよねうんえこれ はもうフランコ軍と戦って挫折した人って いう設定だと思うエルスールじゃないけど もていうことようんでさらにロラっていう 人が出てくるのあうんはいあのミゲルと フオのえ2人の恋人だった謎の三角関係 みたいな謎の三角関係出てきたよねこれ ほんまなんかっていう話なのよあの捜索な のかほんまなのかていうすごい聞きたいん だ はいでもこの元恋人モチーフとかも ちょっとエルスるみがあるっちゃあるんだ けどロラがアルゼンチンブエノスアイレス のえから1976年かに亡命してきたま シガであるとうんで今はなんかレコード 会社のラテン部門で新人発掘をしてると かっていうあの言及があったけど要は軍事 空デターからの棒名者なんですそうですね

はいうんこれがねあのすごい大きいよね 政治的なあのバックボーンとしてはい そんなに詳しくは描かれてないけどそこも やっぱりバランスがいいですねいいよな うんそれに関してはその人物像とかロラと かどうご覧になりましたあの人物とかいい ですよねまでも野良がいないと逆に ちょっと盛物足りないかもしれないですね なんかこうままずこの映画って1つ感動 するのが本当にそのまデジタルパートに なってそれこそ最初はこうどんどん素早く というか物語としても展開していく面白さ があるんですけどでも特にあのロラと ミゲルが対話するありからもう本当に なんかあの暖炉の日でこうちょっとはい うん 光が当てられながら2人が切り返しで アップで話す場面を見てるだけであもう なんかこの映画ってこの人の顔を話してる 人の顔を延々見ているだけでもこんなに もう映画って成立するんだなっていうそう ですねちょっとこれは本当に巨匠というか もうエリセでないとできないことだなって いう感動まずあのロラのシーンで感じ たっていうのそれ本当わかるわあるんです けどでも確かに今言ったようなそれぞれの その的な背景っていうのがだから結局 あそこに出てくる人みんなロラも含めてま マックスに関しては語られはっきりとは 語られはしないですけど年齢そうですね 同じ経歴があるはずですねだからみんな こう何かあのおそらく今の若い人たちには 通じないような過去にあのすごく大きな 挫折やあのそう悲惨な体験をしたでもその ことがもうすでに忘れ去られた遠いになっ てしまったっていうなんかそのことを みんな秘めてるというあのなんか喪失を 抱えてる感じというかそれは多分エル スールやあの三橋のさきの大人たっていう のも確かにそうだったんですけどもう ちょっと設定としてもその近い過去だった じゃないですかそう挫折とかでもそれが あのおそらく若い頃にそういう体験をして あのハフランコ派としてあの活動したけど それが今やま7近になっている人たのあの なんて言うんですか何かを背負ってるけど でもそれはもう遠い遠い過去であ るっていうだか今更語ることもないって いうなんかあの感じっていうのはやっぱり エリセは今やらないといけなかったん だろうなっていう気は強くしましたねあの でもおっしゃる通りですよあの僕がだから この今のタイミングで見てかなりグっと くる部分ですねあのサバイバーっていう 感じがするわけうんうんあの色々あって

時代はすっかり変わっちゃったんだけども えそれ個々の中にだけその時間の層って いうのがやっぱあるわけよでそこには歴史 がやっぱり刻まれてるとで結構それがもう どんどん内面化してしまってるんだけども あのああいう時にふッと出るみたいな感じ これはねあのベテランの味っってやつです よねそうそうそれもある意味その今回の そのフィルムとも繋がっていましねうん うんうんうんうんうんうんあのだからあの 顔とかだけでこう人物を移すだけでその 映画になるっていうのがなぜそうなるのか 分からないんだけどももうなんかそういう 領域ですよね多分ねもう鏡領域にそこ カメラそこ置けば大丈夫ですそうでもそれ はねやっぱりなんか人間とか世界を 見つめる目そのもののあの強度とか震度 みたいなことだと思いますうんベテラン危 もなんかそこで描けば作品になりますそれ 近い近いですねはい結局だからその見る目 そのものていうところにあの戻ってく るっていうことはすごく思いましたあとだ からさそのえ物語としてはむしろ今回 可愛らしいというかあのだからさあの ミゲルがロラと再開するまでの下りとかも なんかちょっと可愛らしいんですよだから あの最初さだからマドリードのあのフル本 一みたいなところであの廃墟か自分が書い た小説見つけるわけよそしたらめくったら ロラへミゲルよりみたい なおいちょっとロラ売ってんや俺のサイボ 売ってんでみたいなことを思うわけよ ミゲルの直筆のサインがあるわけよねロラ へって当てたで1977年何月か書いて あっ てでしかもえって思うんだけどなんか彼 まあねあのグっと受け止めてそれをま購入 して帰っていくというであれさなんか ポール2山の引用あるでしょあれてあの本 に引用してたてことでいいの多分ままこ 引きじゃないですけどあれですよね エピグラフのところにことだと思そうあれ なんかね画面に出てくるからあれだから 廃墟にあの二十歳が20歳はね人生ので 最も美しい季節とは人生の季節は言わせな いてあのすごいアデンアラビアの一説が出 てくるんですけどそあれはやっぱりそうか 廃墟の最初に引用してただからあれあの辺 もさ68年世代というかま政治青年らしい うんあの文学性っていうのがまあの伝わっ てくるて感じあとそのえこれもねさりげな んですけども確かマックスの口からが ミゲルさんって息子がいたのようんそうな んですよねで交通事故でなくなってると いううんあれ唐突に出てくるよね唐突です

ねしかもバーって終わったって感じですね 最初だからちょっと分かりづらいですよね なんかこう絵発見してこうそうそうあ あいつがみたいなでえなくなったのみたい なでもそこから本当に実はあの倉庫のあの カ倉庫の中にあった実は箱っていうのが なんか子供の用のあの入れ物みたいな感じ なんですよねで入れるとボールとかなんか いろんな子供向けのも出てきたりしてで なんかそういうのも本当にあの親が子供を なくした若くしてなくした親でもあ るっていうことが分かった時にこうミケル の抱える本当にそのそうなんですよその辺 はやっぱり物質からま断片的なものから あの痕跡を探してるようなことはやっぱり 作品の中でま常にあるっていうところが ありますね人いうそうそうそうあれも ベテランの味よねベ の長く人生を過ごさないと分からないこと ですいう本当そう思いますとてもねなんか 下手にセリフでったりとかそうしないって いうそうでもあれは本当そのマックスが なくなったんだよね云々うまい息子みたい なことなると本当わかんないぐらいの描写 でしょそもそもあのマドリードの歌倉庫 っていうのも最初謎に思ってたからねでも 僕もああいう歌速さ借りててでもマドリー ドってことはさマドリードに住んでたわけ よね昔はねうんだから今は全然あのねで あのそう夜行バスとか使わないといけない 距離に住んでるわけだけどあそこはま借 っぱなしでああいうものが入れてあっ たってことだと思うんだけどそういうのが ね色あるわけだからあのその色々飛ぶけど その記憶をなくしたそのフオさんが施設に いてあのガルデルって言われてるでそれは あのよく単語を歌ってるからでそれはロラ が教えてくれたでそれはあの カルロスガルデルさんというね アルゼンチンのえ単語歌手から来てるもの だっていうとかそういうところでロラーの 痕跡っていうのがふっと上がってきたです ですねうんあれすごいわ思って うんでそのえま時間とか人生の層ってこと で言うとま今回すごくそのえ話題を読ん でるのがアナトレントさんの出演っていう ことだと思いますけどはいいやパレは やっぱり一気に色々変わりましたね登場 する瞬間でうんはいなんかみんなそれに 言及してるもんレビはいでも知らない人に とってはどうなるかっていうはいそこが別 にうんあれだからさ三橋のさき見てなかっ たら何のことやねのことそ誰ですかて普通 にただのあただのおばさんですかそが出て きたよっていう穴っていう名前へえそうな

んですねみたいな感じだけどみんな泣い てるらしいはいただまあれですよねあの そんなにだから1番はその再開場面っって いうところはまちょっとなんかファン サービス的なところもちょっと見えます けどただ最初のンサーうんあの彼女があの トレントが登場するあの美術館で会う ところとかあところは割とさらっとこう そうです してるのであとなんかそういうところは別 にこうジジんっていう感じでは別そうま ファンサービスと同時にやっぱりさっきも 皆さんも話したようり常にそのやっぱり 映画の中でその背景とかその裏が隠してる 人生のものがあって全般的にできてるって 感じですねただああいうやっぱりさ過去作 とのそのリンクあのユニバース的にやっ ちゃうっていうのはやっぱりでも君たちは どう生きるかですそうやっぱ自分はこの 映画の中に入れたんですね うんアナトレントに関してはもうそういう ところが出てるよねはいそれはねどう考え てもっていう気がしちゃいますよねうん やっぱり大きかったんですよねそそれこそ 2011年に穴3分っていうのを取ってる があってやっぱりその最初の出会いとして のえ彼女でもうそれから50年経ってる わけだけどもまそういうことやっぱあの 体験っていうのはエリセにとっても特別 だったっていうのはまあ今回改めて分かる のかなっていう気もしますしうんうんうん なんかそういえばエリセが2000何年か に受けたインタビューの中であの インタビューアの人にうんはいあなたが今 まで撮った映画の1番なんて言うん でしょう好きな瞬間というか1番映画的だ と思う瞬間っってあげられますかって聞か れたらますごい質問するなと思ったんです けどすごいねしたらあのでも迷いなく言え るってそれはあの三橋のさきであのアナ トレントがフランケンシュタインを見て うんうんパとこう目をパっと見開く場面と だっっててあれはもはやあの計画しても できなかったことでなるほど そうなんですよアナトレント自身が映画を 見てでちょっとびっくりしてうんパって こう目を輝かせるってあれを取れたって いうことはもう私の映画人生において最高 の瞬間だっって言ってるのでやっぱり エリセにとってもま長編デビュー作って いうだけではなくってこの彼女の物語の中 の穴トレントだけではなくてその実生活の 穴トレントとうんフィクションが重なった 瞬間が取れたっていうのはやっぱりすごく 重要なあのそうですね映画に対する姿勢も

やっぱりその中にありますねはいあ映画を 発見したみたいなノりなのかもしれないね だからこれとこの閉じてるそう閉じてる はい閉じても大丈夫ですみたいなやっぱり 瞳を閉じてっていうこういう作品を作る上 ではなんかそこに立るというかこのアナ トレントにもう1度一緒にやろうよって 言ったのはなんかそのエリセにとってもま 原点ではないですけどなんかその自分の 映画っていうものをもう1度見つめなすと いうかあの上ではなんか当然のことでも あったのかなとは思いますねうんそれは 本当思いますよつまりね4本しか取って ないじゃんうんこの方ズバね4本をもう 自分の中の人生のサイクルとして考えてる よねうんだ からあの今回ね僕そのまラストシーンの話 をもしたいんですけどラストっていろんな 解釈できると思うし僕もメール インタビューでちょっと聞いたけどまあの みんなで考えてみたなったそうですそり そうですそうあそれそうそれは答え出ない です答え出ないですもう個々にとっての 考えたことがあなたの答えですみたいな ことをま当然ですよねて思思いましたけど ただ確実に言えるのはアナトレントがいる んですよラストにラストシのあのねさっき の映画館の場所にはいでねあれってもう 完全にさだからあのフランケン主体見る 最初の上映会に当ててきてるよねあれを ラストに持ってきたってはい始まりと終わ りっていうイメージで完全当ててるねあり ますね絶対そうですねはかなりなんかこ なんか最後だなっていう感じがするよな そうだ完全にあれでだからもう こっからさらにさ100歳ぐらいまできて 新作取ったらちょっと待てよて思うぐらい の終わりなのよ今回のもももうちょっと 30年経っても11歳だ からそうよ本当あのラストがラストってだ からどうさっきねちょっと語っていただき ましたけどジョさんラストってあれどう見 たいや私もやっぱりあのさきもちょっと ラストに関して映画とはなんじゃらていう ことはやぱ次さんも色話ましたけどうん 映画がやっぱりラストかなりビビったん です ねビビったと同時にこれはやはりこの ベテラン伝説の監督たちのなんていうか ある種のあのさよなら宣言っていうかうん なんていうかやっぱり今の時代に対する なんかメッセージていうやぱ軽いんです けど何かを伝えたいっていう気持ちが ものすごくやっぱりこのAの中で感じられ ますしで自分の映画のスタートで自分の

映画で終わるかどうかわからないですけど ていう作り方で今回やっぱり作りきったの でなんかすごくやっぱりななんていうか あのこれからちょっとエリセ監督ま今80 超えているんですけどどうなのかちょっと その分からないんですけどものすごく本人 もあの満足した結末じゃないかなっては 個人的には思いますこれで終わるっていう ところなるほどねはいえ月なさん画見まし たラストもう1回になるなっちゃうけど はいそうですねでもなんか本当に三橋の 佐幸のまこのフランケンシュタインのうん シーンに立ち返るのは本当そうなんです けどうんやっぱりそもそも確かにエリセが 映画をま作ることそして映画を見ることっ ていうのはこううんあんな風にスクリーン に対して映る光に対してこう本当に驚きと うんある意味でこうちょっと恐怖心もあっ たりこういろんな意味でスクリーンを 見つめながら打たれることそれによって リセの多分映画人生っていうのは始まって いて全ての映画はその映画を見ることに ついてのあの映画を作り続けてきた人でも あるのでなんか集体性のラストでもあるん ですけどなんかこうある意味当然の結末で もあったのかなという気がしていてこの瞳 を閉じててだからあそこでま結局あの ラストうんうんうんあれを見たことによっ てそれこそま不利をはどうなるのかとか あの瞳を閉じてってまどういうことなのか とかはま分からないというば分からないん ですけどうんとにかくあのまず本当に みんなでその作りを見つめないといけない んだっていうことが1つあるのかなと思っ ていてうんあとそういえばエリセのあので ラモトルージュっていうあのそれこそこの キアロスタミとの往復書館の インスタレーションでも流れてたんです けどこれは日本では多分やってそうなん ですやってないんですけどこれが自分の 少年の時のあの初めての映画見た映画の ことをずっと語っているそしてそこの見た 映画館のことを語ってる作品なんですけど それが まさにアナとフランケンシュタインと全く 同じなんですよあの5歳の時にお姉ちゃん とお父さんお母さんに連れられていって うんあのシャーロックホームズのえっと出 てくるヒの爪っていうあのアメリカ映画を 見たんだけどそこで出てくるあのかうん うんうんうんすごい恐ろしい郵便配達人の 殺人鬼にま5歳だったから現実とやっぱり そのフィクションの違いが分からなくって それ以来もう家に帰って寝るたびにあの 物音聞くたにあいつが来たていう

同怖に触れるあのですねそう体験をして 自分にとってはだから映画っていうのは そういう恐怖と同時にだけどあのその フィクションに浸ることの快楽っていうの も喜びっていうのも同時に感じたっていう ような話をラモルテルージュでしていたん ですねエリスがだからそれってそうまさに 三バのさきであり三橋かで恐怖はあります よねホラー映画でも言えると思はいはい ある意味怖い話じゃない怖メタホラーよね 本当うんでしかもねちょっとお姉ちゃんに 脅されてっていうところもままさにって いう感じなんですけど実体験 かだからなんか人さに度高いですよねこの 人がはいだから瞳を閉じてでああいう映画 を見ることで終わるっていうのはそして 自分にこのまある種の冒険ですよね不利を 探すっていう冒険にあの関わった人たち 全員をこう座らせてさあこれから映画を 始めますって言って自分の映画を見せ るっていうことてうんなんでしょうね なんかもう本当にこうでしか終われない そのものなのかなとはそうね思いました僕 もねラストは本当これ何十年殺しじゃない ですけど結構本当ふっとこう半数するよう に思あれ何だったのかなみたいな感じの すごいいい本当にいいラストだと思うん ですよ1つはうんえまそれこそでもその前 にあれよねアナトレントの正体がビクトル エリスは本人だったっていうのは結構今 はいあそうなんて思ったな意外に考えた ことなかったなこれお前かみたいな女 アトレとビリビリたビクトルエリセお前か みたいなじゃやっぱり自分のことを語って きた人かそう思うとそうかもしれないです 自分のやっぱ自分の人生をやっぱり映画の 中に入れましたねうんまさかでもこういう 姿ね入れると可愛らしい姿だね思って なかったけどまマルメロも自分を入れたの でそうなあれはま分かりやすいあの トレントそうなんなと今思ったけどすごい ね黄色の爪爪っていうあの私も監督名聞い てもちょっとピンとこなかったあじゃあ いわゆるちょっとプログラムピクチャっ ぽいやつかビ映画かそうでエリセも今その 監督の名前を聞いてもどういう人かがわか あのパとは思い浮かばないってま調べれば 分かるんですけどなそれも含面白いわでも その時はおそらく人気あの映画として スペインではあの家族連れで見に行くよう なだからさコナンドラあのヒーローの研究 っていうのが始まってるから多分なんか シリーズの1個みたいなそれぐらい乗りね そううんああなるほどね勝手物みたいな はいはいはいそうねあの本当なんちゃら

なんちゃら4みたいなはいはい グローイングアップ4みたいなさでデート みたいそれぐらいのもんかもしれんよねも てこんな劇場版みたい劇場版みたいなかも しれんわ それラにしただけなるほどねいやラストは あの瞳を閉じてのねはい色々思ってまず あのそれこそさ月永さんがおっしゃった ことちょっと重なるんですけどラストいつ 結構前に決めてたんかなと思ったわけうん 最初から決めそうこのラスト取りたいそう そうもう自分の映画はあのえ三橋のさきの あの最トップシーンの上映官に対応する ようなはいはいうん俺は終えるんだって もしかしたらいつ頃からか思ってたんか なってことをちょっと思ったりもしたわけ ラストありきのねわかんないよあのもえも 思いましたでもう1つはラストに映画館で ある映画を見 るっていうのはあの過去にあるんですよ あのつまり一見ニューシネマパラダイスと かねあと最近で言うとデイミアンシャテル のバビロンだったじゃ本サンスもそうなん ですほんまやあれはちょっとまた特殊例や 小説家の映画な死者ねでなんか苦い顔で 終わ本サンスはちょっと特殊例やけどま 真ん中メインストリームで言うとニュー シネマパラダイスバビロンってのがある でしょでそういうのってだからねそういう ものとして見てる人もいるかもなって思っ たわけつまりえ映画が人生の記憶装置に なって映画のと共に自分の人生が センチメンタルに読みがあるみたいなね すごいシンプルな公式のはいえラストで 1番その変異なレベルでは受け止められる かもしれないとは思ったんですよただあの このラストって本当そのすんごい実は やっぱり複雑でまずその記憶をなくした 俳優がじゃなぜその上映化上を開こう かってなったって言うと映画の小道具は 持ってたっていうわけよつまりあの上海 のんあの王の娘の写真とこれねそうあと あのチェスの駒はいはいあとなんか日本語 が入ったマッチやったようんなんかホテル のみたいなそうですそうですうん全部断片 でですねはいそうしかもあれ中国じゃなく て日本語のマッチでもう謎のままなんそう ですなけどま入ってたはい曖昧な記憶 みたいな感じですねそうしかもあれはもう 単純にもしかしたら日本と中国の区別が ついてないかもしれないけどねついよく ある話だから昔のハウでもそうそうそうな のよ結局ねそこはま愛嬌として置いとくと するであのでその前にねでも色々思い出す わけフリよにねあのそのツーショットの

写真さっき言ったじゃん67年4月のあの 若き日のツショット見せるのよいやこれ俺 じゃないっていうわけうんうんこれね すごい面白いのその目を閉じてってことと 比べるあのやるとあの本人よ本人に見せる いやいや俺じゃないよって言わけよでだ けど その小道具持ってたからじゃこれはその フィクションでねフランクという役を演じ た彼を見せる方がいいのかもしれないって いう風に考えたっていうことでしょ流れと してはうんもうそれで言うそこの時点で もう現実と挙行っていうのがすごい複雑な イコ構造であの混じり合ったかままラスト シーンにななれ込むっていうイメージなの よで色々思いました僕自身の記憶ももう 現実と巨がごっちゃなのようんつまり えあれっておあったかなみたいなそうなん ですないそういうのそまありましありまし たありました女さんの年齢ではないでも やぱ情報が多すぎる時代だとさらに出るん ですよそうそうそうあるよなあるあの人と あったかなみたいな確かにあったなって いうと特にズーム始まってから僕余計なの よ顔がちょっと分からない時があるんです よそうそうもう顔は見てるしあとマスクと かコロナはさらにそこの人あったかなって いうもうあるしさだからその映像メディ アってそういうあんじゃん現実のような ものだからうんはいそうですねだから私も 俳優さんとか特に街中でとか映画館とかで 偶然あったりするとはい一瞬友達かと思っ ちゃって知ってる人みたいななってあげそ 違うと思って映画映画の中見たことある人 だけだっていうなんかあのでもそうなん ですよねなんかその巨とま不良は特別その 脳に損傷があってっていう説明はあります けどはいあるけどねうんでも結局はエリセ にとってというか人ってみんなそうじゃ ないのってことなんですよねそそこなのよ あの本当あるもんあのえ初めましてですよ ねみたいな はいなんか話した気初めましてかみたいな 昔とこが会ましたねみたいなありますよ うんあとまあそういうさまそういう実際に あの映画に近しい仕事もししてなくても やっぱりその記憶の中であれなんか現実夢 なのか現実なのかわかんないとかやっぱ 記憶ってそういうもんだと思うんですよね ごちゃごちゃになっていくっていうだから それって面白いあのえだからその記憶映画 人生で女さんおっしゃった時間っていうの もあるしもっと言たあの記録っていうのも あるよねあのメモリアじゃなくてレコード ていう記はいつまりあの別れのざしって

いう劇中映画ってえ劇映画なんだけど結局 俳優を取ってるドキュメンタリー記録映像 そう記録映像ですよ存在してるいたよ みたいなそうなんですよその照明として 上映するってこで別にみんなで映画を見 ましょうっていう会ではないわけはいはい あなたがそこにいましたよ確かにていう あれは単に彼の記憶を戻そうとするあの 機会であってあのその意味では普通の映画 の上映会とはあの意味は違うんですよね うんうん そこも面白いであのただねあのえフリオは だから自分自身というよりもフィクション の劇映画で役を演じてる自分の記録を見る ただそれも彼の人生であることは間違い ないわけだただねここでも思うわけよあの デジタルシネマの時代になるそしたらね もう今が写真もそうだけど映像イコール 記録にならないだうんあのね加工が可能な わけああそうですねはいそうあの写真でも もう本当持ってるやつとかあれは記録では ない じゃんそれがどんどんカジュアルになって きてもう今やその映像が現実の証拠になら なくなってきてるっていうのはあるじゃん これ作ったんでしょってなんかうんさらに 20年経つとエロンマスクの愛チプ脳に 入れることもうもうさらにもうもうどう なるかわかんなくなっちゃうそうなもうだ からその映像イコドキュメンタリーの時代 終わってんねうんあのフィルム時代はまだ でも記録なのよはいあの物だからね物物 ですねやっぱりあのしかもデジタルで加工 しなければねあのリマスターとかして いじらなければはいそうです物です存在 するものそうあれは記録なるよあの刑事 事件の証拠になるわけよはい人生の時間の 一望をそのまま切り取ったものただそれも 崩れてきてるのが今であるっていう風に 思うわけでねだからこの映画ますいません なんかやっぱり物を通して痕跡を探すって いうそうだねあの本当その通りあの全部 それでもそれってあの残念ながらオールド ジェネレーションの発想なんだろうねうん なんかそうあのそうなってこないこれから はやっぱりそのデータっていうものを追っ ていくんだけどもそれはでも書き換え可能 なあのものであるていう風に流れてきて るっていやそんな3dプリンターとかもう 何も作れますよなあはいもうそれそういう ことまで思うとこれすごい問題定義だなと か思うようになってきたんだけどでねもう 1個これは本当言いたかったんですけど あのなぜ目を閉じてるかようんうんこれは どうこれこれが語っときたらなぜ目を閉じ

てるのかっていうことでもなんて言うん でしょうねこうちょっとうまく言えるか わからないんですけどあのやっぱりフリ オっていう人は途中でもまその写真見ても 自分じゃないっていうよに あやだよ言われてもそれは俺の名前じゃて いうようにうんそう目が見え るっていうことの意味がちょっとていう ところがもありますしあとなんて言うん ですかねその自分にとってじゃあこの人に とっての真実の彼っていうのは誰なんだろ うっていうのがでも私たち自身もだんだん 分からなくなるわけですよねあなたフリオ であのこういう俳優をしてた人だよって 言ってそれが本当に彼のアイデンティティ を決定ことなのかいやそうじゃなくて あそこであの上海に行って娘を探してきた 彼なんだよってそれも1つの彼の真実の姿 でもあるっていうなんかその現実とあの 挙行とがこう混ざり合うっていうだけでは なくてあの挙行もあの全てが現実でもある んだっていうことをあの考えていった時に なんかこう最終的にそれこそスクリーンに 映っているものだけではなくてこう自分の 頭の中でうん記憶の中で見えている数して いる映画いうものがそう目でだけではない ですねそうそう頭の中の記憶の中で見て いる映画っていうものがあの全ての現実の 全てなのかもしれないっていうそう考える とじゃあ映画を見終わってあの瞳を閉じた あの目を閉じた状態で記憶の中で自分は どんな映画を見るのかっていうなんかそう いう促しというかことなのかなという風に なるほどねと感じたんですけどただこの クローズyourアイズというのがうん 呼びかけなのか命令なのかあのあそうそう そうそうそうそれもわかるすごねわかん ないんですね私は呼びかけとしてまずは 捉えたんですけど命令閉じろじゃなくて リリズのじ閉じてください閉じてみようっ ていうこう感じだと思ったんですけどただ 少なくともそういう映画っていうのは何か 見えているあのまだなんだてたくさん色々 話をしましたけど最終的には本当に個人の 記憶の中に何を見るかなのかなっていう気 はしていますそうだねそれはでも本当1つ そう思うわうんえ女さんどう私はやっぱり 基本的に月永さんと同じ考えですよさらに 言うとやっぱり逆に目を開けた時は逆に この目がもしかしたら邪魔になるかもしれ ないんじゃないかな目が見えるもそうだね そういう映画でもあるわそうですはいそこ もやっぱりま最終的に同じ結論だと思うん ですけどその目やっぱり目を一旦閉じて からっていところがやっぱり今回も

やっぱり感じましたねはいなるほどね僕ね だから答えはないんですけどもやっぱりだ から本当全問道よあのでもねこれだけの 全問度出せるとすごいなって思うんですよ あの色々考えますでふっと思ったのがえ ミゲルさんがまあアナトレントねアナさん え不の娘ですけど そのシよあのプラド美術館のカフェねはい あそこで言うのよアさんがあの子供の頃父 が出てる映画を何問か見たとはい思あった でしょあり声でってそこよあのとこれ同じ なのよさっきのあれ俺じゃないっていう 古いもがそしたらその登場人物を見ても あのお父さんだと思わなかったただ声を 聞いたらお父さんだと分かったというああ 確かにそうこれすごいミステリーですね逆 に言うとさでも月永さんも最近書いてる もの読んだら声っていうことにすごい注目 されてるでしょあそうですねもう映画の 最後声か な声が残って声が残るってあの感じでも 夜明けのすあの宮さんの夜明の全てもそう いうとこあるもんねあの声っていうところ 本声によって連れていかれるいろんな世界 に連れていかれる映画なのであでも確かに そう考えるとこの映画ってあの瞳を閉じ てってさっきのブラボのライフルとあの ポニーもそうですけどうん歌によってこう 導かれる場面がすごい多いですよそうそう もさすがでございそれをね僕もうねだから それすごく思ったの今回声とか歌とかね あの聞こえるものうんうんうんそうそう ですよねロラとミゲルが会話してる時も僕 のあの歌を歌ってって言ってこれって言っ た違うって言われてじゃあこっちって言っ てあの瞬間に2人の中でものすごい何かを 共有しているでその後ねあのフリオもあの ミゲルとどういう風にあの何かを共有する かっていうと歌なんですねやっぱり単語を 歌ってあ歌ってくれたっていうのでなんか そういう確かに声見る見るだけじゃなくて はい聞くっていうことがうん音声っていう 戻るんですねまたあの映像から音声そう そうそうあのだから女さんがさっきそのね 見あの目を開けたらはいはい騙されるって じゃないけどあの分からなくなるっていう ことになんからさ色々思うわけあのあの 別れの出しのあの中国人の執事さんあれ 盲目っていう設てなうんなんかもうあそこ から示唆的じゃんはい確かにそうだから あるしもう資格ではないっていうレベルで そしたらじゃあ何がその真実の根拠になる かって言うと聞こえるものなんですよねで 特に声うんうんうんでね声って確かに1番 変わらないんですよねうんあの指紋とか

じゃないけどもま声優さんのさあの現役の あれが長いっていうのとちょっと通じるん だけどもいわゆるその声代わりして行こう の声って割とそのえ年とってもあんまり 同じ声が出たりするじゃんうんうんであの だからフリオはもう四角では自分の昔の姿 を見ても変わりすぎててうん自分とのその アイデンティティ同一性がもう担保でき なくなってんだけどもじゃあでも喋ってる の聞いたらそれえ俺っって思うのかもしれ ないと思ったっていうシーンだと思ったん ですようんうんであのでフリオは実際これ 最後に彼が目あの彼女じゃなくてねあの プリオが目をとしたこれはもうミスリード よあとあれですよねこの映画のこの別れの まさしの中でむがここにってる彼女が父親 の目を閉じてあげるんそうそうそう そうそうそうそうそうそう王のね王のだ から父親が2人目を閉じるっていこだから 親が見終わった後これ何なんだっていう ことになるそうこれフェイクだから フェイクないけどシーンはあるけど フェイクではないけどミスリードよ本当に あのお父さんの方はね男の方がエルする じゃないけどあの目を閉じる映画であれは だからさ自分の姿っていうら自分の声 を聞いて何か思うものがあったんじゃない かという風にまずえミステリーの解釈とし ては僕思いましたうん思ったんだけどえー でもまそのエリセ監督に聞いたらいや知り ませんってことだっでしょでね確かにあれ 目を 閉じるあれでもねじゃあ終わるでもわかん ないよねフリオが目閉じてからえでどうか したみたいなねえだから何みたいなことの 可能性はあるじゃんいや今の何みたいな ことはあるわけだけどだけどそのあそこで 終わるってことよねうんそれはもうその こちらへの問いかけとし てやっぱ映画と人生もう自分のさ ファイナルアンサーみたいなことだと思い ますよでそれはうんこれはだから狂喜と 思ったけどあの月永さんがさ最初その エリセの語りで覚醒したっていうことと 繋がりますよねあでもそうですねこれ出き 過ぎの 話そうですねいやでも本当にあの話を聞い た時はうんもういぺの本当映画を見た多分 あそこの会場にいた人みんなそうだったと 思うんですけどもエリセが1日目はこれを 見に行ってそして2日目3日目みたいな なんかやっぱりその語りによってあの声に よって物語っていうのはむろあの見たこと ないようなそれこそ映画が1本見せられる んだっていうこともしかするとエリセは

もう信じてる人なのかもしれないですよね うんそうだよねそれは本当 ちょっとビビる話だなすごいねそかだから あれですねこの劇中劇の別れのまなざしも 結局なんで娘を探すかって最後に娘に見て ほしいって娘の視線をあそうそうそうほし いっていうだったけれどもなんか最終的に やっぱりまなざしじゃないというかなんか 人ってあのそうそうそうそうそうそうそう そうあのフリオとま穴が出会う時もみんな その娘だったらこう顔を見れば分かるん じゃないかみたいなどっかで多分なんか 視線に対してすごく資格に対して人って すごく期待をしてしまうけどうんうんでも ねこの別れのまなざしの中で最終的にあの 親子が通じ合うのもやっぱりあの歌によっ てあの出会ったようにそうそうそう なんかその映画を見るっていう時のこう つい資格を思い浮かべてしまいがちです けどうんなんかその資格だけじゃないと いうかあそうです感そうだね元々そういう 人じゃん感以上みたい以です第6巻みたい な人よな何かを 感じるそれは確かにあるのかもしれない ですね見るじゃなくて感じるですねそうや ねでさらにもうそっから本当こってり理屈 を乗せるとそれはやはいやっぱりその資格 芸術の時代の限界というか終わりあじゃ 最後に残るのは何かって言とその見える ものではなくま本当指紋のような アイデンティティ声だけしかないぐらいの うん感じですよそこにもしかないのです よっていう風にも思うしねうんだからさ そのメールインタビューでもすごく興味 深かったのはま要するにそのえフィルム からデジタルへの移行ってことが語られる しその映画の死っていうものがそういうた 忘れたけどえこれは手段になってるのか ないないですかみたいなことを投げかけた 時にえ私はその哲学者でもまあまあ研究者 でもないからみたいな予言者でもないから かであの分からないけどただ今がその映画 だけではなく世界のそのいろんなその人類 全体のあの変わり目の時代ではあるとは すごく思ってるっていうことを答えてたと 思ううんもうそれにつがると思うあの 要するにその我々のそのそそういうこそ AI問題ともさうどんどん怖くなってます よそ愛チプができるってもう猿の惑星来る んですよでも本当さそういうことよね じゃあ我々のその実存っていうのはさ最後 どういうものとして残っていくのちゃい ますなるよねもうほんとそう思ったあの そうなった時にそのもう映画云々ていう ことを超えてそのレガシシっていうことを

超えてこれってもう存在論の話をそうなっ た時にもう唯一の記録性として残るて声 だけかそれも 家庭やああ仮説あくまで暫定的な仮説とし て声もあのそのAIでできるかもしれない はいもう本当その通りあのとりあえずの 仮説として私は声という答えを置いてい くっていう風にはいえ見えたと結論して おき ますまあすごい映と思ったよあれなんです よねそのね最初にちょっとジョさんとも 言ったま後ろ向きっていうのは確かにこ れってもうでももう自分たちはもう自分 たちのやっぱり信じたものっていうのは おそらくもう決定的に終わっていくって いうなんか全てがあのかつてあったものは なくなっていくし年置いていくっていう 明らかにこう死をあの意識した映画では あるので結構でもそのことにあのなんか 抵抗しないであの委ねているっていう部分 ではもしかするとちょっとこう後ろ向きに も見えるかもしれないんですけどでもこう やってうん本に見ていくと決してこの映画 がなんか過去は良かったよねとかあそう そうそうそうそうそういう映画って 素晴らしいよねみたいなあのかつては こんな素晴らしい映画があったんだよ みたいなノスタルジアに浸る映画では全く ないっていうことは本当分かってほしいて は思うんですニシ パラダイスそうなんですまそうですよあの 別にいやシネパラが悪いて言ってるんじゃ なくでねうんあのちょっと物が違質が違 うっていう感じがするそうなんですね やっぱそれよりかは映画っていうものを 通してというかま映画っていうものが おそらくあの自分の人生と全く切り離せ ないもしかすると人生以上に映画をあの 生きてきた人かもしれないエリセにとって はこの瞳を閉じてによってこう映画とは何 かって問いかけることってやっぱり人生と は何かあのその人の個人的なものだ存在と は何かっていう問いかけだと思うんですよ ねでそれはやっぱり今のあの私たちが見て も同じようにこう何か存在を問いかけられ てる気がしましたなんかこれからの時代 本当にどう生きていくかっていう結構根本 的なそういうをうん投げかけてるんじゃ ないかなとそうなぜ選ばないんですよね そうよはいはい本です本当やろうんほんま やで かちゃんとスクリーナーでちゃんと見て ない見てないよなちゃちゃっと見て ちょっと飛ばしながら見たんじゃのバあ 新作なんだはでも確かにあのいわゆるその

パソコン画面で見る映画じゃないですうん そうなよはい絶対それ感じられない部分が あってあだってもう大望の一番多い時期だ だったのでその応募のなその中でだから そういうサイクルの中で判断向いてないか もしれないです今のその映画祭のその先行 とかも含めて思っはいうんなんかそういう 情報でどんどんこうそうです先に先に みたいなのには当てはまらないっていう 意味ではまある意味正しいやかんでもあっ たのそうだねそこの競争でも逆に落ち着い て上映された後は会え評価されたっていう ところもやっぱりなうんでも確かにこれは じわじわ聞いてくし僕はまだからさ人って 結局世代論でしか語れないわけだから世代 ってこと言ったけどこれはあくまで やっぱりそのフランク政権っていう中を くぐり抜けたえ1940年生まれの彼で 同時にやっぱりその20世紀っっていうま 映画の映像の世紀ね映像の世をうん人間の 1つの作の形に過ぎないんだけどそれ以上 は無理やからもうそのそれがのこのこれ ぐらいのその震度のあのレベルで残され たってことには僕めちゃめちゃ感動して ますよあのやっぱりさフェイブルマンズと かも大好きだけどやっぱあれちょっともう 言ってる映画やから言ってる映画だから 言ってるからもう完全にこの人やばいよ ねっていう映画の良さだ からのでってるけどねでもエリセに関して はこれ本当にだからそのメール インタビューで私は哲学者でも予言者でも ないですけどてあの別にこっちが言ってる わけじゃないけど言ったっていうのは やっぱりそれに近い人よていうなんか自 意識もあるのかなって思うぐらいにこれは もうすごく示唆的なあのラストを突きつけ たなっていう風に思ってますでそれはうん あの結構ずっと考え続けますね僕もその うんやっぱりどんどんその なんだろういろんな自分がえタルにしてた そのフレームっていうものが今崩れつつ あるのでまなんか評価時もやっぱ困るん ですよねこれってそのすごく偏った価値観 で語ってるだけじゃないのかなって自分で 思うこともすごく多いのでなんかそういっ たものをそのもう1回考え直すっていう 意味でもえ瞳を閉じては僕はもう自分に とってすごく大きい映画でしたもう偉大な 映画だと思いますはい本当見てほしいそう です本当にあの必ずやっぱり多分ね10年 後見てもねなんかまた違う感じが出てくる かもしれないありますねはいあるなんか何 年に1回かちょっと見たいですよそうはい そうしかもちゃんと2012年とかのさ

時代のあの表記もあるからその時点の状況 ですよってこともちゃんと入れてくれてる しねそこはそのドキュメンタルな良さと いうかうんだと思いますようんていう感じ であの色々語れましたけどちょっとじゃあ 最後に一言ずつだけ えいかですかいやでも本当に森さんも話し たようにその本当に人統はもう今のこの 時代においたからこそもその偉大さが 感じる一本ですしでこのやっぱり情報化 社会っていうかある意味今21世20年代 今224ですけどかなり激怒の時代 いろんな意味で激怒の時代においてこう いううん誕生することは逆にやっぱり大切 にしてほしいし多くの人をやっぱり劇場で 見てほしいていうか劇場っていうものすら 10年後どうなのかっていうこともやっぱ 繋がるのでだからもうこの作品まこれから あのエリセ監督はまだ新作作るのかわから ないんですけどでもとりとにかくさっき声 の話もさそうなんですよ目の前のこの作品 をやっぱり多くの方々見てほしいなとうん 思はいはいうんうんいやありがとうござい ますはい好きなんですいかがですかもう 今日は本当に思う存分話せたので言残す ことはないんですけどただそう確かにこれ 本当に集制でなんかもうこれで終わりを 告げるような映画にも見えるんですけどで も一方で確かにその前半の方だったりその 思いがけないエリセのこう軽さというか 軽妙さっていうのもあのあこういう風にも デジタルでも取れるんだとかこういう物語 書けるんだっていうことにも結構感動した のでうん是非やっぱりこれで終わりとは 言わずあの意外にも軽やかにやあるかもね あるかもねあるかもねだって自分私たちを 裏あの期待を裏切ってくれたら嬉しいな裏 配信を取ってわからんね映画じゃないです けどみたいないですよいいですよていう そう全然いいよね全然いいですドラマ シリーズ取っちゃいました全いむしろ取っ てほしいぐらいもう僕もそう思いますしま 本当まこれは大きいと思いますにんま映画 を見てきたあの人間にとってはかすごく 大きい一本だと思いますしあとまあなんと か丸めの見る機会がま本当でもその マックスじゃないですけどその映画音楽は ね割とあるんですよねそのネット上に探せ ばい何らかの形では映画ってやっぱりまだ なくなるもん見れなくなるもんだなって いう感じがやっぱあるなあるからあの なんかそこはちょっと思うところがあり ましうんやっぱり何らかの形で保管しない とえ消えてくものなんだなっていうことも 思いましたしちょっとこれだけの作品が今

なかなか見れなっというのはあの文化的 損失なのでちょっとあのなんか権利もし 持ってるねからがいらっしゃったらなんか ねそこ和らげていただきたいなと思います けどもはいまとりあえずこんな感じで ございますえじゃあえというわけで今日は どうもありがとうございましたがご まし H

☆テーマ
イントロダクション
カンヌ国際映画祭、ノミネート部門に対する不満
日本での評価
それぞれのビクトル・エリセ観、新作『瞳を閉じて』の感想:月永理絵
それぞれのビクトル・エリセ観、新作『瞳を閉じて』の感想:徐昊辰
メールによるインタビュー
それぞれのビクトル・エリセ観、新作『瞳を閉じて』の感想:森直人
『ミツバチのささやき』派、『エル・スール』派
さまざまな引用
ビクトル・エリセ監督と宮崎駿監督の親和性
『ミツバチのささやき』:アニメーション・特撮との親和性
『エル・スール』の作風
『瞳を閉じて』:ポスター
『ミツバチのささやき』、『エル・スール』の比較
『エル・スール』の魅力
『マルメロの陽光』
『マルメロの陽光』:『瞳を閉じて』との゛繋がり゛
゛映画の死゛
『マルメロの陽光』の魅力
ビクトル・エリセ監督にとっての゛映画゛
『瞳を閉じて』:冒頭シーンの印象
『瞳を閉じて』の重層性
『ラ・シオタ駅への到着』の引用の意図
ビクトル・エリセ監督にとって゛映画とは゛
映画への無邪気な言及
海辺の家でのシーン
ビクトル・エリセ監督の政治意識と体験
゛可愛らしい゛物語
『瞳を閉じて』:作中に散りばめられる゛記憶の断片゛
アナ・トレントの出演、ビクトル・エリセ監督の゛想い゛
ラストシーンの解釈
なぜ、目を閉じているか
゛声゛
ビクトル・エリセ監督からの問いかけ
エンディング

☆瞳をとじて
「ミツバチのささやき」などで知られるスペインの巨匠ビクトル・エリセが31年ぶりに長編映画のメガホンをとり、元映画監督と失踪した人気俳優の記憶をめぐって繰り広げられる物語を描いたヒューマンミステリー。

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報が寄せられ……。

「コンペティション」のマノロ・ソロが映画監督ミゲル、「ロスト・ボディ」のホセ・コロナドが失踪した俳優フリオを演じ、「ミツバチのささやき」で当時5歳にして主演を務めたアナ・トレントがフリオの娘アナ役で出演。

監督 / ビクトル・エリセ 
出演 / マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレントほか

公式サイト:https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/

☆ビクトル・エリセ
1940年、バスク地方のビスカヤ県カランサに生まれた。幼少時に一家でギプスコア県サン・セバスティアンに引っ越し、そこで17年間暮らした。6歳の時に初めて観た映画は、ロイ・ウィリアム・ニール監督のアメリカ映画『緋色の爪(英語版)』である[1]。少年時代にはジョン・フォード、ハワード・ホークス、マイケル・カーティス、ヴィクター・フレミングなどのアメリカ人俳優の映画を好んで観た[1]。中等教育を終えると首都マドリードに定住し、マドリード大学(現マドリード・コンプルテンセ大学)では政治学と法学を専攻した。1960年にスペイン国立映画学校に入学して映画製作を学び、在学中にはクアデルノス・デ・アルテ・イ・ペンサミエント(芸術と思想)誌やヌエストロ・シネ(われらの映画)誌で映画評論を行っている。1963年に『失われた日々』で監督資格を得た。アンチョン・エセイサ(英語版)監督やミゲル・ピカソ(英語版)監督と共同で脚本を執筆。1969年にはオムニバス作品『挑戦』の最終章を担当し、監督としてデビューした。

1973年には長編第一作『ミツバチのささやき』を撮り、同年のサン・セバスティアン国際映画祭でグランプリに輝いた。この映画はスペイン内戦終結直後(1940年代)のスペインの農村部の精神状況を的確に表現しており[2]、批評家のトニー・ラインズは『みつばちのささやき』を「忘れられない気持ちの作品」と表現した。その後はコマーシャル映像を手掛け、なかなか第二作を撮らなかった。1983年にはアデライダ・ガルシア・モラレスの短編を原作とする、長編第二作『エル・スール』の脚本と監督を務めた。前作同様に少女の成長をテーマとしたが、プロデューサーのエリアス・ケレヘタは物語の後半部1/3をカットした。カンヌ国際映画祭で高評価をされるも、カンヌでは今村昌平監督の『楢山節考』が作品賞を受賞した。

1992年の長編第三作『マルメロの陽光』は画家のアントニオ・ロペス・ガルシアについてのドキュメンタリーであり、カンヌ国際映画祭の審査員賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。2002年には、数人の監督がそれぞれ10分の短編を監督したオムニバス映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』に参加。ジェフ・アンドリューはTime Out Film Guide誌で、『10ミニッツ・オールダー』におけるエリセの作品を「実に見事である」と称賛し、「もっと頻繁に作品を撮ってくれるといいんだが」と付け加えた。スペイン国内外でのエリセの作品の評価は、ほぼ全会一致で熱狂的である。2007年にはマドリードのポンピドゥーセンターで、アッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡『ビクトル・エリセ/アッバス・キアロスタミ、書簡』展が開催された。2010年にはカンヌ国際映画祭の長編部門審査員を務め、初めて映画を審査する側に回った

★フィルモグラフィー
長編
ミツバチのささやき El Espiritu de la colmena (1973年)
エル・スール El Sur (1982年)
マルメロの陽光 El Sol del membrillo (1992年)
瞳をとじて Cerrar los ojos (2023年)

オムニバス
挑戦 Los Desafios (1969年)
10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス/ライフライン Ten Minutes Older: The Trumpet / Lifeline (2002年)
3.11 A Sense of Home Films (2011年) – 東日本大震災を受けての短編映画集
ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区 (2012年)

☆ 出演者
徐昊辰(映画ジャーナリスト、上海国際映画祭プログラマー)
1988年中国・上海生まれ、2007年来日、立命館大学卒業。2008年から中国の映画専門誌「看電影」「電影世界」、ポータルサイトSINA、SOHUなどで、日本映画の批評と産業分析を続々発表。2016年から、北京電影学院に映画産業論文などを不定期発表。中国最大のSNS、微博(ウェイボー)のフォロワー数は約270万人。WEB番組「活弁シネマ倶楽部」の企画・プロデューサー。映画.comコラム「どうなってるの?中国映画市場」連載中。2020年から上海国際映画祭・プログラマーに就任、日本映画の選考を担当。

月永理絵(エディター、ライター)
1982年生まれ、青森県出身。出版社勤務後、2014年よりフリーランスとなり、編集者・ライターとして活動中。個人冊子『映画酒場』の編集・発行人。雑誌『映画横丁』編集人。日本橋高島屋セミナーにて映画講座の講師をつとめる。『メトロポリターナ』『現代詩手帖』『i-D Japan』等にてコラムを連載中。

森直人(映画評論家)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『シネ・アーティスト伝説』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「メンズノンノ」「シネマトゥデイ」「Numero TOKYO (Web)」「映画秘宝」などでも定期的に執筆中。

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