徹子の部屋 2024年1月24日 安藤優子 「報道一筋40年…意外な素顔」

[音楽] このおしまな女の子が成長し報道の顔に 安藤裕子さんですどうぞお入りください ありがとうごいます大学生の頃スカートで この世界に入りキタそして女性 ジャーナリストとして40年ご活躍です どうもよくやってくださいます ください しておりますえ40年近く報道の現場に いらっしゃったんですけどもあの毎日の生 放送からはちょっと一旦休憩中のしてい ますはい今はあの毎日の生放送からはある 意味え解き放たれてうん全然違う時間軸の 中でやはり生活しています毎日同じところ に決められた時間に行くっていう生活って うん必ず時間にこう制限というかお尻が あるわけですね何をしていても次は何分前 までに何時何分までにこのことを終わらせ て何時何分までにスタジオに入るとかって いうずっとそういう逆算人生だったんで 時間のそれから解放されたっていうのは とても楽気分は楽になりましたそう でしょうね縛りつけられてるものがない ですもんねはい大学の先生もやっ てらっしゃるはいまあの名古屋の杉山女学 園大学という女子代で教えてるんですけど もうんまインスタを始めたらばはい反響に びっくりしてはい特にお洋服が注目された ということでそうなんですねあの私あの SNSってやったことがなくったんです けどもえあ素敵な素敵な色のお洋服 えこれミニスカートなんですよ本当だはね はい宮きれだからいいと思ういややぱこれ の写真を出した時にはやっぱりちょっと 反響が大きすぎてびっくりしましたえっと へえ身に履くの みたいでも可愛いこれは黄色いコートなん ですけどやはりあの報道をやってる時は どうしてもダークスーツとかうんそれから はいそうそういうものが多かったのでえ アンドさんって黄色とか切るんです そうさっの赤いのピンクるんですかとか 赤いのるんですかとかいうまとにかく皆 さんこうびっくりマークみたいな感じの あの反響を寄せてくださってこれなんか すごいこれはジズで私普通にジズ履くん ですけどえ安藤さんデリも履くんだみたい な言われるんですなるほどはいで洋服時は お母様ゆりなんですってそうなんですあの うちの母はあの多の人間なんですけれども うんあのやっぱり戦争のさ中に小学校行っ てでそれが過ぎてからえっと要塞の学校 ドレスメイキングというあの学校に行って 要塞を習ったえ人なんですねですから基本 はファッションが大好きでお洋服が大好き

でまたすごいおしゃれだったんですね ちっちゃい時にから記屋さんによく連れ てってくれたんです はいで自由に生地とか選ばせてくれあそう でその生地を持ってって下屋さんにえっと ワンピースとかを作ってもらうっていう ことをやっててうんあら可愛いわたこれ これバレの発表会ですもなんかお 恥ずかしいんですけどこれも母の手作りの 衣装あそうなのでもこんなねちょっとチチ みたいな可愛いスカートでねなんかバレー やってら感じ随分可愛いわねあなたそう ありがとうございますこれ雨降りのあの 模様をこう踊るみたいな練習でこれは母が 作ったえっと振り付けのメモなんです すごいもう必死ですよねお母様母親が 優しいうんはあれですその発表会を見に来 てくれた方にえお配りしたなんて言うん ですかお礼の島すごい好きでもっていうん ですかね好きでもうんえ私当時こんなこと する親っているんですかねこれはゆこって 書いてあるアヒルの格好したピックなん ですそんなのええ面白いでも今でも撮って あってあの私今でもこれ使ってあ本当に へえもう大体 656年ぐらい前のものですすごいわね よくとっ大きになったわねはいでも お母さんは何事にも一生懸命なご性格で はい料理なんかでもとても丁寧だったん ですてはいもやすの髭取るんですよ ええもやしのあの細い髭はいはい髭をそう であのやっぱりある程度お手伝いができる ようになるとそういうめんどくさいことは 全部子供の役にてうん母割と母子だったの で母親が台のに立ってるとそばに行って それじっと見て見てると手伝えて言われる んでそれをやってなんとなく門前の小僧で 母のお料理をすごく学びましたすごうん うんそうですかだからあの安藤さんお料理 上手えっとね上手っていうか適当なんです けど好きなんですお料理することがあそう 美味しそううん見るからにこれ何ですか 手前は白菜を丸々想定して上から肉お肉の 肉味噌ソースをかけてあるんですええ菜の マゴステーキ美味しそうね美味しいです 美味しい美味しそうはいあっという間に 白菜半カぐらい1人で食べられます本当 すごいはいこれはですねマカロニシェルの 格好したマカロニマカロニあそうか マカロニこれはうん手前はこれは春巻き ですこれね冷蔵庫整理の日で私こういう あの冷蔵庫の中にある材料でコバチもを 作るのが大好きなんうんあそうなのうん いいわねそれね本当ですかもういつ呼んで いただいても残ってるもので残りもので

こちもを作るそのなんか工夫する瞬間がす すごい楽しいうんでこれはあの手巻き寿司 で残った材料を次の日色々こうアレンジし てあのちょっと器にも凝ってうん手前のお 魚は何ですか手前のですね余った白身魚と えっと昆布とえっと貝を一緒にポで会えた ものですねえこういうちょっと船形の容器 に入れたりとかして器に入れたりとかして うんえ遊ぶのが大好きあの私食器集めるの が大好きで国谷とかあと小とかうんすごい うんが大好きなんですねでいつも使って いるロイヤルコペンハーゲンっていうお皿 があるんですけど青いはい青のであれが ある日こうかけてしまったので私金次に 出したんです京都までうんうんであの ちゃんと手をかけて綺麗にロイヤルコペに 金次してくださってそうしたら次の日もう ね食器洗に入ってて金次が取れて たってそれちょっと無理なさあ犯人は誰 でしょうってことになりますよねえはい はいちゃだったんですけどそれはあの同居 してる夫で ございあそうだったのはいはいやっぱり その頃はまだまだ器に対して理解を示して くれていなくて器は器だろ食器洗に入れて もいいだろっていう感じで入ってたんだと 思うんですけどでもやってくださったとこ までは良かったんだよねそうですねでも私 きっと心が狭いんでその意見は結構根に 持ってるかもしれないでも旦那さんの 盛り付け方はあなたはちょっと不満を言う ああもう えっと作ってくれるのはすごいいいんです ね作る作ってくださるの大好き作ってくれ うんでもろうとする時に1番手前にあるお 皿を選ぶんです よわかる分かりますお料理に合うとかじゃ ないのねじゃない1番手前に手の届くとこ にあるものを使うっていうそのなんかそこ までやったんだったらばなんでその先一歩 行ってくれないのかなってでえっとまいい 加減にやっぱり盛るわけですよでだから こういうのはやっぱり中々に持って美味し そうにこ風にしてて言ってこの器じゃダメ だとかってダメ出ししてたら最近は自分で 出してきた器でこの器でどうって聞く聞く のそれはいいじゃない一応大いを立てて くれるようになったのでうんすごいじゃ ないうんそうですね2方ぐらいだって作っ てくださるだけでもすごいのにはいわかり ましたそれをあなたあのこれでどうってお 皿をあなたに見せるっていう相当な進歩だ と思いますね私はいもう作ってもらったら じゃあ何に盛られてもそう文句文句は言わ れ言えないでも最近盛り付けでちょっと

張り合うようになってきてすごいわねもう これでどうだこれうちのあの音やった テーブルなんですけどなんかあのあのタコ のカルパッチョを作ってこれなんですけど これ私まだソビエト連邦だった時代に しょっちゅう時に買ってきたお皿なんです けどうんそこにこのタコのカルパッチョが 盛られててうんまあまあなんか感じよく オリーブオイルとこのお皿が調和しててえ すごいなだんだん腕を上げてるないやいい んじゃないと思う私いいですかねいいじゃ ないオッケーですかオッケー ですいいじゃりませんなんかあのソビエト 連邦時代のお皿にまタコのゆかパッチが 乗った [音楽] いい 安藤さんはどっかのアナウンサーからこの 世界にお入りになったと思ってる方が割と 多いんじゃないかと思うんだそうですね ずっとあのまフジテレビも長かったので フジテレビのアナウンス室の多分あいつは きっとおつぼだよって思わてたと思うん ですけどそうではなくてもう学生時代に このテレビ朝日の報道番組のアシスタント をさせていたうんたのが本当のけでこの 世界に入ったのであのそこそれ以降ずっと フリーランスですあそうなんだはいうん これはあのポーランドから生中継を入れ てる時ですこれもテレビ朝日の今世界はと いう番組なんですけれどもまだポーランド が東川諸国でうんあの物は配給性でって いうとてもまだまだ皆さん暮らしが大変 だったこででも街に出てインタビューする と市民の方に何が今欲しいですかって聞く とその物質的な答は一切帰ってこないん ですようん皆さんね行く同音に平和が 欲しいでそうしたらばそのなんかもう平和 ボケしてる日本から行ったもうチラチラし てる大学生の私はもう大ショックを受ける そうねうんであそっかこの地球には私 みたいなヘラヘラした日送ってるんじゃ なくてでこうやって常に隣国から侵略の 浮きに合ってきた人たちが平和が欲しいっ て言ってるんだってことに気が付いた時に ちょっとだけ私こういう機会を与えられて あ本当は感謝しなくちゃいけないって 気づいたのがこのポーランドだったそう ですいうことですでもお母様は報道の仕事 には本当反対だったんですあのなんか私 結構じゃ買っててあの女だからできないっ て言われたくないので戦争でも紛争でも何 でもかんでも災害の現場でもとにかく仕事 断らないでどこにでも現地はあの参りまし た黒柳さんもねよく難民キャンプとか訪れ

てらっしゃいますけどでその時に自分用の こう防弾長期とかパッキングしてるんです ようんそうするとうちの母がそれ見てなん であんたが行くのってねなんであんたが 行くのってそんなのもう木村太郎さんに 言ってもらいなさいとかっ て言ったりとかしてましたはいだからそれ くらい私には普通に可愛らしく人生やって ほしいってピンクのパジャマがそうなん ですよだから歯のところに泊まりに行くと もういつもダークスーツとかあの着てる わけじゃないですかそうれで戦場に行って 変なあの防弾チョキつけて走り回ってんの 見てもう実家に帰るとピンクのジェとか 置いたんです よすごいあの普通の可愛らしい女子に戻っ てほしいっていう母の壮大な願望が込め られててなんかもう私も全然落ち着かなく て眠れませんでしたそれ来てピンクででも お母様の介護も経験なってはいそうですね 母そうですね70過ぎ行ってしばらくして ぐらいからちょっとね老人性打つみたいな 感じになったんですねはいうんそれまで とにかくさっきもあの申し上げた通りお 料理好き旅行好き友達大好きえっとも おしゃれも大好きおしゃれもだすヨガも 行くジムにも行っちゃうみたいな何でも かんでも黒神がものすごい勢なんですね そんな母がやっぱりある日突然どこにも 行きたくないとうん何やるのもオあれも やらもやらあれもこれも全部オになって うんである日突然その父と暮らしていって でマンションのベランダからなんかもう 飛び降りてやるみたいなことを言ったこと があってうんでなんかちと喧嘩したわけで もなんでもないのにあそう突然そういう こう不安とか怒りの感情が湧いてきてそう いう言動に走ったうんうんで最初はだから 父が 全部そういうことをカバーしてたんですね なるほどでそうなんです父が病気になって 入院して半年の投票で亡くなったんです けれどもその間にやっぱり母は1人ぼっち を経験してもうどんどんどんどんやっぱ 認知障学してったっていうあそうはいでし たじゃお父様大変でしたねそうですねあの 父って家事なんてやったことないしもう 全然家庭のことなんてん みたいな大の父みたいな感じだったんです けども母がちょっとやっぱりおかしくなっ てきたなっていう頃からは全部お買い物に も母を車に乗せ連れてってで朝ご飯は トーストを焼いて父があの母のはえミルク ティー自分にはレモンティー入れてって いうの全部父が支をするっていうもう

私たち見て点道地そうよねそれまで絶対 なさらなかった方がねはいでもう父が母の 小遣いのように一生懸命面倒を見てで母が できなくなったことを全部父がカバーせた んであの私たち兄弟はあんまり気うん 気づかなかなかったんですねうん気づいて いても気づかないふりしてたのかもしれ ないんですけどもうんでもまお父様やって くださるだろうぐらいに思ってってたん じゃないですねただ父が亡くなってから やっぱりあの2年間は母も頑張って 1人暮らしをしたんですけども私たちも姉 は平日担当で私は金曜日に音屋が終わっ たらば母んとこに行ってえご飯作って土日 いてで帰ってくるっていう感じだったん ですけどやっぱり体力的にも続かないうん シーに詰まってきてやっぱり身内だとその だんだん母が元の母じゃなくなっていく姿 みたいなものを娘はどんどん受け入れがな でそうするとこう母が何度も何度も一生 懸命私がご飯作ってる時にゆうこゆう子 って呼ばれたりすると頭では分かってるん だけどもうちょっと黙っててくれない みたいになってしまった時にそれはそれで ものすごい自分自身も母も傷つけてしま うっていううんそこでだんだんヘルパー さんやめさせちゃうとかでそれだけお料理 の好きな人だったので台所に全然水知らの 他人が入るっていうことに対して ものすごい反発をしたんですね私がここ まで磨き上げて綺麗に守ってきた台所に なんであなたは無断で入ったうちの冷蔵 開けるのみたいになっちゃってどんどん ヘルパーさんをやめさせちゃううんですよ それも言しょうがないっていうことで施設 に入ってもらうことにしましたでもう こんなに苦労して育ててあなたたちから こんそんな集中を受けるあの言われはない て言われてうん姉兄私も含めて罵倒され ましたそううんうん最様にしてみるとそう でしょうねうんでも結局その母があの高齢 者施設に入ってから1番の助けは第3者の そこにいる介護師さんだったりあそうぱ ヘルパーさんだったりする方たちがうん あのやっぱり母を客的にすごい見て くださって母の人生を知ろうと努力して くださったんですようんあそうだからあの 裕子さんなるべくたくさん若い頃の写真と か昔のお写真とかいっぱい持ってきて くださいて言われていっぱいアルバム持っ てってえで施設の方たちがあの時間のある 時はそれを母と一緒に見ながら母の人生が どんな人生だったかを一緒に共有して くださったうんうんこれあの実はですね母 が古典を開いた時の写真なんですけども

なんで絵なんですよあ臨床美術というもの に出あってこの臨床美術というのは意思の こう階層療法なんですねうんだからこう いうお花を目の前にしてお花を描くのでは なくて花にまつわる母の思い出とかを一緒 に語り合いながら最後の10分ぐらいで その目の前にあるものを書くっていう うんうんだからお花だったらお花ま母書い たアンスリームっていう花があるんです けど母母がこれなんですけどはい大好きで お上手うんはい母この絵を描いた時に えっと初めてよくできたって言ったんです でそれまで母はそうやって自分は旅行が 好きだったのご飯を食べるのも大好き友達 とあのも好きおしりするのも大好きって いうその全てのできることをどんどん奪わ れてしまったんですねうん 日症でそれが母のやっぱり怒りの正体で まあね自己否定だったんですでもこの絵を 描いた時によくできたって言って自己肯定 をしたうんうんそこから母のやっぱりこの ホームでの生活っていうのは一遍あそう はいものすごく穏やかになって多分母の そういう自己否定の嵐みたいなものがそこ で1つこう収まったうんうんだと思うん です [音楽] [拍手] [音楽] ね [音楽] [拍手] [音楽] アンドさんのお洋服とかお料理とかそう いうものが本になってあそうなんですあの インスタがきっかけで今回の宝島車から うんアドの今もずっと好きなものていう いいわねあの写真を中心にしたあの本を 出させていただいたんですけど全部自分の 私服でコーディネートしたうんあそうなん うんはいなのでおすすめはミニなんですね はいあのミニスカートなんかおこがましい んですけど私大人の人でも年が行ってても ミにってどんどん来ていいと思うんですよ 足の見せ方みたいなのもあるじゃないです かあんまり生々しいとちょっとね良くない と思うんですけどもこれはちょっとした あのメッシュのスト入って営をつけてるん ですけどももう年齢だからとか今更とかて そんな枠にはめないでうんバンバン来て いいんじゃないうんバンバン切られれば皆 さんだってでもそういう心がけはあの ちょっと目に入ってみようかなってね思っ たりする考えを持つっていうのはねきっと いいと思いますうんはいで周りの方もなん

それ走たないとか言わないでうわあ自由で も楽しそうって撮ってくれたらすごいが楽 そりそうですよねうんと思いますでもあの 現在は愛犬の りんごはいはいはいりんごちゃんりんご です可愛いえ一応当時だったので柚のあ そう柚のお風呂入ってあらあんなこれは リモートで仕事してると一応応援してくれ てるのかもしれないこれお腹出してもう 悠々としてんのねはいこれはあの クリスマスの時に戸中くっつけてんです けど本当にもうやられ放題ですねこの かわいそう犬はでもすごくいい相棒です そうはい毎朝1時間半とか一緒に歩くん うんあそうなのそれいいわねはいあの私に とっては大切なトレーナーでも そうそうそういう風なのがないと歩くって いう気にはなかなかねそううん思わない ですものねまこれからも丁寧な暮らしを 頑張ってそうですねあ旦那様のお話を聞く の忘れた大丈夫ですあのあの時間またあの 旦那ネタをじゃ仕込んでまいりますんでお 願いいしますありがとうございまし た

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徹子の部屋 2024年1月24日 安藤優子 「報道一筋40年…意外な素顔」

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