【ビクトル・エリセ監督31年ぶりの長編!】元映画監督と謎の失踪を遂げた人気俳優ふたりの記憶をめぐる人生と映画の物語!そえまつ映画館 #164 『瞳をとじて』を映画評論家 松崎健夫が見どころに迫る!
[音楽] 松映画 館はい映画評論家の松崎武でございますえ 今回ですね僕の大好きなビクトルエリセ 監督の31年ぶりの 新作31年すよ前作の時まだ僕20代でし たからねいやちょっと考え深いんですけど もビクトル監督の最新 作瞳を閉じてをご紹介したいと思い [音楽] ます 22 [音楽] かつてのはなぜ姿を消したのかその息と 自らの過去をたどる旅に 出る [音楽] [音楽] suur [音楽] はいこの映画ですねえっとちょっと去年の その去年公開された映画の傾向の1つでも あった映画についての映画いうま傾向が あったんですけどその経由に当たる作品 じゃないかなと思うんですけども主人公は 映画監督なんですけどもこの20年間映画 を取ってないという映画監督が主人公なん ですよでそのなぜ20年間撮ってないかと いうとその20年前に撮った映画でその 撮影中にその主演男優が失踪してしまって で映画が取れなくなったでそれ以来そのま 映画もみかのままになってしまったしその 主人公の監督は映画を取ることができ なかったんだとでそのテレビ局がまその ことをあの時はどういうことがあったのか みたいな番組でその過去をちょっと追跡し てみたいから番組に出てくれませんかって いう依頼をその映画カトが受けてその20 年前のま撮影現場で何が起こってたの かっていうことま番組の中で語りかつて 自分が撮った映画の一部をあテレビ番組の 中で流すということをやったんだとそう するとテレビ番組を見た視聴者の中から その行い不明になって生きてるか死んでる か分からないままになっているあの人気 だった主演男優が私の近くにいるあの人 じゃないかと思うんですていうま連絡が来 てえそれ本当にあいつなのっていうことで 会いに行くていう話なんですよねで今の そのストーリーを聞いていただいたらなん となく分かるんじゃないかなと思うんです けど映画の中で20年間その新作を取って ない映画監督が主人公なんだとで頭にも 言ったようにビクトルエリセ監督ってのは この30年間映画を撮ってなかっだと
つまりそのビクトルエリセという監督の ことを知ってる映画ファンはこれはエリセ 自体のことなんじゃないかと重ねながら見 てしまうっていうところがポイントなん ですよねビクトルエリセ監督というのは この三橋と佐という作品1973年の作品 ですけどもこれでま人気が出たんですけど も実はこの映画ってのは1973年の映画 なんだけども日本で公開されたのは190 85年になってからなんですよでまあ 1985年にそのミシアで公開されてあの ま話題になって僕もものすごく影響受けた 映画の1つで映画の中でセリフだけじゃ なくて映像と映像を積み重ねていって市場 みたいなものが生まれた時にそれが感情と してその映像の中から表示するっていう ことに気づいた最初の映画であそういう 映画の作り方があるんだっていうことに ちょっと驚いたというかま僕当時中学生 だったので衝撃を受けたんですよねしかも 話を聞くとこの映画ってのはその73年 つまりそれよりも12年も前に作られてた ものであ僕がもう2歳とか3歳の頃に作ら れてた映画なんだっていうことにびっくり したんですよねでこの三橋の佐々木まこの 彼女ですねアナトレントっていう当時子役 だったこのアナトレントがものすごく注目 されたんですけども日本で公開された時は 12年経ってたのでこの映画公開されて 彼女は人気の人気もになったんだけども その後出ていた子役の映画がいろんな作品 が公開されたりしたんだけどもその当時 すでに彼女は大人の女性になってたって いうことでまみんなちょもちろんことなん だけどみんなびっくりしたっていうなこと とかも僕の中で結構鮮明に覚えてるそんな 映画だったんですがこの三橋のさきの後 えっとビクトリエリセってのは83年 つまりその時ももうすでに三橋のさやきが あの日本で公開される前にはこのエルスー ルっていう2作目を作ってただからその ミバの撮公開されるとそのビクトエリセ 監督には2作目があるんだよって言って このエルスールが公開された10年ぶりの 2本目がそうだったそこからさらにまほぼ 約10年です92年にマルメロの陽光って いう映画を作ってこの監督ってのはま短編 作品はあるんだけど長編作品は73年83 年92年て僕がその10代だった頃の感覚 で言うとビクトルレーセってのは家作の 監督で10年に1本しか映が作んないんだ て監督だったそれが10年ところか間に 短編作品を作っていたとはいえ長編作品と して31年待ったっていうなんかもうね なんか感覚的にはもうビクトルイセの長編
ってのは僕はもう死ぬまでに見れないん じゃないかってちょっとどっかで思ってた ところがあったのでえっと去年の間の国際 傘で上映されるっていう情報審査が上映さ れるって情報した時にいやすっげえ見たい と思ってた映画がこの人見を閉じてって いう作品なんですけれどもこの映画のその ま主人公でる映画監督と失踪したっていう その主演俳優はえっと若い頃にその政治的 な理由で投獄されてそこで知り合ったって いうような設定になってるんですよでそれ はすごくこの映画にとってもビクトリ エリセという監督を理解するにもすごく 重要なことでその年代を考えるとその スペインでそのフランコ政権だった時ま 独裁政権だったわけでその時にま政治的な 理由でその2人は獄されたんだろうなって ことぐらい吐かれるんですけどもそもそも この水橋のさきという映画は子供が主人公 なんですけどその子供を主人公にすること によって本当はもうちょっと政治的な批判 精神を映画の中に投影したんだけども投影 したいんだけども直接描くことができない ので子供を主人公にしながら私的なその 表現を用いることによっ批判精神を映像の 中に込めたっていう事情があったんですよ それはなぜかというとそういうことを直接 描いちゃうと映画とはいえ検閲を受けて 投獄されちゃうのでビクトルエリセっての は子供を主人公にした映画を作ったんだっ ていうことはいろんなとこで評論されてき たっていうことがあってま自由にその表現 ができなかった映画が作れなかった時代 20代30代の頃のことだったからこそ その今なをその新作の中でもフランコ政権 のことを匂わせるようなことを映画の中の モチーフに用いてるのってやっぱビクトル エリサの映画だなと思って僕は見ていたん ですねそれでえっと頭でこれは映画につい ての映画だって話をしたんですけどもその 去年例えばそのスティーブンスピルバーグ がえっとフェイブルマンズっていう自分の その家族のことをま自分の映画政策少年 時代の映画政策絡めながら偉いたものこれ そうもしているの見ていただきたいですし エンパイアオブライトっていうえイギリス の運べの映画館を舞台にした3メンデス 監督の映画だったりこれもそういまご紹介 しましたけどもバビロンっていう1920 年代の映画がサイレントから当期に 移り行く羽駅のことを描いた映画だったり さらには日本でもえっと新井ハ監督が花下 っていう映画を撮ったんですけどもこれは 原作にはくない要素としてそのピンク映画 っていうそのピンク映画の産業がそのま
なくなりつつあるんだっていうことを モチーフにしてる作になっていてそもそも ヒあのは監督は脚本家としてその日活 ロマンポルノピンク映画でなくてロマン ポルノで脚本を書いていたっていう経歴が あるのでそういった自分がその映画制作を こう色々こうやっていたことを解雇し ながらうんその映画についての映画を撮る んだなと思った時に2020年にコロナに なった時に世界中の映画感がま閉鎖された わけじゃないですかその時におそらくその 映画監督たちはま映画館がしまっただけ じゃなくて映画の撮影もできなくなった その時 に映画って何だろうなって考えたんだと 思うんですそれが同時発にいろんな国の 映画監督が同じことを考えてい て別にその用意飛んでこういう映画につい ての映画を作りましょうって言ってみんな 作ったわけじゃないんだけどもその時抱い てた思いを企画にして映画を作ったら同時 発席にそういう映画が出てきたっていう ことなんじゃないかなってことはここでも 何度か解説させていただいたと思うんです けどもつまりはビクトリリセ監督も30 年間長編映画取ってなかったのに同じこと 感じたんじゃないかなっていう風に僕の中 ではなんとなく勝手に妄想したりしてる ですよねだからこの中は確かに大変だった んだけどうんビクトルエリセがその新作を 取るっていう気持ちになったっていうこと だけはまコロナに感謝って言い方変です けどもコロナがあったからそういう風に そのビクトエルス監督も思うようになった のかなとかっていうことも考えたりするん ですよねでこの映画の中ではその主人公の 映画監督の友達として映画の編集者が出て くるんだけども彼は自分の家にたくさんの フィルムのコレクションをしてるんだけど もそのコレクションをま見て回ってそこに そのかつてその主演俳優がその失踪して みかのままになってた映画のフィルムも 保管されてるっていうそういうシーンが あるんですけどうんその時にその今ねその 映画ってみんなデータになっちゃってんだ とでうんみんなSDカードとかそういうの にそう1枚の映画をね入れちゃってるけど 映画の歴史が始まってから作られた映画の 9割ってのはフィルムで残ってんだろこれ を全部データにしてSDカードとかに入れ ちゃうのかみたいなセリフがあってどこか やっぱりその今映画について起こってる ことについて劇中のセリフではあるんだ けどもこれもまさにビクトリエリセ本人が 今映画で映画そのもの映画業界に起こっ
てることに対してどう考えてるのかって いうことが投影されてるっていう風に感じ た点もちょっとこの映画のなんて言うん ですかね入れ子の構造になってるところの 面白いところというかこう色々考える ところだなという風に思いましたさらに この映画の中にはそのビクトルエリセが こう愛して愛したであろういろんな映画に ついての引用みたいなものがあっていくつ か面白いなとと思ったものがあったの紹介 したいと思うんですけども例えばリオ ブラボこのジョンウン主演のリオブラボの ライフルアイバていう歌があるんですけど もそれをこのリオブラボの中ではディン マーチンとリッキーネルソンの2人がま 交互にのギタ引きながら歌うっていう シーンがあるんですけどもそれをちょっと 似たようなシチュエーションで主人公の 監督が歌って見せるっていうなシーンを 施していたりあとその 監督の友達のその編集者がそのカール ドライヤーが死んでから映画に奇跡が 起こってないよっていう風なセリフがある んですけどもカールドライヤーて監督か 奇跡っていう映画を撮ってるよなとかて 思ったりとかあと そのルミエール兄弟が作ま映画の誕生と 呼ばれるその作品の中の1つとしてラシ駅 への列車の到着っていう50秒ぐらいのの 短いその映画があるんですがこれがまその 世界で初めての映画の1つだって言われて んですけどその列車の到着のうんと フィルムじゃなくてパラパラ漫画にして その監督がこう見る心があるんですねこの 列車の到着と似たようなアングルで駅の中 駅のホームに列車が入ってくるっていう シーンを実はピクトレイス監督この三橋の 佐の中で同じような構図で実践してたり するんですね何かそういう あの我々がその我々も映画が好きで映画を 見てるけどもビクトリエルセ監督自身が 自分が好きだった映画とか映画に対する思 みたいなものが過去の作品を引用しながら 表現されてるっていうところもこの映画が 映画についての映画であるっていうことの 魅力の1つだと思うしさらに言うとこの 映画の中でみかになったまあ途中でその 俳優が失踪しちゃったので完成できなかっ た新作英の不定ジが映画の中に出てくるん ですけどもこれはその映画の中にある映画 だから劇中劇みたいな作品として出てくる んだけどもよくよく考えるとこれってみか ではあるけどビクトルエリセ監督の新作だ よなと思ってその人身を閉じてっていう その
ミクトエリセ監督の新作を見ながら劇中撃 としてもう1本新作見てるってこんな贅沢 なことあるかなとかて僕は感じたのもう この映画に対してこうこうなんて言うん ですかね公用感を得た理由の1つだったり しましたでえっとここからはちょっとね そのこの映画が本当は何を描こうとしてる のかっていうことが割とこうネタバ れっぽくなるのでもしそのうん この映画に関するその確信めいたものを 知りたくないという方はちょっとここで 動画止めていただいてまたご覧になって からこの先見ていただきたいなと思うん ですけどもこの映画はその過去をまもうい その自分は映画が作れなかったって嫌な 過去を忘れようとする監督と一方でその 記憶をなくしちゃった俳優の話だていう その記憶に関する回避みたいなものが ものすごく重要な映画になっていくんです よねこの映画の中でその劇中劇として作ら れてる映画ってのはこのこの瞳を閉じてっ て映画の中ではその当時のことを記録し てるまあ映像記憶を記録してる映像になっ てる一方でそれを見ることによって過去の 記憶を呼びすっていう装置にもなって るっていうことがまあるんですけどもこの ことはその 映画の中でその映画監督と俳優の関係に おいて記憶の装置であって記憶を記録した ものが映画であるっていうことだけでない のが僕は重要だと思っていてその中でその この映画ですごく重要な登場人物がいるん ですけどもその失踪した俳優のその娘が出 てくるんですその娘をえっとアナトレン トっていうその女優さんがやってるんです けどもさきちょっと名前出したので覚え てらっしゃるますかねアナトレントっての はこの三橋のさきの時のこの少女なんです よこの子がもうその三橋の佐からすると 5051年とか50年ぐらい経ってるん ですかね50年ぐらい経ったアナトレント がビクトルエリスの新作にしかも穴って いう役で出ていてこの三橋のさきの時も 穴っていう役だったんですよで この三橋のさきのラストシーンってのは そうい穴私は穴よって言ってその精霊か 何かがいるんじゃないかなっていう窓の方 に近づいていって夜空を見ながら目を閉じ るっていうところでこのあの三橋の佐は 終わるんですよねそれと同じように今回の 瞳の中ではアトレントがそういア私は穴 よっていう同じセリフ言うんですよその時 に僕ら観客の記憶も呼び覚ますような装置 にこの映画がなってる自分が見た映画の その記憶みたいなものを呼び覚ますものと
してこの人目を閉じてっていう映画が存在 してることに僕は本当に神を受けて映画を そうやってこうリアルタイムで見た あるいは少なくとも85年にその三橋の差 を見たっていう人たちであれば僕たちも 成長してるしアナトレント自身も成長して いてそのかつて見た映画の本当のワンシン の言葉みたいなものがスイッチになって その三橋のさきって映画の思い出みたいな ものがこう押し寄せてくるっていう効果に その30年確かに新作見てないんだけど 映画をずっと見てるとかそのある映画作家 を追いかけることの意味みたいなものを なんかそのなんて言うんですかねなんか こう映画ずっと見てきてよかったみたいな 感覚になって僕はものすごい感動したん ですよでその三橋のさきがそのこの映画の タトになってに瞳を閉じるっていう風な まくれになるのと同じようにこの映画を また映画のまくりれってのは瞳を閉じ るっていうところで終わるじゃないですか その全く違う作品しかも50年ぐらい時 減った別々の作品だけども同じビクトリ エリセという映画作家がその映画を作る時 になんか時を超えた演出の掃除系みたいな ものにそれも僕もなんかもう言葉にでき ない感動を覚えてこまこれまもう映画鑑賞 じゃないですよね映画体験と言ってもいい と思うんですけどもそういう映画に 巡り合えたことにものすごく感動していて 同じようなその体感体験したっていうこと を祝俊二さんとかいろんな方がこの映画に 対するコメントとしてあの出してるんで 是非あのホームページに浜口龍介監督とか いろんな方がコメント出してるんで それぞれの人たちがそのビクトルエリセと いう監督にどういう思いを抱いてこの31 年間待っていたかっていうことも分かるの でなかなかねこういう映画もないと思うん ですけれどもうん例えばこの ねこの少女もこの映画に出てくるんですで 彼女はうん予告の中にちょっと出てきます けどセスをこを持つことによってま観客ず と目にこう視線が行くような絵作りがされ てるんですけどもこの視線ですよね視線 みたいなもの視線をどういう風に捉えるの かっていうようなこともこの映画の中では もうそのしびれるような演出が数々なされ てるのでビクトリーエス監督の作品の ファンだという方はもう是非見ていただき たい作品になっており ます jeg
映画評論家 添野知生と松崎健夫のYouTube番組「そえまつ映画館」!
TV番組から飛び出しYouTube版として、おススメの新作映画・配信情報をお届けします!
今回は
2月9日(金)公開予定の『瞳をとじて』をご紹介!
1985年、伝説のミニシアター“シネ・ヴィヴァン・六本木”で記録的な動員を打ち立て、今なお
不朽の名作として映画ファンの「ベスト映画」に選ばれる『ミツバチのささやき』の映画監督、
スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督、31年ぶりの長編新作。
★ストーリー
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪。
当時、警察は近くの崖に靴が揃えられていたことから投身自殺だと断定するが、結局遺体は上がってこなかった。
それから22年、元映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の
謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。取材協力するミゲルだったが次第にフリオと
過ごした青春時代を、そして自らの半生を追想していく。
そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。
「海辺の施設でフリオによく似た男を知っている」——
かつての親友は、 なぜ姿を消したのか——。
未完のフィルムが呼び起こす、 記憶を巡るヒューマンミステリー
「コンペティション」のマノロ・ソロが映画監督ミゲル、「ロスト・ボディ」のホセ・コロナドが失踪した俳優フリオを・・・そして「ミツバチのささやき」(1973)で当時5歳にして主演を務めた
アナ・トレントが同名となるフリオの娘「アナ」役で出演!
世界の著名人から賞賛のコメントが寄せられた『瞳をとじて』。
これまでの不在を微塵も感じさせない詩情豊かに綴られるワンシーン・ワンカット、
そして感情的で圧倒的なラストシーンをご堪能ください!
『瞳をとじて』公式HP
https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/
監督のコメント
“リュミエール兄弟の当初の計画から今に残っているのは映画館だけだ。
技術の発展により、私たちは自宅で映画を鑑賞するようになり、
鑑客としての経験もすっかり変わってしまった。
しかし私は、映画を観るという公共的な経験を守りたい。”
──ビクトル・エリセ
(サン・セバスティアン国際映画祭(2024年)にて)
【おことわり】
松崎本人のマスクは持病によるためのものであり、コロナとは無関係です。
#ビクトルエリセ
#マノロソロ
#ホセコロナド
#アナトレント
2 Comments
アナ 本当に かわいらしかったですよね。「みつばちのささやき」は、映画について、詳しくはないのですが、たまたまラジオから流れていたコマーシャルにひかれて見に行きました。恥ずかしいことに、意味がさっぱりわからなかったのですが、いまだに凄く心に残っている事を考えると、おっしゃられていた「映画体験」という言葉がピッタリ当てはまる気がします。エリセ監督の新作見たいなあ😢。今、外国の田舎に居るので、見られるのはまだまだ先になりそう。
毎年のように映画を撮っているスピルバーグがフェイブルマンズで「映画を撮ることの功罪」を描いていたのに対し、30年映画を撮ってこなかったビクトル・エリセが本作で「映画が持つ奇跡」を描いていて、とても対照的で面白いなと思いました。